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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第2章:双つ剣の交わる刻
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第7話:すべてを超えて

 柔らかな草花の香りが漂う。淡い色の花が多く見られる庭で、夏が近づきつつあることを思わせる極彩色の花々もちらほら見え隠れしていた。

 赤、黄、ピンク。

 緑の葉の間から、太陽の光を目一杯吸い込んだそれらの花は──庭の草地で四つん這いになり、その背に幼子を乗せながら腕立て伏せをする少年を、揶揄からかうようにそよそよと花弁を揺らした。


「なんでっ……俺がっ……こんなことっ……!」

「文句を言う暇があればキリキリ体を動かさんか。ペースが落ちているぞ」

「って! 蹴るんじゃねぇ!」


 汗だくになりながら地面に伏せるハルカを、アーチェが一喝する。彼女を包む紫の長衣は、庭でのティーパーティという場であれば、愛らしいワンピースに見えただろう。

 が、少年を尻に敷き、腕を組むその姿からは、むしろ鬼軍曹の軍服にしか見えない。ハルカがペースダウンしかければ、アーチェは黒革の編み上げブーツでピシリとハルカの横腹を蹴った。


「剣の稽古は……いつ……するんだよっ!」

「たわけ。すぐに剣を持てるなどと思うでない。まずは体と心の鍛錬からじゃ」

「そんなん、じゃっ」


 ──いつ剣を握れるか分からねぇじゃねぇか!


 その言葉はハルカの口から発せられることはない。ハルカの口から漏れるのは切れ切れの吐息だけ。短い返事をするのがやっとだ。

 顔を地面に近づける度、若草の露を孕んだ葉先が鼻をくすぐる。土の匂いを嗅ぐのも久しぶりだと、疲労困憊の最中、そんなことを思った。


「私はお前に剣術を教えようと思うておる、ハルカよ。時間をかけてしごきたいところじゃが、何せ与えられた時間は短い。お前には元の世界に帰還するという目的があるそうじゃからのう。そう、ポラジットが頼み込んできたのじゃ」

「ふっ……はっ……」

「のう、ハルカよ。この世界の魔法の仕組みを知っておるか?」

「しらっ……ね」

「ふん、お前の体に乗っかってるだけでは時間が無駄だからの。特別に『れくちゃー』とやらをしてやろう」


 無理に横文字使うんじゃねぇ、と悪態をつきたかったが、そうもできない。ハルカは大人しく腕立て伏せを続けた。


「この世界──アイルディアには四つの元素が満ち満ちておる。それが万物の根源であり、それを発展させたものが魔法やらと呼ばれておるものじゃ。四つの元素を組み合わせ、具現化することで炎が生まれ、水が生まれ、風が生まれる」


 講義するアーチェの顔はもちろん見えない。しかし、その声音から、やたらと得意げな表情を浮かべているのだろう、と想像することができた。


「四元素、すなわち、天、地、光、闇。天元素は水や雷、風などがそうだ。地元素は大地や炎、植物を。光元素は体に正の効果を与えるもの、闇元素は体に負の効果を与えるもの──そういったものを司っておる。そして、剣技の流派も、それぞれの元素に従い四つの流派に分かれておる」

「でもっ……俺は、魔法がっ……使えね……」

「そうじゃ、お前のような召喚獣は魔法が使えぬ。召喚獣が使えるのは召喚士によって付与された能力。あるいはお前のような特殊な召喚獣としての力だけじゃ。故に、四元素の流派の剣技をなろうたところで使いこなすことはできぬ」

「じゃ……一体……」


 ハルカが問いかけたところで、アーチェはハルカの腰の上で足を組み替えた。重心がずれ、危うく伸ばした腕が崩れそうになる。すんでのところで堪えたハルカは、再び腕を曲げ始めた。

 召喚獣の身であるため、元の世界にいた頃よりは運動能力も増してはいるものの、アーチェの容赦ない訓練に音を上げそうになる。

 日差しが汗を照らし、ガラス玉のようなそれは、ハルカの額から数滴落ちた。地面に吸い込まれた汗の玉は草の陰に隠れ、跡も残らない。


 魔法を使えないこの身では、元素のことなど無関係だ。ポラジットが言っていたハルカの能力《絶対服従》──その力を使いこなせない今、頼れるのは己の身と、そこから生み出される直接的な力だけだ。

 アーチェは剣の師範だと言う。四つの流派の師範だとすれば、ハルカに一体何を教えにきたと言うのだろうか。


「妾の剣は、四つの流派のどれにも属しておらぬ。妾の剣は、元素を使わぬ(・・・・・・)

「それって……?」

「五つ目の流派とでも言うのかの。妾の剣は無刃流──元素を使わず、己の力のみ(・・・・・)で戦う流派。……妾はお主に無刃流の剣技を授けてやろうと思うておる」


 ──無刃流。俺でも習得できる流派……。


 ハルカはぐっと草を握りしめた。

 力と技で相手を倒す技術。上等だ、と思わず笑みがこぼれた。


「表があれば裏があり、光があれば闇が、天があれば地がある。全ては対になり、互いに結びつき、反し合う。そのことわりを超えて行かねばならん。ハルカよ、お前はそうする以外に道はない」


 何度腕立て伏せを繰り返しただろうか。もう数の概念はハルカの中からすっぽり抜け落ちていて、アーチェが止めよと命じるまでひたすら体を動かすだけだった。それでも、今アーチェが言った言葉は、ハルカの頭の中にこびりついて離れない。


 陽が傾き、影が伸び始める。

 小さいアーチェの影もまた伸び、大きなシルエットがハルカの手元を覆った。


 不意に体の上の重みが消える。

 ふと顔を上げると、目の前でアーチェが仁王立ちし、ハルカを見下ろしていた。その顔には幼子とは思えぬほどの、ゾッとするような凄絶な笑みが浮かんでいた。それは幾つもの修羅場を潜り抜けてきた、何もかもを知り尽くしているような、そんな表情だ。

 全てを見透かされている、全てを悟っている──ハルカにはそう思えてならなかった。


 ──道を開くには、表も裏も超えていかなきゃいけねぇんだな。


 ハルカは汗を拭いながら立ち上がる。初夏の花が香る庭で、アーチェと対峙した。

 アーチェは風薫る中、すっと両手を伸ばし、紫の衣の襟元に触れた。立った襟の内側で何かを掴み、ズズズと引き抜いていく。アーチェの衣服にすっぽりと隠されていたそれを見て、ハルカは目を丸くした。

 

「……剣?」


 幼子の背から現れたのは、二本の剣。白い刀身と黒い刀身、二色の剣がアーチェの手に握られていた。その長さはアーチェの背丈より僅かに短いくらいだ。器用に隠されていた二振りの刃にアーチェは愛おしそうに口付けた。


「双剣・陰陽。黒の剣が陰、白の剣が陽。……私の愛剣だ」


 スラリと真っ直ぐに伸びた刃は、夕陽の光を受け、鈍く、鋭く輝いた。その不思議な魅力に取り憑かれそうになり、ハルカは刀身から目を逸らせない。


「ふん、やはり喰われるか。ハルカ、まだまだじゃの」

「…………え?」

「剣に魅入られようとしておるわ。そういう輩は刃を持つべきでない。刃が引き寄せる血と魂に呑まれるじゃろう」


 我に返ったハルカは急いでアーチェから顔を背けた。くくく、とアーチェは喉を鳴らして笑う。気まずくなったハルカは、視線を逸らせたまま唇を尖らせた。


「何が可笑しいんだよ」

「いや、すまぬな。誰でも最初はそうじゃ。それに、この双剣は妾が鍛えた特別な代物じゃ。引きずられるのも仕方ない」

「別に、引きずられてなんか……」

「そうか、どちらでも構わぬ。とにかく、妾はこれから毎日、この邸に立ち寄ろう。学園の授業が終われば直帰せい。ビシバシ鍛えてやるわい」


 まだ少し、何となく……いや、だいぶ納得はできていない。

 けれども、超えるための方法はほとんどない。ハルカは元の世界を思った。


「よろしくお願いします、アー……、いや、ししょー(・・・・)

「む、心がこもっておらんなぁ。……まぁよい。しかと心して鍛錬に励め」


 そう言うアーチェからは先ほどの凄みのある空気は消え、外見の年齢相応の愛らしい笑顔をふりまいていた。クルリと軽やかにハルカに背を向けると、「今日の訓練はここまでじゃ!」と短く、嬉しそうに言い放った。

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