第10話:運命の朝
アイルディアにやってきてから四度目の朝。
ハルカはソファから体を起こし、大きく伸びをした。
ソファから少し離れたところにあるベッドには、一人の少女が横たわっている。
ハルカはベッドサイドまで近づき、無防備に目を閉じるポラジットを見下ろした。
(……ったく、襲われても知らねぇっての)
ハルカを信頼しきったポラジットは小さな寝息を立てて眠っている。
ハルカの監視役としてこの塔に留まったポラジット。
それ自体はよかったのだが、問題は……夜だった。
てっきりポラジットには別室があてがわれているものだと思い込んでいたが、夜中も続けてハルカの側で監視を続けると言い張ったのだ。
「ちょっと待て、いくらなんでもマズイだろ……その……夜、同じ部屋ってのは」
「私はソファで休みますので。大丈夫ですよ、襲われたとしてもちゃんと反撃くらいできますから」
にっこり、という音が聞こえてきそうなほどの笑顔を見せて、ポラジットは言い放った。
結局、ハルカがソファ、ポラジットがベッドで休むという条件で、ハルカは渋々承諾したのだ。
「ん……」
ポラジットの小さな唇から吐息が溢れる。
気恥ずかしくなったハルカはそそくさとポラジットから視線をそらし、ゴホン、とわざとらしく咳払いをした。
「お、おい……もう朝だぞ。今日は議会ってやつが開かれるんだろ。忙しいんじゃねぇのかよ」
不自然なほどの大声で、ハルカはポラジットに呼びかける。
体を揺すって起こしてもよかったのだが、なんとなく触れることは躊躇われた。
ハルカの声に反応し、ポラジットの長い睫毛がピクリと揺れる。
「あ……わっ! おはようございます!」
ハルカに起こされたことに気づいたポラジットはあたふたとベッドから跳ね起き、手櫛で寝ぐせを直し始めた。
「私の方が寝過ごすだなんて……申し訳ありません」
顔を赤らめながら謝るポラジットは、年相応の少女らしさがあった。
「なんだ……そんな顔できるんだ」
思っていたことが不意に口をついて出た。
キョトンと目を丸くするポラジットに、ハルカは慌てて言葉を足す。
「いや、ちが……変な意味じゃなくて。ほら、お前……俺とそんなに歳、変わらんねぇだろ? それなのに大人ぶった顔ばっかでさ」
大人たち──軍人の中で一人、佇んでいたポラジット。
背伸びをして立っているその姿は毅然として頼もしく……そして同時に危うくもある。
大人びた彼女にも、自分のような子供っぽい一面があるのだと分かり、何故だかホッとしたのだ。
「だから、何ていうか。そういう表情もできるんだな、って親近感」
「……っ!」
さらに顔を真っ赤にしたポラジットは言葉を詰まらせ、俯いた。
「私……支度してきます!」
ポラジットはツカツカと化粧室へと向かう。
バタンッ! と化粧室の扉を荒っぽく閉め、その向こうへと消えてしまった。
「何だ、あいつ……」
自分の運命が決まる日だというのに、緊張感の欠片もない。
(でも、悪くないかもしれない)
ハルカは小さく呟き、この世界に来て初めて声を出して笑った。
*****
連合議会の開催は九の刻──。
七の刻になり、ハルカの独房に四人の兵士がやって来た。
兵たちはハルカに再び手枷をはめ、両手の自由を奪った。
「それではハルカ、参りましょうか」
ポラジットは表情を引き締め、ハルカを促す。
四人の兵士たちはそれぞれ、二人を四方から囲んだ。
独房を後にし、細い螺旋階段を一歩一歩降りて行く。
足取りは前に進むにつれ重くなり、不安と焦燥感がハルカを襲った。
そんなことはお構いなしに、兵たちは足早に進む。
塔の出入り口には馬車が停車していた。
これに乗って、総督府本部へと向かうらしい。
ライラの竜馬車よりは幾分かマシだったが、それでもそう大差はない。
窮屈なその空間に、ハルカを含め六人が乗り込んだ。
小さな森の小道を馬車は進む。
隣にいるポラジットは背筋を伸ばし、揺るぎない真っ直ぐ前を向いていた。
ふわりとなびいた髪の間から、赤い光がちらつく。
(紅いピアス……? あんなのつけてたっけ?)
ポラジットの尖った耳には見覚えのない紅い石のピアス。
今朝までそんなものを見た記憶はなかった。
身支度を整えた後につけたのだろうか……ハルカがそう尋ねる前に、ポラジットは口を開いた。
「ハルカ、総督府本部が見えてきましたよ」
白く、気高く、厳か。
そんな言葉がぴったりの建物だ。
陽光を反射したその姿は、貴婦人のようだ。
ハルカは馬車の窓から建物を見上げ、思わず息を呑んだ。
馬車は本部のエントランスに進み、緩やかに止まった。
塔の兵士たちから本部の兵士たちへと、ハルカの身柄が引き渡される。
ポラジットは引継ぎ書類に丁寧な文字でサインをすると、ハルカについてくるよう指示した。
紫の絨毯が敷かれた廊下を、兵に囲まれながら進む。
カチャカチャと鎧が触れ合う音が、高い天井に響いた。
廊下は長く、いつ終わりが見えるのかわからないほどだ。
自分の行く先が見えない……そんな不安がハルカを蝕む。
嫌な予感だけがむくむくと胸の奥で膨らんでいった。
「ここだ」
兵の一人がぶっきらぼうにハルカに告げた。
廊下の最奥、巨大な黒い扉の前で立ち止まる。
「ポラジット様はここまでです」
「え……?」
ハルカは大きく目を見開いてポラジットを見つめた。
てっきりポラジットもついてきてくれるものだとばかり思っていたのだ。
「ごめんなさい、ハルカ……。私は傍聴席までしか立ち入りを許されていないのです」
「……っ、そんな!」
途端に心細さが胸中を埋め尽くした。
ポラジットの存在がどれほど心強かったか……ハルカはまざまざと思い知る。
固い決意は虚勢によって支えられていたにすぎなかった。
「大丈夫。私はあなたの味方ですから……何があっても」
ポラジットはぎゅぅ、とハルカの手を握った。
(信じて、いいのか?)
そう聞きたいけれど聞けない。
だが、ポラジットの手の温かさは、確かにハルカの心の火を灯した。
不安という闇がほんの少し打ち払われ、ハルカの足元を小さく照らす。
「入れ」
そう言い、兵は扉を押し開けた。
ギィ、と扉の蝶番が嫌な音を立てて軋む。
ハルカの運命を決める会議場が、目の前に広がった。
それはまるで裁判所だった。
一際高い席に、裁判官のように連合議会の議員が並んでいる。
両脇は傍聴席になっていて、下級議員や軍人らしき者が所狭しと座っていた。
その中には軍の制服姿のライラやハロルドの姿も見えた。
そして、会議場の中央には、おそらくハルカが立たされるであろう低い壇。
周りを柵で仕切られ、その側には槍を持った兵が控えていた。
その厳重な警備体制の前に逃げ出す隙はなさそうだ。
そんなハルカに追い打ちをかけるように、傍らの兵が忠告する。
「この議会場は術力無効空間になっている。魔法も召喚術も効果はない」
(力を発動させることができても無意味、ってことか……)
裁かれる罪人になったような気分だった。
腹の底から震えが襲い来る。
「行ってくるよ、俺」
そう言うと、ハルカはポラジットに背を向けた。
(……そう、行くしかないんだ)




