第15話:学園フレンドシップ(中編)
「……あのさ、シャイナ」
一触即発。張り詰めた空気。
そのピンと張った糸のような空気を、ハルカはたった一言でひっくり返した。
「ルイズの制服って、校則違反じゃないわけ?」
――間。
ハルカの言葉に、シャイナもルイズも体の動きを止める。カチコチに固まった二人のうち、先に口を開いたのはシャイナだった。
「え、あ……まぁ、違反じゃないわ。言ったでしょう? ブレザーさえ着ていればあとは何でもアリだって。夏服の場合は上のシャツだけど」
「なんだ、構わないのか」
「なんだ……じゃないわよっ! あなた、私の言葉聞いてた!? ちょっとはこのいけ好かないダメ貴族にガツンと言ってやったらどうなの!?」
「いや、つい、気になって……」
「バカなの! ねぇ、バカなのっ!?」
確かに、入学したての頃は皆、学園指定の制服を着ていたはずだった。少し学園生活に慣れ始めたのか、最近ではわざと好みのスタイルに着崩すクラスメイトも多い。「そういうことか~」とハルカは間延びした返事をした。
目の前でど付き合いの漫才を始めたハルカとシャイナに、ルイズはヒクヒクと頬を引きつらせた。テラス席にいた他の学生は、とりあえず関わり合いになるのは得策ではないと知らん顔を決め込む。自分を蚊帳の外に放り出し、二人だけで話を進めていることが気に食わなかったルイズは大声で怒鳴った。
「待て待てっ、勝手に話進めんなっ!」
「だってさ、ほら、この暑い日にわざわざ皮のズボン履くとか……信じらんねぇだろ」
「まぁ、ハルカの言うことも一理あるわね。ただでさえ暑苦しい性格なのに、外見も暑苦しいったらないわ」
「おい……」
「あと、俺はルイズのとんがったセンスはちょっと……分かんないっていうか」
「そうね、どちらかと言えば、私も」
「ちょ……、これは西方大陸にしか生息してない特別な水牛の皮を使ってるんだぜ!? 一本、いくらすると思ってんだよ。見ろよ、この着こなしっ!」
「あぁ……ないな」
「ないわね」
「おまえらぁっ!」
ハルカが標的になっていたはずが、いつの間にか立場は逆転し、完全にルイズが弄られるという構図になっていた。ルイズの取り巻き二人はオロオロと互いに顔を見合わせている。
ルイズは両手でガッと赤髪を掻き毟り、天を仰いだ。「覚えてろよ!」と、一人、時代錯誤な捨て台詞を吐きながら、ハルカたちの前から立ち去る。
「……見かけによらず、ナイーブなのかしら、彼。あれくらいで引き下がるなんて」
「かもな」
シャイナは氷の入ったハーブティーにシロップを注ぎ、マドラーでカラカラとかき混ぜた。一方のハルカはシロップを入れず、露の光るグラスを掴んでハーブティーを喉に流し込んだ。
鳥が空を飛んでいる。上空でくるくると旋回したかと思うと、校舎のある離島にはやって来ず、そのまま対岸の街の方へと戻っていった。鳥たちもまた、結界の力に惑わされたのだろうか、とぼんやり考える。
「ねぇ、どうして言い返さなかったの、ルイズに」
ポツリとシャイナが呟く。ハルカはその問いに即答せず、しばらく黙り込んだ。
確かに、ルイズには腹が立っていた。高飛車で傲慢な態度、人を見下す目つき。けれども、彼のことを憎めそうにはなかった。もちろん、それはルイズの実力ゆえではあるのだが、単純にそればかりではない。
「あいつだけだろ、俺に面と向かって突っかかってくるのって。他のやつは俺を避けるんだ。だから、あいつのことはムカつくけど……嫌いになれないんだよ」
「ふぅん……」
ハルカを遠巻きに観察し、距離を置くクラスメイトたち。
未だに、シャイナとルイズ以外からは話しかけられたことはなかった。ハルカがバハムートである、という噂を真っ向から確かめに来たのも二人だけだったし、それを知っても臆することなく接してくれているのもまた、二人だけだった。
「確かにそうね。あいつは……ルイズの態度は気に入らないけれど、あなたに接するという意味では誰よりも積極的で、表裏もないわね。でもね、ハルカ……」
シャイナは何か言いたげな顔でグラスに口をつける。コクリと一口飲み干した後、短くため息をつきながら、ハルカに忠告した。
「あなた自身は積極的だって言えるの? 私たちと……アイルディアの人間と関わろうとしているの?」
ギクリとした。
ハルカは目を丸くして、正面に座る魔族の少女を見つめた。赤縁眼鏡の奥で光る眼差しが、心をえぐる。サイドでゆるくまとめた薄い茶髪が、風になびいた。
「あなたから誰かに話しかけているところを、私は見たことがないわ。縁のなかった世界……しかも必ずしも好意的に受け入れてくれるわけではない場所で、あなたにそれを要求するのは酷な話かもしれないけれどね」
シャイナの言葉は至極正論だった。
ポラジットも、アーチェも、シャイナも、ルイズも。皆、向こう側からハルカと関わろうとしてくれていた。
――今の俺は、殻にこもってるってことじゃないか。
「よく考えてみて。何も、万人に友好的になれとは言わないから。少しだけ、自分から外に出ようとしてくれればいいの。……図書館に戻りましょうか」
いつの間にかグラスの中は空になっていた。立ち上がるシャイナに、ハルカは慌ててついていき、グラスをカウンターに返す。
本館に戻る足取りは速く、二人とも口を開くことはなかった。
シャイナの忠告に返す言葉もなく、ハルカは押し黙る。誰かと関わっていたかった。でも、それも怖かった。
時空を超え、次元を超えた異世界は、ハルカの世界とは何もかもが違ったのだ。
二人は本館の二階へ上がり、図書館へ戻ろうと廊下を進んだ。
図書館前のこじんまりとしたホールで立ち止まり、ハルカは何気なく、その向こうへ続く道へ顔を上げた。と――その時、ふとハルカの視界の端に見覚えのあるシルエットが掠める。シャイナは気づいていないのか、ずんずんと前へ進み、図書館の扉に手をかけた。ハルカはその場に立ち尽くしたまま、人影の跡を目で追った。
「……あ」
その人影は、廊下の途中の分岐点に差し掛かると、そのまま直進せず、右に曲がった。方角的には、北側だ。
ホールより向こう側には人の気配はほとんどなく、学生たちがあまり立ち寄らない場所だということがうかがえた。
忘れもしない、あの後ろ姿。
黒紫のショートボブ、狼の耳――。模擬戦でシャイナを負かした、獣人族の少女。
「シャイナ、先に図書館へ戻っててくれ! あとで必ず行くから」
「え、ハルカ! どこ行くのよ!」
「とにかく、先に戻ってて!」
ハルカは衝動的に走り出していた。
追いかけてどうするのだ、と言われても分からない。
シャイナの声が頭の中で反響する。あなた自身は積極的だと言えるの? ――そう問うたシャイナの声が。
突き当たりを右に曲がった先の廊下は細い。あまり通る者もいないのか、薄暗く湿っている。一番奥にある扉を勢いよく押し開けたところで、不意に視界が開けた。
天井は高く、螺旋状の階段が伸びていた。ギギギと無数の歯車が規則的に回転し、ゴウゴウと唸りのような音がする。どうやらここは時計塔の入り口らしい。
上を見上げると、獣人族の少女の影が再び見えた。ハルカもそれを追い、階段を駆け上がる。
「はぁっ……はぁっ……。あれ……?」
やっとのことでハルカは階段の最終段に足をかけたが、そこには少女の姿はなかった。正面の壁に埋め込まれた、奇妙な石版を除いては。
「これ、転移門の石版に似てる」
古代文字の書かれた、手の平の大きさほどの石版。ハルカはそこに指を這わせた。どこへ行くのか見当もつかないが、一か八か、ハルカは小さく唱える。
「……転移」
ぐるりと視界が回転する。絶叫マシンに乗った後のように、足元がふらつき、思わずハルカは目を閉じた。
転移が終わり、足の裏の感覚が戻り始める。地面に足がついているという安心感。おそるおそる目を開けると、そこには不思議な植物たちの姿があった。
図鑑の中ですら見たことのない、極彩色の花々、変わった形状の葉を持った樹木や、棘まみれの果実。緑のグラデーションが眩しい。
「ここは……植物園か?」
時計塔の屋上にある薬用植物園――学生たちが空中庭園と呼んでいる場所だ。
ハルカは小石で整えられた小道を進んだ。植物の生えているエリアごとに、心なしか気候が違うように感じた。結界で適切な気候に調節されているのかもしれない、と一人頷く。
生い茂る葉をかき分け、その先でハルカは静かに足を止めた。追いかけていた少女の姿を認めたからだ。
彼女は器用に皮紐を編みながら、膝の上で教科書を広げていた。濃い茶色のショートパンツと、同じ色のショートブーツ。彼女自身の身長は高くはないのだが、黒いストッキングに包まれた足は引き締まっていて、彼女の足を長く見せていた。
あの時、訓練場で纏っていた鋭い気配は微塵もない。むしろ、穏やかで、静かだった。
「サクラ・フェイ……」
「っ! 誰っ!」
素早く顔を上げたサクラの薄紅色の瞳と、目が合った。




