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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第1章:始まりのアイルディア
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エピローグ:夜の終わり

 東の空がほんのりと白み始め、夜の終わりを告げる。


 ザァー……と涼しげな水の音が、クレイブの耳をくすぐった。

 あのおぞましい部屋から転移した先は、山奥の滝。

 水が流れ落ちる滝壺の裏に、小さな祠があった。

 昔、クレイブが山で野鳥狩りをしていた時、偶然見つけたこの横穴──誰かが神を祀った形跡があったが、かなり古く、いつの時代のものかも定かではない。

 一目でこの場を気に入ったクレイブは、ここを万が一の時の逃亡先に、と転移魔法で道を繋いでいたのだ。

 薄眼でぼんやりと落下する水を眺めていると、自身の過去が思い出される。


 あの日、北方大陸へと渡った五年前、クレイブはディオルナ共和国視察のため、と偽りの政務記録を残し、実際はガリアス帝国第二妃カスティア・アレドナに謁見を申し出ていた。

 こんな老いた自分の願いを快諾してくれたカスティアを、クレイブは忘れることはないだろう。

 帝国の城へ赴き、束の間、カスティアと一時ひとときを過ごした。

 カスティア自慢の絵画コレクションを眺めながら、静かに語らった時間はクレイブの宝物だった。

 そして──最後の絵を見終わり、クレイブはカスティアの前に跪き、永遠の愛と忠誠を誓ったのだった。

 

「我が君……」


 岩肌に体を預け、意識も朧げにクレイブが呟く。

 カスティアの名を呼んだことはなかった。

 その気高い名を、自分のような老いた身で口にするなどおこがましいと思っていたからだ。

 カスティアを呼ぶ時はいつも、「我が君」あるいは「愛しい御方」と呼んでいた。


 この身は長くないだろう。

 クレイブにははっきりとそのことが分かっていた。

 肉体を使った強力な魔法を利用したことで、老いた体は限界まで酷使され、もう歩く力さえ残っていない。

 それでも、自分に相応しい最期だ、とむしろ静かな心持ちだった。


 どこか遠くで鳥が羽ばたく音がする。

 山が目覚め、生き物たちの一日が始まる気配がした。

 

「…………?」


 何かが近づいてきている。

 クレイブは虚ろな目で滝の方へ顔を向けた。

 バシャッ……、と水のカーテンを突き破り、一羽の鴉が舞い降りる。

 鴉が首にかけているペンダントを見て、クレイブの瞳に最期の命の火が灯った。


「この翡翠のペンダントは……我が君の……」


 鴉はクレイブの膝にとまり、首を傾げながら真っ赤な目で老爺の顔を見つめた。

 翠色の石を撫で、鴉の首からそっとペンダントを外してやる。

 クレイブがペンダントを受け取ったことを確かめると、鴉は一声鳴き、霧のように消えてしまった。


「……っ」


 クレイブの手は震え、喉の奥から嗚咽が漏れた。

 北の大地でまみえたあの時、カスティアが身につけていたものに間違いなかった。


(最期の慈悲、ということなのだろうか)


 金のチェーンの留め金には、古代文字の印章が刻まれていた。

 おそらく、カスティアの名が刻まれているのだろう。

 クレイブはそっと金鎖に口付けると、小さな声で詠唱した。


火炎フレイム──」


 翡翠のペンダントが、クレイブの手の上で燃えた。

 灼熱の炎の中で、ペンダントはぐにゃりと形を歪め、ジリジリと黒ずんでいく。


(これで、いいのです……我が君)


 どう足掻いても、自分はカスティアの想い人にはなり得ないのだ。

 カスティアが心を捧げているのは、夫であり皇帝でもあるスフルト・ナハタリ唯一人であり、その想いを動かそうなど最初から考えていなかった。


 それでも、クレイブはカスティアを愛さずにはいられなかった。


 灰となって燃え尽きるペンダントを眺めながら、クレイブはカスティアを想った。

 正式な印章(・・・・・)が刻まれたペンダントを持つ自分の亡骸が見つかれば、カスティアとの繋がりを疑われ、愛しい女性に火の粉が降りかからないとも限らない。

 だから、カスティアとの繋がりを示すものは全て、消してしまわねばならない。


「カスティア様……」


 最期に一度だけ、呼びたくても呼べなかった名を呼ぶ。

 クレイブは満足げに目を閉じ、ふぅ……と長く息を吐いた。


 *****


 ハルカは塔の独房から外を眺めていた。

 クレイブ・タナスの屋敷で連合軍に身柄を拘束されてから五日。

 ようやく審議の結果が出たという話を見張りの兵から聞いたハルカは、朝から落ち着かないまま過ごしていた。

 

(議会の日も、ここでそわそわしてたっけ)


 あまりにも多くのことがあったせいで、時間の感覚が麻痺しつつある。

 もう長いこと、このアイルディアに留まっているような気分だった。

 ハルカは遠くにある総督府の建物に目をやる。

 建物の屋上に立っているのは、連合旗だろうか。

 しかし、今日はそれ以外にもう一本、別の旗が立っていた。


「世界樹のシンボルがリーバルト連合の旗、漆黒の獅子のシンボルがガリアス帝国旗です」


 背後から唐突に声をかけられ、ハルカは飛び上がりながら振り向いた。

 苦笑いをして、戸口に立っていたのは──青の召喚士だった。


「ポラジット……。ノックくらいしろよ」

「しましたよ、何度も。でも一向に返事がありませんでしたから」


 バツが悪くなったハルカは口を尖らせそっぽを向く。

 そんなハルカにお構いなく、ポラジットは彼の隣に立ち、窓の外を見つめた。


「今日……連合の前総統、コーデリアス・マギウス閣下が帝国へと出立するそうです。あなたが召喚されるきっかけになった世界大戦──敗れた我々連合に、帝国が要求した条件の一つが、マギウス閣下の身柄の引き渡しでした」


 あなたには何の話だかよく分からないかもしれませんか、とポラジットはそっと付け足した。

 ふぅん、とハルカは適当に相槌を打ち、ポラジットに向き直る。

 

「それより、クレイブはどうなったんだ?」

「捜索隊が……クレイブ・タナス議員の亡骸を発見したそうです。ライラ将軍の調査の結果、クレイブは多額の金品をばら撒くことで、他の議員の票を買収していたことが分かりました。おそらく、今後、連合議会の議員の再編成が行われると思います」


 晴れた空を鳥の群れが横切る。

 若葉の匂いのする風がカーテンをそよそよと揺らした。


「屋敷の捜索中、彼の寝室から女性の肖像画が見つかりました。ガリアス帝国第二妃、カスティア・アレドナ……。おそらく我が君とはカスティア王妃のこと……彼は王妃に傾倒していたと思われます」

「そ、か……」


 クレイブの魂の叫びを思い出す。

 人を愛したことのない自分には、彼の気持ちはまだ分からない。

 言いようのない切なさがぎゅっと胸を締め付け、息苦しさを覚えた。


「絵画を飾っている程度では証拠にはなりませんが……クレイブは帝国との繋がりを疑われていました。裏で帝国が糸をひいているのではないかと」

「帝国が? 俺を?」


 ポラジットはこくりと頷き、薄紅の唇を開いた。


「しかし、クレイブと帝国の繋がりを示す法的な証拠は未だ見つかっていません。帝国支配下にある北方大陸へ、クレイブが通信を行った記録は残っていましたが……宛先は帝国ではなく、旧ディオルナ共和国の政府関係者となっていました。通信内容も暗号化されていて、解読には時間がかかりそうです」

「ディオルナって……確か北方大陸の獣人族国家?」

「えぇ、しかし、先の戦争でディオルナは事実上滅亡。今は帝国領土となっています」


 小難しい内容に、ハルカはポリポリと頬をかいた。

 それより、俺はどうなるんだ……、と尋ねようと口を開く。


「俺はどうなるんだ、ですか?」

「……分かってるじゃねぇか」


 先手を取ったポラジットがクスクスと笑う。

 ハルカはそんな彼女の姿を見て、ほんの少し安堵した。

 愚者の間での出来事……それが彼女と自分の間を隔ててしまわぬか危惧していたのだ。


「あなたの身柄は私が引き受けることになりました。これは連合からの公式な通達です。あなたは──国立の学園に編入してもらうことになりました」

「はぁっ!? 学園?」


 予想もしていなかった展開に、思わず素っ頓狂な声を上げる。


(呑気に学生生活など送っている暇なんてねぇよ……)


 ハルカの心中を読んだポラジットは人差し指でハルカの胸をとん、とつついた。


「あなたはバハムートの力を完全には使いこなせていない……違いますか?」

「……そうだよ、悪いか」


 覚醒した瞬間、バハムートの存在に押し潰されそうになったハルカは、自分に似たバハムートの影にこう願ったのだ──俺は俺のままでいたい、と。

 再び体の主導権を握ったハルカには分かっていた。

 自分はバハムートの力を百パーセント引き出せていないこと、そして、百パーセントの力を使おうと思えば、きっと体の主導権を失ってしまうこと。

 ハルカは不貞腐れたように頬を膨らませる。


「あなたはこの世界での生き方を学ぶ必要があります。もちろん、その間私が帰還方法を探し、方法が見つかった場合はすぐに元の世界に還すことを約束しましょう」


 ポラジットの青い髪がなびき、青空に溶けてしまいそうだ。

 

「お前は、どうなるんだ?」


 一呼吸置いて、ポラジットがふふふ、と笑う。


「私も、学園へ行きます。だって……あなたを任されていますから」

「……っ!」


 その悪戯っぽい微笑みから目をそらせず、ハルカは顔を赤らめた。

 そんなハルカの様子に気づくことなく、ポラジットは再び外の世界に目を向ける。


「そういえば、どうしてバハムートの力が覚醒したのでしょうね。やはり命の危機が鍵なのでしょうか」


 ハルカは知っていた。

 力の発動条件は全くもって簡単なもの。

 強い意志の力、そして力に対する純粋な渇望。

 

「死を拒絶することが、条件なのでしょうか……」


 ブツブツと考察を続ける青い少女を横目で見遣り、ハルカはそっと思う。


 この感情が何なのか、今のハルカには分からない。

 恋や愛なんてものは難しすぎて、どうにも苦手なのだ。

 けれども、大切か否か……それくらいなら分かっている。


(守りたいと思ったなんて、口が裂けても言えねぇな)


 ハルカはふいとポラジットから視線を背け、いい天気だなぁ、と呑気に呟いた。

「第1章:始まりのアイルディア」、完結です。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

引き続き、第2章もよろしくお願いいたします。

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