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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
番外編
36/128

第3話:青の邂逅(後編)

 しん、と空気が静まる。

 目の前に突き出された証拠を一瞥し、ケインズは右手で眼鏡をかけ直した。

 動揺の色を微塵も見せないケインズに、ポラジットの頬はカッと熱くなる。

 

 ──こいつのせいで、こいつのせいで、お父様はっ……!


 ケインズはポラジットのティーカップに手を伸ばし、落ち着いた手つきでハーブティーを注ぐ。


「トーリャの印章を偽造し、それを使って不正に税を着服していた……そうじゃろう、ケインズ。偽の印章を作るよう依頼された彫刻師が証言したのじゃ」


 ダヤンはジリジリと言葉でケインズを追い詰めた。


「このことをご存知なのですか、他の方々は」

「いや、知らぬ。儂とこの娘だけじゃ。儂はできれば……お主に自首してもらいたいと思うておる。自らの罪を認め、きちんと償って欲しいのじゃ」

「自首、ですか……」


 ケインズはダヤンの言葉を否定も肯定もしなかった。

 ただダヤンの言葉に耳を傾け、最低限の言葉で返答をする。

 ポラジットにはそれがもどかしく、次第に苛立ちが募っていった。


「あなたが犯人なの⁉︎ はっきり言ってよ! お父様は悪くないんでしょうっ⁉︎」

「お主は黙らんかっ!」


 金切り声で叫ぶポラジットを、ダヤンは一喝した。

 何故自分が叱られねばならないのかが分からず、ポラジットの目に涙が溢れる。

 悪いのはケインズで、自分は正しいことを言っているだけなのに。

 けれども、ここで泣いてしまえば自分が間違っていたと言っているように思え、ポラジットは泣いてたまるものかと涙を拭った。


「ダヤン様のお心遣い、大変ありがたく思います」

「ならば、ケインズ……」

「ですが」


 短く途切れた言葉。

 眼鏡の向こうの黒茶の瞳が潤み、雫が一滴こぼれ落ちる。


「卑怯だと言われようとも、捕まるわけにはいかないのです──」


 ケインズがポラジットに手をかざす。

 青い魔法陣が現れるのを、ポラジットは目を見開いて見つめた。

 スローモーションで再生される映像が網膜に焼きつき、ポラジットの思考を停止させる。

 ケインズの唇がゆっくりと動き、何かを唱えた。

 だが、そのフレーズは聞き取れない。

 やがて自身に襲い来る何かに怯え、ポラジットの体は固まってしまった。


 ──私、狙われているの……?


 恐怖が体を支配する。

 幼く、戦う術を持たない自分には危険を回避する手立てはない。

 ポラジットの喉が乾いた空気を吸い込み、ヒュッ、と音を立てた。

 その刹那。


「杖よ、我が手に! ウルドの杖よっ!」


 ダヤンの声が遠く、空間を突き抜ける。

 一条の光が現れ、ダヤンの右手に収束した。

 その手の内で、一本の古びた杖が具現化する。

 杖先の緑の石は、ダヤンの怒りに呼応するかのように強く光を帯びた。


「この子に危害を加えるなど……それだけはさせんぞ! ケインズッ!」

「知ってしまったのなら、消さねばなりません!」


 二人の視線が交錯し、激突する。

 ぶつかり合う力の奔流に呑まれそうになり、ポラジットはただ震えるばかりだった。


召喚サモン!」

火炎フレイム!」


 ウルドの杖が緑色の魔法陣を描く。

 ダヤンが召喚したのはポラジットほどの身丈の、紅い小型竜。

 小型竜はポラジットの眼前に立ち、ケインズが放った火炎を真正面から受けた。


「召喚獣が……っ!」


 自分を庇った召喚獣に駆け寄ろうとポラジットは前にのめる。

 しかし、傍らのダヤンがポラジットの腕を掴み、それを引き留めた。

 ダヤンはポラジットをチラとも見ず、正面のケインズを睨む。

 紅蓮の炎が煌々と燃え、ダヤンの顔に火影が揺らめく。


「ポラジット、よいか。これが召喚獣とともに戦うということじゃ!」


 ダヤンがドン、と杖を地面に突き立てる。

 竜はダヤンの意思を受け、大きく翼をはためかせた。

 ゴゥッ、と風が起こり、竜を襲っていた火炎を巻き上げていく。

 風の中心にいる竜は火傷ひとつ負っておらず、爛々と輝く金の目は敵対するケインズに向けられていた。


「異世界のものに姿と力と──そして、己の相棒としての魂を与えるのじゃ!」


 竜はケインズに向かって口を開き、そして焔を吐いた。

 

「……っ!」


 ケインズの体に焔がまとわりつく。

 声にならない声をあげながら、ケインズはバタバタともがき、膝をついた。

 

「ダヤン様っ……私は、私はぁっ!」


 紅蓮の向こうから、ケインズが恨めしげにポラジットを睨む。

 そして──そのまま倒れ伏し、気を失ってしまった。


 *****


 ダヤンが呼び寄せた領の警ら部隊によって、ケインズの身柄は拘束。

 ケインズの屋敷を後にしたポラジットとダヤンは、二人並んで通りを歩いた。


「おじいちゃん、いいの? お仕事がのこっているんじゃないの?」

「いいんじゃよ。お主を家まで無事、送り届けることが先決じゃ。それに……」

「それに?」


 ダヤンはポラジットが持っている籠を指差し、苦笑する。


「危険な目に合わせてしもうた詫びに、新しい果物を買わにゃならんな、と思うて」


 日の沈みかけた空はオレンジ色で、ポラジットの籠の中の果実を照らす。

 とは言え、先の戦闘でラグの実はケインズの魔法に焼かれ、見るも無惨な姿になってしまっていた

 

「ねぇ、さっきの人は死んじゃったの?」

「いや、竜が吐いたのは幻の炎じゃ。気を失うてしもうたのは、自身の中にある罪の意識に耐えかねたのじゃろうて」


 煤まみれのワンピースを、ポラジットは物憂げな気持ちで見つめた。

 父の嫌疑が晴れたとは言え、なんだかスッキリとしないのだ。

 捕まるわけにはいかない、と言っていたケインズの必死な眼差しを思い出し、ため息をついた。


「のぅ、ポラジットよ。ケインズが何故、罪を犯したか……知りたいか?」


 ダヤンはポラジットの頭を優しく撫でた。

 知りたくなければいいのじゃぞ、とダヤンは短く付け足す。

 知らなければ、ケインズを一生恨んでいけるだろう。

 けれども、モヤモヤとした感情が何とも気持ちが悪く──心が知らねばならないと訴えているようで、ポラジットはコクリと頷いた。


「そうか、お主は強いのぅ、ポラジット。ケインズにはお主ほどの娘がおるんじゃよ。一度だけ、儂も会うたことがある」

「へぇ……」

「ケインズの娘は不治の病にかかっておる。いつ死ぬとも分からん体じゃ。じゃが、ケインズは諦めんかった。有り金を必死にかき集め、娘の治療費に充てたんじゃ。それでも……金は足りんかった」

「じゃあ、盗んだお金は……」


 ダヤンは静かにため息をつき、口を開いた。


「そうじゃ。娘の生命のために使うたんじゃろうて。あのケインズの屋敷も儂がタダ同然の家賃で貸しておった。儂ゃ、家賃など要らんと言うたんじゃがのぅ。生真面目な男じゃからの、払うと言って聞かなんだ」


 ポラジットはグッと奥歯を噛み締めた。

 その理由を聞いて、果たしてケインズを許せるだろうか。

 複雑な感情が渦巻き、ポラジットを悩ませた。


「何も儂ゃ、ケインズを許せなどとは言うとらん。あやつのしたことは間違いなく罪じゃ。領民の信頼を裏切った大きな罪じゃ」


 ──私だってイヤな思いをいっぱいした。でも……。


 小さなポラジットの目に涙が浮かんだ。

 ダヤンは皺くちゃの指で、その涙をそっと掬う。


「罪の理由を知らねばならん。それは──裁きを与えるものの宿命であり、義務じゃ。お主にはちと難しかったかのぅ、ポラジット」

「ううん、なんとなく、分かるよ」

「ほほほっ、聡い子じゃのぅ、お主は」


 モシャモシャの髭が笑い声で揺れる。

 

 ──おじいちゃんは、すごいね。


 恥ずかしくて言えなかったが、心の中でそう思うことにする。

 目元を綻ばせたダヤンは、ポラジットの頭をもう一度クシャクシャに撫でた。


「ところで、お主。召喚術をどこで習ろうたんじゃ? 簡易召喚とて立派な召喚術。基礎を知らぬ者ができる術ではない」


 ポラジットは口籠もった。

 独学で術を学んだことを咎められるのではないかと、恐る恐る口を開いた。


「おじいちゃんの家の書庫に……たくさん、魔術や召喚術のご本があるの。私、それを読んで……」

「誰かに習ろうたのではないのか? 自分一人で?」

「ごめんなさい……」


 ポラジットはしゅんとしょげかえり、地面を見つめた。

 彼女の才能を目の当たりにしたダヤンが、興奮で顔を真っ赤にしていることなど知らず──。

 召喚術は広く一般的に用いられている術だとは言え、六歳のポラジットが独学で身につけられるものでは到底なかった。

 トーリャの事件が、幸か不幸か、彼女の才能を開花させるきっかけになったのは間違いない。


「お主……」

「…………」

「儂の元で召喚術を習わんか? 儂が……召喚術のすべてをたたき込もう。もちろん、お主に学ぶ意志があるならば、の話じゃが」


 てっきり叱られるとばかり思っていたポラジットは、パッと顔を上げた。


「習いたい……! 私、習いたい!」


 自分の身と、そして大切な人たちを守る力が欲しい。

 ポラジットは食い入るようにダヤンの目を見つめ、キラキラと青い瞳を輝かせた。

 しかし、ポラジットは、あ、と小さく叫ぶと、長い睫毛を伏せた。


「でも……お父様たちがなんて言うか……。ダメって言われたら……」


 子供らしい発想に、ダヤンはプッと吹き出した。


「なぁに、儂が説得しよう。なんたって儂ゃ、大召喚士ダヤン・サイオス様じゃからのぅ〜!」


 ダヤンは大人気なくふんぞり返り、高らかに笑った。


「……おじいちゃん、本当に有名な人なの?」


 胡散臭げな目をするポラジットに、ダヤンががくりと肩を落としたのは言うまでもない──。


 *****


 ポラジットは静かに宝石箱を閉じる。

 思い出の中のダヤンは今も色褪せず、初めて会った日のまま、生き生きとしていた。


 ──まだ胸は痛む……でも。


 あの日のダヤンも、前を向くように自分の背中を押してくれた。

 その後も、ずっと。


 ──今の私は前を向くことができていますか……老師……。


「お〜い、ポラジット! 朝飯できたってよ!」


 ダヤンが最期にこの世界に喚び寄せた召喚獣──ハルカの声が階下から聞こえる。

 思い出に浸っている場合じゃない、とポラジットは鏡の自分に向かって微笑んだ。


「はぁい、今行きます!」


 少し暑い、けれども爽やかな風が通り抜ける。

 ポラジットは扉を開け、ハルカの元へと小走りに急いだ。

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