第24話:銀の曙
「フェンリル!」
「この小娘がぁぁぁぁぁ!」
二人の叫びがこだまし、フェンリルの紫雷とクレイブの鎌がぶつかり合う。
クレイブに向かって走り出したフェンリルは黒い雷球を幾つも吐き出した。
自身に放たれた雷球をクレイブは一つ残らず斬り伏せる。
黒紫の火花がスパークし、バチバチと弾けた。
「我が君の道を塞ぐ虫けらは……この鎌で斬り刻んでくれるわ!」
クレイブはダン、と足を踏み鳴らし、フェンリルを目がけて跳躍する。
ポラジットはすかさず詠唱し、フェンリルを援護する。
「浮遊!」
黒狼の足元に青い魔法陣が浮かんだ。
ポラジットの魔法がフェンリルに空を駆ける力を与える。
ガシュッ、という音を立てて、鎌は床を抉った。
つい先程までフェンリルがいた場所に突き刺さった鎌は深く地面に食い込み、石の破片が飛び散る。
「ちょこまかと……ふざけおって!」
クレイブは鎌を引き抜き、フェンリルに向かって大きく一薙ぎした。
刃が生み出した風圧が、鎌鼬となって地を走る。
フェンリルは壁を駆け上がり、クレイブの攻撃を躱した。
「オォォォォォ──ン」
長い鳴き声を発しながら、フェンリルは蔦に覆われた壁面をぐるりと走る。
その声に呼応するように、天井に小さな雷雲が無数に現れる。
「障壁展開!」
ハルカの前に立っていたポラジットが高く杖を掲げる。
青い霊石を中心に、半球状の光のヴェールがハルカたちを覆った。
「放て! フェンリル!」
フェンリルが壁を蹴り、クレイブに向かって咆哮した。
刹那。
──バァァァァァン!
黒雲から雷鳴とともに、雷が降り注いだ。
ポラジットが展開していたシールドも、その衝撃にビリビリと震える。
「ぐおぉぉぉぉ!?」
雷に身を撃ち抜かれたクレイブは、仰け反りながら、倒れまいと踏ん張る。
両手で鎌を握り、長い柄を地面に突き立て、それを支えに片膝をついた。
プスプスと寝間着が燻る音と、髪が焼けた臭いがする。
常人ならば気を保っていられるはずもない攻撃を受け、それでも尚、クレイブは目を開いていた。
ギリギリと歯を食いしばり、呪うようにポラジットを睨む。
「おのれぇ……おのれぇぇっ!」
恐ろしいほどの執念で、クレイブは再び漆黒の鎌を振り上げた。
キィィィッ、と狂った声をあげ、ポラジットに突進する。
「ポラジット・デュロイィィィッ!」
「……っ!」
ポラジットが杖を握り直し、身構える。
フェンリルが《主》の危機を察知し、クレイブに飛びかかった。
頭を食らわんばかりの勢いで、クレイブの背後からフェンリルが口を開ける。
「この忌まわしい……」
しかし、フェンリルはクレイブには届かなかった。
「駄犬がぁぁぁぁぁ!」
上半身を捻り、クレイブはフェンリルに左手を翳す。
クレイブの手のひらに青い魔法陣がクルクルと回転しながら現れ──。
「火炎!」
巨大な火柱がフェンリルを飲み込んだ。
正面からまともに炎を浴びたフェンリルは、叫び声もあげることさえできずに、空中で苦しみもがく。
「フェンリル!」
「余所見をしている暇などないわぁっ! 青の小娘ぇ!」
ギシィィィン、と障壁と鎌がぶつかり合う。
影の塊のような禍々しい切っ先が、薄緑色のシールドに波紋を作る。
地面に落ちたフェンリルは石床の上を転がりながら、悲痛な呻き声を上げていた。
なんとか炎を消すことができたものの、立ち上がり、牙を剥く力は残っていないようだった。
「バハムートを寄越せ!」
「でき、ません……!」
蒼穹の杖が放つ光が、一層その青を深くする。
クレイブの鎌の威力にシールドがぐにゃりと歪む。
「くっ!」
「バハムート諸共、貴様も斬り伏せてくれるわっ!」
ハルカは目の前で繰り広げられている戦いを、ただ見守っているしかできなかった。
自分を庇う少女の頬を汗が伝う。
杖を握る細い手が、緊張で白くなっている。
「ポラジット、もういい! もういいんだ!」
彼女の戦う姿を見ているのが苦しくて。
彼女が倒れてしまうことを思うと苦しくて。
ハルカは細い少女の背に向かって叫んだ。
「フェンリルを連れて逃げてくれ! 俺は……俺は何とでもなる……だからっ!」
自分は死したとしても、元の世界に還れる可能性はあるのだ。
絶対、とは言えないが、生き延びる可能性がある。
だが、彼女は違う。
この世界の人間である彼女は、この世界での生が全てだ。
不確定な存在である自分のために命を賭ける必要などないのだ。
「俺のために戦う必要なんて……ない!」
刃の先がシールドにめり込む。
拮抗していた勝負が傾きつつあるのを感じた。
諦めに似た感情がこみ上げる。
その時──ポラジットの澄んだ声が、絶望的な空間に響いた。
「だとしても……」
青の少女は少し、ハルカの方へと振り返る。
その口元に浮かんでいたのは柔らかな微笑み。
この絶体絶命の瞬間でさえ、彼女は笑っていた。
「あの時の答えを……あなたの問いにまだ答えていませんでした」
皮のブーツが床で擦れる。
ガリガリと鎌が薄緑の膜を裂く。
「老師がいたからあなたと出会えた。老師がいなければ、だなんて……そんな仮定は意味がないんです!」
(あぁ……そうか)
「こんな形で還るだなんて間違ってる。こんな残酷な方法、間違ってる!」
ハルカの心に灯った微かな灯火。
胸の奥深いところで産声をあげたその灯火を、消してしまわないように……ハルカはギュッと胸元を押さえた。
「守りたいだけじゃダメですか!? 助けたいだけじゃダメなんですか!?」
身を切るような悲痛な彼女の叫びが、自分の何かを揺り動かす。
「私は……あなたの世界への扉を、必ず開いてみせるっ!」
足掻けばよかった。
力がなくとも立ち向かえばよかった。
守られることに甘え、動こうとしなかったのは自分自身だ。
(──守らなきゃ)
心の中の灯火が大きくなる。
その炎は目も眩むほどの銀。
身の内で燃え盛る炎を掴もうと、ハルカは自分の体を強く抱き締めた。
元いた世界とは違う異世界で、異分子である自分を受け入れてくれた人たちがいた。
助けてくれた人を、手を差し伸べてくれた人を。
(喪うなんて……)
「絶対にダメだ!」
鎌が裂いた箇所から魔力の粒子が散り、守りの壁ごと消失した。
それと同時に、ハルカの体が白銀の光に包まれた。
「な……っ!」
白銀の圧力がクレイブを襲う。
細い枯れ枝のような体は弾かれ、もつれながら床に転がった。
死神の鎌は圧倒的な光の奔流に飲み込まれ、粉々に砕け散る。
「ハルカ……」
その場にへたり込んでしまったポラジットは、目を丸くしてハルカを見つめた。
ハルカはすっくと立ち上がり、ポラジットを守るように後手に庇う。
「バハムート……貴様」
クレイブは爪が剥がれるほど、石畳に爪を立てると、ギリギリと奥歯を鳴らした。
ハルカは残光を纏いながらクレイブを睨みつける。
初めて力が発動したあの時──海蛇と戦った時──には分からなかった究極召喚獣の力を、今この瞬間、はっきりとハルカは感じていた。
『我が名は究極召喚獣・バハムート……』
ハルカの茶色の瞳が色を変え、銀に染まる。
少年の声と獣めいた低い声が重なり合い、不協和音を奏でる。
『召喚獣の王であり、すべてを服従させる者なり!』
威厳に満ちた声が、愚者の間の空気を震わせた。




