第2話:優等生と(前編)
「ねぇ、ちゃんと聞いてるの? 説明してあげてるんだから、返事くらいしなさいよ」
ハルカの前を歩く少女がチラと振り返り、顔をしかめる。
臙脂色のブレザー、黒と灰色のタータンチェックスカート、そして毛先を巻いた栗色の髪。
少女は肩より少し下まで伸びたその髪を、緩く三つ編みにしてサイドに垂らしていた。
赤縁眼鏡の向こうから、淡い緑の瞳がハルカを睨む。
ツンとすましたようなその態度は、クールな優等生そのもの。
「あぁ、悪ぃ。転移門は学園の北側にあるって話だよな、え、と……フレイヤさん?」
「シャイナでいいわ。そんなよそよそしい呼び方しなくていいわよ」
少女──シャイナ・フレイヤは一瞬だけ笑う。
すぐに元のすまし顔に戻ると、再び前を向き、ハルカについてくるよう促した。
石造りの校舎は厳かな雰囲気が漂っていて、思わずハルカはエントランスの高い天井を見上げた。
「わざわざ校舎を案内してあげるんだから、無駄なことしないでさっさと終わらせるわよ。デュロイ教官の頼みでなければ、こんなこと引き受けないんだから……」
シャイナはブツブツと愚痴を言いながら先へ進んだ。
ハルカも遅れぬよう、自分より少し背の小さな背中を追いかけた。
あの後──正門でポラジットの白々しい自己紹介を受けた後──彼女の背後からシャイナ・フレイヤが現れたのだ。
ポラジット曰く、シャイナは初級学年一の秀才で、学年委員も務めいるのだとか。
アルフ曰く、シャイナは主席で学園に入学したのだとか。
学園案内は彼女に任せるだなんだと一息でまくし立てるや否や、アルフとポラジットは仕事があるから、と颯爽と去って行ってしまった、
とにかくハルカはポラジットにツッコミを入れる隙さえ与えられず、今のところされるがまま、というわけなのだが──。
「一学年は百人程度。初級・中級・上級の三学年。学年ごとにブレザーの色が違うから、同期はすぐに見分けがつくわ」
箇条書きのメモ帳をそのまま読み上げているかのような、平坦な口調でシャイナは説明する。
適当に相槌を打ちながら、ハルカはキョロキョロと辺りを見回した。
「さっきも言ったけど、転移門は学園の北側に位置しているわ。校舎はコの字型。東館、西館、そして南側の本館。中央の広場では学園の催し事が行われるの。本館の裏には修練場があって、実技の授業で使われるから、覚えておいて」
西館のエントランスを抜け、正面の大階段に差し掛かった。
赤い絨毯の敷かれた階段を上り、ハルカたちは二階の廊下を歩く。
「東館は上級生の教室。西館は初級生と中級生の教室よ。本館は図書館や多目的教室、それに大講堂。科目ごとに授業教室を移動することがほとんどだから、メインで利用するのは本館かしら」
窓から外を眺めると、学園のシンボルであろう塔が見えた。
本館の中央を貫くが如く、天高く伸びた時計塔。
赤茶の校舎と同じ色のそれは静かに時を刻み、眼下を見下ろしているようにも思えた。
塔を見つめるハルカに気づき、シャイナがあぁ、と説明を付け加える。
「時計塔が気になるの?」
「塔の屋根──変わった屋根だよな。透明でドーム型してる」
「最上階は薬用植物園。学生たちは空中庭園、なんて呼んでいるわ。薬草学で使う珍しい草花なんかを育てているのよ。出入りは自由だから気になるなら行ってみれば? もちろん、持ち出し厳禁だけどね。さぁ……教室に着いたわ」
さして長くない廊下を進んだハルカは、人っ子一人いない教室に通された。
生徒がいないとやけに広く感じる。
「誰もいないじゃねぇか」
「当たり前でしょう? 今は授業中。みんな本館に移動してる。私は学年委員だし、公欠扱いにしてもらっているけれど、本当は授業に出たいのよ」
──そう言われると、何だか申し訳ないような……。いやいや、俺が悪いわけじゃないんだけど。
何となくモヤモヤとした気分になりながら、ハルカは素直に礼を言った。
「そか……。それなのに案内してくれてありがとうな」
予想外のハルカの反応に、照れ隠しなのか、シャイナはふんと鼻息を荒げた、
そして、細い指で窓際の一番後ろの席を指し示す。
「そこがあなたの席よ、転入生。とりあえず学園の簡単な規則を説明するから座りなさい」
指定の席についたハルカ。
シャイナはハルカの席の側に立ったままだ。
「座らないのか?」
「えぇ、私の席はここじゃないもの」
そう言って、シャイナはバカ真面目に自分の席を指差す。
最前列かつ教卓の正面、いわゆる特等席というやつだ。
シャイナらしい、と思わず吹き出しそうになるのを、ハルカは何とか堪える。
そんな彼女はブレザーの胸ポケットから革張りの手帳を取り出し、パラリとページを繰った。
「これ、学生手帳に細かいことは書いてあるから、私からはザッとでいいわよね。まず転移門の使用注意について」
シャイナは巻頭部分に目を通し、内容をかいつまんで説明した。
「転移門を利用できるのは学園関係者だけ。学生手帳が認証キーみたいなものよ。それがなければ、転移門は何人たりとも通さないから。忘れないように注意すること」
次に、とシャイナは続ける。
「巻末部分に成績記入欄があるから、考査の度、教員に記入してもらうこと。最後に──余談のようなものだけど──制服はブレザーさえ着ていればあとは自由よ。要は、一目見て学年が分かりさえすればいいの。結構着崩している人も多いけれども、気にしないで」
「シャイナのそれは? 制服なのか?」
「私? もちろんよ。自由と定められているからと言って着崩す人の気が知れない、というのが本音かしらね」
シャイナは眼鏡をかけ直し、パタンと手帳を閉じた。
質問はあるか、と言いたげな視線を投げかけ、ハルカの返答を待っている。
「あー……分かりやすかったよ、とっても。とりあえず大丈夫かな」
微妙な空気感が何とも居心地悪い。
シャイナと言葉を交わした時から、ハルカはずっと違和感を感じていた。
──敵意? 恨み? いや、違う。これは何だ……?
最初は転入生に対する物珍しさや緊張感といった類のものなのかもしれない、と思っていた。
一斉入学は四月、とポラジットが言っていた。
学生が入学して間もない六月に転入するのはある意味季節外れで、とてもイレギュラーなのだ、と。
一応、ハルカが究極召喚獣・バハムートであることは公言されていない。
転入の理由も、病気の療養のため四月に入学が間に合わなかったからだということになっている。
だからこそ、最初は奇異の目で見られているのだと、ハルカはそう思っていた。
だが、どうやらこの優等生は自分の存在を快く感じていないらしい──少なくとも歓迎されていないことは察することができた。
シャイナはジッとこちらを見つめている。
何を言うでもなく、ただジッと。
──~~~ダメだっ! ハッキリしてくれなきゃ気持ちが悪ぃ!
我慢できず、ハルカは思い切って口を開いた。
「あのさっ!」
「ねぇ、転入生……」
声に出したのは同時だった。
一瞬、二人とも口を閉ざす。
が、次に声を発したのはシャイナが先だった。
「転入生、聞きたいことがあるんだけれど」
「……なんだよ。それと、俺の名前は転入生じゃない。ハルカ。ハルカ・ユウキ」
「そう……じゃあ遠慮なくハルカと呼ばせてもらうわ。ねぇ、ハルカ、あなたは……」
一呼吸おいた後、シャイナはよく通る声で言い放った。
「あなたが究極召喚獣・バハムートっていう噂があるんだけれど……本当なの?」




