第20話:フィル国民農園(中編)
初級クラスの学生たちは竜馬車を降りた後、教官に連れられ、一通り施設内を見学した。それから農園内の食堂で昼食を食べ、午後からは定められたグループに分かれ、それぞれが割り振られた施設で職場体験をする、という流れになった。
「あー……ついてねぇ。あの転入生が来てからロクなことねぇ……」
不満を口にしながら、ルイズは三又のホークをブスリと牛の飼料に突っ込んだ。ルイズとサクラの配属された班は牛舎担当だ。動物相手の仕事であるからか、他の班よりは獣人族の割合が多い。それもルイズが気に入らない要因の一つであった。
ルイズは発酵した牧草をホークに引っ掛け、牛の餌入れの中に乱雑に放り込む。牛はルイズの乱暴さに腹を立てたのか、ブルンと体を震わせた。
「ルイズ、もっと丁寧に。牛が嫌がってる」
ルイズの後ろで、サクラが牛の毛づくろいをしていた。固いブラシで体を磨かれた牛は気持ちよさそうに目を細めている。ルイズに世話をされた牛の反応とは大違いだ。
「うるせぇ。牛の世話なんかこんなもんで十分なんだよ」
そう言って、ルイズは改める様子もない。ため息をついたサクラは、自分が世話していた牛の頬をそっと撫で、「待っててね」と囁きかける。そして、ルイズの牛のそばにやって来ると、ホークを持ち、エサをやり始めた。
「んだよ、別に手伝いなんていらねぇよ」
「手伝ってるんじゃない。牛が可哀想だから、それだけ」
「ちっ、犬っころが余計なことすんなよ」
「犬じゃない」
サクラはルイズを冷ややかに一瞥し、何も言わずにただ手を動かした。新たな世話人を気に入ったのか、ルイズの牛は甘くひと鳴きすると、餌入れに首を突っ込み、もぐもぐと牧草を食んだ。
なかなか進まなかった作業が、サクラのおかげで進んでいく。それがなんとなく気まずく、ルイズは横目でサクラを見やった。ちょうどサクラもルイズを見ていたらしく、吊り目の彼女の視線がぶつかる。
「…………っ!」
不意に視線を逸らす。しかし、サクラは視線を逸らす気配もなく、じっとルイズを見つめていた。
「ルイズはどうしてハルカを嫌うの」
「な、なんでって。あいつは出来損ないの……」
「召喚獣だから?」
「そうだよ、それにあいつがちゃんとしたやつだったなら、戦争にだって負けなかったんだ」
「ハルカがいてもいなくても、どのみち連合軍は負けていた」
「くっ……!」
「敗戦がハルカのせいだっていうのは、理由にはならない」
苦虫を噛み潰したような顔で、ルイズはサクラを睨みつけた。サクラの言っていることは正しい。勝利の可能性があったとすれば、真のバハムートが召喚されていた場合のみ。そこで重要なのはハルカの存在の有無ではない――バハムートの存在の有無だ。
負けたという結果は、ルイズ――いや、プライドの高い竜騎族にとって、大きな汚点であり、堪えがたい事実だった。ルイズ自身も分かってはいるのだ。だが、それを受け入れられるほど大人でもなかった。
サクラは静かに牛に向き直り、再び牧草をほぐし始める。獣の臭いが充満した牛舎、そこかしこで他の学生の笑い声が聞こえた。笑えていないのはルイズとサクラだけだ。
「けっ、転入生に飼い慣らされたってわけかよ」
「それは違う」
今でもサクラは人と関わることが得意ではない。短期間で人の性質が変わるものではないのだ。
同じクラスにいる獣人族の生徒たちが、何故他の種族の人間と仲良くなれるのか、サクラはずっと理解できずにいた。時折感じる、軽蔑の視線。それらに気づかないはずもないのに、サクラ以外の獣人族は作り笑いを浮かべ、気づかない振りをしていた。
「私、あなたが好きじゃない。平気で人を見下して、蔑む類の人間」
それでも、苦手でも人と関わろうと思えたのはハルカの存在が大きかった。理解できないから嫌うのではない。それも一つの理解なのだということ。そして、必ず手を差し伸べてくれる人はいるのだということ。
「だからって嫌ってるわけじゃない。あなたの思考が理解できないだけ。ハルカも、きっと同じだと思う」
「……意味わかんねぇ……」
「牛と一緒。最初はどの子も警戒している。でも、接していれば変わってくる。人間は嘘をつくから難しいけれど、動物は嘘をつかないから。ほら、ルイズのところにも」
牛が大きな体をのそりと動かし、ルイズの額に鼻先を寄せた。さっさと餌をよこせと言わんばかりに、ふんふんと鼻息を荒げ、ルイズに催促する。
「って、汚ねぇ鼻息かけんじゃねぇよ! ベチョベチョしてんじゃねぇか、髪の毛につけんな、おい!」
「この子、ルイズのこと、嫌いじゃないんだって」
「……なっ!」
げっ、と叫ぶルイズだが、その顔は満更でもなさそうだ。サクラはそれを見て、クスクスと笑った。
「…………っ!」
普段笑わないサクラが笑う。その貴重な一瞬を目撃したルイズは、なんだか見てはいけないものを見てしまった気分になり、不意に顔を背けた。
「お前さぁ……」
笑えるんじゃねぇか――そう言いかけた時だった。
「きゃあああああっ!」
「うわあああああっ!」
牛舎の中で悲鳴が響き渡る。それも、一ヶ所だけではなく、四方から。
「何!?」
サクラはサッと身構えた。柱にかけてあった小ぶりのナイフを咄嗟に手にする。ロープを切るためのそれは、手入れされているものではなく、少し錆ついていた。
――ガタ……ガタタタタタッ!
牛舎が小刻みに揺れる。危険を察知した牛たちが興奮し、暴れ始めた。口から涎を垂れ流し、繋がれたロープを解こうと体をよじる。その度に柱が軋み、塵が落ちてきた。
「どうなってんだ!?」
サクラたちがわけもわからず困惑している中、次々と生徒たちは牛舎の外へ逃げ出した。サクラは出口と逆の方を見やり、目を細める。
「人影――?」
塵が舞う向こう側、覆面をかぶった大柄なシルエットが見えた。それも一人ではない、確認できるだけでも五、六人はいる。
どうやら木の壁の一部を破壊して侵入してきたらしく、本来光が差すべきところではない場所が明るんでいた。
「ルイズ、班のメンバーは何人?」
「え、あぁ、確か二十人」
「教官はどこ?」
「さっき出て行ったばっかだ。誰かに呼ばれてたような……」
「そう。じゃあルイズも行って」
逃げ遅れたのはサクラとルイズだけだった。サクラはぐいとルイズの肩を無理矢理押しやる。
「金属の音がする。多分、武器を持ってる」
「は? そんな音聞こえねぇ……」
「私たち獣人族は耳がいい。ルイズが聞こえなくても、私には聞こえる」
「お前、残ってどうするつもりだよ」
「止める」
「はぁっ!?」
「教官を探して、呼んできて」
ナイフを握り、サクラは身を低めた。細く長く息を吐き、神経を研ぎ澄ませる。
「忌むべき獣人族よ……。この国から去れ!!!」
侵入者の怒号が壁を震わせる。重なり合う声はそれだけで心をえぐる凶器となる。
サクラは牛舎の中央の細い通路に躍り出た。侵入者たちはサクラの影を認め、目の色を変える。
「ここから先は、行かせない」
「獣人族よ……死すべし!」
サクラが地を蹴る。男たちが剣をふりかざす。
「野郎が束になってつまんねぇこと言ってんなよ。――円舞曲!」
旋律が空間を切り裂いた。音色に捕らえられた男たちの動きが一瞬止まる。
サクラは後ろを振り返り、目を丸くした。
竪琴を爪弾き、ルイズが不敵に笑む。
「あのなぁ、女を置いて逃げるなんて教育、受けてねぇんだよ」




