第13話:ラボラトリー
北方大陸の一年はほとんどが冬だ。
約八ヶ月間、雪が舞う白い風景しか見られぬ大陸だが、ほんの僅かな暖季がやって来ていた。五月から八月までの四ヶ月間、北方大陸には束の間の温暖季が訪れる。とは言え、それは北方大陸の南部の話で、北部に暖かな季節は訪れない。
ガリアス帝国の起源は、北方大陸の中でも一際過酷な北部エリアにある。そして、北方大陸を手中に収めた今でも、首都は遷都することなく、最北部の極寒の街・ファズルズに置かれてた。
ガリアス帝国第三代皇帝、スフルト・ナハタリ。
彼の居城はファズルズの山中にある。不便極まりない場所ではあるが、彼はここが気に入っていた。公用で外に出ねばならぬ時は、城内の転移門を使っていた。
黒い石でできた滑らかな城は、真白き雪原で異様な輝きを放つ。中は結界で守られており、外の寒々しい様子とは裏腹に、さながら常夏の楽園だ。
雪の白地を裂くように、五騎の騎馬兵がゆっくり横切っていく。
先頭の黒馬に跨る男は赤と金のマントで身を覆っている。その後を追うように走る四騎は茶色の毛並みの馬で、馬を操る兵士は濃緑のマントをはためかせていた。
北方大陸の馬は大雪にも慣れている。さすがに吹雪の中を歩くことはできないが、穏やかな天候の日であれば造作もない。
この日は久方ぶりの晴天で、青空に姿を現した太陽が燦然と輝いていた。雪の表面はぐずついているが、すぐ下は固い。雪崩を警戒せねば、とスフルトは周囲を見回した。
「着いたか」
スフルトの目に、真っ白なドーム状の巨大建物が映る。雪と同化していて、目を凝らさねばそこに建物があるなど分からない。
スフルトがドームを見つけることができたのは、単なる偶然ではなく、彼の目的地がここであったからだ。彼はひらりと馬から降り、手綱を引きながら建物へ近づいた。
ドームの住人もスフルトに気づいたのだろうか。壁の一部に亀裂が入り、扉が現れる。ボトボトと付着していた雪を落としながら、扉は自動で持ち上がり、客人を招き入れる。扉の幅は狭く、スフルトと馬が並んでやっと入るくらいだ。スフルトを先頭に護衛兵も後に続いた。最後の一人が入るやいなや、扉は重々しく閉じ、一瞬辺りは暗闇に覆われた。
天井に吊り下げられていた燭台に、パッと火が灯る。自動で点灯するよう、魔術回路による仕掛けが施されていたようだ。ドーム内はがらんどう、壁の金属板は剥き出しで、その鈍色が余計に寒さを募らせる。床もまた同じく、無骨な金属製のものだ。飛び出したビスに足を引っ掛けた兵が一人、ウッと呻き声を上げた。
「ここで待て。すぐ戻る」
スフルトはマントを愛馬にかけ、手綱を護衛兵に手渡した。少し鼻息を荒げた馬を宥めるように、首をさする。
馬が落ち着いたのを確認してから、スフルトはドームの中央に立った。そこだけが一箇所、周りより色が濃いのが分かる。スフルトはダン、と足を踏みならし、「転移」と短く言い放った。
ぐにゃりと体が歪む感覚、そして次の瞬間、スフルトの視界いっぱいに広がっていたのは、夥しい数の計器だった。何度見ても一向に馴染めぬ、とスフルトは深く息を吐く。
「ドーラ・メレブ大公……」
スフルトは計器に向かって声をかける。ピピピ、と計器の明かりが明滅し、スフルトの声に応じた。ブン、と緑色の球体が浮き上がる。それは、人の顔を映したホログラムだった。
『スフルト・ナハタリ陛下、わざわざご足労いただき、感謝申し上げまする』
「お体の調子はいかがかな、大公」
『おかげさまで、すこぶる調子が良いですわい。外はどうなっておりますかな』
「三日ぶりの晴天だ。ドームの屋根の雪も溶けかかっておった」
『ほほ、左様でございましたか。まさか、ドーム真下、地中深くにこんな空間があろうとは、誰も想像しておらんでしょうな』
ホログラムに映る老爺――ドーラ・メレブが禿げ上がった頭を揺らした。病で視力を失い、両の目は白濁してしまっている。薄い唇をめくりあげ、さも愉快だと言わんばかりに笑った。
計器が発する音が、スフルトには耳障りだった。赤や黄色、緑と不規則に点滅するのも、落ち着かない。
ドーラ・メレブはいわゆるマッドサイエンティストだった。
そもそも魔族は他の種族に比べ、大きく抜きん出た能力がないため、開発や発明といった生産作業に長けている。ドーラはその中でも一際知能が高く、周囲が度肝を抜かすようなものを多く発明していた。しかし、彼のその発想は時に狂気を帯びていて、次第に避けられるようになったのだ。
『陛下がこの研究所を作ってくれたおかげで、研究が捗りますわい。そうじゃ、娘は元気にしておるでしょうか? 何せ、自由にさせすぎてしまいまして、至らぬ所も多いのではなかろうかと心配しております』
「心配には及ばぬ、大公。ソーニャは良き妻だ」
『そう言っていただけますと、有り難いですわい』
スフルトの腹の中は違った。ソーニャを正妃にした目的は、愛などではない。目的がなければ、あのようながさつな女を側に置いておくことなどなかった。
「して、大公。第五元素の抽出の方はどうなっておるのか」
『順調ですぞ。本に、陛下は科学者に理解のある御方で助かります。……実験をさせていただけるとは思いませんでしたわい』
「実用化の方はどうだ」
『じきに可能でしょう。すでに実験も済んでおりますしな。魔術回路の精巧性を上げれば、兵の武器としての実用化が可能ですわい』
「ふん、小型化、ということか」
『左様で。実験を邪魔立てされたのは、腹立たしいことですな。究極召喚獣さえおらなんだら、先の戦は完全勝利。データ収集もうまくいきましたものを……』
憎々しげに舌打ちするドーラを、スフルトは静かに見つめた。
三〇五四年五月――スフルトが戦争の最終局面で使った切り札。
連合軍の本部を破壊した、圧倒的な魔力の正体。
転移してから動いていなかったスフルトが、一歩、また一歩と踏み出す。緑色のホログラムに近づき、そのままドーラの頭を通り抜ける。一瞬、ドーラの映像が乱れたものの、再び現れたドーラはスフルトの背を追っていた。
ラボの奥にたどり着いたスフルトは、黒曜石の台座の前で立ち止まる。
台座の上で浮遊しているのは、黒曜石よりもさらに漆黒の水晶。
握りこぶしほどの大きさだろうか。中心の水晶の周りには、五つの黒いリングがくるくると回転し、交差している。
「第五元素砲よ。なんと小さき魔砲よ。帝国を勝利に導く、絶対的な力……」
スフルトは水晶――フィフスカノンに囁きかけた。
ソーニャと婚姻関係を結んだのも、ドーラの研究そのものを手に入れるためだった。メレブ家を大公家の末席にねじ込み、無理矢理ソーニャに身分を与えたのも。愛してもいない女に愛を囁くのも。
――カスティア……。アイルディア統一はすぐそこだ。
統一を阻むものがあるとすれば、ただ一つ。
フィフスカノンの砲撃を食い止めた、バハムートの力。
「バハムート……消さねばならぬ。何人たりとも余の道を塞ぐことは許さん」
熱くなるスフルトとは対照的に、黒い魔砲はしんとした冷たい光を放ち、ふわふわと浮遊し続けていた。




