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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第3章:黒蝶の鎮魂歌
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第32話:鴉の輪郭(後編)

「え……この学園にって……」


 シャイナの唐突な一言。

 ハルカはその言葉を到底、信じることができなかった。

 クライア学園は、ハルカにとって思い入れもあり、この世界も悪くない、と思わせてくれた場所でもあったのだ。

 ポラジットの堅苦しい授業、無表情なサクラの顔、嫌味ったらしいルイズの声、そして世話焼きなシャイナの姿。この世界で、初めて友人と呼べる人に出会い、生きる術を学んだ。


「あくまで、私の推測に過ぎないけれど、おかしいと思わない? ハルカやデュロイ教官の情報が筒抜けなのよ? ハルカがどの依頼を受けたのか、卒業試験の一日目がどこで行われるのか……全て、犯人が学園の内部にいると仮定しなければ筋が通らないのよ」


 夕焼け色だった空には、薄く墨を垂らしたように黒が滲みつつあった。太陽は地平線の向こうに沈もうとしている。ハルカたちの足元の影も、より深く、濃いものになっていた。


「今回の一件で、『虚無なる鴉( ホロウ・クロウ)』が狙っているのはハルカたちだけじゃないってことが分かったわ。私やサクラ、ルイズまで標的にされているのよ。すぐそばに、私たちを狙っている人がいると思うと……私、不安でたまらないの」

「シャイナ……」


 シャイナは震える体を抑えるように、両腕で自身を抱き締めた。ポラジットがシャイナを気遣い、その名を呼ぶ。だが、怯えたシャイナの耳には、ポラジットの声さえも届いていなかった。

 シャイナは猜疑心に満ちた瞳でポラジットを見据えた。


「犯人が知っている情報は、私たち学生が知り得る情報でもありません。デュロイ教官、これらの情報は先生方にしか分からない情報なんです」


 そして、シャイナは一息に結論を口にする。


「卒業試験担当教官である三人と学園長を……私は疑っています」


 誰もが口をつぐんだ。

 シャイナが言ったことは一理あった。それゆえ、誰も反論できなかったのだ。


「あなたは……」


 会話の口火を切ったのは、ポラジットだった。


「私を、疑っているのですか?」

「お前は……あんなにもポラジットのことを慕っていたじゃねえか! 本気で疑ってるのかよ!」


 一喝したハルカを、ポラジットは手で押しとどめた。


「ハルカ。考えられる可能性はすべて考慮に入れなければなりません。私とて、例外ではないのですよ」


 だけどそんなこと、納得できない。

 どうすれば、疑いを晴らせるのか、ハルカには検討もつかなかった。ただただ、言われるがままに押し黙ることしかできない。

 シャイナから視線を外し、顔を伏せる。俯いた先、視界に入ったポラジットの手が小刻みに震えていた。

 ……そうだ、疑われてショックを受けているのはこいつなんだ。

 何より学園の中に真犯人がいるかもしれないという事実を突き付けられ、戸惑うのは彼女の方だった。

 怒りに任せ、シャイナに怒鳴った自分が恥ずかしかった。


「シ……シャイナ! ちょっと!」


 その時、サクラが唐突に声を上げた。ハルカはそれにつられ、顔を上げる。


「なっ……!? 何やってんだ、お前!?」


 ハルカの視線の先には――乱暴に自身のシャツのボタンをちぎり、上半身を露わにするシャイナの姿があった。

 シャイナの体を覆っているのは、程よい大きさの胸を隠す、白い下着だけだ。目のやり場に困ったハルカはきょろきょろと視線を泳がせる。ルイズは……顔を真っ赤にしながら回れ右、シャイナに背を向けていた。


「ハルカもルイズもこっちを見て。少なくとも私は『虚無なる鴉』の一員ではない、何よりの証拠よ!」

 

 ハルカとルイズは赤面しながらシャイナのすべらかな肌に目をやった。

 真っ白な肌には今回の騒動で負った傷跡が、微かに残っていた。


「デュロイ教官。ルドルフト・ルドルの体の……どこに鴉の印があったんですか」


 鋭い眼光でポラジットを射抜くシャイナ。それに応えるかのようにポラジットの瞳の色が一層深みを帯びる。


「――右腕の、上腕部です」


 シャイナは自分の右腕を前に伸ばした。そこにはシミなどひとつもない――もちろん、剣を咥えた鴉の刻印も。


「一方的に証拠を見せてください、と言ってもフェアじゃないですよね。ですが、これで私は教官にお願いすることができます」


 シャイナは語気を強め、ポラジットを問い詰めた。


「デュロイ教官……教官も右腕を見せてください」

 

 呼吸ができなくなるほど、空気が張り詰める。

 

「いいでしょう」


 厳しい声音で告げると、ポラジットはローブのボタンに手をかけた。質量のあるローブが、ばさりと床に広がる。

 その下は、白いブラウスとハイウエストのキュロットスカート――ポラジットの普段着――だ。

 ブラウスの袖を捲り上げるのかと思いきや……ポラジットはブラウスの一番上からボタンをぷち、と外し始めた。そのまま、順に下へと手が下りていく。

 その手は背中側にあるスカートのホックに伸びた。ポラジットは躊躇うことなく、それを脱ぎ去る。しゅる、と衣擦れの音がした。

 

「お、おい……ポラジット……」

「これで、身の潔白は証明できましたね」


 体の僅かな部分を隠すだけの布地を残し、ポラジットはシャイナの前で無防備な姿を晒した。

 恥じらう素振りを一切見せず、二人は無言で対峙した。

 ハルカとルイズは慌てて背を向ける。

 

「おい、お前、二人を止めろよ」


 ルイズがこそりとハルカに耳打ちした。


「馬鹿言うなよ、止められるわけねぇだろ」


 見てはいけないと頭では分かっていながらも、つい視線が二人に吸い寄せられてしまうのだった。

 ルイズがちらちらとサクラを見る。ハルカはルイズの頭を軽く叩いた。


「いてっ、何すんだよ」

「お前、サクラをチラ見してただろ。期待してんじゃねぇよ」

「……っ! 馬っ……期待なんてしてねぇよ」

「そこ、二人、黙って。それに、私、脱がないから」


 サクラがハルカとルイズの間に割って入り、二人の手の平をつねった。かなり強くつねったのか、二人は声にならない声で唸った。


 外野でそんなやり取りがされているとも知らず、シャイナとポラジットは互いに見つめ合ったまま、しばらく動かなかった。

 そして、少しの沈黙の後、先に折れたのはシャイナの方だった。


「……疑ったりして申し訳ありませんでした……デュロイ教官」


 ポラジットの眼光に耐えられなくなったシャイナが、目をそらす。

 ポラジットはほっと表情を緩め、床に落ちた衣服を拾った。


「いいえ、さすがは学年主席のシャイナ・フレイアですね。その分析力に脱帽です」


 再びその身に服を纏ったポラジットは、シャイナに背を向け、救護室の扉に手をかけた。


「デュロイ教官、どこへ……?」


 青の召喚士は振り返らなかった。


「学園長の所へ。皆さんはそろそろ帰宅なさい。くれぐれも道中は気をつけてくださいね」


 すっかり日が落ち、いつの間にか部屋にも廊下にもあかりが灯っていた。

 天井からぶら下がっているシャンデリアには蝋燭がいくつも立てられている。魔力を帯びた炎が揺らめき、ポラジットの小さな背中をぼんやりとてらした。


 ポラジットが救護室の扉を開け、吸い込まれるように廊下へと消えていくのを、ハルカたちは何も言わず……いや、何も言えずに見つめていた。


*****


「そうか、シャイナ・フレイアがそのようなことを言っておったのか」

「はい、学園長のお耳には入れておかなければと思いまして。杞憂かとは思いますが、カティア教官とヴォーカ教官にも念のため、監視を……」


 学園長アルフ・サイオスは、上質の一枚板でしつらえた机の上で手を組んだ。考え込むかのように指先をとんとん、と動かす。

 学園長室の調度品は、すべて一級の職人によって作られたものだ。何百年と使われてきた品々――机、書棚、燭台、絨等――は、深く味わいのある風合いを醸し出している。

 机を挟んだ向こうには、ポラジットが直立不動の姿勢で立っていた。その顔からは何を考えているかは読み取れない。

 不意に指の動きを止めたアルフは、ポラジットの背後にある、黒い革張りの応接椅子を指差した。

 

「デュロイ教官。まあ、そこの椅子にかけなさい。お茶でも一杯いかがかな」

「いえ、結構です。まだ職務も残っておりますので……お話は以上です」


 ポラジットはやんわりと断る。

 しかし、その目には穏やかさの欠片も宿ってはいなかった。


「君は私のことも疑っているのかね?」

「私は学園長を信頼しているからこそ、このことを申し上げました。疑ってなどおりません」


 模範解答のような返答に、アルフはくくく、と喉を鳴らして笑った。


「それは、私が君の恩師の弟だからかね?」

「学園長個人として信頼しています。老師とは何の関係もございません。仮に学園長が今回の騒動を引き起こした張本人でありましたら、私の目が曇っていたと……それだけのことです」


 ですが……、とポラジットは続ける。


「このようなことを申し上げる無礼をお許しください。もしも、学園長がハルカ・ユウキに危害を加えるようなことがありましたら……」


 ポラジットは空に手をかざし、蒼穹の杖を呼ぶ。青い光に包まれて現れたそれを握り、アルフの眼前に杖先を突きつけた。

 それら一連の動きは、一瞬のこと。


「我が師、ダヤン・サイオスの名にかけて、全力で阻止する所存です」


 アルフはポラジットの威嚇に一向に動じない。

 それどころか、さも愉快だと言わんばかりに大声で笑い出したのだ。


「ははははは! さすが兄の愛弟子よ。肝が座っている。構わぬよ、その覚悟であらば、咎めはせん」


 アルフはひとしきり笑うと、より深く椅子に腰かけた。


「デュロイ教官、君に一つ、頼みたいことがある。その覚悟を見込んでのことだ」

「私に、ですか?」


 ポラジットは杖をしまい、再度アルフの言葉に耳を傾ける。


「ああ、君にしかできないことだ」


 アルフは口の端を上げ、静かに目を伏せた。

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