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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
番外編
35/128

第2話:青の邂逅(中編)

 目の前の老人──言い方はよくないが、まるで浮浪者のような格好の──はポラジットの心の中を見透かすように言ってのけた。


「救う? おじいちゃんが? 私を?」


 確かに力はあるのかもしれない。

 自分が召喚した蛇を一瞬で燃やし尽くした彼の魔力は疑うべくもなかった。

 けれども、自分が求めている救いは、力では解決できない。

 父の潔白が証明されなければ、ポラジットが後ろ指を指されながら生きていくことは必至なのだ。


「そうじゃ、トーリャの娘・ポラジットよ」

「おじいちゃん、お父様を……知っているの?」


 おじいちゃん、と呼ばれたダヤンは口ごもる。

 ダヤンが口を動かすたびに髭がモゾモゾと動いた。

 儂ゃ、まだ若いわい……と言っているようにも聞こえたが、如何せん声が小さすぎて、ポラジットにはよく聞き取れなかった。


「ねぇ、お父様のお知り合いなの?」

「そうじゃのぅ。トーリャは儂を知らんかもしれぬが、儂ゃトーリャのことをよぅ知っとる」


 ダヤンの言っている意味が分からず、ポラジットは首を傾げた。

 救うとは一体どういうことなのだろうか。

 家族をこの地から連れ出してくれるのだろうか。

 転々と住居を変えるのは嫌だったが、こんな風に蔑まれ、泥団子をぶつけられるよりはよっぽどマシに思える。


「儂ゃ、トーリャが詐欺師などではないと、無実だと知っておる」

「……っ!」


 無実、という言葉が胸を揺さぶった。

 幼いポラジットは白い頬を赤らめ、青い双眸を潤ませた。

 子供特有のぷくっとした手の指も、頬も、体も──トーリャが捕まってしまう以前よりはやつれてしまっている。

 骨の浮いたその痛々しい手を、ダヤンはそっと両手で包み込み、目元を皺くちゃにして笑った。


「信じるも、信じぬもお主次第じゃよ、ポラジット。年寄りの戯言と思うのも、お主の自由じゃ」


 行き交う人々はポラジットたちに見向きもしない。

 「詐欺師の娘」と「浮浪者」という、関わり合いになりたくない二人のセットに、チラリと視線を向けはするものの、話しかけたりするものはいなかった。

 ダヤンは立ち上がり、埃っぽいローブの前を合わせた。

 すっぽりとローブにくるまったダヤンは、ポラジットの後頭部に触れ、乾いてこびりついた泥を払う。


「儂ゃ、もう行かねばならん。時間がないんでのぅ」

「どこに行くの、おじいちゃん」

「…………お主には知る必要はない」


 そう言って、ダヤンはポラジットに背を向けた。

 しかし、ポラジットはダヤンのローブにしがみつき、黒目がちなまなこでダヤンを見上げる。

 埃っぽい風が二人の間を吹き抜ける。

 上目遣いの青い瞳は、懇願しているようにも、めつけているようにも見えた。


「~~~っ! 仕事じゃ、仕事! 儂ゃ忙しいんじゃよ! とっととその手を離さんかい!」

「離さないっ! 絶っっっ対に離さない!」


 老爺と幼女が睨み合うという何とも奇妙な構図。

 全く折れそうにもないポラジットを前に、ダヤンはやれやれと肩をすくめた。


「今から危険なところへ行くんじゃよ。お主の父──無実のトーリャを貶めた張本人のところへな」

「それって、本当の犯人、ってこと?」

「そうじゃ、証拠も揃っておる。儂ゃ、こんな浮浪者のようななりをしとるがのぅ……極秘の、秘密の、超~重要な任務で来とるんじゃ。内緒じゃぞ、誰にも言うでないぞ」


 ポラジットはコクコクと頷いた。

 思い返してみれば、なぜこんな胡散臭い老人を信じたのか──自身の危機管理能力を疑うレベルの話であるが、その時のポラジットは、何の疑いもなくダヤンを信じた。

 それほどまでに幼い彼女は追い詰められ、救いの手を求めていたのかもしれない。


「……連れてって」

「お主、聞こえんかったのか? 儂ゃ、極秘任務で……」

「お父様を騙した人のところへ、私も連れてって!」


 強引な幼子に押し負けたダヤンは、ダメじゃこりゃ、と小さく呟き、パチンと皺だらけの額に手を当てた。


 *****


 太陽は真南に上り、じりじりと照りつける日差しがポラジットの肌を焼く。

 ポラジットは籠の中の果物が傷んでしまわぬよう、ポケットから取り出したハンカチで蓋をするように覆った。

 

「ふむ……ここじゃて」


 ポラジットの横を歩いていた老爺が不意に立ち止まる。

 西にある瀟洒しょうしゃな屋敷の前で、ダヤンはここじゃここじゃ、とやけに呑気な声で独りごちた。

 町の中心地である市場からは距離があり、この辺りを歩いている人間は疎らだった。

 たまに通り過ぎる人は、この付近に住んでいる住人のようで、ダヤンとポラジットににこやかに挨拶をして去っていく。

 ヘラッと笑いながら挨拶を返していたダヤンであったが、人の流れが途切れるや否や、傍らのポラジットに目をやり、まるで今日の昼食を尋ねるかのような口調で問いかけた。


「のぅ、ポラジット。お主、まだ帰る気にはならんか。家の者が心配してるじゃろうて」

「帰らない、ついて行く」


 強情なポラジットの言葉に観念したとでも言わんばかりに、ダヤンは笑った。


「ふぉほほ……ここまで来てしもうたら仕方ないのぅ。よいか、これから言うことを必ず守れると約束せぃ。でなければ、眠らせてでも置いてゆく」

「約束、する」


 ダヤンは屈み込み、ポラジットの両腕を強く掴んだ。


「儂から離れんこと、それと……お主がトーリャの娘であることを、決して明かさぬこと。よいな」

「分かった」


 ポラジットの返事を聞き、ダヤンはふん、と応じる。


「お主は儂の弟子ということにしておく。ここでは──老師と呼ぶように」


 そう言うと、ダヤンは屋敷の門をくぐり、石の小道を進んでいった。

 玄関の扉、花を模したノッカーを握り、ダヤンは四度戸を叩いた。

 邸の内から、今行きます、と応じる男性の声が聞こえる。

 声がしてから間もなく、家主であろう男性が扉を開けた。


「お待たせ致しました。これは……ダヤン様!」


 黒縁の眼鏡をかけた男はダヤンの姿を認めると目を丸くした。

 ダヤンは柔らかく微笑むと、男の手を取り、固く握手を交わした。


「ケインズ、突然申し訳ない。なに、仕事でこの辺に立ち寄る機会があってのぅ」

「いえ、ダヤン様。とんでもございません。それよりどうなさいましたか、その格好……」


 家主──ケインズは薄汚れたダヤンを心配そうに眺めた。


「あ、いや、これは、ちょっとそこで転んでのぅ」


 目立たぬように敢えて浮浪者のような格好をしているとも言えず、ダヤンは下手な言い訳をする。

 ケインズはダヤンの言葉を欠片も疑っていないのか、おぉ、と気遣わしげにダヤンを見つめた。


「左様でございましたか。お怪我はありませんでしたか? ぜひお茶でも飲んで休んでいって下さいな」


 家主──ケインズはダヤンを手厚く迎えた。

 声だけを聞くとまだ年若いようにも思えるが、エラの張った輪郭と黒縁眼鏡のせいで、やけに老けて見える。

 ダヤンとポラジットはケインズに導かれ、客間へと通された。

 落ち着いた木目調の調度品が設えており、客間の中央にあるテーブルには一輪の薄紅の花が生けられている。

 糊のきいたシャツと黒い蝶ネクタイを身につけたケインズのように、部屋にはどこか神経質な──家主そのもののような──空気が漂っていた。


「綺麗な花じゃ。もうデリアの花が咲く季節になったのかのぅ」

「ええ、好きなんです、この花が」


 ケインズはティーカップにハーブティーを注ぎ、ダヤンとポラジットの前に置いた。


「ダヤン様……そちらのお嬢様は? お孫さんですか?」

「ブッ」


 カップに口をつけようとしていたダヤンが盛大に吹く。

 ほんの少し口髭についてしまった茶の水滴を慌てて拭い、コホンと咳払いをした。


「儂の弟子じゃ。まだ幼いが、なかなか見所のあるやつでのぅ」

「ダヤン老師の弟子のポ、ポ、ポ……ポリィです」


 ネーミングセンスのなさに、再びダヤンは茶を吹き出す。

 ポラジットはダヤンをギッと見据え、笑うな、と無言で圧力をかけた。

 ダヤンは目尻に涙を浮かべ、濡れた口元を手で隠す。

 ケインズはそんな二人の様子に首を傾げたが、あまり気にならないのか、世辞めいた言葉を並べてポラジットを褒めちぎった。

 

「そうでございましたか。お小さいのに素晴らしいですね」

「そうじゃろうて、そうじゃろうて」


 穏やかな会話が続くのに、ポラジットは少し退屈していた。

 父を陥れた犯人と対決するために来たというのに、これではただのティーパーティーだ。

 ポラジットは不服そうにハーブティーを啜った。


「して……ケインズよ。仕事の方はどうじゃ。お主の上司であるトーリャ・デュロイが捕まり、役所はてんやわんやじゃろうて」

「……っ!」


 唐突に登場した父の名に、ポラジットは身を固くした。

 ケインズは目を伏せ、嘆息する。


「ええ、デュロイ出納長のことは信じておりましたのに、まさかあんなことになろうとは……」


 ──お父様じゃないっ……!


 ポラジットは叫びだしそうになるのを懸命に堪えた。

 膝の上でグッと拳を握る。

 すると……テーブルの下でそっと、皺だらけの手が触れた。

 ダヤンがポラジットの小さな手を握ってくれていたのだ。


「一時は役場も混乱しましたが、今は正常に機能しておりますよ。私が……デュロイ出納長の秘書である私が、大体の業務を把握しておりましたので」


 その瞬間、柔和な笑みを浮かべていたケインズの頬が、ヒクリと引き攣ったのを──ポラジットは見逃さなかった。


「しばらく正式な人事決定があるまで、私が代理として務めていくことになっています。まぁ……私などにできるかは分かりませんが、尽力したいと思っておりますよ」


 はにかんだ顔で語るケインズ。

 事情を知らぬ人間が見れば、よくできた秘書であるように見えただろう。

 お茶のお代わりはいかがですか、とティーポットを片手にポラジットに微笑みかける。


 不祥事を起こした上司の代わりに、部署を支える秘書。

 ポラジットの震えは止まらなかった。

 目の前の善人ぶった男のせいで、自分と家族は酷い目にあっているというのに。

 

「嘘つきっ! お父様は、お父様は悪いことなんてしてないもんっ!」


 勢い込んでポラジットは立ち上がり、叫んだ。

 ガン……と椅子が後ろに倒れる。


 しまった、と思ったが、もう遅い。


「…………どういうことですか。お父様とはデュロイ出納長のことですか?」


 ティーポットを握るケインズの手に力がこもる。

 ダヤンはポラジットを睨み、そして隠すことを諦めたようにケインズを見つめた。


「そうじゃ。そして儂は……無実のトーリャを救うためにやって来た」


 ダヤンは懐から幾枚かの紙切れを取り出し、テーブルに並べた。


「証拠はある。ケインズ──お主が領民より集めた税を不正に横領した、という証拠が」


 ケインズは顔色を一つ変えず、眼鏡越しにダヤンとポラジットを見つめた。

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