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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第1章:始まりのアイルディア
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第17話:嘘はつけない

 ハルカの問いかけが洞穴内で反響した。

 その頼りなげな声は、やがて雨の音にかき消され、そんな問いなどなかったかのように静まり返る。

 ポラジットはドライフルーツに伸ばしかけていた手を止め、ハルカの顔を見つめた。


「俺の味方で、いてくれたのか?」


 再びハルカが問う。

 その声は何かを掴みたがっているように浮遊した。

 が、やがて冷え切った洞穴の空気に押しつぶされ、石だらけの地面に吸い込まれていった。


(もしも、老師の望みがなければ……)


 自分は自身の肩書きや命を賭して、ハルカのことを守ったのだろうか。

 なりふり構わず杖を振るい、彼のためにために戦っただろうか。


 どんな時でも、あなたの味方でいる……。

 ハルカが望んでいるのはその一言だ。

 見知らぬ世界に一人放り込まれ、孤独な彼を支えるために、その一言を口にすればいいのは分かっていた。

 

 けれども、あまりにもハルカの声が真剣で。

 嘘偽りのない真実を求めている気がして。

 

「私……」


 返事ができなかった。

 ポラジットにとって、ダヤン・サイオスは唯一無二の存在だった。


 縁あって、自分を弟子にと望んでくれた師。

 死のその瞬間まで、彼女に生きるためのあらゆる術を教え込んでくれた師。


 だからこそ、師の最期の言葉を忠実に守り、心の拠り所にしてきた。


(師の願いがなければ、私は……)

 

 ポラジットは同じ仮定を繰り返す。

 自身の心が分からず、胸元で組んだ手が震えた。


(私は、何一つ自分の意思で決めてこなかったんだわ。老師の言葉や、上官の命令に従っていただけ……)


 ハルカの真っ直ぐな瞳が、ポラジットの曖昧な胸中を貫いた。

 ポラジットは目を伏せ、ハルカの視線から逃れようと小さく身じろぐ。


 嘘をついて、彼の求めている言葉をかけたところで、ハルカはきっと容易くそれを見破ってしまうだろう。

 しかし、打ちひしがれている彼に残酷な本心を伝えることなどできなかった。

 吐き出せない言葉の塊が喉元に引っかかり、息ができない。

 

「わ、私は……っ……」


 ポラジットは開きかけた口を閉ざし、唇を噛んだ。


(老師の言葉がなければ、私は見て見ぬ振りをしていたかもしれない……。老師の死に心を閉ざし、全てを投げ出していたかもしれない……!)


「そう、か……」


 言葉を詰まらせるポラジットを見て、ハルカが短く告げた。

 ポラジットはハッと顔を上げ、ハルカを見つめる。

 その顔はくしゃりと歪み、口元には自嘲めいた笑みが浮かんでいた。


「いや、俺が悪かったよ。変な質問して、さ。お前は……何も悪くないから」


 違う、と叫びたかった。

 悪いのは私だ、と。

 あなたは悪くない、と。

 だが、ポラジットがそう否定するより先に、ハルカがかぶりを振った。


「いいんだよ。いいんだ、もう」


 諦めた表情のハルカが俯く。

 そんな彼に声をかけることができなかった。

 胸の奥が疼き、鈍く痛む。

 ハルカの言葉が、表情が、声色が、ポラジットの胸を抉った。


「俺、少し外の空気を吸ってくるよ」

「ですが、まだ雨が降っていますし……それにもうすぐ日の入りの時刻……」


 ポラジットの制止を聞かず、ハルカはポラジットに背を向け、鋭く言い放った。


「頼むから、一人にさせてくれ」

「……っ」


 暗くなった森に一人でいるのは危険だ。

 連合軍の兵士が居場所を突き止め、この辺りに潜伏しているかもしれない。

 どう考えても、ハルカを止める以外、ポラジットに選択肢はなかった。

 しかし、ハルカの少し猫背気味の後ろ姿がポラジットを全力で拒んでいた。


「……あまり、遠くへ行かないで下さいね」


 それが精一杯。

 絞り出すようにハルカに告げ、ポラジットはハルカの背から目を背けた。


 ジャリ、ジャリ、と砂を踏む音が遠ざかる。

 ハルカの心もまた遠ざかっていくのだと思うと、目の前の地面が涙でぼやけて見えた。


 *****


 南方大陸にあるリーバルト連合総督府・デネア。

 総督府本部の二階にある北側の大部屋で、ライラ・オーディルは分厚い書物に目を通していた。

 

 この一室は急遽、連合軍の臨時司令室としてあてがわれたものだ。

 急ごしらえのものとあって、少々乱雑に散らかっていた。

 

 ライラが部下に命じて集めさせた書類の束が、机上に積み上げられている。

 それら一つ一つに素早く視線を走らせ、ぶつぶつと独り言を呟く彼女に話しかけようとする者はいない。

 報告に来た兵士たちも、ライラに状況を告げるとすぐに部屋を出て行ってしまった。

 爪を噛み、苛立ちを露わにする様子は、豪胆なライラには珍しかったのだ。

 だだっ広い部屋で、ライラは一人、頭を抱えていた。


「あ~ぁ、美人さんが台無しじゃないかぁ、ライラ。そんなにカリカリしてちゃ、部下にだって示しがつかないよ」


 書類の山の向こうから、気の抜けた声が聞こえた。

 ライラは書類を横へずらし、隙間から覗いた小太りの獣人を睨みつけた。


「ハロルドか。この切羽詰まった状況でのほほんともしてられんだろう」


 赤銅色の瞳がギラギラと光っている。

 ハロルドはただでさえ細い目をさらに細め、羊の耳をピクピクと動かした。


「お前も腹が立たんのか。クレイブに獣人風情などと言われて……」

「まぁ、そりゃぁ……ムカッとしたことはしたけど。あぁいう奴には何を言っても逆効果だしねぇ」


 ハロルドは呑気に自身の茶色の巻き毛をクルクルと指に巻きつけ、ピンと弾いた。

 ハロルドの様子に、さらにライラは苛立つ。


「六十年前……リーバルト連合が発足する前は、獣人族は差別の対象だったかもしれん! 獣人族はその差別のために辛い歴史を歩むことになった! だが、今は違う! あんな旧時代の老ぼれに……お前のことを悪く言われることに我慢ならんのだ!」


 ライラは赤褐色の髪を逆立てながら憤った。

 

「それにバハムートを処分するなどと……血迷ったことを……!」

「まぁ、彼の力は未知数とは言え、連合の切り札になることは間違いないしねぇ」

「そういうことを言いたいのではないっ!」


 荒ぶるライラを宥めるように、ハロルドは小さく微笑んだ。


「落ち着くんだ、ライラ。おいらは、ハルカを助けたい。だけど、感情論ではこの場は切り抜けられない。冷静になるんだ」


 書類の山がガサリと音を立てて崩れる。

 床に散らばったそれらを拾おうとする者は誰もいない。


「差別には慣れているよ。まぁ、慣れちゃいけないんだけどね。おいらは……おいらたちのことを忌み嫌う人たちにかかずらうより、おいらたちと共に歩もうとしてくれる人たちのために時間を割きたいだけさ」


 そう言って、ハロルドは右手に持っていた帳簿をライラに差し出した。

 青い布の表紙には題字も何も記されていない。

 ハロルドがそんなものを持っていたことに、ライラは今気づく。

 

(そんなことに気づかないほど、私は焦っていたのか……)


 すまん、とライラは呟くと、ハロルドからその束を受け取り、ぺらりと表紙をめくった。


「これは……クレイブ・タナスの……政治活動記録?」

「そう、奴の事務所に出入りしている職員にちょろ~っとお願いしてね、見せてもらったんだよ。ほら、ここの五年前の記録」


(お願い、じゃなくて、脅したの間違いじゃないのか……?)


 ライラはハロルドをじっとりと見つめた。

 へへへっ、とハロルドは頬を指で掻きながら、机越しにページを繰った。

 指示されたページを、ライラは齧り付くように読む。


「五年前……世界暦三〇四十九年七の月……。北方大陸・ディオルナ共和国へ視察……?」

「魔族のクレイブは若い頃の軍での功績を讃えられ、議員になった。同族の支持を集め、連合議会の上院議員の一人として上り詰めた……」


 ちょいちょいとハロルドは自分の耳を指差した。


「クレイブは獣人族排斥派としても有名だった。リーバルト連合から獣人族国家であるディオルナを追い出せなんて言うほどに。獣人族と同じ空間で過ごすことさえ拒んでいた彼が、獣人族の国へ行った・・・・・・・・・


 まさか……とライラは息を呑む。


「三年前、世界大戦が勃発した。それより以前にクレイブは北へ……」

「目的はディオルナの視察なんかじゃなかっただろうねぇ」


 ハロルドは眉根を寄せて、吐き捨てた。


「おそらく、そこでガリアス帝国と繋がった……」


 苦しげな顔のハロルドを見て、ライラはぎゅっと拳を握りしめた。


「クレイブの背後に、帝国……か」


 ハルカを庇い、逃げているポラジットを想う。


(耐えてくれ、ポラジット……)


 ライラは祈るように窓の外の月を見つめた。

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