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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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第31話:感応

 そもそも彼女の誕生そのものが曖昧だった。

 彼女は、自分が世界から彼女・・ではなく、それ(・・)と認識されていた頃のことは全く知らないし、知るつもりもなかった。

 彼女の誕生は世界にとっても予期せぬことであっただろう。それほど、奇妙なことだった。



 初めに感じたのは音。怒号と悲鳴と金属音、肉を断つ音。

 それは決して心地のよいものではなかったが、静寂が恐ろしかった。そのようなおぞましい音でも、聞こえなければ彼女は自己の存在を認識することができない。聞こえることで、やっと己は存在しているのだと実感した。


 次に感じたのは温度。ぬるい、体にまとわりつくような温もり。

 それも決して心地のよいものではなかったが、温もりに触れられないことが恐ろしかった。生まれたばかりの彼女に、外の空気は冷たく、温もりがなければ止めどなく溢れる不安に苛まれた。


 それから感じたのは臭い。錆びた鉄の臭い。

 彼女に鼻があったのなら、きっとねじ曲がってしまったであろう腐臭だった。けれども、彼女はその臭い以外知らなかったから、それが異常なのだとは気づかなかった。


 最後に感じたのは光。眼前に広がるのは殺伐とした、荒涼とした、赤黒い屍の山。

 生きているのは、自分を振るう主だけだった。何度か主は変わったが、彼女が見る光景はいつも同じだった。彼女が切り伏せた者達は皆、血走った目で、彼女と主に向かって怨嗟の言葉を吐く。それは、死に行く者の常套句。彼女の死を願う呪い。



 そして、ある日、唐突に彼女は知る。

 自分が無機質な刃であることを。



 *****


「……ぅ……」


 頭が酷く痛む。

 その痛みを無理矢理意識の内に押し込み、ハルカは目を開けた。


「ハルカ、大丈夫ですか」


 フワリと花の香りが漂う。それが、いつもポラジットから微かに香っていたものだと気づくのにさほど時間はかからなかった。

 上半身を起こすと、自分の額に当てられていた布が落ちた。ひんやりと湿ったそれは、ポラジットが付きっきりで看病していてくれたことを物語っている。

 身を起こしたハルカの手を握ったポラジットの瞳から、彼を心から案じていることがよく分かった。


「庭で倒れているのをカナンが見つけて、あなたの部屋に運んでくれていたのです。私が帰宅したのはそのだいぶ後で……」

「あぁ、うん。大丈夫だ。眠らされただけだと思う」


 気を失う前のことは、はっきりと覚えていた。

 アーチェが語った真実、そして、去って行った白銀の後ろ姿。

 夜も深いのか、外には闇が広がっていて、ハルカには時間の感覚がなかった。自分がどれほど眠っていたのかも分からない。


「俺、どれくらい眠ってたんだ?」

「襲撃から、丸一日経っています。今は真夜中です」

「……なら、アーチェは本当に行っちまったんだな」

「えぇ、おそらく……」


 彼女ほどの能力があれば、丸一日あればどこへだって行けるだろう。ハルカはグッと唇を噛みしめ、アーチェの言葉を思い浮かべていた。


「なぁ、ポラジットは知ってたのか? アーチェの正体、それにあいつの目的――」

「……はい、だいたいのことは」

「どうして黙ってたんだ」


 ハルカの追及に、ポラジットは口をつぐんだ。責めるつもりはなかったが、知っていたのならどうして教えてくれなかったのか、ただ疑問だった。


「それは……アーチェ様が自分の意思で決めることだと思ったからです。ハルカ、あなただって、自分が召喚獣であることを興味本位で知られたくはないでしょう。アーチェ様も同じでした。語るべき時が来れば語ろう――そうおっしゃっていました」

「そう、か……」


 アーチェにとっての語るべき時はあの時だった。あの、夕焼け空の下、ハルカの前から去る時が。

 その時期を遅いとも早いとも思わなかった。やはり、ハルカにとっても知るべき時はあの時だったのだろう、と自然に思えた。

 

「……にしても、あんな夢見せやがって」

「夢、ですか?」

「あぁ。きっとアーチェの記憶だ」


 眠っている間に見えたのは、間違いなくアーチェの記憶ものだ。ここに召喚される前、彼女が血塗られた魔剣として、命を与えられた頃のことだろう。

 血肉を斬り、命を奪うことだけがアーチェの存在意義だったのだ。彼女が歩んできた過去は、今の彼女からは想像できなかった。ハルカが魔剣という単語から思い描いていたものよりも凄惨で、狂気に満ちていて――哀れだった。


 チェリーバームティーを美味しそうに飲んでいた彼女。

 ピクニックで誰よりもはしゃいでいた彼女。

 活き活きと自分と木剣を交えていた彼女。


 ――そうだ。それがあいつの本質だ。


「もしかしたら、アーチェ様の心と感応したのかもしれませんね。召喚獣同士、通うものがあったのでしょう」

「……感応……」

「あの黒剣がアーチェ様の思念を増幅させているとも考えられますね。あれは、元々アーチェ様の剣でしょう?」


 そう言って、ポラジットは壁に立てかけてある剣に目をやった。

 剣には白布が巻かれてあり、柄だけが見える。託された物の存在を思い出し、ハルカはベッドから降りた。


 黒剣《陰》。アーチェが鍛えた一振り。

 この剣に触れ、ハルカはポラジットの言った意味を理解した。


 ――ずっと一緒にいたんだもんな。


 アーチェの体を鞘として、片割れの白剣《陽》と共にあったのだ。その年月は長く、アーチェの心にも触れ続けてきたに違いない。

 主の体さやから引き離され、痛いほど主と片割れを求めているのだ。こいねがう思いが、ハルカにアーチェの過去を見せたのだろう。


「分かった、うん……分かってる」


 元の世界もアーチェの住む世界だった。だが、この世界もアーチェの住む世界だったのだ。

 黒剣が夢で見せたのは、残虐な過去だけではなかった。


 ――この世界で、やっとあいつになれたのに。


 幸せだった日々の断片がハルカの心に突き刺さる。

 確かに、束の間だったが、アーチェは幸せだったのだ。


 その思い出を蹂躙するやり方は、許せなかった。

 アーチェが愛した人を魔物として使役するなど、到底許せなかった。


 ハルカは黒剣を手に取った。

 アーチェを一人で行かせはしない。これ以上、アーチェが辛いものを背負う必要はないのだ。

 自分にどれほどの方ができるかは分からない。でも、せめて、側で彼女の行く末を見届けることくらいはしなければならない――そう思った。


「追いかけるのですか。アーチェ様を」

「追いかける。シャイナ達も迎えに行かなきゃならねぇし」

「学園と軍に任せるというのではいけませんか」

「悪いけど、悠長に待ってらんねぇ」


 ハルカはそう言って、クローゼットから制服を取り出した。カナンが洗っておいてくれたのか、シャツに皺一つなく、ブレザーについていた砂埃も払い落されている。

 ふぅ、とポラジットがため息をつき、呆れたように笑った。


「あなたならそう言うと思っていました。軍が動くにはまだ時間がかかるでしょう。その前に、アーチェ様に追いつかなければいけません。――私も同行します」

「へ?」

「あなた一人で乗り込むつもりだったのですか? そんな無茶、させられるわけないでしょう。……勘違いしないで下さいね。あなたのその無鉄砲さは褒められたものではありませんが、シャイナ達の安全を考慮した際、迅速に行動すべきだと思ったんです」


 同行する、と言ったポラジットの頬は赤味がさしていた。

 本当は彼女も乗り込まずにはいられないのだろうと、その堅苦しい言葉の裏にある真意に気付き、ハルカは破顔した。


「くっ、素直になれよ。本当は居ても立っても居られないってさ」

「なっ! 違います! 冷静に判断すれば、軍の態勢が整うのを待つべきなのですが、あなたが行くと言うから……!」


 照れ隠しに言い訳を並べる度、ポラジットの頬はますます赤らんで行く。その様子があまりにもおかしく、ハルカは声を上げて笑った。


「な、何が面白いのですかっ!」

「いや、悪ぃ悪ぃ。ポラジットがムキになるのが面白くて、つい」

「む…………。で、アーチェ様の居所の見当はついているのですか?」


 ムッと頬を膨らませるポラジット。

 ハルカは目尻の涙を拭い、長く一息ついた。


「あぁ、こいつが教えてくれる。なぁ、《陰》」

「剣が、ですか?」

「多分な。こいつが触媒になってアーチェの思念が増幅されてるんなら、アーチェに対しての反応があるってことだろ。ならさ、センサーの役割になるってわけだ」

「せんさー? つまり、《陰》を使ってアーチェ様の気配を辿るということですか」


 ハルカはコクリと頷いた。

 グズグズしてはいられない。こうしている間にも、アーチェはどんどんデュロイ邸から離れて行くだろう。


「出発は早朝でいいな。今度こそ――アーチェを救う」


 ポラジットもまた海底色の瞳に決意を宿し、ハルカに向かって小さく頷いた。

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