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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第3章:黒蝶の鎮魂歌
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第39話:卒業試験二日目(後編)

 深緑の絨毯が敷かれた本館メインホールを横切る。玄関両脇の棚には、歴代卒業生の中でも、ひときわ優秀な生徒の顔写真が並べられていた。その中には、学園最年少卒業生である十二歳のポラジット・デュロイもいた。

 ハルカたちは彼らには目もくれず、真っ直ぐ屋上へと向かった。

 メインホールの中央にある大階段を上がる。各フロアには東西両サイドに階段が設置されており、ハルカたちは東の階段を上った。建物の外観は石造りのそれであるが、一度足を踏みいれると、暖かみのある木の校舎と錯覚する内装だ。

ぎっ、と板張りの階段が軋む。その音さえも、敵の襲撃かと勘違いしてしまうほど、彼らの緊張の糸は張り切っていた。

 だが、校舎内には敵らしい者はいないようだ。卒業試験二日目ということもあって、初級、中級クラスの生徒は臨時休校になっていた。校内にいるのは教官と、上級クラスの生徒だけだ。

 教官も上級クラスの生徒たちも皆、校庭に出払っており、この校舎内にいるのはハルカたちのみ、ということになる。


「四階まで来たな。この先の階段を上がれば、空中庭園だ」


 四階建ての校舎、その屋上に空中庭園はある。

 透明なガラス張りの温室に覆われたそこにはすべての季節の草花が植えられている。ここに来れば、たとえ真冬でも夏の花を観賞することができるのだ。

 しかし、今、その空中庭園は黒い雪で汚染されきっている。温室の天井は何者かによって穿たれ、そこから噴出する黒い雪を封じこめるために、魔力の障壁で覆われていた。

 ハルカは屋上へ続く階段を一歩一歩、踏みしめた。温室へと続く木の扉が、歩みとともにハルカの眼前に近づいてくる。

 階段の最上段に両足を揃え、ハルカは後ろの仲間を振り返った。

 ここまでは誰一人、欠けていない。ここからが、本当の戦いだ。


「開くぞ、準備はいいか」


 各々が武器を手に取る。ハルカは金色の取手に手をかけた。

 扉を押し開く。開け放った扉から、黒い雪がハルカたち目がけて雪崩れ込んだ。


 *****


「……っ! 皆、はぐれるなよ!」


 黒い吹雪がハルカたちを襲った。サクラの薬のおかげで、毒に侵されずに済んでいるが、それがなければひとたまりもないだろう。ハルカは小さく身震いした。

 轟々と雪が吹き付ける。温度を持たないその雪は、庭園の植物の葉を裂き、花を散らした。ハルカたちも細く目を開けるのがやっとだ。腕を顔の前に掲げ、目を庇いながら、ハルカは先へ進んだ。

 

「敵はどこだっ!」


 扉から向かって左側には春の植物が、右側には秋の植物が植わっていた。遊歩道を辿ったさらに向こう側には、夏の植物と冬の植物用の温室がある。


「ハルカッ! 春の植物、真ん中の木。あの木だけ、変!」


 吹雪の音にかき消されまいと、サクラが精いっぱいの声でハルカに呼びかける。サクラが指さした先、そこにはこの庭園の中で、最も大きな樹が立っていた。幹の太さは、人間三人分くらいはあるだろうか。学園ができる前から、この地に立っていたものを、屋上に移植したという話だ。

 だが、その樹だけが不自然だった。

 荒れ果てた庭園で、その樹だけが山吹色の花をいっぱいに咲かせ、傷一つない姿で立っていたのだ。


「どうしてあの樹だけ?」


 ハルカは目を凝らし、大樹を見つめる。そして、その異質さの原因を理解した。


「見ろ……幹に……」


 満開の花の下、幹の灰茶色と同化した何か。

 その何かは確かに脈動し、呼吸するがごとく大きく胸の辺りを上下させていた。

 それはまるで、蝶の蛹のよう。人の身の丈の三倍はあろうそれは、大荒れの嵐の中、静かに羽化の時を待っていた。


「あれは……蛹、でしょうか」

「おいおいおい、あれが羽化したら、今以上にまずいんじゃねえの?」


 ルイズがヒクリ、と顔をひきつらせた。その隣でハルカは剣を構える。

 蛹の状態でこれほどの異変を引き起こすんだ。もし、羽化しようものなら……。

 無防備な蛹の状態ならば、まだ手の打ちようがある。これ以上事態が悪化する前に、こいつを仕留めないと!


「斬るっ!」


 ハルカは大きく跳躍し、蛹との距離を詰める。間合いに入るまで、もう一歩!


「無刃・一……っ」


 蛹を一薙ぎしようと剣を振りかざした瞬間。蛹の背が――割れた。

 ピシリ、と嫌な音を立て割れたそこから、黒い雪が噴出する!


「くっ!」


 ハルカは体をよじり、高濃度の毒雪を避ける。空中で体勢を立て直し、大樹から少し離れたところに手を突いた。


「遅かったか!」


 ピシピシピシ、と蛹の亀裂が広がっていく。一つ亀裂が入るたびに、黒い雪は辺りにまき散らされ、庭園を黒く染めた。


「ハルカ! 一旦下がりなさい!」


 ポラジットがハルカを呼ぶ。ハルカはその声に応じるように後退し、息を止めた。


「羽化、させない! 召喚サモン!」


 サクラの背後に無数の魔法陣が現れる。陣の中心は蛹に向けられていた。


炎之矢イグニス!」


 詠唱と同時に、燃え盛る炎の矢が放たれた。それは真っ直ぐ羽化しかけの蛹に向かっていき……爆炎、轟音、そして立ち上る煙で蛹は覆い隠された。


「仕留めたか!」


 ルイズがグッと拳を握りしめる。その額からは汗が伝い落ちた。

 しかし、次の瞬間、突風がハルカたちを襲った!

 その風によって、煙も、黒い雪さえも吹き飛ばされる。そして、その中心にいるモノの正体がはっきりとハルカたちの目に飛び込んできた。


「黒い……蝶?」


 イグニスの炎は蝶の翅によって打ち払われていた。大樹の下の芝が、ぶすぶすと残り火で燻っている。

 現れたのは――黒い蝶。

 翅は角度によっては玉虫色にも見え、翅が動く度に黒い雪が舞い散った。四枚の翅の中心には、小さな虫の体。黒紫の腹が蠢き、白い複眼が天を仰いだ。長い二本の触角が、蛹の外の空気に触れ、心地よさそうに伸びる。腹から伸びた三対の脚もまた、狭い場所から解き放たれた喜びに打ち震えていた。


「もしかして、雪じゃなくて鱗粉? 蛹から溢れた鱗粉が降り注いでいたというの?」


 シャイナが、光の残る左目で蝶を睨み据えた。そして、ポラジットに向き直った。


「デュロイ教官! ここは立て直すために……あそこへ逃げましょう!」


 シャイナが、夏の温室を指さした。そこは気温や湿度を調節するため、強化ガラスによって区切られた場所だった。


「あそこなら、作戦を立てる間くらいならば大丈夫です。多少の攻撃なら耐えられるはずです!」


 ポラジットは一瞬思案した。躊躇いがポラジットの体を止める。

 幾重にも張り巡らされた罠。どこに抜け道があるのか、見当もつかない。心の中で、亡き師の名前を連呼した。


「ポラジット!」


 その時、彼女を強く呼ぶ声がした。


「迷ってるヒマねえよ! たとえ罠だったとしても、俺が……いや、俺たちでなんとかするんだ!」


 ハルカの意思に、ポラジットは背中を押される。『武』の試験召喚獣と戦った時もそうだった。……ハルカの言葉が、ポラジットの足を前へと進めるのだ。

 不意にステイラ・ヴォーカの一言が、ポラジットの頭で再生された。


 ――あなたが思っているほど、ハルカ・ユウキは守られるべき存在でもない、ということ。


 そうかもしれない。彼はこの世界にやって来た当時の彼ではないのだから。

 ポラジットは生徒たちに指示を出すべく、杖先で夏の温室を示した。


「温室へ! さあ、急ぎましょう!」


 *****


 羽化したばかりの蝶は、大樹の頂上でゆっくりと旋回をし続けるだけだった。体が完全ではないのか、ハルカたちを攻撃してくることはなく、まだ水気を含んだ柔らかな体を、空中で乾かしていた。

 ハルカたちは蝶の追撃を受けることなく、夏の温室へ逃げ込むことに成功したのだ。温室の中は気温が高いが、からりと乾燥している。かいた汗が蒸発し、気化熱で皮膚がひんやりと冷えた。


「……っ……はぁっ、はぁっ……」


 殿を務めたハルカとポラジットが、温室の閂を下ろした。強化ガラスに守られているためだろうか、夏の温室の植物はまだ巨大な葉を青々と茂らせていた。

 シャイナはその最奥にある白木のベンチに手を突き、かがみこんだ。ぜいぜい、と息を切らせて、苦しそうに喘ぐ。


「シャイナ、大丈夫?」

「ええ、心配しないで、大丈夫よ」


 シャイナはちらり、とサクラを一瞥すると、青ざめた顔で微笑んだ。しかし、再び俯くと、ごぼごぼ、と大きくせき込んだ。シャイナの額から汗が流れ、右目の眼帯の縁を濡らした。


「シャイナ、運動不足じゃねえのか。確かに全速力で走ったけどよ、そこまで咳くことねえだろ」


 安全な場所に逃げ込んだ安心感から、ルイズがシャイナを茶化した。旅行でさんざん言われた腹いせか、ここぞとばかりにシャイナを口撃する。


「ルイズ、やめなよ」


 しかし、サクラにきり、と睨みつけられ、言葉に詰まる。


「本当、運動不足ね、私ったら……はぁはぁ……笑われても可笑しくないわね」

「……違うだろ」


 静かにハルカは告げる。その声のトーンに、ルイズもサクラも思わず黙り込む。

 ずっと感じていた違和感、疑問。

 ぶつけるなら、もう今しかない。この時を逃せば、もしかしたら永遠に、本人の口から聞けないかもしれない言葉たち。ハルカはそれを求めていた。


「シャイナ、お前、体術も剣術も成績はよかったんだよな。これくらいで息切れするわけ、ないよな」

「ちょっと、まだ本調子じゃないのよ」

「サクラがヴォーカ教官から掃討依頼を勧められたわけじゃないって聞いて……もしかしたら、って思ったんだ」


 ハルカの一言が、シャイナの胸を突き刺した。


「サクラ、あの日、シャイナがお前にザラ=ハルスの掃討依頼を勧めたんじゃねえのか?」

「そう、だけど、でもっ! シャイナはそんなつもりじゃ!」

「俺だって、ついさっきまでヴォーカ教官が犯人だって思ってた。今だって……俺はシャイナを信じてる。だから……」

「ハルカ、あなた、何を言いたいの?」

「はっきりさせようぜ」


 シャイナがハルカを睨みつける。ハルカはその目を怯むことなく見返した。


「シャイナ、お前が『虚無なる鴉』の刺客なのか……?」


 黒い嵐が、温室のガラスを震わせた。


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