第10話:模擬戦闘
シャイナの目の前で不敵に笑う二人の少年は、どちらも自信に満ち溢れていて、そしてどちらも地に足をつけ、一歩も退かずに立っていた。どこか愉しげに口を歪めながら。
「全五十一組、三ブロックに分けて模擬戦を行う。まずはペアの学籍番号の若い者が十七番までの者、中央に整列せよ! 残りのものは訓練場の東側に並べ!」
グレンが銀のホイッスルを吹くと、グレンの指示通りに学生たちは散らばり、十七組の学生が各々武器を構えて相手と対峙した。グレンは木枠を組んだ指示台の上に登り、学生たちを見下ろす。ハルカの身長ほどある台の上に立つ彼の姿は、一段と大きく感じる。
一ブロック目の中に、ハルカとシャイナの姿があった。ハルカと剣を交えるのは赤髪の竜騎族、ルイズ・マードゥック。一方、シャイナの正面には、細身の獣人族の少女の姿。ぼさぼさの黒紫の髪からちょこんと覗くのは狼の耳。ショートボブの毛先は顎のあたりで四方八方に跳ね放題で、お世辞にもセットした髪型とは言い難かった。
ハルカはシャイナを横目で見、さらにその相手を見る。学年一の秀才であるシャイナならば、心配するだけ無駄というものだろう。
――問題は俺の方だよな。
売り言葉に買い言葉、でルイズの喧嘩を買ったはいいが、相手のことは一切知らなかった。どうやら得意とする武器は彼もまた剣のようで、ハルカの持つ片手剣とよく似た剣を構えている。
――でも、訳の分からねぇ相手とやり合うのは初めてじゃない。
海で戦った大蛇、ハルカを狙ってきた刺客、そして、クレイブ・タナス。
重心を低く落とし、利き手である右手で柄を握る。ルイズとの距離は、大きく踏み込んで五歩程度だろうか。
――負けねぇ。
グレンが真っ直ぐ手を空へと掲げる。ルイズはハルカを舐めるように見据えながら、剣を構えることなく真っ直ぐ立っていた。
「それでは――はじめっ!」
刹那、地を蹴る。右手の剣を振りかざし、先手を打つ。
「あああぁぁぁぁっ!」
ザン、と木剣を振り下ろすが、手応えはない。ルイズはほんの少し後ろに引き下がっただけで、軽々とハルカの剣を避けてみせた。完全にルイズに太刀筋を読まれてたハルカは、負けじと剣の切っ先を突き出す。
「転入生っ、甘いじゃねぇか!」
ルイズは自身の剣でハルカの攻撃を受ける。ガンと木がぶつかり合い、衝撃で刀身の木片が飛び散る。欠けた木屑が舞い、ハルカの左目に飛び込んだ。
瞬間、視界を奪われたハルカを狙い、ルイズが剣を横に薙ぐ。
「チィッ!」
ハルカは体をのけぞらせ、なんとかその剣先をかわす。左目をつむったまま、ハルカは再び剣を振るった。距離感が曖昧になり、ルイズとの間合いが測れない。動悸が激しくなり、冷や汗が流れる。
――正面からの打ち合いで勝負がつかねぇなら……次は……!
胸いっぱいに息を吸い込み、ハルカは全力で駆けた。右へ左へ跳躍し、全方位から攻撃を仕掛ける。
「悪あがきかよ、転入生!」
「余裕ぶりやがって……俺のスピードに付いて来いよ!」
召喚獣は身体能力が高い――少なくとも、アイルディアの人間に比べれば、瞬発力や運動能力は格段に違う。
ハルカのスピードに最初は追いついていたルイズであったが、次第に集中力は途切れ始めた。時折、ハルカの攻撃を避けることができず、攻撃が体をかすめる。
「くっ……。不完全な召喚獣のくせに、よっ!」
応戦するルイズであったが、鈍り始めた彼の攻撃を躱すことはハルカにとっては造作もないことだった。
決してルイズに力がないわけではない。だが、それでもやはり、ハルカの持ち前の能力が勝っていた。
「これで、終わりだっ!」
剣が交わり、一本の剣がはね飛ばされる。ルイズの手から離れ、くるくると回転しながら宙を舞うそれは、彼の遥か後方に落下した。
――勝った……。
ハルカはだらりと剣を持つ腕を下ろした。追い詰められたルイズを前に、これ以上戦う理由はない。目の前のルイズは大きく目を見開き、自分の手の内を見つめていた。
「ルイズ、勝負は……」
「まだだ」
タン……と赤い少年が飛び退く。武器を持たないルイズは、その身一つで立ち向かおうとしていた。
「おい、ルイ……」
「なぁ、転入生。お前が不完全だと言われる理由はな、その甘ったれたところにあるんじゃねぇのか?」
「どういう意味だよ」
「本当に、俺が負けたと思うか?」
「お前こそ悪あがきはよせよ。どう見ても勝負は決まってんだろ」
「奥の手って言葉――知ってるか!? ハルカ・ユウキ!」
待て、と呼び止める声はハルカから発せられることはなかった。それよりも先に、ルイズの手の内に赤い光の粒が収束する。
魔法か、召喚術か。ルールなどない試合だということに今さら気付く。ハルカは咄嗟に武器を構え、攻撃に備える。
が、ルイズの手に現れたのは、武器でも、魔法の塊でも、ましてや召喚獣の類でもなく――ただの竪琴だった。
白金のそれは音もなくルイズの腕に収まる。下部の共鳴部から伸びる二本の腕は、天に昇る竜を模していて、二匹の竜の頭部を一本の金の棒がつないでいた。
ルイズが右のこめかみから一本、髪の毛を抜き取る。ふっとそれに息を吹きかけると、髪の毛は六本に分かれた。ルイズはそれを素早く竪琴に張る。共鳴部から上部の棒に張られた弦は、日の光を浴び、燃えるような紅に染まっていた。
ポロロンと軽やかな音を奏でるルイズ。その様は美しい吟遊詩人のようで、ハルカは一瞬、その立ち姿に目を奪われた。
「きりきり踊れよ、転入生――円舞曲」
しなやかで、伸びやかで、上品な音色が満ちる。ハルカはその音色に心も――体の自由も奪われた。
「あ…………⁉︎」
剣を持つ手が震える。握ろうとすればするほど、その手からは力が抜けていった。
この音楽を聴いてはいけない。そう思うも、耳をふさぐことさえままならない。音はどんどんと体の隅々まで染み渡っていき、抵抗する気力さえ奪っていく。
「勝ったつもりだったんだろ。正々堂々と戦うのもいいけどよ、勝てなきゃ意味ねぇ」
ザリ、ザリとルイズは砂利を踏みしめながら、ハルカに近づいた。その間も、ルイズは音楽を奏でることをやめない。ポロロン、ポロロン、と繊細な音が音量を増し、ハルカに迫ってくる。
「本当の勝ちってのは、こういうことだ」
ピタリと冷たい木の感触。喉元に突きつけられたのは、ハルカの剣。
いや、ルイズが突きつけているのではない。ハルカが自分自身の手で、剣を喉に向けているのだ。
「俺がちょっと強くかき鳴らせば、そのニセモノの剣はお前自身の喉を貫くぜ」
ツ、と背筋を冷たい汗が伝う。静かな恐怖が身を支配した。
「……なんてな」
その瞬間、ルイズは竪琴から手を離した。音が消え、体の自由が戻る。ハルカはその場にどっと膝をつき、ハァハァと荒く呼吸した。
――戦おうって、立ち向かおうって……何かを考えることさえできなかった。
「お前の負けってことでいいだろ、転入生。文句ねぇよな」
完全に自分の負けだった。今、この隙を狙って仕掛けてやろうという気にもなれない。それほどまでに、ハルカは精神を打ちのめされていた。
返答を待たずに、ルイズはくるりとハルカに背を向けた。砂利の地面から目をそらせず、ハルカはルイズの背を見つめることもしなかった。
――そういえば、シャイナは……?
周囲はほとんど勝負がついたようで、すでに撤収しているペアが目立っていた。一組だけ試合中であるのか、衝撃音が聞こえる。
「おおおっ!」
勝負を見守っていた学生たちがどよめいた。まだ戦いの余韻が抜けきらないハルカは、ぼうっとした顔つきで、声の方へ目を向ける。
「嘘だろ……」
ハルカは思わず呟いていた。その光景を信じることができなかった。なぜなら、ハルカは優等生の少女の勝ちを、信じて疑っていなかったからだ。
「私の……負けよ」
シャイナ・フレイヤは地面に横たわっていた。彼女の上に馬乗りになり、弓を構えていているのは狼の耳をした少女。
優等生の降参の合図が、その場に異様に響き渡った。




