第23話:短刀と竪琴
「あのなぁ、女を置いて逃げるなんて教育、受けてねぇんだよ」
響き渡る竪琴の調べに、サクラは一瞬心を奪われた。敵に向けたはずの円舞曲だが、味方である自分も引き込まれてしまうほどの魅惑的なメロディーだ。
耳のいいサクラだから分かる。繊細な旋律の中に感じるルイズの意思。「俺の声に従え」という圧力。それは襲撃してきた賊に強く向けられていた。敵の声には従えなくとも、耳に心地よい音楽に命令をのせることで、より自然に敵の脳へと伝達しているのだろう。
「俺がいかなくても、今逃げた誰かがきっと教官に伝えるはずだ。それよりも……ここで食い止められない方が厄介だろ」
「……それは、なぜ?」
「この牛舎の裏は山だ。山にも作物は植えられてるが、基本的に足場は不安定のはず。そこから攻めてきたということは、ここからの侵入が本命だ」
「だから、それがどうして……」
「だぁっ、気が散る! 演奏には神経使うんだよっ!」
ルイズは雑念を振り切るように、ぶるぶると頭を振った。
「いいから、先にあいつらを取り押さえろ! 俺がハープで操っている間に!」
「……っ! わかった!」
サクラは身を屈め、ナイフを逆手に持った。くいくいと手首を動かし、ナイフの感触を確かめる。
「……いく!」
飼い葉で滑る床を踏みしめ、サクラは一気に間合いを詰めた。獲物を狙うのは遠方からの射撃を用いるが、とどめを刺す時は別だ。相手の間合いに踏み込み、渾身の一撃を食らわせるのが――狩りのセオリー。
ナイフを振るえば、自分の中の狩猟本能が目覚める気がした。目は獲物を狙って爛々と光り、耳は敵の怯える吐息を捉える。もうハープの音は聞こえない。意識が音楽をシャットアウトし、全神経が敵に集中する。
「一匹」
賊の脚にナイフを突き刺す。すぐさまそれを引き抜き、ヒラリと身を翻した。疾風のように次の的に迫り、素早く背後に回る。円舞曲で動きの鈍った敵を仕留めることは造作ない。学園にやって来る前は、森の中で野生の獣達を相手にしていたサクラにとって、愚鈍な人間を相手にするのは造作なかった。
「二匹」
後ろから敵の腕を切る。神経を斬られたのか、賊の手からポロリと剣が落ちた。
「三匹、四匹……!」
ただただ本能に任せ、命を脅かす者達をさばく。円舞曲の調べが最高潮に達し、サクラの動きも一層鋭さを増した。
「五匹、六匹!」
サクラは最も効率的に動き、そしてルイズの前に再び戻ってきた。同時に円舞曲も終わりを迎え、ルイズは最後の音階を爪弾く。ポーン、とたおやかに響き、音が消えた。
サクラは敵に背を向けたまま、短刀を静かに下ろす。深く息を吐き、瞼を閉じた――その時。
「バカ! 気ぃ抜くなっ!」
「え?」
目の前のルイズが迫り、サクラの身体を横に押しのけた。急な衝撃にサクラは足をもたつかせ、飼い葉の山へと沈み込む。
次の瞬間、キィーーンと刃がぶつかり合った。
「……ルイズッ!」
視界の端に映ったのは先刻までサクラが握っていた短刀を構えたルイズ。押し退ける間際にサクラの手からもぎ取っていたものだ。
ルイズの短刀に攻撃を弾かれた敵は、チッと大きく舌打ちした。賊は六人だけだと思い込んでいたが、サクラの死角にもう一人潜んでいたのだ。
「このクソガキが!」
敵の剣がブンとうなった。ギリギリのところで躱したつもりのルイズの頬に、一筋の朱の線が走る。サクラは瞬時に起き上がり、ルイズに助太刀しようと駆け出そうとした。
「ルイズ! 間合いが!」
「るせぇ! 丸腰の犬は引っ込んでろっ!」
剣を避けるルイズの体に、次々と新たな朱線が刻まれていく。
剣の長さと相手の腕の長さ、そして身長を見て、敵の間合いを測っているつもりだった。それなのに避けきれない。大したダメージではないが、浅く、何度も、体を刻んでいく。
「くそ、間合いが変化してるみてぇだ……! そうか!」
偶然呟いた独り言がルイズの活路を開いた。いくつもの可能性を計算し、目を動かす。武器は伸びているわけではない。ならば、間合いの変化を生み出しているのは武器ではなく、敵自身。
「ここだぁっ!」
相手が踏み込んだのを見計らい、ルイズは敵の少し前方の地面に向けて短刀を振り下ろした――直後、ズッと敵がすり足で迫ってきたのだ。
「くっ!」
てっきり自分の体をめがけて刃を出すと計算していた敵は唸り声を上げる。急いで足を引っ込めようとするが、ルイズの短刀のスピードの方が速かった。
ザクリと刃が敵の足の甲に刺さり、そのまま地面に縫い止める。
「ぐあぁぁぁぁっ!」
肉を断った感触を確かめ、ルイズは静かに担当から手を離した。
「完全に踏み込み切ったと見せかけて、すり足でさらに踏み込んでいたってとこか、なぁ? フェイント使うならもっとうまくやれよ」
敵を見下ろし、ルイズは吐き捨てた。呆然と立ち尽くすサクラの側に近づき、ロープを調達するよう指示する。
「こいつら縛っちまっていくぞ」
「ルイズ……怪我、してる」
サクラが頬に触れようと伸ばした手を、ルイズはパチンと払った。
「大したことねぇよ。治療してる時間なんてねぇ。早く縛っちまえ」
二人は黙々と敵をロープで縛り上げていった。全員まとめて牛舎の支柱の周りに並べ、簡単に動けぬように互いを結びつけて輪にする。
「ルイズ、さっきの。ここが本命、っていうのは?」
「……状況はよく分かんねぇけど、多分農園の表側でも何らかの動きがあったはずだ。ならば、おそらくそれはフェイクだ。裏からの侵入に気づかれないための囮」
「お、とり?」
「裏からの侵入は七人……おそらく少数で侵入してルートを確保するのが目的だった。表で囮による襲撃がなかったとしても、裏から侵入してくるなんざ、やましいことの証だろっ、と!」
ルイズは捕虜達を満足げに眺め、パンパンと手の埃を払った。
「待って、ルート確保が目的なら……」
「犬でも分かるだろ? 親玉がこれからやって来るってことだ。教官が来るまで、なんとか俺たちが持ち堪えなきゃなんねぇってことだ」
武者震いか、それとも恐怖か。
ルイズはぶるりと体を震わせながら、ハープの弦を張り替えた。




