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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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第26話:サンプル

 鸚鵡があまりにも軽やかに、何のためらいもなく言い放ったせいで、ハルカには一瞬内容の意味が分からなかった。


 ――サンプルって……どういう……。


 現れた魔物――エリーチカと呼ばれた女性――は、「被検体サンプル」と称されたことに反論もせず、ただ空っぽな瞳でそこに在るだけだ。

 そして、そんな彼女とは対照的に、アーチェはカタカタと小刻みに震えだし、目を剥いて叫んだ。


「鸚鵡! 貴様は何を言っておる! その御方のことを……!」

「知ッテイルヨ、アーチェ・アメル」


 息巻いていたアーチェの気勢はその一言で削がれたのか、口をつぐみ、固まってしまった。


 話が全く見えない。ハルカは戸惑うばかりだった。

 冷気を纏った魔物が敵であることは明らかだ。ハルカたちを襲い、現にサクラ、ルイズ、シャイナを人質にとっている。

 けれども、アーチェか見せた反応は、敵としての認識とは違った。

 焦がれて、焦がれて、やっと見つけた――。そんな思いがひしひしと伝わってくる。

 チラリとポラジットを見遣ると、アーチェの事情を知っているのか、気まずそうにハルカから目をそらした。


「エリーチカガ被検体サンプルニナッタノハ偶然。デモ、今、ココニイルノハ必然サ」

「………っ! 貴様!」


 アーチェは剣の切っ先を鸚鵡に向けた。ふぅふぅと怒りで息を荒げ、髪を逆だてる。

 アーチェの目には絶望しかなかった。やっと見つけた、と安堵したのも束の間。それは悲劇の始まりに過ぎなかった。


「貴様を、斬る」


 アーチェの援護に回るため、ハルカとポラジットもそれぞれ武器を構えた。

 

 ――とにかく、三人を助けださなきゃ意味がない。アーチェの事情は後回しだ。


 鸚鵡を押さえれば、エリーチカの攻撃も止むはずだ。エリーチカに指示を出しているのは鸚鵡なのだ。

 被検体サンプルという言葉が耳から離れない。もしも三人が攫われてしまったならば、三人の身に一体何が起こるのだろうか――。考えるだけでもおぞましいと、ハルカは頭を振った。

 ヒュゥ、と冷たい風が吹きつける。季節外れの粉雪が頬を打つ。

 アーチェは鸚鵡に飛びかかろうと、身体を屈めた。


「おやめなさい」

「………!」


 エリーチカの声に抗えぬのか、アーチェの体が止まる。意地でも剣を下ろすまいと、額から冷や汗を流し、呼吸を乱している。

 あとは地面を蹴るだけでよかった。そうすれば、あの鸚鵡に届く、はずだった。

 

「聞こえませんでしたか、アーチェ。おやめなさい・・・・・・

「エリ……チ、カさ……」

「おい、アーチェ……くそ!」


 身動き取れぬアーチェに代わって、ハルカが跳躍した。

 

 ――グダグダ言ってる場合じゃねぇんだ……!


 この世界でできた大切な友が奪われてしまう。それは寄る辺の少ないハルカにとって耐えがたいことだった。

 依存しているのかもしれない。ポラジットや、学園の友人達に。だが、そうせねば、この世界で心をたもてなかったのだ。


「サセナイヨ、バハムート。ヤレ、エリーチカ!」


 エリーチカが応じる。両手を広げ、宙空に数多の氷塊を出現させる。


「危ない! ハルカ!」


 後ろから聞こえるポラジットの声。眼前を覆う薄緑色の壁。

 バキバキバキ! と障壁シールドに氷塊がぶつかっている音でハッとした。ポラジットが咄嗟に繰り出したシールドが攻撃を防ぐ。

 壁が歪み、正面の景色が見えない。音が止んだその時――もうそこには人の姿はなかった。


「消えた……。そんな……」


 鸚鵡も、エリーチカも、サクラも、ルイズも、シャイナも、どこにもいない。


 ハルカは剣を取り落とし、その場にガクリと膝をついた。


 *****


 雪山から帰ってきた愛しい人の身体を暖めるために、カスティアは寝床に毛皮を敷いた。

 うむ、と短く、満足げに呟いた男――ガリアス帝国皇帝スフルト・ナハタリは腰布を乱雑に脱ぎ、後ろからカスティアの身体を引き寄せた。

 手は冷え、擦り寄せてきた唇も冷たい。寒さで凍えていたであろうにもかかわらず、機嫌はすこぶるいいようで、その証拠にいつも以上に愛撫が念入りだ。

 

 遠乗りだ、と言って雪山に行く目的を、カスティアは知っていた。

 おそらくスフルトも隠そうとしているわけではない。敢えて言わないだけなのだ。

 夫の唇で熱っぽくなる頭を理性で冷やし、カスティアは思考する。


 あの雪山に、メレブ博士の研究所があることは知っている。ある日、スフルトがどこからともなく連れてきた、薄気味悪い研究者だ。スフルトがメレブ博士の噂を聞きつけたのか、後ろ盾のなかったメレブ博士が四国を見限り、帝国に与したのか――それは定かではない。

 ただ、スフルトはメレブ博士の研究をいたく気に入り、こじつけで大公の位まで与えてしまった。

 喧嘩っ早いと評されてはいるが、賢帝だとも言われているスフルトには珍しい、暴挙・・である。そして、さらにメレブ博士との関係を密にするために、メレブ博士の娘を正妃に据えた。


 正妃に嫉妬しているわけではない。

 身分の低い自分を側室に迎え、そして寵愛されていること以上に望むことはない。

 ただ、メレブ親娘のことが気に食わないのだ。

 

 激しくなる愛撫の前に、冷静な考えが消し飛んでいきそうになる。その前に、告げねばならない。

 スフルトの舌先が喉をなぞり、唇まで上がってくる寸前、カスティアは夫の唇を手でやんわりと押しとどめた。


「陛下……第五元素の研究は進んでおりましたか?」

「…………知ってあったか、カスティアよ」


 夫の機嫌を損ねることを覚悟で言ったカスティアだったが、それもまたスフルトにとっては好ましいことだったようだ。カスティアの美しい手を押しやり、薄く開いた唇に深く、長く口付ける。


「ん……。陛、下」


 チロリと舌先で唇を舐め、スフルトは満足げに笑った。


「カスティア、我はそなたのそういう所に惹かれるのだ。抜かりなく、鋭いそなたに」

「……光栄にございます。しかし、第五元素もあの者も、少々危険ではございませんか。陛下はどのように思われて……」

「あの男はまだ利用価値がある。案ずるでない、信用しているわけではない」

「陛下、第五元素とは一体なんなのです。あのような力、何のリスクもなく使えるとは思えませぬ」


 その問いに、スフルトは口の端を歪め、カスティアの胸に顔を埋めた。


「あの男はそれを明かさぬ。第五元素についての一切を問いたださぬこと……それが、帝国に仕える条件だ」

「ならば、なおさら野放しにしておくわけには…………あっ……」


 男は女を抱く。

 カスティアの思考回路は一瞬で愛しい男のことに支配された。スフルトの目は冷静さを欠いていないことはすぐに分かった。けれども、自分は――もう何も考えられない。


「カスティアよ、野放しになどしておくものか……利用するだけ利用して、尻尾を掴んでやるわ」


 愛しい人の声が遠く聞こえる――。

 そこでカスティアは思考することを放棄し、夫の腕に身を委ねた。

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