第18話:フリーダム
「お、お、お、終わったぁぁぁぁぁ!」
全科目の筆記試験の終了を告げる鐘が鳴る。教室のそこかしこで羽ペンを放り投げ、万歳三唱をするクラスメイト達の姿があった。
ハルカと言えば、完全に憔悴しきった様子で机に突っ伏している。まさに撃沈といった体で、コロコロと転がり落ちるインク壺の蓋を追いかける気力もないようだ。
机から蓋が落下する寸前、どこからか手が伸び、パシリと蓋を受け止めた。そして、そのままハルカのインク壺を手に取り、インクが溢れぬよう固く蓋をする。
「蓋、危なかった」
「…………サクラ?」
ハルカの傍らに立っていたのはサクラ・フェイだった。相も変わらず無表情でぶっきらぼうな態度だが、近寄ってきてくれるあたり、ハルカのことを好意的には受け取っているらしい。そのことにホッと安堵しながらも、テストの出来栄えを思うと、再び心が沈み、またもや机に突っ伏した。
「その様子じゃギリギリってところかしら? まぁ安心なさいよ。私が言ったヤマをちゃんと勉強していたなら、落第するってことはないはずよ」
いつの間にか、シャイナ・フレイヤもハルカのすぐ側にやって来ていた。もちろん、シャイナの全身からは余裕のオーラが出ていることは言うまでもない。
解答用紙の回収も終わり、解放感に包まれた教室からは笑い声が絶えなかった。それぞれ友人同士で連れ立って、どこかへ遊びに行こうと計画する会話が聞こえる。仲間同士、連れ立って教室を去って行く彼らの足取りは、スキップせんばかりの勢いだ。
浮かれた彼らとは裏腹に、試験の出来が不安なだけでなく、またちょうど昼食時で、空腹であることも相まって、ハルカの心の中では、ますます乾ききった冷たい風が吹きすさんでいた。
「ギリギリだよ、全部。マジで疲れた……。あとは運任せだな」
「くよくよしてても仕方ない。いい加減、気持ちを切り替えたら」
「ほんとほんと、全くもってその通り、って! なんでこの子が……サクラ・フェイがこんなところにいるのよっ!」
「ここは私のクラスでもあるから」
「ああ、そうか……じゃなくてっ! ハルカ、あなたいつの間にこの子を手懐けたの!?」
「手懐けたって……お前なぁ」
ハルカは顔だけを傾け、仰天するシャイナをじっとりと見やった。サクラはやはり表情一つ変えず、少し吊り上がった目をパチパチと瞬かせた。
「友達になってくれって言われた。少し強引で困ったけれど、悪い気はしなかったから」
「ハルカ……あなた、手が早いのね」
「おい、誤解を招く言い方をするな」
何のことやら分からないと、サクラは小首を傾げる。ムクリと体を起こしたハルカは、うーんと唸りながら背伸びをし、大きく深呼吸した。
サクラの言う通り、グズグズしていても仕方がない。運が悪ければ再試験だろう。いるのかいないのか分からないが、アイルディアにも神々に祈るくらいしかない。
ポラジットが初級クラスの試験監督の担当でなかったことが唯一の救いだ。でなければ、残り時間に追われながら、冷や汗を流して必死で解答用紙に向かう、情けない自分の姿を見られていただろう。その姿を見られるのだけは――なけなしの男としてのプライドが許さなかった。けれども、涼しい顔で試験を受けられるほど、生易しいレベルのものでもなかった。
「週末の社会見学で、前期のカリキュラムは終了ね。その後は一ヶ月間の夏休みを挟むから、あなたは少しユーリアス共和国の観光でもしたらいいわ」
「社会見学?」
鸚鵡返しで聞き返すハルカに、サクラがコクリと頷く。口数少ないサクラに代わり、続いてシャイナが得意げに説明し始めた。
「全学年が共和国の主要産業施設に見学に行くのよ。恒例行事らしいわ。初級学年は共和国東部の農場、中級学年は南部の武器生産工場、上級学年は西部の魔術回路研究施設」
「じゃあ、俺たちは農場見学ってことか」
「ええ、共和国最大規模の農場よ。国内の農産物や畜産物の生産シェアの四割を占めてるわ。加工業も盛んで、国外へ輸出する商品も作っているの」
「ふぅん、上級学年の魔術回路研究施設っていうのは?」
まだ聞くの!? と面倒そうに言うシャイナに代わり、今度はサクラが説明した。
「魔術回路は装置の基盤に刻まれているもの。一定条件を満たせば、自動的に空気中の元素と反応して作動する。転移装置も魔術回路を利用してる」
「へぇ……」
「獣人族の生活にも欠かせない。私たちは魔法を使えないから。魔術回路を介してしか元素を利用できない。狩りにつかう罠にも使われている」
「一定条件って、例えば?」
「学園の転移門で例を挙げるならば、手帳を持っていること、それから『転移』と唱えること。これが条件」
なるほど、とハルカは頷いた。
スイッチを入れれば電気がつく、といったようなものだろう。ハルカの世界では電気と回路で構成されていたものが、ここでは元素と魔術回路に相当するのかもしれない。
「とにかく、七月末の社会見学が終われば、八月いっぱいは花の夏休みよ。しっかりなさいな」
五月に召喚されてから約三ヶ月。休みらしい休みもなく、ここまで突っ走ってきたことに気づく。夏休みといっても、おそらくアーチェに朝から晩までしごかれることは目に見えているが、それでも休みと聞くだけで心が踊った。
外は晴天。窮屈な試験から、一層解放された感じがする。そう言えば、最近はポラジットともろくに会話をできていなかった。ゆっくりとアイルディアや召喚獣のことを尋ねるいい機会かもしれない。
「じゃあね、ハルカ。また明後日に。私は図書館に寄ってから帰るから、お先に」
「おぅ、シャイナ。またな」
「私もそろそろ帰る。じゃあ、また……明後日」
「サクラも、またな」
またな、と言われたサクラの右耳がピクピクと二度揺れた。表情は変わらないが、同じようなことがあったことを思い出す。サクラはそのまま踵を返し、ハルカの前から離れていった。
――友達になろうって言った時だ。じゃあ右耳が動くのは、もしかして……。
感情を表に出さない彼女の、細やかな変化。
それに気づいたハルカは一人、照れくさそうに頬をかいた。




