第21話:疑惑の芽
手にしたカップから湯気が立ち上る。
それに口をつけ、ブラックコーヒーを啜ると、ふぅ……とライラは深く息を吐いた。
ポラジットがハルカを追いかけ、連合本部を発ってから、もう半日ほど経っただろうか。
真ん丸の月が真南に上り、辺りを煌々と照らしていた。
依然、クレイブがガリアス帝国と明確な接点を持った、という証拠の記述は見つからない。
北方大陸へ視察に行った記録はあったが、あくまで視察。
そこでガリアス帝国と繋がったという証拠はなく、未だにライラとハロルドの推測の域を出ない。
ライラはベランダで葉巻をふかすハロルドの後ろ姿を見た。
彼が持ってきたクレイブの政治活動記録は重要な手がかりになった。
取り乱していた自分を見られたのが恥ずかしくもある。
だが、ハロルドがいてくれてよかった、と心の底から思った。
(急がねば。時間がない)
稀代の召喚士ダヤン・サイオスの愛弟子として、その能力を期待されたポラジット・デュロイ。
いくら天才召喚士としてもてはやされ、青の召喚士として名高い彼女であったとしても、究極召喚獣──それも不完全な能力の者──を守りながらの逃避行は、困難を極めるに違いない。
彼女を重圧から解放するためには、自分たちがいかに迅速にクレイブの尻尾を掴めるかにかかっているのだ。
ライラはベランダに背を向け、再び書類に向き直った。
もう一口コーヒーを口に含み、ライラは作業に取り掛かろうとした……。
「ラ、ラ、ライラ!! 大変だっ!!」
ベランダの扉がバァンッ、と開き、小太りのハロルドが勢い込んで室内に突入してきた。
その勢いにライラは思わずつんのめり、熱々のコーヒーを危うくひっくり返しそうになる。
「ハロルド、びっくりするだろうが! 落ち着けと言ったのはお前じゃ……」
振り向き、ハロルドに一喝するライラ。
しかし、ハロルドの肩に止まった見慣れぬモノに気づき、口ごもる。
「青い小鳥……。いや、召喚獣か?」
「おいらもそう思う。もしかして……」
ハロルドが言わんとすることを理解し、ライラはこくりと頷く。
夜に似つかわしくないその小鳥から、ライラは微量ではあるが、召喚獣独特の波動を感じ取った。
小鳥はピピピッ、と可愛らしく鳴くと、ハロルドの肩から飛び立ち、書類まみれの机の上にとまった。
そして──。
『伝えて、ライラ・オーディル将軍に』
「ポラジット……!!」
黄色く小ぶりな嘴から紡がれるのは、まだ年若い少女の声。
かじりつかんばかりの勢いで小鳥の前に顔を寄せたライラとハロルドに、さらに澄んだ声が語りかける。
『ポラジット・デュロイはクレイブ・タナスの所へ行きます。連れ去られたハルカを助けに……』
「……っ! 早まるんじゃない、ポラジット!」
託された言葉を語るだけの通信用召喚獣に、ライラは怒鳴りつけた。
『これは私、ポラジット・デュロイの一存によるもので、何が起ころうとも、誰にも責任はありません。……ご迷惑をおかけしました、ライラ将軍』
ライラはギリ、と下唇を噛み締めた。
唇が切れ、血が出るのも気にならない。
「ライラ、血が……」
「そんなこと言っている場合じゃないだろうっ!」
ポケットからハンカチを差し出したハロルドの手を、ライラはパァンと払いのけた。
ハラリとハンカチが地面に落ち、静寂が訪れる。
ライラへの伝言を伝え終えた青い小鳥は、満足そうに一声鳴くと、フワリと光の粒子と化し、闇夜に消えるように霧散した。
「すまない……」
ライラは左手で顔を覆い、俯く。
(時間がない。時間がない。時間がない……!)
もう色々な方面に手を伸ばし、捜査をすることはできない。
一つに賭け、そこに人員を割くしかない……。
悠長に証拠を揃えている余裕はなかったし、何より今この瞬間、もうポラジットはタナス邸に潜入しているかもしれないのだ。
(ならば、疑いをかければいい)
天啓のようなその閃きに導かれ、ライラは顔を覆っていた手をふと離し、ハロルドの細い目を見つめた。
「ハロルド。お前のところの精鋭を借りられるか」
「いつでもどうぞ」
それに……、とハロルドはニヤリと笑う。
「おいらの命令しか聞かない、じゃじゃ馬揃いだよ」
うむ、とライラは頷き、部屋の外で待機していた兵を呼びつけた。
「南方大陸から北方大陸への通信用召喚獣の渡航歴を調査せよ! ひとまずは今日の記録だけでいい。特に、連合本部内部からの物を重点的に洗え!」
「はっ」
ライラの命令を受けた兵士は二人に向かって敬礼し、すぐさま部屋を後にした。
「それって、すっごくハードだよねぇ。一体、一日何体の召喚獣が海を越えていると思ってるんだい? 今頃、兵士たちは大ブーイングじゃないかなぁ?」
「知るか、そんなもの」
クククとハロルドが肩を震わせた。
ハロルドは窮地になると笑う癖がある。
以前、ライラが問うてみたところ、ハロルドは「楽しくなってくるから」ととんでもない返事が返ってきたことがあった。
「確か……海を越えられるのは、通信用の召喚獣と各政府によって認可された船舶のみ、だっけ?」
「あぁ。通信用の召喚獣とて、むやみやたらに海を渡ることはできない。有事のために……通信内容は記録され、一定期間保管されることになっている。その手続きを踏まねば、それぞれの大陸を守る結界を通り抜けることはできない。……クレイブが帝国と繋がっているならば、何らかの履歴が残っているはずだ」
でもさぁ……、とハロルドは間延びした声で続ける。
「一応、曲がりなりにも……クレイブは連合の重役だろう? 帝国とやり取りするにしても、暗号くらいは使ってるんじゃないのかなぁ。あからさまに『繋がってます』、なんていう記録が残ってるとも思えないんだけど」
「それくらい分かっているよ」
取り乱していたライラはすっかり平静を取り戻していて、それどころか不敵な笑みを浮かべていた。
「暗号なんて後で解けばいい。最悪、クレイブが北方大陸に召喚獣を遣わせたという記録さえあれば……十分だ」
ライラはソファに投げ置いていた剣を手に取った。
鞘のついたベルトを腰に巻き、バックルを固く締める。
「通信内容などどうでもいいんだ。クレイブが北へ召喚獣を飛ばしたという記録が欲しい」
同じくソファの背もたれにかけてあった緋色のマントを肩にかけ、ライラは身支度を整えた。
今回の騒ぎの報告のために一匹くらい飛ばしていると思うが、とライラは言葉を付け足す。
「クレイブ・タナス議員が帝国と密通している疑いがある──それを理由に兵を出す。しかし、タナス邸に遣る兵は最小限の規模に抑えねばならない。まだ疑惑段階だからな」
「そんな賭けみたいなことをするのかい?」
ハロルドの問いを、ライラは鋭い眼光で一蹴する。
しかし、その目にはどこか愉しげな色が覗いていて、それが沈みこんでいたはずのライラを活き活きとみせていた。
「違えば責任者として私が頭を下げよう。任を解かれようとも構わん」
すっかり威勢を取り戻したライラを見て、ハロルドはパンと手を打ち鳴らした。
「『太陽の竜騎士』、復活ってところかな~」
ライラはふんと鼻息を荒げ、口の端を吊り上げて笑った。
「ハロルド。私たちも出るぞ」
「了解、総司令官殿」
(ポラジット……お前一人に全てを背負わせはしない)
バサリとマントを翻し、ライラとハロルドは部屋の扉を開けた。




