第9話:訓練場
学園南側にある訓練場には、すでに初級クラスの面々は集合していた。教室でシャイナと話をしていただけでなく、着替えに手間取ったせいで、ハルカが一番最後だった。
空は青く、晴れ渡っているが、少し雲があるおかげで暑くてたまらないということはない。白い半袖のシャツ、迷彩の長ズボン、足下は裾が絡まらないよう、革のショートブーツの中に押し込んでいる。まるで軍の訓練のようだとハルカは思ったが、よくよく考えてみると、これは体育の授業などではないのだ。武器を使い、魔法を使い、召喚術を使い――要するに戦うための技術を学ぶものなのだ。
武術担当のグレン・カティア教官は、すでに訓練場で待機していた。少し広めの校庭といった風の場所であるが、端の方には砦を模した石の壁や、身を隠すための低い生け垣など、単なる校庭ではないということが見て取れる。グレンは学園の校舎に一番近いところで、建物を背にして仁王立ちしていた。
「ふむ、これで全員揃ったようだな。では、今から初回の実戦訓練を開始する。まずはそれぞれの技量を見たい。二人一組になって、模擬戦闘を行ってもらう。実際の武器で戦うことはできんが、模擬刀や弓、短刀等を用意してある。各々得意な武器を用いて演習に挑むように」
グレンは整列している学生たちの間をゆっくりと歩いた。百人あまりの学生、一人一人の顔を見落とすまいと濃茶の双眸で見据える。十列に並んだ学生たちは身を固くする。ハルカは中央の列の最後尾に立っていた。
列から少し外れの一画に、用意された武器の数々が積み上げられていた。中には見たこともないような、そして使い方が全く見当もつかないような特殊な武器もある。
「魔法、召喚術の使用も許可する。ただし、一定出力以上の魔力の放出があった場合、余分な魔力はこの訓練場に吸収される仕組みになっている。術の暴発や怪我を防ぐ目的であるため、できるだけ力は調整するように。それでは、武器を選び、ペアを決めること。選ぶ時間は二分だ、始め!」
号令を合図に、学生たちは一気に散会した。ハルカもそれに従い、武器を選びに行く。
――俺の武器……とりあえず、剣かな。
ハルカは一振りの剣を手に取り、ブン、と振ってみた。木でできたそれは思っていたより重量があり、ずしりと手にのしかかる。
まだアーチェからは剣技らしいものは何一つ習っていない。とは言え、これから剣を習得せねばならないのだから、木剣でも触れておくに越したことはないだろう。
ハルカは模擬武器の山からくるりと踵を返し、ゴチャゴチャと入り乱れている学生たちを眺めた。武器を決めるにはさして時間はかからなかったが、ペアを決めるとなると別だ。シャイナに手合わせを願おうと、ハルカは目を細めてシャイナを探した。だが、似たようなシルエットの中から、シャイナを探すのは至難の業だ。
「おい」
姿形を探すのでは埒があかないと、ハルカはシャイナのトレードマークである赤縁眼鏡を探す。
「おい」
ハルカはくしゃくしゃと頭をかき、チッと舌打ちした。こんなことなら、先に武器ではなく、ペアを捕まえておくべきだった。グレンが定めた二分という時間は、あまりにも短すぎる。
「おい、転入生。シカトしてんじゃねぇぞ」
いきなり肩を掴まれ、強引に後ろを向かされる。確かに「おい」と誰かを呼んでいる声は聞こえていたが、まさか自分のことだとは思いもせず、ハルカは目を白黒させた。
声の主は一人の少年。燃えるような赤毛――短めのその髪は後頭部へと撫でつけられていて、右のこめかみ辺りの髪だけが長い。その長い髪先で、翡翠玉の髪留めが揺れていた。ハルカよりも頭一つ分ほど背が高いせいで、自然、その少年を見上げる形になる。少年の後ろには、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた取り巻きと思われる少年が二人。
――なぁんか、嫌な感じだ。
直感で感じた予想通り、赤毛の少年はハルカの右肩をドンと小突き、口の端を歪めて笑った。
「なんか用か?」
「あんまりな挨拶じゃねぇか、それ。まぁ、俺様は寛大だからな。その程度の無礼許してやるよ」
「時間ねぇんだよ。手短に済ませてくれよ」
「挨拶しに来ただけさ。初めまして、転入生。俺は竜騎族のルイズ・マードゥック。歓迎するよ、ようこそ、クライア学園……いや、アイルディアへ」
「っ!」
含みを持たせた言い方に、ハルカの顔は強ばった。今の言葉が意味することは、ハルカが召喚獣であることを知っているということ。噂に過ぎないと白を切ることができるほど、ハルカはまだ自分の置かれた状況に馴染んではいなかった。
少年――ルイズはハルカの反応を見逃さなかった。へぇ、と意味ありげに呟くと、背後の取り巻き連中に向かって言い放つ。ルイズの一言一言に応じて、取り巻きは頷いたり、哄笑した。ルイズは口ごもったハルカを見て、してやったりといった表情を浮かべる。
「なぁ、どうやら噂は本当みてぇだな。転入生は、召喚獣だって噂」
「……」
「連合軍の勝利のために召喚された召喚獣。でもよぉ、おまえが中途半端だったせいで、負けちまったんだもんな」
「俺は……っ!」
「半人前の召喚獣が学園生活だってよ。完全な召喚獣なら、こんなところで戦い方を学ぶ必要もねぇのになぁ」
「ちょっとちょっと! あなたたち何やってるの! ハルカも、ルイズも!」
ハルカを見つけたシャイナが、二人の間に割って入った。舐めた目つきのルイズがシャイナを一瞥する。
「学級委員様のお出ましかよ」
「ルイズ、あなた何を言ったの!? どういうつもり!」
「ただ転入生に挨拶しただけだぜ? 友好の証ってやつ。是非手合わせ願おうと思ってたんだよ。なぁ、ハルカくん」
「嘘。ハルカ、私と組みましょう。ねぇ、お手並み拝見って言ったでしょう? こんなやつ放っておいて行きましょう」
シャイナはハルカの肩にそっと触れ、ルイズから離れるよう促した。
ルイズが言っていたことは、どれもこれも事実そのものだった。自分が完全な存在であったなら、と思わずにはいられない。
帝国を蹴散らし、リーバルト連合傘下の四国を守る。アイルディアに平和をもたらし、自分の国へ還る――めでたし、めでたしだ。
学園で一からアイルディアのことを学ぶ必要も、こんな風に悪し様に罵られることも、還れないと嘆くこともなかった。
ハルカは俯き、眉間に皺を寄せた。
――その通りだよ、畜生。
シャイナに導かれるまま、ハルカはルイズの前から離れようとした――その時。
「予想通りの腑抜けってわけだ。尻尾巻いて逃げるのか。デュロイ教官も厄介者を抱え込んだよなぁ。こんな足手まといのお守りじゃぁな」
「……もう一回言ってみろよ」
「ハルカ!」
「あぁ、何度でも言ってやるよ。子守してるデュロイ教官が可哀想だってな」
ハルカはぐっと木剣の柄を握った。頭が冴え渡り、目が据わる。
――腑抜けてる場合じゃねぇ。
ポラジットとアーチェの顔が脳裏をよぎった。腕に添えられていたシャイナの手を払い、もう一度、ルイズの元へと歩み寄った。
周囲は一組、また一組とペアが決まっていく。自分たちの模擬戦闘で頭がいっぱいのせいか、誰もハルカとルイズの言い争いに目を留める者はいなかった。
「学級委員のシャイナ! シャイナ・フレイヤ!」
「え!? あ、はい!」
不意にグレンがシャイナを呼び寄せる。突然の呼び出しにシャイナはハルカとグレンを交互に見ながら、あたふたと足踏みした。
「一人、まだペアを組めていない女子がいる。君が組んでやりなさい」
「え、あ、でも……私はハルカ・ユウキと……」
「いい、シャイナ。教官の言うとおりにしてくれ。俺は……ルイズと組む」
「でも、ハルカ……」
「そうこねぇとなぁ。手合わせ頼むぜぇ、バハムートくん」
ギッとルイズをにらみつける。ルイズは相当自信があるのか、余裕の表情で飄々としていた。
ハルカは両の手の平を見つめた。力を使うべきか、使わざるべきか。教官の話では、今回の模擬戦闘はルールなしの戦闘だ。
自分の呼びかけで、内に眠るバハムートが目を覚ますかどうかは分からないが、力を使えるのなら、使っても責められることはない。《絶対服従》の能力で、目の前の高慢なルイズを跪かせてやりたい。そう思わないでもないのだ。
――でも、そんな戦い方、あいつは望んでない。
いつだって正面から立ち向かったポラジットを思い、ハルカは考え直す。綺麗事だと馬鹿にされても、こればかりは譲れない。
「もう、私は知らないんだからね。ハルカ!」
「分かってるって」
ハルカは挑発するように、ルイズを手招きした。癇に障ったのか、それを見たルイズは頬をひくつかせ、「あぁ?」とドスの効いた声で威嚇する。
「来いよ、金魚の糞抜きでやろうぜ」
「そこまで!」とタイムリミット告げる宣言。グレンの野太い声が遠く聞こえた。




