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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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第35話:反転

 哀願とも渇望とも思える呟きだった。

 エリーチカの言葉を、ハルカはさして気にも留めていなかった。ただ、エリーチカが歩んできた年月を思い、胸を痛めただだけだった。


 が、その認識が間違いだったことを、ハルカは瞬時に悟ることになる。

 

 背後から感じたのは異様なほどの殺気。それだけで体が貫かれてしまうと錯覚するほどの敵意。

 ハルカは振り返り様、怜悧な白刃が自身の喉元めがけて突き出されたのを認めた。


「くっ!」


 一歩後退し、体をそらせる。のけぞったハルカの鼻先ギリギリのところを刃が通過し、ハルカの前髪をチリリとかすめ切った。

 そのまま後方に一回転し、身をかがめて体勢を整える。右手には《陰》、左手で地面に手をつき、勢いよく立ち上がった。


「アーチェ!」


 アーチェの両手はだらりと下がり、まるで操り人形のようだ。静かに面をあげたアーチェの目に光はなく、かつての強い意志は全く見られない。


「ハルカ! アーチェ様!」


 アーチェの後ろ、少し距離を置いてポラジットが到着した。ヒッポグリフからひらりと舞い降り、杖を構える。アーチェのただならぬ気配を察知してか、ポラジットは強張った顔つきだ。


「エ、リーチカ、さま」


 アーチェが主人の名を呼ぶ。


「アーチェ、アーチェ。私を、守って……」


 エリーチカが守護者の名を呼ぶ。


「エリーチカ様に害をなすものは排除する。それが、妾の《マスター》の命……!」


 刹那、目の前からアーチェの姿が消えた。


 ――消えた!?


「ハルカ! 左ですっ!」


 ポラジットの叫び。ハルカは左側面へと視線を移す。


「間に合わない……! 障壁シールド、全開っ!」


 《陽》を薙ぐアーチェ。ハルカの防御は追いつかない。

 ハルカの体を薄緑の球体が覆う。ポラジットが展開したシールドが、辛うじてハルカを守った。


「笑止っ! 無刃の前に、魔法など無意味!」


 ガリガリガリ、と刃が壁を削り取る。火花が散り、球面を構成する六角形群がひび割れる。一本、また一本と辺を削がれた面から、防御のための強度は失われていった。

 力任せに障壁を破り斬ったアーチェは、刃を翻し、再びハルカに斬りかかった。


 その閃きを食い止めようとハルカは《陰》を構える。

 空気を震わせる音を立て、《陽》と《陰》がせめぎ合う。

 元は一つの鉱物からできた二本の剣は、戦うのを拒絶するかのように、触れた場所から不協和音を奏でた。


 ――この世界と深く繋がり、万物を構成している元素を断ち切れるのは、この世界の理に縛られぬ妾たちだけじゃ。


 無刃流の根源。元素の繋がりを断つ力。

 剣聖の域にまで達したアーチェには、元素で構成された魔法など通用しないのだ。

 いくらポラジットが有能な術者とは言え、どんなに強固な障壁を構成しても彼女の前では意味をなさない。


「やめろ……! アーチェ!」


 黒と白が交差するたび、ハルカの体に傷がついた。

 剣はなんとか防ぎきっている。しかし、その剣圧を防ぎきるまでには至らず、剣から放たれる衝撃が彼の皮膚を裂いた。


 機械のような精密さで、踊子のような優美さで、アーチェは剣を振り、ステップを踏む。

 その予測不能な動きに、ハルカはついていくのがやっとで、反撃に転じることができない。


「氷の、檻」


 だから、それは不意打ちだった。


「…………っ!」


 背後にいるエリーチカが放った氷弾が、ハルカの足元に着弾する。と、足元の温度が急に下がった。

 革靴ごしでも分かる急激な温度変化に、ハルカは息を呑む。逃げるために地を蹴ったが、それも蹴ったつもり・・・に留まった。

 氷で完全に地面に繋ぎ止められたハルカを、アーチェの剣が襲う。後退も前進もできず、ただひたすらに一閃を食い止める。


「ハルカっ! 火炎フレイム!」

「目障りじゃ!」


 援護のためにポラジットが攻撃魔法を放つも、アーチェがそれら全てを斬り伏せた。

 剣の余波がポラジットを襲う。襲いくる鎌鼬を転がり避け、彼女の白いローブが泥で汚れた。


「くっ……効かない……!」

「ポラジット!」


 パキパキ、と氷が足元から這い上がってくるのを、ハルカは半ば絶望しながら一瞥した。ポラジットを助けに行くことも、アーチェを食い止めることもできない。ほんの一瞬でさえ、アーチェは剣を振るう手を止めることはないのだ。

 

 裂けた服を血が濡らす。破れた箇所から滲みはじわりと広がり、頬や手の甲は鉄臭い赤で染め上げられる。


「ちっ……!」


 この戦いがアーチェの意志で為されているのであれば、これほど歯痒い思いはしなかっただろう。

 アーチェが真に守るべき者を、心の底から守るための戦いであれば。


 ――だけど、これは違う。


 ハルカは、アーチェの決意を知っていた。

 彼女の旅路に終わりを告げようとしていたことを、愛する人に救済を与えようとしていたことを。

 それがどんなに残酷なことであったとしても、アーチェは自分に課された役目に目を背けるようなことはしなかった。


「違うだろ……」


 彼女の《主》が望んだことはこんなことだったのだろうか。

 血を啜る魔物に変貌してしまった妻を、人間としての生を奪われてしまった妻を――彼女の《主》はそれでも現世に留めていて欲しいと思うだろうか。

 

 ――それは、違う。


 ハルカの体から、銀光の粒が浮遊する。

 ぽつ、ぽつ、と宙を舞う光は次第にハルカを覆い、彼に本来の力・・・・を与えようとしていた。


「アーチェ……」

「主君に仇なす愚か者よ、散るがよい!」


 アーチェが《陽》を振り下ろす。ゴウ、と唸りを上げながら迫る白刃を、ハルカは対をなす黒刃で受け止めた。

 剣圧も衝撃も、何もかもが相殺される。二つの剣の不協和音も消え失せ、一瞬の無音の空間がその場を支配した。


「ならば……食らうまで!」


 幼子から放たれた亡者の口が、ハルカを噛み砕こうと牙を剥く。しかし、銀の光に触れた途端、亡者は怯み、宿主である幼子の体へと還っていった。


「な……! 《悪食》の能力が効かぬ!」

「聞くんだ……アーチェ。いや、飢渇鬼グール

「貴様ぁ……妾の名を、呼ぶな……!」

「目を覚ませ。お前の《主》の……真の望みを思い出せ・・・・・・・・・!」


 ハルカの足元の氷がひび割れる。少年の目の色は銀に変わり、圧倒的な意志の光をたたえていた。

 吹き出す銀光がアーチェの体を圧迫する。究極召喚獣バハムートが告げる、絶対の命令。その《絶対服従》の能力の前では――何人たりとも抗えない。


「あ……妾の、なすべきこと……」


 アーチェの瞳に光が戻る。ハルカへ向けていた《陽》をおろし、ふらりと一歩、後退る。


 彼女を縛っていた呪縛は消え、そこに在るのは一人の幼子だった。

 使命も存在意義も、何もかもから解放され、真っさらな状態になった彼女。

 己の使命から目を背け、逃げ出すこともできた。エリーチカを守るために、再びハルカに刃を向けることもできた。

 今まさに、彼女は召喚獣でありながら自由の身になったのだ。


「妾は……」


 紫の長衣が翻る。雪のような白髪がたなびく。

 菫色の瞳にはハルカの姿と、さらに小さなエリーチカの姿が映っていた。

 小さな手に力がこもる。チャリと音を立て《陽》がアーチェの心に応じる。


「妾は……」




「ヤレ、エリーチカ」



 

 嘲りを帯びた、道化の声。

 ハルカの目に、あらゆる動きはスローモーションに見えた。


「ふぐっ…………!」


 無音の世界に、響く音。

 それはアーチェが幾度となく聞いた、肉と骨が断たれる音。


 ハルカは師の体を貫いたものに目を奪われた。

 美しい透明な、水晶と見紛うほどの氷の刃。地面から生えた幾本ものつららが、小さな師の体を、魂を――容赦なく砕いた。

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