第12話:ウィークエンド(後編)
カナンの用意には抜かりがなく、ランチボックスの中にはチェリーバームティーの茶葉が入っていた。それを見つけたアーチェは上機嫌に、早く淹れろとカナンをせっついた。
「ルイズ・マードゥック……もしかして竜騎族のマードゥック家か?」
チェリーバームティーの香りを堪能しながら、アーチェが言った。草原の青い匂いと相まって、どこか懐かしい香りがする。パラソルの日陰は心地よく、吹き抜ける風はハルカの汗を瞬く間に乾かした。
マットの上にはカナンお手製の豪華ランチが所狭しと並べられている。ハルカたちが座ることのできるスペースはわずかなもので、少し体を回転させると、危うく別の料理をひっくり返してしまいそうになるほどだった。フェンリルとの稽古で空腹の限界だったハルカは、目の前の料理を手当たり次第に掴み、貪った。
「知ってんのか? めちゃくちゃ嫌みっぽいやつでさ。竪琴を使って、妙な魔法を使うんだ」
ハルカは一口サイズの白身魚のフライを指でつまみ、たっぷりのサワークリームソースを塗る。酸味のあるさわやかなソースが油料理によく合うのだ。何が入っているのかカナンに聞くも、レシピや隠し味は極秘らしい。まぁいいか、とハルカはフライを口の中に放り込んだ。
「あぁ、やはりな。妾も直接は知らんが、噂なら聞いておる。西方大陸・ムス=イダ国を司る、四領主の一つ――それがマードゥック家だ」
「な、何、あいつ、そんなにすげぇやつなの?」
「まぁな。確か長男は齢十五だという話だから……おそらく、そのルイズという輩が次期領主になるのであろう」
うっ……とハルカはたじろいだ。いけ好かないやつではあるが、相手はとんでもない権力の持ち主だったのだ。取り巻き連中がいたのもうなずけたし、あの傲慢な態度も、自分の背景からくる自信なのだろう。そして、何よりも悔しいのは、その自信の根拠は家柄や権力だけではなく、確かな実力に裏付けられたものだということだ。剣の打ち合いでは、ややハルカが勝っていたものの、ほぼ互角だった。
ポラジットは膝の上にリーフィを乗せ、その柔らかな金の髪を撫でた。傍らでは、稽古の相手で疲れたフェンリルが丸まって眠っている。ついさっきまでの獰猛さはどこへやら、まるで人畜無害なペットのように、安らかな寝息を立てていた。
「マードゥック家は元々、音楽家の一族だったんですよ。大昔……それこそ私たちが生まれるずっと前、音楽家のヘンリ・マードゥックは領主付きの音楽家で、国や領地の催しでは欠かせない存在だったそうです」
「音楽家? 元々は領主じゃなかったのか?」
「えぇ。ある領主に仕えていたのですが、その領主の妻と息子が流行病で亡くなってしまいました。ヘンリが二人に捧げた鎮魂歌に、領主は感銘を受けたんだとか。それから、領主も流行病にかかってしまい、妻と息子の後を追うように亡くなったそうです。その時、亡き領主は次期領主として、ヘンリ・マードゥックを指名……それが、マードゥック家始まりの逸話です」
「じゃあ、あいつが竪琴を武器にしているのは……」
「音波に魔力を乗せ、自在にコントロールしているのでしょう。マードゥック家は音楽の才能にあふれた一族ですからね。実際、ルイズのお父上である現領主はフルートが得意ですし」
あの音色には不思議と惹きつけられる魅力があった。すんなり身にしみこみ、全身を支配する。並みの演奏家ではできないことを、ルイズはやってのけたのだ。ハルカは複雑な表情で、ピクルス漬けの端を噛んだ。それを脇からアーチェがふんだくり、囓りかけのそれをパクリと口にする
「ふん、わりゃわにひてみれは、ひょんなあおにひゃいにひてやられるなろ、ひんじられんわ」
「飲み込んでから言えっての、飲み込んでから」
「ん……っく。と、妾にしてみれば、そんな青二才にしてやられるなど信じられんわ、と言ったのじゃ! 呑気に飯など食っておらんと、さっさと稽古に励まんか!」
カップの茶を一気に飲み干し、アーチェは鼻息を荒げる。次の稽古のメニューを呟くアーチェであったが、その内容はおぞましいほど過酷なもので、ハルカはブルッと体を震わせた。
「ハルカ……」
「ん?」
不意にポラジットがハルカの名を呼ぶ。その目は少し躊躇いがちで、言いかけた言葉を何度も飲みこむ素振りを見せながら、それでもポラジットは口を開いた。
「辛くありませんか? いえ、辛いのには違いないのですが、その……」
ポラジットが言わんとすることが、ハルカには何となく分かった。目まぐるしい日々の中、覚えることも身につけることも多く、パンクしそうなこともあった。
――大丈夫だ。俺は、大丈夫なんだ。
強がりでも虚勢でもなく、本心でそう思う。
「大丈夫、心配すんなって。さてと……もうちょい頑張るとすっかな!」
立ち上がり、うんと体を伸ばす。青い青い空めがけて、目一杯に。
ハルカは草地に放り出していた木剣を取り、自分を見上げるポラジットに笑ってみせた。
*****
赤黒い炎が、新月の夜空を衝き上げる。
蛇の舌のようにチロチロと星空を舐め、それでもまだ足りぬと炎はその身をくねらせる。
焼かれているのは数多の民家。それも、どれも粗末な造りのものばかりだ。木造のものがほとんどであったが、中には支柱に厚布を張り巡らせただけという家もある。村を点々と染める紅蓮は次第に延焼し、村全体を飲み込んでいく。
悲鳴をあげながら逃げ惑うのは全て獣人族ばかりだ。
襲撃されたのは――獣人族の仮設居住区。
ディオルナ共和国の崩壊に伴い、北方大陸を逃げ出してきた獣人族たちの村だった。
村から出ようとする獣人族を、すれ違いざまに斬り伏せるのは、首から上を黒い布でおおい隠した賊。
賊たちの衣服はてんでバラバラで、泥まみれの農民の服を纏った者もいれば、上等の絹糸で織られたシャツを纏った者もいる。共通しているのは、獣人族を斬った時に浴びた返り血を、誰もかれもが浴びているところだけだ。
村を焼き尽くし、僅かな金品までも略奪する。
悲鳴と怒声が入り混じり、混沌が渦巻く。
弱った獣人族たちを襲うには、十数人程度で十分事足りた。数が百人にも満たない小さな村は、あっという間に制圧された。
燃え盛る村の中心で、集まった賊たちは天に向かって剣をかざす。
濡れた剣からは生臭い赤が滴り落ち、彼らの足元には血溜まりができていた。
「忌むべき獣人族よ。この国から去れ! さもなくば《虚無なる鴉》が貴様らの血肉を一滴残らず啜るであろう!」
野太い声で男たちは雄叫びを上げる。
その中の一人、筋肉質な半裸の男の肩口には、剣を咥えた鴉の刺青が刻まれていた。




