第5話:白銀の幼子
学園初日の予定をこなし、ハルカは帰途に着いた。
来た道と同じ道を、寄り道もせずに歩く。
二度目もやはり、転移門を通った後は目眩と立ちくらみに襲われたが、それ以外には問題なかった。
デュロイ邸の花のアーチをくぐり抜け、ハルカは屋敷の扉を開けた。
カナンがお帰りなさいませ、と声をかける。
それにただいま、と返事をし、二階の自室へ向かった。
ボフン、と整えられたベッドに身を放り出し、すぅ、と息を吸い込む。
太陽の匂いと、石鹸の香りがした。
下ろしたての制服が皺になってはいけない、とハルカはすぐに起き上がり、ブレザーを脱いだ。
用意されていた服に着替えると、心なしか解放的な気分になる。
木綿のシャツと少し大きめのズボン。
ズボンの生地は黒く染められており、柔らかめで動きやすい。
革靴を脱ぎ、スリッパ代わりの布靴に履き替えると、足の窮屈さもなくなった。
床に無造作に置かれた、茶色の鞄に手を伸ばす。
肩にかけるための長いベルトを、人差し指の先に引っ掛け、たぐり寄せた。
そして、中からクラス名簿を取り出す。
「シャイナ・フレイヤ……」
シャイナの名前は一番にあった。
胸から上を写した証明写真の中のシャイナは気の強そうな目でこちらを見ている。
初級クラスは三クラス、一クラス辺り三十名ほどで構成されているらしい。
ハルカは自分のクラスメイトの写真と名前を、一通り眺め見た。
名前の下には、几帳面そうな文字で一人一人にコメントがつけられていた。
種族名や出身地、簡単な性格について記されている。
あのシャイナが、自分のために書いていてくれたのだと思うと、ホッと暖かい気持ちになった。
──ポラジットに紹介しなきゃならねぇな。
もちろん、ポラジットが教官である以上、必要以上に関わることはできないだろうが、それでもポラジットを慕うシャイナのために、何かできれば、とは思うのだ。
ある意味高圧的な態度、と言えなくもなかったが、悪い人間だとも思えなかった。
その時、扉の向こう側に人が近づいてくる気配がした。
そして、少し遅れて控えめなノックの音。
「カナンです。少し、よろしいでしょうか」
感情もへったくれもない事務的な声色。
ハルカはベッドサイドのテーブルに名簿を置いた後、自ら扉を開けた。
「ん、大丈夫。何か用か?」
視界に穏やかな緑がそよぐ。
ヘッドドレスの白とのコントラストが優しい。
「わざわざそのようになさらないで下さい」
カナンは眉をひそめた。
「そのようにって?」
「……戸を開けるお手間を取らせるなど、メイドとしてあるまじきことです」
「いやいや、そんなつもりじゃ……」
生真面目にも程がある。
ハルカは呆れ顔で、無表情のカナンを見やった。
カナンはふ、と目を伏せると、すぐさま用件を伝え始める。
「お客様がお見えになっております」
「客? 俺に?」
自分を尋ねてやってくるような人間がいるだろうか?
記憶を辿り、思考を巡らせるも、心当たりはどこにも、欠片もない。
首を傾げるハルカに、カナンは続ける。
「応接間でお待ちいただいておりますので、お越しくださいませ、ハルカ様」
疑問もあったが、カナンが通したということは妙な人物ではないのだろう。
何せ、カナンはポラジットの召喚獣だ。
そんじょそこらのメイドとは訳が違う。
客を待たせておくのも悪いと思い、ハルカは首肯した。
客も気になることは気になるのだが──それより、ハルカには気持ちの悪いことがもう一つあった。
「あのさ、それ、やめてくれねぇかな? ハルカ様っていう呼び方」
カナンは何を言っているのか分からない、と言った風に首を傾げた。
「俺、単なる居候だし……。主人のポラジットを様付けするのとは話が違うだろ?」
「ですが、ハルカ様を敬うのはマスターのご指示で……」
「じゃあこうしよう。俺がポラジットに言っておく。だから、その呼び方やめようぜ。何だか……むず痒いんだ」
そう言って、ハルカは相好を崩した。
カナンはムムム、と思案する素振りを見せたが、反論したところでハルカが引きそうにもないことを悟り、不承不承承諾する。
「──承知致しました」
ですが、と付け足す。
「マスターがあなたを『ハルカ様』と呼ぶよう私に命じた場合を除きます」
ポラジット一筋なカナンの言葉に、ハルカは参ったな、と小さく呟いた。
*****
カナンに連れられ、ハルカは応接室へと歩を進めた。
その間、カナンは一言も話をせず、自分が何か喋らなければ、と頭の中から話題を捻り出そうとするも、全く思いつかなかった。
「では、私はここで失礼致します。お茶を用意致しますので」
「あ、あぁ……。ありがとう」
一歩引き下がり、カナンが退く。
ハルカは室内へ足を踏み入れた。
上等のソファ、上等のローテーブル。
艶やかで大柄の花の模様があしらわれたそれに、一人の少女──いや、幼女と言った方が正しいだろうか──が腰かけていた。
ハルカに背を向けていて、その顔形や表情は読み取れない。
白銀の長い髪がさらさらと揺れているようにも見える。
小さな頭の形はまん丸で、金のリボンのバレッタがその幼い後頭部を飾っていた。
細い肩を覆っているのは、紫紺の衣。
固めの生地なのだろうか、パリッと整っていて、乱れなどどこにも見えなかった。
──こんな子供に、見覚えないんだけどなぁ。
しばらく茫然と、謎の客人を見つめていたハルカだったが、キュッと唇を引き結ぶ。
意を決して声をかけようと唇を開きかけた時、白銀の幼子がハルカに気づいた。
後ろを振り返り、音もなく立ち上がる。
「お主が、ハルカ・ユウキか?」
不躾な第一声は、鈴の音のように軽やかで澄みきっていた。
ハルカは一瞬、ムッと顔をしかめたが、何とか不満を呟くのを思いとどまる。
「そうですが、何か」
とは言え、やはり答える口調には不満が見え隠れする。
しかし、幼女は一向に気にする様子もなく、背の低いハルカの胸元ほどしかない身長で、グッと踏ん反り返った。
「ふむ、まだ若いの。顔に感情が出ておるわい」
幼い外見とちぐはぐな口調で、彼女は言う。
菫色の瞳で、ハルカを頭の天辺から足の爪先まで、繁々と観察した。
血色のいい頬はみずみずしく、若さに満ち溢れている。
「まぁ、よい。妾が何とかしてやろう。少しばかり荒療治が必要ではありそうだがの」
「おいおい、黙ってい聞いてりゃ……ガキのクセに偉そうだな、お前」
先ほどから意味の分からない言葉を連発する幼女に、流石のハルカも唇を尖らせ反論した。
「目上の者は敬えって習わなかったのかよ。お前、どう見てもガキじゃねぇか!」
「──ガキ、だと?」
直後、ヒュッと冷たい風圧がハルカの首筋をかすめた。
そして、喉元に突きつけられたのは、白く小さな手刀。
ソファからヒラリと舞い、ハルカを牽制した幼女は、いつでもハルカの生命など奪えるのだ、と言わんばかりの視線を寄越す。
「妾はこれでも齢五十を超えておる。外見で人を判断するでない」
──動きが、見えなかった……⁉︎
幼女は驚いたハルカを見ると、満足そうに手を離し、自分の手にフッと息を吹きかけた。
「妾の名は、アーチェ。無刃流師範、アーチェ・アメルだ」
幼女──アーチェは目を細め、仁王立ちになった。
「我が友、ダヤン・サイオスの愛弟子、ポラジット嬢の依頼があってな」
長い髪が、アーチェの腰の辺りで揺れた。
丈の短い紫紺の長衣が、彼女の体を一回り大きく見せている。
「貴様に稽古をつけに来たのだ──バハムートよ」




