第28話:地下大空洞(後編)
ルイズの思考は破壊衝動に支配されつつあった。竜としての本能が、敵を殲滅せよ、とルイズに告げる。
その声に応じ、戦いの渦に、竜と化した己が身を滑らせる。眼前で剣と槍が激しく交差した。しかし、竜の目を持つルイズにとって、その剣戟は野原を舞う蝶よりも遅く、頼りなく映った。
辛うじて残っていた「ルイズ・マードゥック」の自我が、手を動かす。戦うサクラの襟元に手をかけ、思い切り体を引いた。
細く、軽い少女の体は容易く吹き飛ぶ。背後で少女が地面に倒れる音がした。
その後の記憶は定かではない。
眠気まなこで大事な授業を受けている……そのような感じだった。
大切な場面であるのに、どこか自分とは関係ないことが行われている気がする。ルイズは傍観者だった。
それでも、体は動く。ルイズの意思とは関係なく、体は獲物を狙う。
無造作に伸ばされた鱗まみれの手が、大剣使いの頭を掴んだ。
*****
突如、地面を揺るがす咆哮が聞こえた。
サクラは首根っこを掴まれ、後方に引きずり倒される。地面についた手の平がずる、と擦り剥けた。
――敵の攻撃を読みきれなかった……?
そう判断したサクラは瞬時に身を起こし、短刀を握る。さらなる攻撃に備え、顔をあげた。
だが、いつまで経っても、それは訪れなかった。それどころか……自分は戦いの輪の中にすらいなかったのだ。
目の前では学園の制服を纏った赤い竜人が、大剣使いの後頭部を鷲掴みにしていた。
――もしかして、私を輪の外に逃がしたのは、この赤い竜人?
サクラはしばし考え込み、まじまじと竜人を見つめた。その横顔には見覚えがあった。
顔は鱗で覆われ、人のそれとは言えないが、微かに見知った人の面影を残していた。
「あなた……ルイズ?」
ぽつり、とサクラが名を呼ぶ。
名を呼ばれた竜人はサクラの方に振り返り、爬虫類を思わせる細長い黒目をさらに細めた。まるで、そうだ、と言っているように。
「邪魔をする者は、排除する!」
槍使いが、槍の穂先をルイズに向けた。槍使いの表情はその心情を推しはかることができないほど――無表情だ。味方が窮地に陥っているというのに、だ。
「危ない!」
サクラはルイズに向け思わず叫ぶも、間に合わない。
助走をつけ、槍使いがルイズの脇腹を一突した。どす、と嫌な音がする。
「……それで、刺したつもりか?」
しかし、ルイズはその攻撃を物ともせず、底冷えのする声で呟く。槍使いの顔を見下すように一瞥すると、槍の柄をがし、と掴み、一息で槍を引き抜いた。
深く刺さったかに見えたが、槍は皮膚を突き抜けていなかったらしい。穂先に赤い鱗が付着している……おそらく、固い鱗が槍を通さなかったのだろう。
ルイズは空いている左手でぐん、と槍を引き寄せた。槍使いが前のめりにつんのめる。
「本当に相手の息の根をとめるってのはな……こうするんだ」
刹那、ルイズの右足が地から離れる。
鈍い衝撃音、そしてくぐもった槍使いの呻き……ルイズの足は、槍使いの腹にめり込んでいた。一瞬遅れて、槍使いは仰向けで地面に踏み倒される。
「かはっ……!」
胃液が逆流し、槍使いの口から泡沫が飛ぶ。傷ひとつない床にひびが入り、その体は地面に沈んだ。
槍使いは痙攣しながら、目を剥く。そして、がくり、と糸の切れた操り人形のように動かなくなった。
「あぁ、そういえばお前もいたんだな」
ルイズはすっかり忘れていたと言わんばかりに、右手を見やる。そこには後頭部を掴まれ、その身を必死に捩る大剣使いの姿があった。
大剣使いは両手でルイズの手を引き離そうとするが、強靭なその手はびくともしない。身の丈ほどの大剣を振るう屈強な男であったが、竜人と化したルイズの前では非力な赤子同然だった。
「ふん……味気ない」
ルイズは全体重を右手にのせた。
大剣使いの頭は真っ直ぐ地面に接近し、顔面から突っ込む。ぐしゃり、と顔が潰れる音がする。
槍使いと同じく、地面が凹むほどの力で、大剣使いの顔は地面に押し当てられていた。
ルイズは右手をぐり、と左右に捻り、獲物の頭を押さえ込んだ。しかし、獲物はなかなか事切れない。地面から頭を起こそうと、腕に力を入れる。
「お前、まだやるのか」
舌打ちしながら、再びルイズは大剣使いの髪を掴み、体を起こす。大剣使いの顔は血で汚れ、鼻の骨は折れて曲がっていた。
「気絶しておいた方が楽だったのに……なぁ?」
そう言うと、ルイズは左手で血みどろの顔を鷲掴む。さらに大剣使いの体を宙に持ち上げ、壁に勢いよく打ち付けた。
「燃える気分、味わってみるか?」
ルイズは唇を薄く開いた。
その奥、ちらちらと炎が舞い踊る。初めはやわらかな橙色だった炎は、次第に青みを帯び、ついには汚れのない白炎へと変わっていった。
燃え盛る炎が、ルイズの口から漏れ出る。ふぅ、と息をつく度、白い火の粉が小さく爆ぜる。洞窟内の温度が、徐々に上がっていった。
サクラは自分の体を抱き締め、震えた。
ルイズの表情が、言葉が、動作が……確かにルイズであるはずなのに、ルイズじゃない。
ルイズはどこへ行ったのだろう? あれは、誰なのだろう?
「じゃあな、燃え滓ぐらいなら拾ってやるよ」
意識を手放しかけた大剣使いに、ルイズは顔を寄せる。残忍な、捕食者の顔だ。
――あれはルイズじゃない。あんなのは、私たちの知ってるルイズじゃない……!
「やめて……」
ルイズから発せられた白炎が、大剣使いの周りを囲む。
じり、と大剣使いの髪が焼け、焦げるにおいがする。
――こんなルイズは、見たくない!
「やめてえええええっ!!!」
サクラは叫んだ。あらん限りの声で叫んだ。
今まで生きてきた中で、こんなにも大声を出したことがあっただろうか?
どうか届いて欲しい。この声が、ルイズの元に――。
サクラの叫び声が洞窟内で反響する。
その声は、ルイズの鼓膜を震わせ、脳幹を刺激した。
「俺、は……」
ルイズの動きが止まった。
周囲の温度が急激に下がる。燃えるための糧を失った炎は、大剣使いに伸ばしていた手を縮めた。
ルイズの手から力が抜け、大剣使いが落下する。気絶した大剣使いの体が地面に転がった。
「俺……」
立ち尽くすルイズの元へ、サクラは駆け寄った。竜の姿のままのルイズに、サクラは問いかける。
「ルイズ、だよね?」
「あぁ……」
こういう時、何と言えばいいんだろう? 束の間、サクラは思案する。
うまい言葉が見つからない。だけど――。
サクラはルイズを見上げた。
「ルイズ、おかえり。助けてくれて、ありがとう」
ルイズに向かって、微笑む。
サクラはほんの少しだけ、誰かに笑いかけるのが上手くなったような気がした。
*****
アーチ状の入り口から、サクラは顔を覗かせた。柵もない、ただ開いただけの入り口だ。サクラは慎重に下を見下ろす。どうやらここは終の間の天井近くにある、通風孔のようだった。
「ルイズ、見て! ハルカだ!」
サクラは眼下で戦いを繰り広げるハルカたちから目を逸らさず、背後にいるルイズのブレザーの裾を引っ張った。
「ここ、通風孔だ。風が流れてる」
サクラはひくひく、と耳を動かし、風の流れを読み取った。
一方のルイズは、というと……すっかり拗ねていた。竜の姿のまま、サクラに背を向け、胡座をかいて不貞腐れていた。
「俺様が……こんな……」
この俺様が暴走という失態をおかしてしまうなんて。
幸い、あの二人の命に別状はなかった。が、相当傷を負っている。魔法を使ったとしても、回復にはかなりの時間がかかるだろう。
サクラが止めてくれなければ、彼らの命を奪っていたかもしれない。そう思うと、さらに苛立ちが募った。
竜人化は竜騎族特有のステータスのようなものだ。
竜は人をその背に乗せることはない。だが、半人半竜の竜騎族だけは例外だった。竜に騎乗する一族――竜騎族と呼ばれるようになった所以だ。
その反面、竜人化は危険も伴った。人の体に竜としての性質を宿すため、未熟な竜騎族が行えば、暴走することがあるのだ。暴走すれば、人としての自我を失い、破壊衝動に駆られる。先ほどのルイズがそうだった。
「まだ未熟だってのかよ……」
もうすぐ学園も卒業だ。もう一人前だと思っていたのに。次から次へとため息が止まらない。
見兼ねたサクラが、ルイズの方へ振り返った。
「ルイズ、さっきの二人は無事だった。とりあえず、それでいいじゃない。今はハルカたちを助ける方が優先」
ハルカたち、じゃなくてハルカ、の間違いじゃねえの。
ルイズは思わず言いかけた言葉を、すんでのところで飲み込んだ。
「分かってるっての」
再び終の間に視線を戻したサクラの隣から、ルイズも顔を覗かせた。
「ありゃ……蜘蛛か? やけにデカい蜘蛛だな」
「ねぇ、ルイズ。あの蜘蛛、変」
蜘蛛を凝視しながら、サクラが言った。
目をこすり、再度蜘蛛を見るが、ルイズにはサクラの言う違和感が感じられなかった。変だと言われても、そもそもあの蜘蛛自体が変なのだ。上半身は裸体の女人、下半身は黄と黒の縞模様をした脚が八本。目は人のそれではなく、蜘蛛の八つ目だ。それ以外に気になるところはなかった。
「蜘蛛の、首筋。髪に隠れて見えにくいけど、何か、いる」
「なんだよ、何かって?」
ルイズは目を凝らす。
女性の体をした蜘蛛の上半身……その白い首筋。確かにそこに何かがいた。
「なんだあれ。なめくじ……いや、蛭だ」
赤黒い蛭が、蜘蛛の首筋で蠢いていた。髪がなびいた一瞬しか見ることは叶わなかったが、人の拳大はあるだろうか。
「ねぇ、あれ……」
サクラが口を開きかけた時、蜘蛛の断末魔の悲鳴が聞こえた。
カナンが蜘蛛の脚を斬り、自身の根で蜘蛛の胸を貫いたのだ。
「……終わったな。あいつらだけでやれたじゃねえか」
ルイズがはは、と笑い、ハルカたちを指差す。サクラも胸を撫で下ろし、安堵の息をついた。
サクラは変だと心配していたが、杞憂に終わったんだ。その証拠に、蜘蛛は動かなくなったじゃねえか。
これで終わりだな。ルイズはそう思った。
――だが、致命傷を負いながらなお、蜘蛛は再び動き出したのだ。




