第25話:《悪食》と魔物
「アメル侯爵家当主ユグノー・アメルが召喚獣、アーチェ・アメルなり! 妾が《悪食》の能力……とくと味わうがよい!」
凛と言い放ったアーチェの言葉に、耳を疑った。
――アーチェが、召喚獣……?
それは聞き間違いではなかった。鮮明に、衝撃的に、その言葉はハルカの心を貫いた。
どうして今まで、アーチェが召喚獣であると微塵も疑わなかったのだろうか。齢五十でありながら幼子にしか見えない外見、剣聖と呼ばれるほどの身体能力。アーチェ自身の過去も素性もなにも知らなかった――今、この瞬間までは。
元の世界とあまりにも違う異世界だったからこそ、アーチェの不自然な姿に疑問を抱いたことなどなかったのだ。てっきり、魔術や呪術の類いのものが、彼女の身体の年齢を止めているのだとばかり思い込んでいた。
だが、思い返せば、この世界でもそんな不自然な人間に出会ったことなどなかった。この世界の人間にも老いはあり、死がある。生命の摂理を捻じ曲げて存在しているのは、召喚獣だけなのに。
――簡易召喚は誰でもできる召喚術です。異世界から物を召喚し、それに新たな形をあたえるものです。
――召喚獣が還る方法は三種類あると言われています。術者による強制送還、召喚獣による術者の命令の完遂、そして……召喚獣の死亡。
いつかポラジットが語ってくれた言葉を思い出す。
アーチェの本体は知らないが、アーチェの姿が術者によって与えられた姿ならば、変化がないのも当たり前のことだ。そして、彼女がアイルディアにとどまっているということは、帰還の条件を満たせていないということ。
――じゃあ、アーチェの目的って何なんだ……。
「放て!」
賊の号令で、一斉に矢が放たれた。ハルカは思考を中断し、黒剣・陰を構えた。剣の腕は未熟だが、召喚獣の力のおかげで矢筋程度なら容易に読める。ハルカは迫り来る矢を順に払い落としていった。
一方、アーチェはピクリとも動かない。矢は次々とアーチェの身体を貫き通していったが、彼女の身に刺さった矢は全部、身体中の傷口に現れた亡者の口に喰らい尽くされた。矢の数と同じ数の、おどろおどろしい口。飢えているのか、その口の全てから唾液が滴り落ちていた。
「ならば直接斬り刻むまで! うあぁぁぁぁっ!」
賊が一人、矢の雨の中を突っ切ってくる。ギラリと鈍く光る剣が狙っているのはもちろん、アーチェだ。
アーチェは俯いたまま、じっと立ち尽くしていた。賊の凶刃は瞬く間にアーチェの元に達し、深く、心の臓をえぐる。
してやったり、と賊が得意げに笑った。刺された女の苦悶の表情を見てやろうと、下卑た顔つきでアーチェの顔を覗き込むが、愉悦の笑みを浮かべていたその顔が瞬時に凍った。
「ふ……それで妾を仕留めたつもりか?」
ガキリ、と刺さった剣が噛み砕かれた。裂けた心臓から現れた亡者の口は、器用に刃に舌を絡め、剣を吸う。滑らかな動きで剣は呑み込まれていき、賊は慌てて柄から手を離した。
「ひぃぃっ!」
「たわけが。剣士がやすやすと剣を手放すでない」
「ぐぅっ……」
アーチェは手慣れた手つきで男の首をかき切った。真っ赤な飛沫が空を染め、肥沃な大地に降り注ぐ。
「妾を傷つけようとしても無駄じゃ。貴様らの腑抜けた一撃など……妾がすべて喰ろうてやろう」
血肉は剣にこびりつくことなく、スルリと刀身から剥がれ落ちた。美しい刃は美しい幼子に抱かれ、凄絶な輝きを放つ。
「剣を持たば、斬ることも斬られることも覚悟せよ。ハルカ……刮目して見よ。これが、無刃の力」
アーチェは重心を落とし、剣を後ろに大きく振った。そのままピタリと動きを止め、息を潜める。
「殺れ! 《虚無なる鴉》に勝利を!」
「無刃……」
一斉に賊が斬りかかる。ハルカとアーチェを狙い、四方から無数の矢が放たれた。
畑を襲撃してきた賊の数の比ではない――いつの間に集まっていたのか、二十、いや三十は下らない人数の敵。
「円迅!」
アーチェは掛け声とともに剣を天に大きく振り上げた。
風が止まったのは一瞬。直後、ハルカとアーチェを中心として、四方に幾筋もの鎌鼬が放たれた。
――これは、剣圧!?
「ぐがぁぁぁぁっ!」
鎌鼬が放たれる様は、まるで開く花のよう。無音の、真空の花弁は触れた者を傷つけ、命を吸い取っていく。無数の鎌鼬が次々と賊達を襲い、一面に朱が舞う。
誰の者とも知れぬ片腕や脚、そして頭部。鎌鼬は容赦なく男達を断つ。アーチェの放った一閃は、敵を一人も逃すことなく消していく。
たった一撃で――脅威を退けてみせたのだ。
「うぅっ」
あまりの惨たらしい有様に、ハルカは口を押さえてうずくまった。錆びた臭いに当てられて、頭がクラクラする。
さっきまであの男達は生きていて、剥き出しの敵意を向けていた。それは決して気持ちのいいものではなかったが、間違いなく彼らの今を生きる、生々しい感情だった。
「済まぬの。こうせねば、他の者まで守れんでの」
アーチェは白剣・陽を背におさめ、うずくまったハルカの手からそっと黒剣・陰を取り去る。
アーチェのやり方は分かる。この剣を自分が習得せねばならないということも。が、感情がついていかない。
「ハルカ! アーチェ様!」
管理棟からシャイナが走ってくる。ちょうど同じく、管理棟とは反対の、農道の向こうから、黒狼に乗った青い人影が近づいてきた。
「ご無事ですか!?」
「ポラジット……」
その青いシルエットが見えただけで、ハルカの心は不思議と落ち着いた。張り詰めていた心が弛み、ヘラリと情けなく笑う。
ポラジットはフェンリルから降り、慌ててハルカの元へと駆け寄った。
「ハルカ…………」
少女のひんやりとした手がハルカの頬に触れる。その手は小さく震えていた。
「どうして、そんな泣きそうな顔をしているのですか……?」
ポラジットの目が潤む。涙の称えられた瞳にハルカの顔が映る。行き場のない感情をどこに吐き出せばいいのか分からない。
ハルカは添えられた手に触れようと、自分の手を伸ばした――その時。
「アーア、ツマンナイ、ツマンナイ」
「何奴!?」
頭上から聞こえる奇妙な声。アーチェたちは空を見上げ、声の主を確かめる。ハルカは青ざめた顔で、その視線の先を追った。
「デモ、面白クナルノハコレカラ、コレカラ!」
一羽の鸚鵡が空を旋回しながら、高度を下げてくる。そして、農道の脇にある一本の木にとまった。
極彩色の羽をたたみ、クイクイと首を傾げる。その道化じみた動きはこの場にそぐわず、何とも気味が悪い。ガラス玉のような、感情のない目をしているのに、その声音はさも愉快と言わんばかりの色を帯びている。
「役者ハ揃ッタ。ショータイムダ!」
鸚鵡は首をぐいと伸ばし、天を仰いだ。
パン、と弾ける音とともに、キラキラとした何かが二つ、突如木の上に出現した。
「……氷? あれは……!」
青く透き通った氷の結晶。巨大なそれの中に封じられているのは――人。
それはハルカのよく知る人物だった。短刀と竪琴を持った、クラスメイト。
「サクラ! ルイズ!」
「僕ノ大切ナペットニ刃向カッタ罰ダ! ワルイ子ニハオシオキダ!」
サクラとルイズの表情は何とも言えないものだった。目を丸くし、おそらく何が起こったのか気づいていないような顔だ。二人とも武器を構える余裕などなかったのか、短刀も竪琴も身体の横にダラリと下ろされている。
「今すぐ二人を返せ……今すぐだ!」
「ソレハ無理ナ話ダネ。解放シテホシイナラ、戦エ」
キィーーンと耳を突き刺すような音が響く。音に呼応して、足元がひんやりと冷えてきた。地面からパキパキと小さな氷柱が伸び、ハルカの身の動きを封じようと纏わりつく。
「くっ!」
ハルカはダン、と地を蹴った。氷柱から逃れるために高く飛び上がる。
アーチェもハルカと同じく氷柱から飛び退き、ポラジットはすぐさまフェンリルを呼び、その背を掴む。フェンリルの引っ張る力に負けた氷は、ポラジットの足からパラパラと剥がれ落ち、溶けていった。
だが、一人だけ、シャイナだけが逃げ遅れてしまった。
「きゃっ!」
「シャイナ!」
「くっ! 氷を溶かせ! 火炎!」
氷がみるみるうちにシャイナの動きを封じ込めていく。ポラジットが火炎の魔法を放ったが、氷の檻はびくともせず、シャイナを飲み込む。シャイナを捕えると、氷の檻は地を離れ、ふわりと浮遊した。
鸚鵡は乾いた声で笑い、バサバサと羽を打ち鳴らす。
「てめぇ……ふざけんな! 三人を解放しろ!」
「アーア、愉快痛快。ソンナコトデキルワケナイダロ。……ソウダ! 僕ノ優秀ナペットヲ紹介スルヨ。コノ美シイ氷ノオブジェヲ作ッタ、僕ノペットサ」
晴れていたはずの空が曇り始める。
鈍色の空から降ってきたのは、この季節には似つかわしくない、無色透明のアスタリスク。
儚い雪が渦巻いて、細いシルエットを成す。
現れたのは、女。肩口で揺れる金の髪、真白き素肌、もの哀しい瞳。
「そんな……」
「アーチェ?」
突如、アーチェがじり、と退いた。一歩、また一歩。
不敵なアーチェはすっかりなりを潜め、見たこともないような不安げな幼子の顔で首を振った。
「やっと見つけた……エリーチカ様……」
「ククク……知リ合イカイ? 奇遇ダネ」
鸚鵡は大きな嘴をパカリと開き、誇らしげに言い放った。
「僕ノペット、被験体番号一〇五……エリーチカ。仲良クシテヤッテヨネ」




