第37話:卒業試験二日目(前編)
三〇五四年 五の月第四週三日。
クライア学園卒業試験、二部門ある試験の内、実践試験の二日目が行われる。実践試験の後、六の月に各学科の筆記試験が予定されていた。
実践試験一日目、予期せぬ敵勢力の襲撃により、試験は中断された。試験を受けられなかった生徒のために、二日目までの間、臨時で試験が実施された。
その結果、一日目の時点での脱落者はおらず、全員が二日目の試験を受験する資格を得ることとなった。
*****
上級クラスの全生徒が集まる大講堂。一日目と同じく、試験の諸注意等、説明が行われていた。
「今回は私が召喚した『智』の召喚獣と戦ってもらいます。倒した証を提出、それをもって合格とします」
そう告げたのは、召喚術担当教官、そして今年の卒業試験責任者ポラジット・デュロイだった。
ハルカの隣席で、サクラが首をかしげる。ぼそり、とハルカだけに聞こえるように呟いた。
「おかしい。ヴォーカ教官、どこにもいない」
「おかしい……のか? 何が?」
ハルカは目線はポラジットに向けたまま、サクラに問いかけた。心なしか、生徒がざわつき、落ち着きがないようにも見える。違和感を感じたのはサクラだけではないのかもしれない。
「例年通りなら、『智』の試験召喚獣を召喚するのは魔術担当教官のはずだ。この学園を卒業した兄貴が言ってたからな。俺様の情報は確かだ」
さらにその向こう、サクラの隣に陣取っていたルイズが顔を覗かせた。くい、と顎をしゃくり教壇を示した。
「……何かあったんじゃねぇのか」
そう言えば……と、ハルカは大講堂をぐるり、と眺めた。私は不幸の塊です、と言わんばかりの陰気なオーラを放つステイラ・ヴォーカ、彼女の姿が見当たらないのだ。
救護室でシャイナが言っていた言葉、それを思い出す。最後列に座るハルカの、五列前の席にシャイナは座っていた。左に束ねた三つ編み、左側から右側にかけて眼帯の紐がかかっていた。まだ彼女の右目は回復していなかった。
――卒業試験担当教官である三人と、学園長を……私は疑っています。
俺たちが旅行に行っている間、何があったんだ……?
ポラジットはハルカには何も語らなかった。シャイナの言葉を受け、ポラジットがどういった行動に出たのか、ハルカは全く知らないのだ。
しかし、変化は確実に起こっている。何かがあったのは明白だ。
「なんで……」
どうして何も言ってくれないんだ?
試験を前に心配をかけたくなかったからか? 俺では太刀打ちできない問題だからか?
ぎり、とハルカは唇を噛んだ。
「確か、ヴォーカ教官、訓練用依頼の窓口も担当してる」
「考えたくねぇけど、ヴォーカ教官なら、あの日、俺たちがルドルフト・ルドルに会うことを知っていてもおかしくない、か」
サクラとルイズの言葉は最もだ。ステイラが黒であれば、全ての事柄に納得がいく説明がつくのだ。
それを突き止めたポラジットが何らかの手を打った、としか考えられない。
だけど……。
ハルカは逡巡する。そうだと言い切れない何かが、ある。
今まで何枚も上手だった犯人が、こうも容易く捕まるだろうか?
「この後は速やかに校庭に集合して下さい。では、説明は以上になります」
ガタガタ、と席を立つ音がし、ハルカの思考が現実に引き戻される。
「ハルカ、行こう?」
獣人族の少女が、気遣わしげにハルカに声をかける。
見慣れたその無表情に、ハルカは少し安堵しながらも、頭の中の一抹の不安は拭いきれずにいた。
*****
ポラジットは学園内のある一室を目指して歩いた。校庭に行く前に、もう一度彼女と話をしなければ……そう思ったからだ。
その部屋は五階、南側にある学園長室の真下に位置していた。
生徒は入ることを禁じられた、いや、その存在さえ知られていない部屋。強力な封印を施されたその部屋は、学園長の許しを得た者しか目視することが叶わない。
ポラジットはそこへ吸い込まれるように入っていく。奇妙な紋様が刻まれた重い木の扉は、右手で軽く押すだけで開いた。
「ヴォーカ教官、失礼致します」
その部屋には窓一つない。部屋の戸口にかけてあった燭台を、ポラジットは手に取った。この部屋の唯一の明かりである一本の蝋燭が、空間を仄かに照らす。
扉に施されていた紋様と同じものが床にも壁にも一面に描かれていた。不可思議な幾何学模様は、不思議と見る者に圧迫感を与える。
その最奥、鉄格子の牢に、ステイラ・ヴォーカは戸口側に背を向けて蹲っていた。
「デュロイ教官……」
ステイラは声のした方に顔だけ向けた。長い前髪の奥で、瞳が鈍い光を放つ。
「これで、満足かしら? 私を、こんな所に閉じ込めて」
ステイラは自嘲気味に笑った。
「あなたの召喚獣に拘束され、丸裸にされて……挙句の果てにはこんなところに私を閉じ込めるなんて。本当、あなたって酷いことをするのね」
「生徒のためです。ヴォーカ教官、ご理解下さい」
ポラジットは静かに目を伏せ、鉄格子越しに頭を下げた。
「構いませんわ。ですが、私が『虚無なる鴉』の手の者と仮定して……生徒たち、あなたの究極召喚獣は納得するかしら?」
「どういう、意味ですか」
「あなた一人の手に負えるほど、相手は優しくないということですわ」
ステイラは口の端を吊り上げる。
「それに、あなたが思っているほど、ハルカ・ユウキは守られるべき存在でもない、ということ」
光のない部屋で、暗闇が自分のテリトリーだとでも言いたげに自信に満ちた表情だ。
「まぁ、いいですわ、デュロイ教官。私は、私に出来ることをするまでですもの」
ポラジットはぐっ、と燭台の取っ手を握りしめる。
何が起こっても、食い止めてみせる。今度こそ、私が。
「ヴォーカ教官、それでは試験が始まりますので……」
ポラジットはステイラに背を向ける。背後でステイラがくつくつ、と低く笑った。
「デュロイ教官、お手並み拝見致しますわ」
しかし、その声は扉の閉まる音にかき消され、ポラジットの耳に届くことはなかった。
*****
学園の敷地、ちょうど中央に本館が、そして本館の北に校庭はある。校庭と言っても、ハルカの世界のような、運動器具や遊具などが並んでいるわけではない。ただの砂地に、申し訳程度の芝が生えているだけだ。
ここは、体を動かす訓練を行うためだけの場所なのだ。もちろん、休み時間になれば、球技で汗を流す生徒の姿もちらほら見られるが。
ハルカはルイズ、サクラとともに校庭に出た。シャイナはパーティーが違うので、別行動を取っていた。
自然とそれぞれのパーティーメンバーがより集まり、点々と生徒の固まりができる。
「なぁ、お前らはさ、ヴォーカ教官が黒だ……って、思うか?」
ハルカは二人に問うた。振り払えない違和感を感じているのは自分だけなのか。ハルカはそれが気になった。
「まぁな、信じたくはねぇけど、実際この場にいない上に、試験担当からも外されてちゃな。何かあるって考えるのが妥当だろ」
「なぁ、サクラ、一つ聞いてもいいか?」
サクラはこくり、と頷く。
「あの依頼、ヴォーカ教官が勧めてくれたのか?」
ハルカたちが掃討依頼を受けたことを知っているだけでは、犯人の決め手にはならない。
そうだ……俺たちがルドルフト・ルドルと対峙するよう仕向けたのは誰だ?
あの依頼を受けるように仕向けたのは、誰だ?
サクラは思いを巡らせ、そして、束の間、躊躇いを見せた。
「あの時、私に依頼を勧めてくれたのは……ううん、だとしても、そんなはず……」
「サクラ?」
ハルカはサクラの両腕をぐっ、と掴んだ。
違うのか……? ヴォーカ教官が勧めてくれたんじゃないのか??
「あの時、私に、あの依頼を勧めてくれたのは――」
サクラが口を開き……突如、轟音が天地を揺るがせた。
「……っ! 上か!!」
音源は、ハルカたちの頭上。ハルカは空を仰ぎ見た。
辺りにチラチラと黒い雪が降り注ぐ。しかし、その雪は熱で溶けることはなく、着地したその場に留まり続けた。
「ぐぅっ!!」
サクラが鼻と口を手で覆い、体をくの字に曲げた。
「サクラ!?」
すぐさまルイズがサクラの肩を抱き、体を支える。サクラは何度もむせ込み、呼吸するのもままならないようだ。五感の鋭いサクラだからこそ感じたことがあるのかもしれない。サクラ以外の獣人族の生徒も、同じように苦しんでいた。
この黒い雪は……きっと毒だ。遅かれ早かれ、俺たちも蝕まれる。
「空中庭園から、か」
本館屋上にある空中庭園、その温室の天井が穿たれ、そこから黒い雪がもうもうと立ち上っていた。
――俺が、止めなければ。
「ハルカ、私も、行く」
ルイズに支えられながら、サクラは立った。
「あそこは、大切な、場所。これ以上、汚させない!」
「でも、サクラ……!」
ハルカの制止を振りほどき、サクラは前へ進みでる。ルイズが強くサクラを押しとどめるものの、サクラの強い思いがそれを上回った。
「絶対、足手まといにならない! だからお願い!」
「ならば、俺も連れて行け、サクラ。それが、お前がハルカについて行く条件だ」
ルイズがサクラの手首を握り返した。
「あら、ルイズ。いつの間にそんないい男になったのよ」
ハルカの背後から聞き慣れた声が聞こえた。学年主席の光魔法使いは不敵な笑みを浮かべ、ハルカたちに近づいてきた。
シャイナは右手をサクラにかざす。柔なかな金色の光が、サクラの体を包んだ。
「体が……楽になった……」
「まったく。足手まといにならないのはいいけど、サクラ、あなた毒に犯された体でどこへ行く気なの。そもそもこのパーティー、回復役がいないじゃない。私も同行させてもらうわ」
ハルカは黙って頷いた。そして、短く告げる。
「今度こそ、ケリをつける」
二本の剣を抜き放ち、ハルカはそれを高く天にかかげた。




