第34話:五十年の真実
「あの事故の真相……? 五十年前の事故のことか?」
先を急ぐ気持ちと、真実を知りたいという気持ちがせめぎ合う。
五十年前、アメル領を襲った未曾有の爆発事故。
魔術回路研究施設での実験が失敗に終わり、元素が暴発したというのが表向きの事実だ。施設から程遠くない所に位置していたアメル領は最も被害を被った地域で、人間の生存者は皆無と言われていた。
ただ一人、幻獣であったアーチェだけが、その能力故に生き残り、現在に至っている。
が、アリアは別の真実があると言う――。ハルカは一瞬戸惑うも、黒剣をおろすことはしなかった。
「何だよ、真相って。つまらない時間稼ぎのつもりならやめとけよ」
ポラジットも頷き、杖を構えた。霊石が光を放っているということは、いつでも魔法が放てる状態にあるということだろう。彼女もまた、茶番であれば容赦はしないと暗に告げていた。
「ツマラナイモノカ。ムシロ、話シタクテウズウズスルクライサ。青ノ召喚士、君ナラ知ッテイルダロウ。
カツテ魔術学会ヲ追ワレタ狂科学者……ドーラ・アランノコトヲ」
「ドーラ・アラン……。ええ、彼はその過激な研究ゆえに、学会を追放され、自ら死を選んだと……」
「事故ノアッタ施設ハネ、魔術回路ノ研究施設ナンカジャナカッタ。ドーラ・アランノ研究室ダッタノサ」
「な……!」
「彼ノ研究ハ、第五元素ノ観測。コノ世界ニ存在シ得ナイ五ツ目ノ元素ヲ抽出スルコト」
「そんな……じゃああの爆発事故を引き起こしたのは、第五の元素だと言うのですか!?」
アイルディアに存在する元素は四つ。天と地、光と闇。
そのどれにも該当しない、五つ目の元素の存在を、ドーラ・アランは提唱していたのだ。
そして――事故はその未知の元素によって起こってしまった。
「不安定ナ元素ノ威力ハ凄マジカッタラシイネ。何セ、本来、コノ世界デハ安定シテ存在デキナインダカラ。
第五元素ハ全テヲ破壊シ、ソレ自体モ同時ニ消滅スルハズダッタ」
「だけど、エリーチカだけは生き残った。……そういうことかよ、被験体って意味は……!」
「半人前ノ召喚獣ノクセニ、勘ダケハイインダネ。アハハ、ソノ通リダヨ。
エリーチカハ、第五元素ニ適合シタンダ! 事故後、現場ニヤッテキタ博士ニヨッテエリーチカハ捕獲サレタッテワケサ!
エリーチカノ肉体ハ第五元素ト不可逆的ナ反応ヲ起コシタ! エリーチカガ人ノ身デナクナッタノモ、第五元素ノセイサ!」
ハルカの頭の中は沸騰しそうだった。
エリーチカは惨劇に巻き込まれただけでなく、その後も人としてではなく、実験対象として扱われていたと思うと、止めどなく怒りが込み上げた。
――あんな事故さえ起こらなければ。せめて、ドーラ・アランよりも先に、アーチェがエリーチカを見つけることができていれば……!
エリーチカを探しながら、五十年間苦しんでいたのはアーチェだけではなかった。エリーチカもまた、人としての生を奪われ、苦しんでいたのだ。
「待って……! ならば、アラン博士は今も生きているということなのですか!? そんな危険な研究を続けたまま、このユーリアス共和国の何処かに!」
「アーハッハッハッ、青ノ召喚士、君ハ本当ニ切レ者ダ! ダケド、甘イ。マダ甘イ
ドーラ・アランハ生キテイル。名前ヲ変エ、住処ヲ変エテ」
「……そんなっ!」
「今ノ彼ノ名ハ、ドーラ・メレブ。ガリアス帝国大公家メレブ家ノ当主サ」
ポラジットの息が止まったことに、ハルカはすぐに気がついた。手綱を持つ彼女の手は震え、頬は血の気を失った。
「ならば、帝国がその力を増したのは……あの時、連合軍を襲った、強力な魔法攻撃の正体は……」
「君ノ老師ヲ殺シタモノノ正体ハ、ト言ウベキジャナイノカイ?」
「…………っ!」
「アリア、てめえっ!」
これ以上、話を聞く必要はなかった。
呆然とするポラジットの手から無理矢理手綱を奪い、ハルカはヒッポグリフの腹を蹴る。
「ヒッポグリフ! 俺が代わる! 突破するぞ!」
ヒッポグリフはハルカの言葉に従い、翼を羽ばたかせた。ピィィィーー、と一鳴きし、己が《主》に苦痛を与えた敵へと突進する。
「アハハハー! コレダケ時間ヲ稼ゲレバ十分サ! サァ、行クガイイ、アーチェトエリーチカノ元ヘ!」
アリアはヒッポグリフの突進を易々と避け、空中でクルリと回転した。
現れた時と同様に、アリアの背後に緑の魔法陣が現れる。陣が輝きを増すごとに、アリアの輪郭は薄れ始めた。
「呼ンデイル……僕ハモウ行カナクチャァ。ショーハマダマダコレカラサ!」
「アリア、待て!」
ハルカの制止も虚しく、アリアは忽然と姿を消した。
かすかに残った羽毛がチラチラと朝焼け空に舞う。東の空から顔を出した太陽が、それらを照らし出していた。
不意に、ハルカの手に冷たい感触が重なる。ポラジットは片手で顔を覆いながら、しっかりと面を上げた。
「ポラジット……」
「大丈夫、私は、大丈夫です」
ポラジットはハルカの手から、静かに、だが強引に手綱をもぎ取る。
その様子に一抹の不安を覚えながらも、ハルカは黙ってポラジットの手に従った。
「着地します。気配はすぐそこです」
告げた直後、ハルカ達の前方、山の谷間が青白く光った。
*****
「わたくしを、殺すの? アーチェ……温めてはくれないの?」
真っ赤な瞳で、エリーチカはアーチェを見つめた。弱々しく立つアーチェに、エリーチカは懇願する。
アーチェにはそれ以上戦う力は残っていなかった。ただ、虚勢を張り、かつての家族からの誘惑を必死で振り切っているだけに過ぎない。剣の切っ先を彼女に向けはしていたものの、踏み込む力もなければ、剣を振るう力もなかった。
今よりも前へ進むことも、後ろに退くこともできず
アーチェは身動ぎすることさえ叶わなかった。
「エリーチカ様、どうか」
もしも、もう一声、エリーチカから懇願されれば、抵抗する意思は粉々に砕かれてしまうだろう。
その前に、何としてでも気持ちを伝えなければならない――アーチェはそう思ったのだ。
「どうか、妾とあの頃へ帰りましょう。幸せだった、あの頃へ」
その願いは叶わぬことだと分かっていた。
時間は決して巻き戻ることはなく、起こってしまったことは覆せない。
一から始めるならば、すべてを無に帰さねばならない。
それならば――もしかしたら、またどこかの世界で別の「エリーチカ」と「アーチェ」として、手を取り合うこともできるかもしれないのだ。
それは砂金粒ほどの奇跡。起こらないことはほぼ確定している未来。
けれども、まったく有り得ないとは言い切れないのだ。その一縷の希望にすがり、そこに救いを求めるしかアーチェには方法が見つからなかった。
「アーチェーーー!」
緩やかな空間を裂く、少年の叫び。
アーチェはゆっくりと天を仰ぎ、上空を飛来する幻獣の姿を見た。
――あの、馬鹿弟子が……。
少年は幻獣の背から颯爽と飛び降りる。空中で剣を覆っていた白布を引き剥がし、ザン、とアーチェの前に着地した。
手にはアーチェの白剣《陽》と対をなす黒剣《陰》。
癖のある茶色の髪が、朝陽を受け、燃えているかのように揺らめいた。
「何を、しにきた。大馬鹿者が……」
満身創痍のアーチェを前に、少年・ハルカは目を丸くした。ぼろぼろになった姿を見られたくはなかったが、これもまた、剣を手に戦う意味を知らしめるいい機会かもしれない。アーチェは胸中で独りごち、かすれた血で汚れた口の端を歪ませた。
「俺は、この戦いを見届けなきゃならねぇ」
ハルカはエリーチカに向き直り、《陰》を構えた。
「あんたが出来ないことは、弟子が引き継ぐべきじゃねぇのか、ししょー」
――あぁ、なんて。
眩しいのだろうか。
弟子の成長を頼もしく思うと同時に、弟子を守らねばと焦った。
エリーチカは到底、ハルカが太刀打ちできる相手ではない。あの強力な魔法もそうだが、ハルカにはまだ無刃流のすべてを叩き込んだわけではない。
「さが、れ。小僧、が」
「いいや、さがらねぇ」
その時、遥か向こうにいるエリーチカの目から、氷の涙が一粒落ちた。
雫の結晶が地面に触れるか触れぬか――瞬きほどの空白の時間。
エリーチカは冷えた唇を開き、アーチェに請うた。
「アーチェ、守って……。わたくしを、守って……!」
アーチェの眼がカッと開く。
彼女の心を支えていた細い糸がプツンと切れた。




