第35話:異世界の車窓から(後編)
「なぁ、ここにある瓶詰めで、なんとか食いつなげたんじゃねぇのか? わざわざ買い出しになんか行かせなくてもよ。そもそもなんで管理人に買い出し行っとけって命令しとかなかったんだよ」
「……あなた、人の家に世話になるっていうのに、よくもずけずけと言えたものね」
クライア家別荘、地下にある食料庫……肌寒いその場所で、ルイズとシャイナは睨み合っていた。
剥き出しの土壁は触れると冷たく、食料を低温保存しておくにはうってつけの場所だ。木の柱は光沢を失ってはいたが、しっかりと倉庫を支えていた。
壁にかけられたランプの中で、ゆらゆらと蝋燭の火が揺れる。少々灯としては頼りないものではあるが、手元を照らす程度ならば十分だった。
「それに、瓶詰めだけで夕食を済ませるなんて、どういう神経してるのかしら。あなた、ちゃんとした食事取ってるの?」
「うるせぇな、ほっとけ」
ルイズは食料がびっしりと詰まった棚から、野菜の酢漬けの瓶を取り出した。キュポン、と蓋を開け、中身を一切れ摘み食いした。
「本当は、あなたとハルカに行ってもらうつもりだったのに……」
「しゃーねぇだろ、サクラが行くって言い出したんだからよ」
それは別荘に着き、シャイナが食材の買い出しを提案した時だった。
シャイナがハルカの名前を口にした瞬間、サクラがシャイナの言葉を遮ったのだ。
――私も、ハルカと行く。
荷物がかさばるかもしれないから、力仕事は男共に任せておいたらいいから……シャイナはサクラを説得したが、サクラは頑として聞き入れなかった。
「あの時、あなたがサクラを止めてくれたらよかったのにねぇ。『俺が行くから、サクラはゆっくりしてろ』……なぁんて、気の利いたことも言えないのね」
ソースの瓶を手に取り、シャイナがため息混じりに呟いた。
「馬鹿野郎、なんで俺様がそんなこと言わなきゃいけねえんだよ」
「なんで俺様が、って。あなたこそ馬鹿なの?」
「おま……馬鹿って言うんじゃねぇ!」
「言うわよ。あなた、サクラに気があるんでしょ?」
「……っ!」
ルイズが小さく息を呑む。表情を読まれないように、蝋燭から顔を背けた。
「そんなわけねぇだろ。俺は誇り高き竜騎族だぜ。獣人族の女なんか、微塵も気にかけてねぇよ」
低い声でルイズは言う。
そう、竜騎族の俺様が、野蛮な民族に……そんなこと、あっていいはずねぇ。
そんなルイズの胸中を見透かすように、シャイナはすっ、と目を細めた。
「あなたね、もう差別だとか野蛮だとか、そういう世の中じゃなくなってきていることくらい分かってるでしょう? 今はそれでも通るのかもしれない。でも、そのくだらない選民意識が、プライドが……通用しなくなるのも時間の問題だと思うわ」
……そんなこと、分かってる。
だが、小さい頃から叩き込まれた、竜騎族としてのプライドが、それを許さないのだ。
竜騎族が、この世界の至高の民族。最も神に近い一族だ。ルイズは……いや、竜騎族は皆、そう言い聞かされて育つのだ。
「まぁ、いいわ。竜騎族が傲慢なのは今に始まったことじゃないし。それより……いいの? サクラはハルカに好意を持ってるのは明らかよ」
「だから、何だって言うんだ」
ルイズはもう一欠片、酢漬けを摘み、口にする。本当はこんな不毛なやり取りは、早く終わらせてしまいたかった。
「サクラの心が、ハルカの方に向かってしまってもいいのか、って言ってるの。男として、何とかしてやろうとか思わないわけ?」
「……別に、どうだっていいじゃねぇか。どうせ、叶うはずのない恋なんだからよ」
その刹那、シャイナがルイズの頬を両手で挟み、自分の方へぐい、と顔を向けた。二人の視線が交差し、音が消える。
先に口火を切ったのはシャイナだった。
「あなた、それを黙ってみているつもりなの?」
「どうせハルカのやつは、元の世界に帰るつもりなんだ。サクラが足掻こうが、世界の違う人間なんだよ。俺たちはハルカの世界には行けやしねぇんだ。あいつがこの世界に留まっている間くらい……サクラの好きにさせてやればいいだろ」
「サクラが傷つくのが分かっているのに……自分に振り向かせてやろうって、思わないの? 異世界の壁より種族の壁の方がどう考えても低いじゃないの」
ルイズは頬からシャイナの手を外し、再び食料棚に向き直った。
「だから、俺様には関係ないっつってんの」
シャイナはしばらくその場でルイズを見つめた後、諦めたかのように一歩退いた。調理に使えそうな瓶詰めをいくつか抱え、食料庫の出口にある階段の前で足を止めた。
「……ルイズ、あなた、とても卑怯ね」
シャイナはそう告げる。そのままシャイナは振り返ることなく、階段を上がっていった。
*****
十五の刻を少し回ったところで、ハルカとサクラはようやく別荘に帰ってきた。風はあるものの、日はまだ高く、二人とも額にうっすらと汗が滲んでいた。
「おかえり、いい品物あった? 食料庫には調味料が揃っていたわ。何を作ろうかしら……腕が鳴るわね」
シャイナが満面の笑みでハルカたちを迎えた。ハルカの手から、紙袋を一つ受け取り、上機嫌でくるり、とターンする。
しかし、その後ろのルイズは仏頂面で、おかえりの一言もない。
――何か、あったのかよ。
二人の間でどのような会話が交わされたのか、ハルカには知る由もない。それ以上に、変に首を突っ込んで、事を荒立てないようにしよう……そう強く思うハルカだった。
シャイナに促され、ハルカたちは別荘の奥へと向かった。
玄関には複雑な模様が織られた絨毯、邸の奥へと続く廊下の壁際には絵画や彫刻、陶器等が置かれていて、歩くのも一苦労だ。これらのどこか一つにでも傷がつこうものなら……旅行代の比にならないほど高額な費用を請求されるに違いない。そう思うと、呼吸をするのにも気を使った。
シャイナに案内されたのは、厨房だ。
厨房、といってもそこにあるのは、食材を切るための台や、盛り付け用の皿が並んだ棚しかない。奥の方に、煉瓦造りの調理炉があるが、あまり使われていないのか、比較的汚れは少ない。
白い琺瑯の壁に、蔦模様が描かれている。この辺りの地域を描いているのか、ところどころ蔦と麦穂が絡み合っていた。
同じく、琺瑯の台に、シャイナがどさり、と袋を置いた。中身を取り出し、チェックする。
「肉に魚……。あら、気が利いているのね、飲み物まであるわ。どこかの誰かさんとは大違いねっ!」
「え、と。シャイナ、どうしたの?」
おろおろと耳を垂れ、サクラがシャイナに問いかける。いいえ、何もないのよ、とシャイナは最高のスマイルでサクラに応じた。
絶対、ルイズのやつと何かあっただろ、これ……。どっちに尋ねたところで、状況把握できるような答えが返ってくるとは思えねぇけど。
ハルカは、ハハハ、と苦笑した。
一通り、食材を確認したシャイナがよし、と一つ頷く。それから、提案なんだけど……と口を開いた。
「ねぇ、皆でこんな風に集まって料理する機会なんて、きっともうないと思うの。だから……」
うんうん、そうだよな。料理って言っても使用人任せで、こっちの世界では何一つやってこなかったしなぁ……。
腕を組みながら物思いにふけるハルカ……彼の背筋に戦慄が走った。
「異世界の料理、食べてみたいと思わない? もちろん、この世界にはない食材もあるとは思うけど、できる範囲でっていうことで」
シャイナは人差し指をぴん、と立て、おどけた表情でハルカを見つめた。
「え……?」
……元の世界ではインスタントラーメンくらいしか作ったことねぇんだよ。
ハルカの眼前に並んでいるのは、いつも頼りになるクラスメイトではなく、獲物を今か今かと待ち構える、飢えた獣たちだった……。




