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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
番外編
34/128

第1話:青の邂逅(前編)

 南方大陸ユーリアス共和国。

 街外れにある小さな屋敷が、青の召喚士ポラジット・デュロイの家だ。

 猫の額ほどの狭い庭には、所狭しと野菜や果物の類が植わっている。

 以前はこの辺りも住宅地として賑わっていたそうだが、時代の変遷とともに人が集まる場所も変わっていった。

 すっかり寂れてしまった住宅街ではあるが、ポラジットはこの地域の、閑静で落ち着いた空気が気に入っていた。


 二階の自室で、ポラジットは鏡台の宝石箱を開けた。

 中に入っているのは片側だけの、紅い宝玉のピアス。

 ポラジットはそれを手に取ると、精霊族特有のツンと尖った長い耳の先に紅いピアスをつけた。


 ──老師、見てくれていますか。


 このピアスは、自分が三級召喚士の資格試験に合格した際、師である一級召喚士ダヤン・サイオスから贈られたもの。

 試験に合格したことでポラジットは晴れて「召喚士」と名乗ることを許されたのだ。

 窓から朝日が差し込み、今日という日を照らし出す。

 ポラジットは身支度を整えながら、遠い昔──老師との出会いに思いを馳せた。

 老師がいなければ、今の自分はいなかっただろう、と小さく笑う。

 

 彼女──ポラジット・デュロイに最初に冠された肩書きは「天才召喚士」でも「青の召喚士」でもなく、「詐欺師の娘」だったのだ。


 *****


 東方大陸にある精霊族国家ダリアデル国、その小領地で代々出納長を勤めるデュロイ家の長女として、ポラジットは生まれた。

 実直で真面目な父と、穏和で善良な母。

 裕福ではなかったが、何不自由ない暮らし。

 彼女は恵まれていた──あの忌まわしい日までは。




「……お父様が捕まった……? どうして、お母様?」


 幼いポラジットはまん丸の目を見開き、母アイル・デュロイを見つめた。

 アイルはそんなポラジットをぎゅっと抱きしめ、ただ震えているだけだった。

 こじんまりとしたキッチンに陽光が射す。

 少し傾いた日の光はオレンジがかっていて、母の紺の髪をより暗く見せた。

 しばらくポラジットの肩口で泣いていたアイルは、鼻をすすりながらその身を離した。

 そして、ポラジットの目を見つめ、静かに微笑んだ。


「あなたには……少し難しいお話だけれども。私たちは今日、この家を出て行かねばなりません。でもね、私は信じていますよ。お父様が悪いことをするような人ではないって……。だからあなたも、お父様を信じて──ポラジット」


 六歳のポラジットには、アイルの言っていることはよく分かっていなかった。

 ただ、父は帰って来ないかもしれないということ、そして、自分たちは追い出されてしまうのだということだけは、はっきりと理解できた。

 

「私たちは……これからどうなるの?」


 深い蒼の瞳でアイルを見つめる。

 母親譲りの青い髪がふわふわと細い少女の肩口で揺れた。


「お祖父様とお祖母様の家へ行きましょう。お父様の身の潔白が証明される日まで……えぇ、きっとすぐに戻って来られますよ」


 アイルが努めて気丈に振る舞っているのを、ポラジットは幼いながらも感じていた。

 お母様、無理しないで、とこぼしそうになるのをグッと堪える。

 そう言えば余計に、母は無理をするに違いないと思ったからだった。


 父、トーリャ・デュロイは領民から集めた税金を私的に利用したと疑われていたのだ。

 ポラジットはそれをアイルから聞くのではなく、家にいたメイドたちの噂話から知った。

 トーリャが横領罪で逮捕された翌日──ポラジットは住み慣れたデュロイ家を追われるように後にした。

 

 六年間住み慣れた街を離れるのは心細かった。

 しばらく学校にも行けないだろう。

 せっかくできた友達に別れを言うことさえままならなかった。


 いくら祖父母が住んでいる屋敷に厄介になると言っても、そこは生まれ育った我が家ではない。

 元々物静かな少女だったポラジットはさらに内向的になり、口数も減ってしまった。

 唯一ポラジットにとって救いだったのは、祖父母邸には大きな書斎があったことだ。

 孤独なポラジットは日がな一日書斎にこもり、現実から逃避するように書物を貪り読んだ。




 祖父母から使いを頼まれたポラジットは、二週間ぶりに街へ出た。

 太陽の光がやけに眩しく、仄暗い書斎の明かりに慣れてしまった目を否応なく貫いていく。

 ポラジットはパチパチと目を瞬かせ、光源から逃げるように目をそらせた。

 お使いをお願い、と言ってきたのは、籠りがちなポラジットを心配した、祖父母なりの気遣いだったのだろう。

 ポラジットのお気に入りのシフォンワンピースをクローゼットから引っ張り出して、彼女に差し出す祖父母の姿を見れば、嫌だとは言えなかった。

 お使いと言っても大した頼まれごとではなく、邸の側にある果物屋で今日の夕食のデザートを買ってきて欲しいというものだった。

 ポラジットは果物屋で買い物を済ませると、ラグの実の入った籐の籠を持ち、くるりと往路を戻ろうとした。

 その時──。


 ベチャリ、と後頭部に冷たい何かがぶつかった。


 そろそろと空いている手を伸ばし、後頭部に触れる。

 手に付着したのは赤茶けた泥。

 頭に付いた泥はずるりと剝がれ落ち、クリーム色のワンピースに醜い染みを作った。


「やーい、やーい、詐欺師の娘! お前の父ちゃん、詐欺師ー!」


 振り返ると、同い年くらいの子供たちがやいやいとポラジットを罵倒していた。

 ガキ大将の少年が泥団子を投げたのだろうか、その手は汚れていた。

 取り巻きの仲間たちが一緒になって囃し立てる。

 その後ろで、これもポラジットと同い年くらいの少女たちがポラジットを指差してクスクスと笑っていた。


「……っ!」


 喉の奥が痛んだ。

 罵られることも、泥を投げつけられることも、辛かった。

 そして、お気に入りのワンピースが汚れてしまったことも、何もかも。


 ──逃げても、苦しい思いをしなきゃいけないの?


 グッと籠の取っ手を握りしめ、ポラジットは俯いた。

 泥が籠の中の果物にポタポタと落ちる。

 あの日、母が泣いた日の夕陽のようなオレンジ色のラグの実が、澱んだ色になっていく。


 ──どうして、あんなことしたの、お父様。


 信じて、と言った母の言葉が遠くなる。

 今の今まで信じていたのに、こう責められてしまうと心が揺らぐ。

 

 ──本当に悪かったのはお父様で、嘘をついていたのはお父様で……。


 ぐしゃぐしゃの感情が幼い少女の心を塗りつぶした。

 子供が泥を投げつけられたにも関わらず、通り過ぎる大人は見て見ぬ振りを決め込んでいた。

 彼らもまた、「詐欺師の娘」であるポラジットを忌避し、わざと目をそらせていた。


「……うるさい」


 海底色の瞳に深淵がのぞく。

 泥だらけの手を、罵る少年に向けてかざす。

 現れた緑の魔法陣は禍々しい色を帯び、少年たちの目に恐怖の色が浮かぶ。


召喚サモン


 ズルリ……、と不気味な音がした。

 魔法陣の中心から蛇の頭が現れ、ズルズルズルと薄気味悪い色の胴が這い出してくる。

 チロチロと舌を出し入れしながら、ポラジットが召喚した蛇は少年たちに近づいた。


「……食べちゃえ」


 冷たい声で言い放つ。

 《主》であるポラジットの命を受けた蛇はシャーッと耳障りな声を出し、少年たちに飛びかかろうと身を躍らせた。


 が、蛇が少年たちを喰らおうとする間際、蛇の真下に青い魔法陣が浮かび上がった。

 その刹那、ゴウッと焔柱が燃え上がり、一瞬にして蛇の長い胴体を燃やし尽くす。



「やめ〜い! やめんか〜! このガキどもが〜!」



 その場に似つかわしくない、間の抜けた声が遠くから聞こえた。

 おそらくその声の主であろう老人──灰白色の長い髪と長い髭の持ち主──が、ゼイゼイと息を切らせながら、ポラジットたちの間に割って入った。

 

「このガキどもが! 泥を投げつけるとは何事じゃい! お前らの父ちゃんと母ちゃんに言いつけるぞぃ! 儂に告げ口されとうなかったら、早うここから去れぃ!」


 親に言いつける、の一言が効いたのか、それとも謎の老爺の突然の出現に驚いたのか、子供たちは蜘蛛の子を散らすように、その場を駆け去っていった。

 そして、老人はポラジットに向き直り、ポラジットの頭にガツンと一発、拳骨を落とした。


「〜〜っ!」


 ポラジットの喉奥から絞り出されるのは声にならぬ声。

 さらに、老人は涙目で顔を上げたポラジットを睨み、大声で一喝した。


「馬っ鹿も〜〜〜〜ん‼︎ 未熟な召喚術を人に向けて使うものがあるか〜〜〜‼︎」


 とりあえず一声叫ぶと老人は気を取り直し、ポラジットに諭すように言った。


「よいか、未熟な召喚術は人を傷つけるだけでない。お主のことも傷つける。それをよう心得ておけ」


 謎の老爺は言いたいことを全て言い切ったのか、ふんと鼻を鳴らしてその場を立ち去ろうとした。

 しかし──。


「しょうがないじゃない……」


 ポラジットの目からパタパタと涙が落ちる。


「だってっ……! しょうがないじゃないっ!」


 老人は慌ててパッと振り返る。

 急に泣き出した幼女を前にどうしてよいのか分からず、あたふたと周りに助けを求めるように目配せした。

 が、当然誰も手を差し伸べるものはいない。

 狼狽える老爺を、ポラジットはキッと睨んだ。


「お、お主、泣くな、泣くんじゃないっ。まるで儂が悪いようではないかっ」

「なによっ! 何にも知らないくせにっ! 何にも、何にもっ!」

「あ〜、だから泣くでない、泣くでないと言うとるに、娘っ子!」

「娘っ子じゃないっ! ポラジットって名前があるっ!」


 その一言に、老人はピタリと動きを止めた。


「ポラジット? デュロイ家の一人娘の……」

「そうっ! 詐欺師の娘って、有名なんでしょっ!」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ポラジットは自棄になって叫んだ。


「どうせ、おじいちゃんも裏切り者って言うんだ! 皆、言うんだ!」


 興奮するポラジットとは対照的に、老人は落ち着きを取り戻し、静かな目でポラジットを見つめていた。

 おじいちゃん、と呼ばれ、老人の頬がピクリと引きつったのは、もちろんポラジットに知る由もないが。


「ポラジット・デュロイよ。儂は……儂の名は、ダヤン。ダヤン・サイオス」


 老人はしゃがみ込み、ポラジットと目線を合わせる。


「儂は、お主を救いにきたのじゃ」


 


 これが、後に召喚士としての道を歩むポラジット・デュロイと彼女の恩師であるダヤン・サイオスの出会いだった。

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