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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第3章:黒蝶の鎮魂歌
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第34話:異世界の車窓から(中編)

 こじんまりとしたその駅は、質素だが、旅行客を歓迎しようという気持ちで溢れていた。

 赤煉瓦のプラットホーム、端には色鮮やかな花が咲いている。赤、白、黄……五月の初夏の気候は花に生気を与えていた。

 瑞々しい麦の香りが漂う。ハルカはその空気を胸いっぱい吸い込んだ。


「滞在は一泊ですか? ゆっくりしていってくださいね」


 老齢の駅員が、改札口を通るハルカたちに語った。少し汗ばむ気候のせいか、顔がうっすら赤味を帯びている。長袖の制服を着ているせいでもあるのだろう。

 ハルカたちはそれぞれの荷物を手に抱え、駅員に笑顔で礼を言うと、そのまま改札の外へ出た。


 駅前には小さな商店がばらばらと立ち並び、人通りも少なくない。

 ザラの大街道のように、住居となる家屋の軒先で店を開いているのではなく、建物一軒が丸ごと一つの店になっているようだ。ザラほどではないが、和やかな活気に満ちていた。

 商店街を抜けると、そこには麦畑が広がっていた。畑の中を通っている農道を歩く。駅から遠く離れた場所にあった、フレイア家の別荘に徐々に近づいていた。

 

「近くで見ると、またすげえな。別荘っていうより、屋敷って感じがする」


 農道の終点、別荘の門前でハルカは感嘆の声を漏らした。別荘の周囲を囲む黒の鉄柵と、それと同じ黒の鉄門が、より物々しさを醸し出している。


「遠慮しないで入って。ようこそ、私の別荘へ」


 シャイナが一歩前に進み出て、門の前に立ち、獅子を象った取っ手に触れた。一瞬、取っ手が薄い赤の光を放ち……カチリ、と門の鍵が開く音がする。

 それを不思議そうに見つめるハルカに気づいたシャイナは、ハルカを覗き込みながら言葉を付け加えた。

 

「フレイア家の血で反応するの。防犯装置みたいなものよ」


 シャイナは軽く、門扉を押す。ギギ、と錆び付いた音を立て、門が大きく開いた。


 *****


「これで買い物、終わり」


 肉や魚、野菜や果物の入った紙袋を左手に、買い物メモを右手に持ったサクラが、ハルカに声をかける。


「やっと終わり。帰ろうか、荷物も結構あるし」


 一方のハルカは両脇に紙袋――それも足元が見えないほどの大荷物――を抱えながら、ひぃひぃと悲鳴をあげた。


 ハルカとサクラは駅前の商店街に再び戻ってきていた。

 というのも、シャイナのとんでもない一言が発端だった。

 ――今日の夕飯の食材、ないから。

 食べ盛りのハルカたちにとって、食料がないというのは脅威以外の何物でもない。

 別荘でのバカンスというウキウキ気分を吹き飛ばされ、食料確保という課題を突きつけられたのだ。


「俺たちが来るって分かってるんだし、食材くらい用意しておいてくれよなぁ」


 ハルカの甘えた発言を聞き、めっ、とサクラが小さく叱る。


「お世話になるのは私たち。少しくらい、自分たちでしなきゃ」


 そうなんだけど……と言いかけたハルカを放って、サクラが急に小走りになった。

 サクラの向かった先は、商店街の中心にある広場だ。

 広場のシンボルである花時計の周りには、たくさんの屋台が並んでいた。どの屋台もスナック感覚で食べられるものばかりを売っている。天気も良い安息日は格好のかきいれ時なのだろう。


「ハルカ、あれ、食べよう」


 サクラが指差した先にあるのは、黄色と桃色のストライプ柄の、可愛らしい屋台。看板にはパンケーキに挟まれた果物の絵が描かれている。


「食うって……お前、荷物もこんなにあるのに……」

「すみません。二つ下さい。一つはトカの実、もう一つはラグの実、トッピングで」

「って、話、聞けよっ!」

「ん、何?」


 耳をパタパタとさせ、嬉しそうに振り返ったサクラを見ると、すっかり怒る気力もなくなってしまう。ハルカはまぁいいか、と独りごちた。

 小太りの女店主が、熱い鉄板に生地を流し込む。あたり一面に香ばしい匂いが立ち込め、ハルカの腹の音がぐぅ、と鳴った。

 サクラは片手で、焼きあがった品物を二つ、器用に受け取ると、ハルカの元へ駆け寄った。


「これ、この辺りの名物なんだって。クレーピア、って言うの。店のおばさんが教えてくれた」


 二人は広場にあるベンチに腰掛け、荷物を置いた。サクラはラグの実入りのクレーピアをハルカに差し出す。

 サクラの手からそれを受け取り、口元に近づける。甘酸っぱいラグの実の香りが、鼻腔をくすぐった。

 この香り、みかんに似た香り……元の世界を思い出しちまう。

 ハルカはすっかり遠くなってしまった自身の世界を思い浮かべた。


「ハルカ。もうすぐ卒業だね。色々あった」


 不意にサクラも思い出に浸り始める。普段なら、いきなり何を、と思うハルカも、今ばかりは同じ気分だった。


「そうだな、色々あった」

「私、ハルカが初めて話しかけてくれた日のこと、ちゃんと覚えてる」

「……ああ」

「私の名前を、褒めてくれた」


 ハルカもそのことははっきりと覚えていた。

 アイルディアに馴染めず、だがアイルディアでの生活を放棄するわけにもいかず、身動きが取れずにいた頃だ。

 

「あの頃のハルカは、どこかアイルディアを拒絶していた」


 どっちつかずな自分を変えようと決意し、声をかけたのが……同じクラスで孤立していた少女、サクラ・フェイ。


「声をかけてくれて、嬉しかった。でも、ハルカは絶対、私たちには歩み寄ってくれないんだろうって、ずっと思ってた」


 甘い香りが、脳を刺激する。

 胸の痛みを伴い、記憶が呼び起こされる。

 サクラに声をかけたきっかけ、そして、ハルカがアイルディアに触れようと思い直した契機。

 ハルカは俯き、自分の靴先を見つめる。


「似ていた、からかな」


 頭の芯がぼうっとする。束の間の休息に頭がなじめていないのか。言葉がうまく出ず、ハルカは黙り込んだ。

 懐かしい兄のような彼女。元の世界の花の名。

 痛いほどに、帰りたいと。


「ハルカ……?」


 サクラの声が、ハルカを現実に呼び戻す。膝においた、左手が痛んだ。

 そこに視線を移し、ハルカは痛みの理由を理解した。サクラが強く握っていたのだ。


「悪い、飛んでた」

「ごめん、変なこと、聞いた」


 ハルカは静かに首を横に振り、否定する。


「いや、悪いのは俺だ」

「ハルカ……」

「それよりさ、このクレーピアっての、うまいな!」


 暗くならないように、前向きでいられるように……ハルカは笑顔を作り、クレーピアにかぶりついた。


「これ、食べたこと、みんなには、内緒にしておく」


 ハルカの隣で、サクラも大きく口を開けた。

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