第1話:賑やかな食卓
時は遡り、三日前、デュロイ邸の食堂。
食堂といっても広いものではないが、ハルカとポラジット、二人が食事を取る場所としては十分なものだ。
光沢のある木製のテーブルで、ハルカはポラジットと向き合い、夕食を取っていた。
今日の夕食は南方大陸近海で採れた海の幸を酒蒸しにし、魚醤で味付けをしたシンプルなものだ。
どこか懐かしい味付けに手が進み、育ち盛りのハルカの食欲は留まるところを知らない。
当然、箸などというものはこの世界にはなく、ハルカはナイフとフォークで苦戦しながら、貝の身を貝殻から剥がし、パクリと頬張った。
チラ、とポラジットを見遣ると、音一つ立てず、器用に皿の中の食事を口に運んでいる。
その所作に、少し感動を覚えながら、ハルカはグラスの水を飲み干した。
連合議会の決定が下った後、デュロイ邸で暮らすことになったハルカだが──もちろん初めは全力で抵抗した。
ポラジットの家族に迷惑をかけるわけにはいかない、どこか別の場所で間借りできれば、と申し出たハルカに、ポラジットは「私は家族と離れて一人暮らしなんです」とサラリと言ってのけたのである。
それはなおさらマズイと、さらに抵抗したのだが、それも虚しく、結局ハルカはデュロイ邸の一室を充てがわれることになったのだ。
「ハルカ、そう言えば、学園の制服が届いていましたよ。後で部屋の方に運ばせますね。一度、試着してみて、直して欲しいところがあれば言って下さい」
「ん、分かった。悪ぃな、何から何ま……」
そうポラジットに声をかけた瞬間、ハルカの前を猛スピードで何かが横切った。
──ザシュッ
横切ったのは銀のフォーク。
それはハルカの皿の上で湯気を上げる大海老の甲殻に深く突き刺さり、衝撃でビィン、と微かに振動していた。
「……っぶね! おい、カナン! 何するっ……!」
ハルカはフォークが放たれた方角を睨み、腰を浮かせた──が。
「キキィッ!」
──ドシャリ
次の瞬間、甲高い鳴き声と同時に飛んできたベリーの果実が、ハルカの胸元の白いクロスを真っ赤に染めた。
「リーフィ! お前まで!」
ハルカはガシャンとテーブルを叩き、怒り心頭といった様子で立ち上がった。
「我がマスターに何と無礼な口のきき方を……。その海老のように刺されたくなくば、今すぐマスターにひれ伏し、謝罪することを強く推奨します」
フォークを放ったメイドのカナンが、冷ややかに告げた。
深緑のショートボブヘア、その頭には白いレースのベッドドレス──ポラジットが簡易召喚で呼び出した召喚獣でもある。
歳の頃は二十ほどで、ハルカより年上に見える。
ブラウンのメイド服は彼女の白い肌と相まって、大人びた雰囲気を醸し出していた。
低めの声で凄まれたハルカはうっ、と口ごもる。
「キキィッ! キキィッ!」
カナンの背後で鳴いている、中指ほどの小さな妖精はリーフィ。
彼女もまた、簡易召喚によってこの世界に喚びだされた召喚獣だ。
薄緑の髪、植物の葉をモチーフとしたドレスを纏い、カゲロウのような翅をハタハタとはためかせ、金の鱗粉を散らしながら宙を舞っていた。
つり上がった翠の目でハルカを見つめ、あっかんべー、と舌を出した。
「リーフィ、てめ……!」
正確にはポラジットは一人暮らしをしていたわけではなく、さらに一人と一匹と暮らしているのを知った時、ガッカリしなかった……わけではない。
何もポラジットとどうこうなろうなどというつもりはないが、ハルカとて思春期の少年。
可愛らしい女の子と一つ屋根の下という展開に期待するな、という方が無理な話なのだ。
カナンとリーフィといがみ合っているハルカだったが、今この瞬間、この屋敷の真の主人が無言で青筋を浮かべているなど──気付くはずもなく。
「~~っ、あなたたちっ! いい加減になさいっ!」
やたら賑やかすぎる食卓で、ポラジットの怒号が響いた。
*****
コホン、とポラジットは決まり悪そうに咳をした。
ポラジットに叱られたカナンとリーフィはしょげかえり、ハルカはブスリと不貞腐れた。
メインディッシュを食し終えたポラジットとハルカの前に、温かいハーブティーが並べられた。
デュロイ邸の庭で採れたハーブをブレンドした、カナン自慢の一品で、食後には必ず出されるものだ。
甘い花の香りが漂い、トゲトゲとした神経をなだめていく。
「話を元に戻します、ハルカ。あなたは昼間、学園に通ってもらいますが……授業が終わった後は、特別講義を受けてもらいます」
「特別講義?」
その響きに嫌な予感を感じながら、ハルカはポラジットに聞き返した。
「ええ、老師の友人に、剣の師範がいらっしゃっいまして。その方に指導をお願いしています」
「何だそれ、すげぇハードだな」
ポラジットのスパルタぶりに、ハルカの頬はヒクヒクと引きつった。
「ハルカ。あなたは一つでも多く、生き抜く術を学ばなければいけません。帰還するために、何が待ち受けているからわからないのですから」
急がば回れ、などと先人はよく言ったものだ、とハルカは思う。
別に達観しているわけではないが、ポラジットの言う通り、今の自分は八方塞りだった。
還りたいなら、すぐにここを発ち、足掻いて戦え、と言われるかもしれない──が、そんなことは百も承知だ。
クレイブとの一戦以来、このアイルディアは自分の住んでいた世界とは何もかもが異なることを実感した。
闇雲に進むことだけが果たして賢明なのだろうか、と疑問に思うのだ。
──年寄りくせぇ考え方かもしれないけれど。
それでも、何としても還りたいからこそ、立ち止まって周囲を見る必要があるのだ。
ハルカは手元のハーブティーに視線を落とした。
薄茶の水面に映る自分の姿は、元の世界にいた頃のそれと寸分違わない。
「俺は魔法や召喚術ってのは使えねぇのかな」
ポツリとこぼした疑問に、ポラジットはすかさず答える。
「えぇ、おそらく使うことはできないでしょう。召喚獣が使えるのは自身に由来する能力のみ──フェンリルは《紫雷》。あなたの場合、《絶対服従》の能力ですね。ですが、それを使いこなせない現段階で、あなたが使える特殊能力はないと言っても差し支えないと思います」
──要は使えねぇ召喚獣ってわけか……。
ハルカは自分の手をまじまじと見つめ、ため息をついた。
「魔術も召喚術も原理や条件があります。誰でも簡単に、というわけにはいきません。実際、四種族のなかで獣人族は唯一、魔術を使うことができないわけですし」
ポラジットはティーカップを持ち上げ、口元へと運んだ。
香りを味わうように息を吸い込み、そしてニコリと笑う。
「ですが、召喚獣はアイルディアの種族にはない、並外れた運動能力があります」
あぁ、そういえば、とハルカは思い出した。
海上で襲われた時も、クレイブ・タナスと刃を交えた時も、元の世界では考えられないほど、体が動いたのだ。
動体視力も跳躍力も増し、恐ろしいほど体が軽く感じたのを覚えている。
「手っ取り早く力を得るには──物理的な力、剣術を身につけるのが一番です。もちろん、一朝一夕で得られるものではありませんが、最もあなたに適したスタイルでしょう」
ポラジットが淡々と語る言葉一つ一つに、ハルカは耳を傾けた。
なんだかうまくいきそうな気がする──そんな風に思いながら。
「どうなるかはわかんねぇけどさ、やってみるよ、俺。学園生活だって不安だけど、お前も来るんだろ?」
何気なくこぼしたハルカの一言に、ポラジットはビクリと肩を震わせ、カップを落としかける。
ゲホゲホとむせながら、目を泳がせ、ぎこちない笑顔でハルカに笑いかけた。
「え、えぇ、もちろん、私も同行しますよ。で、ですが、編入当日は私、ちょっと諸用がありまして……」
「マジ? 俺一人?」
「あ、っいえ、後で合流しますよ。えぇ、もちろん」
思い起こせば、この時のポラジットの様子はどう見ても挙動不審、不自然極まりなかった。
「そっか……じゃあ仕方ないよな」
ここですんなりと引いてしまった自分は、どうかしていたとしか思えない。
どうして彼女を問い詰めなかったのか、と三日後ハルカはひどく後悔するのだが──もちろん、この時は知る由もなかった。




