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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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第17話:試験の裏側

 青の召喚士、そして現在はクライア学園の教官でもある少女、ポラジット・デュロイは大きな両開きの扉の前にいた。


 建物の最上階、その一番南側にある部屋は、他の部屋よりも扉の造りが荘厳で、一目見ただけで、位の高い者が利用する部屋だということが分かる。

 重厚な扉はあらゆる侵入者を拒むが如く、ずっしりと少女の行く手を阻んでいる。だが、ポラジットはそんな雰囲気に臆することなく、彼女の頭の位置の高さにある、竜のノッカーをコンコンと鳴らした。

 程なくして、向こう側からくぐもった声が返ってくる。よく聞き取れなかったが、おそらく来訪者の名を問うているのだろうと推測し、彼女は澄んだ声で返事をした。


「ポラジット・デュロイ三級召喚士。ただ今参りました」

「……入りなさい」


 今度ははっきりと声が聞こえた。低く、威厳のある声が彼女を誘う。ポラジットは「失礼します」と短く言い放ち、重い扉を押し開けた。


 ブワリと中の空気が外へと流れ出る。上品な香の香りが、彼女の体を包んだ。おそらく、レビア・リアの香り――集中力を高める香草をブレンドした香だろう。スッとした清涼感のある空気が、暑さでぼやけたポラジットの脳を叩き起こす。

 統一感のある調度品は、最高級のものばかりだ。しかし、派手派手しさはなく、むしろ落ち着いた色味のものが多い。つや出しのニスの照りが美しく、黒や茶の家具を一層優美なものに仕上げている。


 部屋の奥、広い事務机の向こうで、一人の老爺が佇んでいた。ポラジットに背を向け、大窓の外を眺めている。その背にはどこか哀愁めいたものが漂っていて、ポラジットは思わず声を詰まらせた。


 ――やはり、ご兄弟……。老師にどこか似ている。


 その背を見つめ、彼女は亡き師に思いを馳せた。が、それも一瞬のこと。ここへ来た目的を思い出し、ポラジットは居住まいを正した。


「お呼びでしょうか。アルフ・サイオス学園長」


 ふっと寂しげな笑みを浮かべ、目の前の老爺はポラジットへと向き直った。灰金色の髪が、老爺の顔に濃い影を落とす。学園長と総統補佐を兼務することが決まってから、心なしかやつれたように感じた。

 

「そのソファにかけたまえ、ポラジット」

「いえ、私は立ったままで……」


 丁重に断るポラジットの言葉に、アルフは肩を揺らして笑った。


「堅物の軍人気質よの、お主は。軍務に就いていた頃のお主を見ているようだ。本当に、あの適当でぐうたらな兄の弟子とは思えぬほど」

「はぁ……」

「褒めておるのだ。まだ若いのに、色々と物が分かっている。……いや、分かりすぎているくらいだ」


 ポラジットを通して、アルフも亡き兄の面影を見ているのだと思えた。

 ポラジットの師、そしてアルフの兄であった、稀代の召喚士ダヤン・サイオス。互いの記憶の中のダヤンは違うものだろうが、それでもやはり共有できる悲しみがあった。


「バハムート……ハルカ・ユウキはどうだ。今頃、試験会場で頭を抱えておるかもしれんの。順調に学園生活を送れているのだろうか」

「はい、多くはないですが、学友もできたようで。独自カリキュラムで用意した、剣術訓練の方も順調に進んでおります」

「剣術……剣聖アーチェ・アメルに師事していたか、確か。しかし、ポラジット。アーチェ殿もいつまでもハルカに指導をできるというわけではなかろう。彼女は彼女で、果たさねばならぬ(・・・・・・・・)目的があるのだから(・・・・・・・・・)

「承知しております、学園長」

「ハルカはそのことは知っておるのか? アーチェ殿の目的を――消息不明となったアメル侯爵の奥方、エリーチカ・アメル夫人を今も一人、探し続けているということを」


 ポラジットは小さく首を振った。そして、はっきりと「いえ」と口にする。

 

「それは……我々が言うべきではないと判断しました。アーチェ様がハルカに語るときが、真に相応しい時かと」


 それもそうか……とアルフは目を伏せた。


 アーチェがずっとハルカについていてくれるわけではないこと。アーチェが目的を達するために、予告なくハルカたちの前を去ることがあり得るということ。

 ポラジットは重々承知していた。分かった上で、それでもハルカに剣を教えてくれと頭を下げた。

 無刃流の剣技は必ずハルカに必要になる。彼が自分自身で道を切り開く術になるだろうと確信していた。ダヤンの知り合いだから、という理由だけで強引にアーチェに頼み込みにきたポラジットを、最初は邪険に扱っていたアーチェだったが、最終的にその熱意に負け、「探し人が見つかるまで」との条件付きで剣の指南を引き受けてくれたのだ。

 

「ここからが本題だが……お主、ここ数ヶ月で起こっている襲撃事件のことは知っておるか?」

「獣人族の難民村が襲われている事件ですね」

「左様。生き残った者の証言によれば、実行犯数名の体の一部に剣を咥えた鴉の入れ墨があったという。それから、彼らが口々に叫んでいたある言葉」

「ある、言葉?」

「《虚無なる鴉ホロウ・クロウ》……おそらく、襲撃組織の名前だろう。忌むべき獣人族、と連呼していたという」


 ポラジットは胸の中にその言葉を刻み込む。全く聞き覚えのない組織名だった。

 突如現れた獣人族を排斥する一派。ポラジットはある考えに思い至る。


「もしかして……連合の新総統タキ・エルザ閣下に反旗を?」


 リーバルト連合新総統タキ・エルザ。彼女は連合初の女性総統で、また獣人族でもある。


 魔法を使えない唯一の種族として、獣人族が差別の対象となっていた時代もあった。だが、それは随分と昔の話であり、リーバルト連合が発足した当時には獣人族差別を撤廃する宣言がなされていたはずだ。


「差別は根強い。宣言がなされたとはいえ、完全に消えてはおらん。そこを突いた輩が現れたのだろう」

「なんてことを……」

「ホロウ・クロウの問題だけではない。ホロウ・クロウの活動が活発化したのと同じ頃から、共和国の東部で魔獣による被害が相次いでおる。討伐隊も送り込まれているそうだが、未だに討ち果たせてはおらん」


 大戦後、少なからず治安は悪化したものの、ユーリアス共和国は比較的その影響はなかったはずだ。戦の後には血を好む魔獣が活性化するものだが、戦火があまり及ばなかった南方大陸本土において、魔獣が活発になるというのも不自然な話だった。

 しかし、ハッとポラジットは息を呑む。


 ――違う。二つは繋がっているのだとしたら……? 襲撃で血を流すことで、敢えて魔獣を活性化させているのだとしたら?


「力なき魔獣ならば、討伐隊によってとっくに討たれておろう。手練れの討伐隊員でさえ手出しできぬほどの強力な魔獣……。このままでおけば、軍が介入せねばならん事態になる」

「東部地域といえば、試験後に学生達の社会見学が実施されます。確か、初級クラスが見学する予定になっていた農場は東部地域にあったはずです」

「左様。もちろん、どの学年に対しても万全の警備体制を敷くつもりであるが、初級クラスを重点的に強化せねばならん。ポラジット、お主には初級クラス……特にバハムートの警護を行ってもらいたい」

「私が、ですか」

「ふむ。お主が最もハルカのことを分かっておろう。なにせ……バハムートとして覚醒した時、その場に居合わせたのはお主だけなのだから」

「失礼ですが学園長。社会見学を中止するという選択肢は考えておられないのでしょうか」


 危険が迫っている場所へ、わざわざ学生達を遣ることは賢明とは思えなかった。万が一、魔獣が付添いの教官の実力さえ及ばぬほどの力を持っていたとしたら、実戦経験の乏しい学生達が対抗できるわけもないのだ。

 有能な学生達が集まっているとはいえ、彼らはまだ若く、知識も不足している。そこに、不確定要素であるバハムートまでも加われば、一つ間違えれば大惨事にもなりかねない。


「ホロウ・クロウ、あるいは活性化した魔獣の標的を見定めねばならん。タキ・エルザ閣下だけを狙っておるのか、それとも、バハムートもその内か」

「……っ! ハルカを餌にするおつもりですか!?」

「餌ではない、見定めるのだ。東部軍の協力も要請する予定だ。その上で、さらに厳重な守りを固めるために、お主に同行せよと言っておる」


 一度きりの、そしてほんの束の間の覚醒の瞬間。それを目撃したのはポラジットと、今は亡きクレイブ・タナスだけだ。


 ーー餌だというだけじゃない。危機が引き金となって、再び彼が覚醒することを狙っている……。


 頑ななポラジットの様子に、アルフは困ったような顔で首を傾けた。フッと口の端を緩め、ポラジットを見つめる。その仕草はとてもダヤンに似ており、思わず目頭が熱くなった。


「堅物なのは相変わらずだが、お主も変わった……ポラジットよ。この学園にやって来たのも、アーチェ殿に頭を下げたのも、すべてバハムートのため。知っておるぞ、ハルカの監視のためだけ(・・)に、この学園に来たわけじゃなかろう。授業時間外はずっと図書館に籠もっておるそうではないか」

「…………」

「ユーリアス一の蔵書数を誇る学園図書館。そして、教官という肩書き。召喚獣に関する資料は揃っておるし、研究という名目で余所から書物を借りることも容易となろう」

「召喚獣には……まだまだ分かっていないことも多いですから。研究の余地はあります」

「ポラジット、分かっておるか。バハムートを保護している、我々の真の目的を」


 老爺の顔からは翳りは消えない。張り詰めた緊張感が漂い、ポラジットは身動ぎ一つできなかった。

 心の広い学園長であるアルフの顔はそこにはない。ここにいるのはもう一つのアルフの顔――リーバルト連合総統補佐としての冷静な施政者の顔だ。


「彼を無事に元の世界に還すことが目的ではない。バハムートの能力を覚醒させ、連合の力とすること――それが目的だ。帰還方法を研究するのはよいが、その前に安全に、完全に覚醒させる方法を探るのだ。くれぐれも……違えるでない」


 ――結局皆、彼を利用することしか考えてない……。


 けれども、アルフの命令を拒む権限などポラジットにありはしない。彼女はただの一召喚士であり、ハルカの監視役でしかないのだ。否とは言えず、ポラジットは小さく首肯し、遅れて「任務を遂行します」と答えた。


「次の時間の試験監督を任されておりますので……失礼致します、学園長」


 ポラジットはくるりと回り、部屋を後にしようとする。が、ドアノブに手をかける直前、その場に立ち止まり、アルフに背を向けたまま静かに問う。


「学園長……。もしも、学生達の身に何かあった時、どのように責任を取るおつもりですか」


 未来を担う若者を、見捨てるはずがない――ポラジットはそう信じていた。冷徹な判断を余儀なくされる場面でも、きっと見捨てはしないと。


「…………予期せぬ不運な事故だったと、諦めてもらうより他にはない」


 ぐっと拳を握り締める。下唇を噛みしめる。

 有事の際は、自分が守りきるしかない。それしか方法は思い浮かばなかった。


 ――アルフ学園長、あなたは……。


 ポラジットは黙ったまま、学園長室を去った。

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