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第2話:遠く喚ぶ声(中編)

「だ~か~ら~、わしゃコーデリアスのヤツに言ったんじゃ。勝ち目のない戦なんぞに手を出すな、とな!」


 老人のよく通る声は、軍の会議室である大講堂に響き渡る。

 緊迫する戦の最前線に似つかわしくないその態度に、彼の愛弟子、精霊族の少女ポラジット・デュロイは思わずため息をついた。


「老師……連合軍総司令官ともあろうお方が……。少しは自重してください」

「何が総司令官じゃ。小さいことにうるさいのぅ~。お主がおなごでなければ即破門じゃったわい、は~も~ん~!」


 老人の名はダヤン・サイオス。

 リーバルト連合軍の総司令官にして、屈指の実力を誇る第一級召喚士だ。


 ダヤンは、大講堂最奥の肘掛椅子の上で子供っぽくふんぞり返った。頭を全力で振り、破門じゃ破門~! と連呼するダヤン。その灰白色の長い髪と長い髭がふわふわと揺れるのを、ポラジットの海底色の瞳がじっとりめつける。ダヤンの耳──精霊族特有の尖ったそれがひくひくと動いた。


 ポラジットは緊張感の欠片もないダヤンを怒鳴りつけたいという衝動を必死で堪える。できることならば、ポラジットは自身の愛杖・蒼穹そうきゅうの杖で師の頭を殴りつけたいくらいだった。


「ダヤン様、いかがいたしましょう。間もなくガリアス帝国が指定した刻限……五月メイル一の日、十の刻ですが……」


 竜騎族の女騎士、ダヤンの副官であるライラ・オーディルが傍らで告げた。

 ライラはその赤橙色の髪色から「太陽の竜騎士」という異名を持つ女傑だ。


 ダヤンは髭を撫でながら、ライラの尻を繁々と眺めた。舐めるような視線を感じ取ったライラだが、動じることなくダヤンの視線をはねのける。鼻を伸ばすダヤンに、ライラは厳しい顔で詰め寄った。


「降伏せねば、帝国は連合軍に対し、総攻撃を開始する──。ガリアス帝国からの書簡にあった内容です。ダヤン様、コーデリアス閣下が応じなかった場合に備え、我々は即時応戦できる態勢を整えねばなりません。どうか、ご決断を……」


 しかし、ライラの言葉が終わるか終わらないかの内に、ダヤンの表情が一変する。


「ならぬ。戦はせん」

「ダヤン様っ!」

「儂はコーデリアスのヤツに降伏を宣言させる。これ以上の争いは無意味じゃ。のぅ、ライラ、帝国の圧倒的な軍事力の前にどれほどの領地が奪われたか、お主も分かっておるじゃろう?」

「……っ、それは……!」


 ライラは言葉を詰まらせ、ぐっと唇を噛んだ。

 

(連合国にもう余裕なんてない……)

 

 ポラジットは静かに目を伏せた。



 *****



 神の創りし世界・アイルディア。


 東西南北には四つの大陸が広がり、その中央には世界樹が支える聖なる島が浮かんでいる。

 四つの種族がそれぞれの大陸で国を築き、不可侵条約を結んでいた。

 

 世界の均衡は──五つ目の国家・ガリアス帝国の出現により、音を立てて崩れていく。


 そして、今、四つの国が同盟を結んだリーバルト連合とガリアス帝国は、全面戦争の真っ只中にあった。



 *****



「一つの大陸が丸々帝国の手に落ちてしもうた。ここで降伏すれば戦をやめると……帝国側が言うておるのじゃ。多少儂らに不利な条約を叩きつけられようとも、帝国の要求に応じるべきなんじゃ」


 ライラは納得のいかない表情で、瞳を曇らせる。

 ポラジットは二人の傍らで呆然と立ち尽くしていた。ただただ、自分は総司令官としてのダヤンの決断に従うことしかできないのだ。


(私は……一介の見習い召喚士に過ぎない)


 ダヤンの愛弟子であるというだけで、この場に同席することを許されているのだ。発言権などは当然ないし、そもそもこの状況を打破する案すら浮かんでこない。


(私は、無力だ……)


 少しでも師の役に立ちたいという思いから、戦地に向かうダヤンに強引に同行した。しかし、役立つどころか、全くのお荷物でしかない。ポラジットはギュッと愛杖を抱きしめた。

 

「お言葉ですがダヤン様、奪われた領土は奪還すれば……」

「それは、お主のような軍人の考えじゃ。戦には金がかかる。搾取される民のことを考えよ」


 ダヤンは壁際にある大時計を見やると、ローブを翻して立ち上がる。


「十の刻まであと半刻、か。……少し外の空気でも吸ってくるかのぅ」

 

 誰に言うともなく、そう呟くと、ダヤンは奥にあるバルコニーへと向かった。唇を固く引き結んだままダヤンの背を見送るライラに、ポラジットは声をかける。


「ライラ副官……」

「いい、大丈夫だ、ポラジット。ダヤン様の仰っていることは正しい。……分かっているんだ」


 ポラジットに心配をかけまいと、ライラは無理矢理笑みを浮かべた。その笑みは、「太陽の竜騎士」という輝かしい名からは程遠く、深いかげりを帯びていた。


「今までに失われた同胞の命を思うと、な。引き下がれないという思いも拭いきれないのだ」


 カチャリ、とライラは腰にはいた剣に触れた。


 しかし、これ以上失うわけにはいかないのだ──土地も、生活も、命も。

 

「私は閣下からの返事がないか見てくる。ポラジット、君はダヤン様のお側に」

「……分かりました」


 ライラは大講堂を後にしようと、ダヤンに背を向けた──その時。


 ドォォォン、と轟音が大地を揺るがした。とてつもない衝撃がポラジットたちを襲う。


「な……っ! 老師! ご無事ですか⁉︎」


 振動で地面に投げ出されながらも、ポラジットは叫んだ。ダヤンがいるバルコニーに向かって床を這う。


 約束の刻限まではまだ時間があったはずだ。それなのに、なぜ……、と疑問符がグルグルと思考を埋め尽くしていく。


「ダヤン様! お下がりください!」


 剣を床に突き立て、ライラは衝撃に耐えていた。パラパラと天井から小さな石片が降り注いだ。

 ポラジットはバルコニーへと続くガラス戸に手をかける。扉の向こうのダヤンは、バルコニーの手すりにつかまり、体を支えていた。


「なんということを……」


 ポラジットの耳にダヤンの悲壮な呟きが聞こえた。

 これほどまで狼狽えたダヤンを、ポラジットは見たことがない。ポラジットの知る「お気楽な老師」はどこにもいなかった。


「老師、どうされ、……っ!」


 ダヤンの視線の先を目で追う。このバルコニーからは青々とした平野が一望できる……はずだった。


「ダヤン様、これは……」


 二人の背後でライラも息を呑む。それほどまでに、目の前に広がる光景は凄惨なものだった。


 大地を突き破り、天へと燃え上がる焔。

 黒く厚い雲で覆われた空から落ちる幾筋もの稲妻。

 青白く凍てついた川。

 唸り声を上げ駆け抜けていく突風。

 平野で駐屯していた兵士は身を焼かれ、叫び声をあげる。


 それはまさに地獄絵図だった。ダヤンたちが拠点としている城の周囲のものだけ・・がことごとく破壊されていた。


「警告、ということか。帝国よ……」


 帝国の軍事力は、連合国を遥かに凌駕していた。膨大な魔力で自然を捻じ曲げ、ダヤンたちに攻撃をしかける。


 要求に応じなければ、魔法攻撃の次なる標的はこの城だ。

 

 ダヤンは大きく息を吸い込み、ポラジットに命じた。


「ポラジットよ、儂の杖を……ウルドの杖を持て」

「老師……?」


 ダヤンのただならぬ様子に、ポラジットは怪訝そうな表情を浮かべた。


「儂は総司令官として、リーバルト連合を守らねばならぬ──命を賭してでも」


 胸が押し潰される程の不安感。ポラジットの足は地面に張り付いて動かなかった。


「頑固者のコーデリアスが折れるのが先か、それとも儂が倒れるのが先か、じゃ」


 ポラジットはイヤだ、と首を振る。つい今しがた、軽口を叩いていたのが嘘のようだ。

 

「これほどの攻撃を防がねばならんのじゃ、儂とてただじゃすまんじゃろう。最悪、命を落とすことになるやも……」

「そんなこと仰らないでください、老師っ!」


 堪えていたものが堰を切って溢れ出す。黙って師に従うつもりだったが、こればかりは譲れなかった。


「絶対に杖は渡しません、絶対に! 老師が命をかけるのであれば、私もお供しま……」


 パチン、という乾いた音が響いた。少し遅れて、ポラジットの頬にじわりと熱が広がる。平手打ちされたのだ、と気付き、ポラジットは打たれた頬に手を添えた。


「お主は……儂の生き様を見届ける義務がある。じゃから、お主が同行したいと言うた時、儂は止めはせんかったのじゃ」


 それに、とダヤンはあご髭を摘む。その表情はポラジットの知る、いつもの師のものだった。


「儂を勝手に殺すんじゃないわい。儂が死ぬもんじゃと決めつけおってからに……全く、儂を誰だと思っておるんじゃ」

「第一級召喚士、ダヤン・サイオス老師……です」


 よくできましたと褒めるように、ダヤンはポラジットの頭をくしゃくしゃとかき回した。その手の温かさに、思わず涙がこぼれそうになる。

 ポラジットは俯き、分かりました、と小さく頷いた。ダヤンに一礼すると、ポラジットは再び城内へと戻っていく。


「ポラジット、お主を失いとうないんじゃ……」


 杖を取りに行くポラジットの背に、ダヤンはそっと呟く。


 その言葉はポラジットの元へ届く前に、風に乗って消えていった。

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