第27話:幸福な召喚獣
黄昏時は嫌いだ、とハルカは思った。
しんみりとした、物哀しい気分になる。そして、辛いことがあった日の黄昏は、一層その気持ちを大きくさせる。
西の空と地平の狭間は燃えるように赤い。だが、あとは青味を帯びた闇が広がりつつある。
ハルカは日没の様子を見つめるアーチェの背後に立った。気配に気づいているはずだが、アーチェは振り返ることはない。そのまま、アーチェはハルカに問うた。
「帰ってきたのか」
「あぁ、ひとまずは全クラス解散だってよ。体を休めてから、今回の襲撃事件についての聴取が始まるらしい」
「そうか……」
デュロイ邸の庭で待つ。
戦いの後、アーチェはそう言って農園を去った。残されたハルカたちには落ち込んでいる暇さえ与えられず、すぐさま応援に駆けつけた軍の保護下に置かれた。
解放されたのは日没少し前のこと。軍の転移装置で各自の自宅まで送還され、しばらくは自宅で待機するよう、学園と軍から命じられた。
「青の小娘はどうしている?」
「一旦学園に報告してから帰るってよ。なぁ……どうしてあの場にあんたがいたんだ?」
「ふん、師匠と呼べと言うておろうに……。まぁよい、実はな、不穏な動きがあるからとポラジットにどうしてもと頼まれておった。見学の間限定で隠密に、ハルカを警護してほしいと」
「今回の襲撃のこと……知ってたのか?」
「いや、知らんかった。ただ、最近ユーリアス東部で暴動が起こっていたという話は聞いておった。それを案じてのことだったのだろう」
獣人族を狙う賊と、謎の鸚鵡――そして、エリーチカ。
攫われた三人の仲間の安否も心配だった。
アーチェはようやくハルカに向き直り、自分より背の高いハルカを見上げる。
「魔物……エリーチカ様のことが聞きたいのだろう? 顔にそう書いてある」
「あの魔物は誰なんだ? それに、あんたが召喚獣って……」
齢五十を越えておるーーそう言ったアーチェ。
それはこの世界に召喚されて五十年が過ぎたと思っていいのだろうか。
なぜ五十年もアイルディアに留まり続けているのか?
アーチェの果たさねばならない目的とは?
聞きたいことは次から次へと溢れてくる。どれから聞けばいいのか、分からぬ程に。
「妾は五十年……いや、正確には五十から先、数えておらんのじゃ。この世界に長く留まり過ぎた。今こそ話そう……真の妾のことを」
*****
「妾は召喚獣としてこの世界に召喚された。厳密に言えば、妾は幻獣召喚で喚ばれた。そう……ハルカ、お前と同じ、幻獣じゃ」
――簡易召喚で召喚されるのは、あちらの世界で命を持たなかった物。幻獣召喚で呼ばれた召喚獣は命を持っている者です。
ポラジットの説明にあった幻獣召喚というキーワード。
ならば、黒雷狼やバハムートと同じく、アーチェも元の世界では命を持った存在だったということだ。
ハルカは自分とアーチェを重ね合わせ、体を震わせた。あまりにも状況が似ているのだ。
「《主》のユグノー・アメル侯は三級召喚士の資格を持っておった。召喚された妾に与えられた使命は、マスターの奥方、エリーチカ・アメル様をお守りすることだった」
「アーチェが、幻獣……」
「元の世界での妾は一振りの剣じゃった。ただ、多くの人間の血を吸い、命を喰ろうたために、魔剣として生命を持ってしもうたのじゃ。そんな穢れた魂からか、妾は幻獣・飢渇鬼として喚ばれることとなった」
グールという響きからは想像もつかないほど、アーチェの姿は美しかった。血塗られ、腐敗した肉塊をイメージしていたが、アーチェの姿はそれとは程遠い。
「妾は飢えておったのじゃ。空っぽで、虚ろで……だからこのような真白き容姿となったのじゃろう。何もない白じゃ。じゃが、そんな妾に、エリーチカ様は名をくださった。グールではあんまりだ、と……アーチェという名をくださった。
エリーチカ様は妾を可愛がってくださった。まるで、妹のように、娘のように、友のように。そんなエリーチカ様を、妾は命をかけて守ろうと心に誓っておった。
マスターはエリーチカ様を愛しておった。だからこそ、簡易召喚を行うではなく、幻獣を喚んだのじゃ。元々剣であった妾は、剣を使うことには長けておった。そんな妾を見て、マスターが旅先で特別な鉱物を仕入れて下さっての……妾はそれを使って双剣・陰陽を鍛えたのじゃ」
アーチェは背中から二本の剣を引き抜き、空にかざした。すっかり日は沈み、月が照らす。まだ満ちていない月の明かりは弱く、剣は微かな光を吸い込むように天を仰いだ。
「幸せじゃった……。血塗られた元の世界とは想像もつかぬ幸福よ。妾は人を斬る道具ではなかった。初めて、大切な人を守る喜びを知った。
そんな日々も終わりを告げた。忘れもせぬあの日、アメル領のはずれで爆発事故が起こったのじゃ。魔術回路の研究施設であったと聞いておったが、本当のことは分からぬ。魔術回路の設計ミスで元素が暴走したという噂じゃ。その爆発は研究施設だけに止まらず……アメル領を丸ごと飲み込んだ。領地は壊滅、生存者もほぼおらんかった。……妾だけが無傷で、その場に立ち尽くしておったんじゃ」
「それって……まさか……」
「あぁ、そうじゃ。奇しくも妾の《悪食》の能力が、妾の身だけを救うたのじゃ! 妾の身を傷つけようとした爆風を……この身の亡者が喰ろうたせいじゃ!
生き残った妾はマスターの反応を探った。マスターは瓦解した屋敷の下敷きになっておったよ……。妾が見つけた時はかろうじて息があったが、下半身は潰され、もう命は長くないと悟った。意識が飛びそうな中、マスターは妾に命じたのじゃ……エリーチカ様を探し出し、救ってくれ、と。そう言い残して、マスターの命は潰えてしもうた。
妾は瓦礫の下からマスターの亡骸を救い出した後、エリーチカ様を探した。何度もエリーチカ様の名を叫び、瓦礫の山をひっくり返した。じゃが、エリーチカ様はどこにもおらなんだ……」
《主》を失ったアーチェの絶望が痛いほど分かった。いや――自分が抱えた絶望よりも、もっと深かったのかもしれない。
一人、異世界に取り残されたアーチェ。使命を全うすることもできず、荒野に置き去りにされたアーチェ。
この小さな体で異世界を生き抜くのは、想像以上に過酷だったに違いない。
「妾は陰陽を携えて、アイルディアを彷徨い歩いた。鞘のなかった陰陽をわが身に喰らわせ、この体を鞘として旅をした。
エリーチカ様が見つからぬのなら、自ら命を絶ってしまおうとも思うた。しかし、自分でこの身を傷つけることも叶わぬ。戦場に身を置いて、誰かに討たれようともしたが、それすらも《悪食》の能力が許さぬ。
結局、妾がこの孤独から脱するための術は一つ。エリーチカ様を見つけ出すことしかなかった。エリーチカ様の亡骸でもよい、骨の欠片だけでもよい……とかくどんな形でも……エリーチカ様をこの手に抱くことが解放への唯一の道じゃった」
アーチェは勢いよく剣を地面に突き立てた。ビィィン、と剣が震える。
――でも、エリーチカは……。
亡骸でも、骨片でもなかった。それ以上に酷い姿でアーチェの前に現れたのだ。
「ハルカよ、妾は行かねばならぬのじゃ。最後に……お前に《主》を失った召喚獣の末路について話しておかねばならん」




