第7話:語らいのひととき(前編)
南方大陸東部の港町から出発し、丸二日が経った。
終戦直後にも関わらず、街が荒れている様子はない。
戦場になっていたのが東方大陸だったためだろうか、この辺りは戦火を免れたようだ。
寝ることと食べること以外、休むことなく竜馬車を進めていた一行は、デネアの一歩手前というところまでやってきていた。
軍の手続きがあるから、と言うライラに従い、一行は街道沿いの宿場町に立ち寄ることにしたのだ。
宿を取ることはせず、野宿で夜を過ごし、さらに不味い乾燥パンのような保存食ばかりで空腹を凌いでいたせいか、ハルカは心身ともに疲れ切っていた。
その様子を見かねたハロルドは、ライラの仕事が済むやいなや、三人をある店に引きずっていった。
「ほら、ここの食堂、おいらのイチオシなんだよ~! ユーリアス牛のローストが絶品!」
ハロルドが案内したのは、港町からデネアへと続く街道にある、小さな安食堂だ。
木造のボロ屋に所狭しとテーブルが並んでいる。
カウンターの奥にある棚には、各地の銘酒が揃っている。
料理よりもこれが目当ての客も多かった。
店主は忙しそうに料理を運び、行ったり来たりを繰り返している。
どうやらなかなか流行っているらしく、真昼の暑い太陽の下、行列に並んでようやく入ることができたのだ。
手枷をはめたまま店内に入るわけにもいかないというわけで、ハルカは店内限定で解放されることになった。
もちろん、両隣はライラとハロルド、正面はポラジットにぎっちり固められてはいるが。
「えぇっと注文は、ユーリアス牛のロースト、付け合わせはザラ産の季節の彩り野菜盛り、店主拘りのバターロールパンに、ラグシロップのソーダ割り……。全部大盛りでね~!」
運ばれてきた料理を前に、ハロルドは自前のウンチクを語り始める。
どの産地の野菜が一番うまいだの、この店のソースの隠し味は季節によって違うだの……よくもこれほど話す内容があるものだ、とハルカは呆れるほどだった。
ロクな食事を取っていなかったハルカにとって、まともな食事はまさに救いだ。
ふわりと鼻腔をくすぐる芳醇な香りに、ハルカだけでなくポラジットもライラもごくりと唾を飲み込んだ。
「ライラって気が利かないんだよ。ごめんね、ハルカくん。休みなくここまで移動詰めでさ」
「なに!? 私はただ、なんとかしてやりたいだけで……」
ソーダ割りで喉を潤し、ハロルドが困った顔で言った。
ライラはムキになって応戦する。
「わかってるよ、わかってるよ、ライラ。でもさ、心細い状況で心身ともに追い詰めなくてもさぁ。なんていうか、腹ぐらいは満たしてやらなきゃダメだよ」
ムキになって反論するライラを放っぽって、ハロルドはへらへらと料理を口に運んだ。
それにならって、ハルカも恐る恐るロースト肉に口をつける。甘い肉汁が溢れ出し、肉は瞬く間に胃の腑へ落ちていった。
「うまい……!」
「でしょ、でしょ~?」
自分が作ったわけでもないのに、やたらと嬉しそうにはしゃぐハロルド。
そんな彼を見て、ハルカは素直に頷いた。
美味い料理で腹が満たされれば、不思議と余裕が出てくるものだ。
ハルカは一息つくと、ハロルドたちに尋ねた。
「怪我した兵士たちは……どうなったんだ?」
「ん、なに、気になるの? ……ハルカくんは優しいんだね。君の方こそ、それどころじゃないのに」
ハロルドは柔和な笑みでハルカに応えた。
「別に……」
優しさ、などというつもりは毛頭なかった。
ただ平和な日本で生まれ育ったハルカにとって、戦争というものはテレビや教科書でしか見たことのないものだ。
アイルディアに召喚された直後、戦争は終結し、自分がそれを目の当たりにすることはなかった。
今の今まで戦争が行われていたと言われても、正直ピンと来なかった。
だが、海蛇との戦闘後、船内で負傷した兵士を見た途端、それはハルカにとっての現実になったのだ。
ここは平和な世界ではない、現に戦禍に巻き込まれた人間が目の前にいる──。
血で血を洗う戦が繰り広げられていた、ということを思い知った瞬間だった。
「案ずることはない。この宿場町は軍の療養設備としての機能も持っている。先ほど軍の病院の方に兵士たちを引き渡した」
ライラが横から答える。
ハロルドに無神経呼ばわりされたことに腹を立てているのだろうか。
自分はちゃんと考えている、とでも言わんばかりの勢いだ。
「そっか」
ハルカはほんの少し、安堵する。
そんなことを聞いてしまったことに気恥ずかしさを覚えたハルカは、堪らず飲み物を口に含む。
シュワシュワと泡が弾ける感覚に目を細めた。
(ラグの実のシロップ……なんだか元の世界のオレンジに似た味だ……)
この世界に来てからたった二日だ。
それでも、随分前のような気がする。
元の世界の食べ物とよく似た味を感じるだけで、切なかった。
「今夜はここで宿を取ろう。デネアに着いたら、きっと忙しいよ。ハルカくんもゆっくり休んでね」
遠い目をしているハルカに気づき、ハロルドが穏やかな口調で言った。
ハルカはもう一口、ラグシロップを飲み干した。
*****
食堂の二階は宿屋になっていた。
二組のベッド、小さなテーブルセット、バスルームという最低限のものだけが揃った部屋だ。
ハロルドは二人部屋を二つ取った。
ライラとポラジットの部屋と、ハルカとハロルドの部屋だ。
ポラジットは壁にかかった時計を確認すると、ライラに少し出ます、と一言告げた。
二十の刻。
ハロルドが指定した時刻だ。ハロルドたちの部屋に来るように、とのことだった。
(私だけに話って……?)
ポラジットは隣室の扉の前に立ち、改めて部屋名を確認した。
緑のペンキが塗られた木戸には「荒くれ鳥の部屋」と書かれている。
ハルカとハロルドの部屋に間違いない。
ポラジットは扉を三度、ノックした。
「あいてるよ、ポラジット。入って~」
部屋の中からのんびりとした声が返ってきた。
自分じゃなかったらどうするつもりなのだろう、と少々苦笑いしながら、ポラジットは戸を開けた。
「失礼致します。……あれ? ハルカの姿が見当たりませんが?」
ハロルドはベッドサイドで椅子に座り、銃の手入れをしているところだった。
体の大きいハロルドには部屋の椅子はやや小さすぎるらしく、とても窮屈そうだ。
「ハルカくんはね、今、入浴中」
「へ?」
思わずポラジットは間抜けな声をあげた。
別にハルカの体を見たわけではないが、妙に落ち着かなく、頬が熱っぽくなる。
「やだなぁ、ポラジット、何想像してるの~? やらしい~」
「想像なんてしてませんっ! 監視はいいのですかっ!? 入浴中に逃げられたら……」
「あのさ、その辺は抜かりないよ。ちゃんと宿の周囲に兵を配置してあるし、そもそもライラとおいらから逃げられると思う?」
「お、思いません……。そ、それより、お話とはなんでしょうかっ」
懸命に動揺を隠そうとするポラジットを、ハロルドはニヤニヤと見やる。
そして、こほんと改まったように一つ、咳をした。
「ハルカくんのね、話し相手になってあげてよ。もちろん、一晩一緒にいろ、なんて言わないよ。おいらが下の食堂で一杯ひっかけてる間だけでいいんだ」
「話し相手……ですか」
ポラジットは目をぱちくりさせながら、ハロルドの言葉を反芻した。
「お言葉ですが……。それならハロルド将軍の方が適任なのではないでしょうか。私にそれが務まるとは……」
ハルカの心を開けるとは、ポラジットには到底思えなかったのだ。
ハロルドなら話もうまい。
ハルカを安心させることができるだろう。
「いやいや、ポラジット。君じゃなきゃぁ。おいらはダメだ」
ハロルドはフッと笑い、立ち上がった。
戸口で立ち尽くすポラジットに近寄り、その肩にぽんと手を置く。
「あの子……ハルカくんはどう見ても十四、五歳だろ? 君は十五になったばかりだ」
「年齢は関係ありま……」
「いいや。おいらはハルカくんに話をしてやることはできる。でも、ハルカくんがおいらに話してくれることはないだろう。おいらの方が随分年上だ。どこか遠慮しちゃうんだろうね。思いも感情もぶつけられる……おいらはそんな相手にはなれないよ」
何でも包み隠さず話せる相手を作ってやりたいんだ、とハロルドはそう続けた。
せめて年齢の近いポラジットに対して、幾分かでも打ち解けてくれれば、ハルカの負担も軽くなるのではないか、と考えていたのだ。
「だけど、それは同時に辛い役でもあるんだ。怒りも悲しみも、全部聞いてやれってことだからね。無理なら……できない、と言ってくれていいんだよ」
行き場のない怒りがポラジットに向けられる可能性もあった。
その時、ポラジットは辛い思いをするだろう。
どんなにハルカが怒りの声をあげても、彼ががこの世界に喚ばれた事実を変えてやることはできないのだ。
(正直、怖い。人の思いを正面から受け止められる自信なんかない。でも……)
気遣うようなハロルドの視線を、ポラジットはまっすぐ受け止めた。
「私、やります。きっとそれを含めて、老師は私にハルカを頼む、とおっしゃったのでしょうから」
バスルームから流れる水音が微かに聞こえる。
ハロルドは黙り込み、だがしかし、どこか満足そうに目を閉じた。
「やっぱり、君は真面目だねぇ、ポラジット」
ハロルドの手がポラジットの肩から離れた。
ハロルドはテーブルの上にある鍵をつまみ上げる。
部屋名の書かれたキーホルダーに指を入れ、器用にくるくると回し始めた。
「じゃあ、おいらはライラでも誘ってくるよ。ライラも今回ばかりは相当頭を悩ませただろうしさ」
「そうですね」
帝国の総攻撃の後、冷静に場を取り仕切ったライラであったが、誰よりもハルカの処遇に頭を悩ませ、今後を案じていたことを二人は知っていた。
片手を軽く振り、部屋を出て行くハロルド。
彼の背を見送った後、ポラジットは部屋の鍵を閉ざした。
万が一ハルカが脱走しようとした時の対策だ。
ポラジットはそのまま扉にこつん、と額をつけ、下唇を噛んだ。
おそらく、ハルカは何も語らないだろう。
こちらが話しかけ、心を解かない限り、彼が思いの丈を吐き出すことはない。
悲しみも怒りも戸惑いも……すべて引き出すためには、こちらがまずは動かなければいけない。
ハルカの信頼を得、彼をこちらに引き入れる……。
ハルカの不安を取り去ってあげたいと思う一方で、バハムートを味方につけたいという打算がつい働いてしまう。
そんな自身の醜い思考に、ポラジットはくしゃりと顔を歪めた。
(ダメだわ……。こんな考え方しかできないなんて)
自己嫌悪でうなだれたその時だった。
「お前……。なんでこんなところにいるんだよ」
背後から聞こえた声に、ポラジットは咄嗟に振り返る。
「あの……私は……」
急なことに、心の準備がまだできていなかった。
ポラジットはどきまぎと挙動不審に視線を泳がせる。
部屋の中央、濡れたままの髪でハルカが立っていた。




