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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第3章:黒蝶の鎮魂歌
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第28話:地下大空洞(後編)

 ルイズの思考は破壊衝動に支配されつつあった。竜としての本能が、敵を殲滅せよ、とルイズに告げる。

 その声に応じ、戦いの渦に、竜と化したおのが身を滑らせる。眼前で剣と槍が激しく交差した。しかし、竜の目を持つルイズにとって、その剣戟は野原を舞う蝶よりも遅く、頼りなく映った。

 辛うじて残っていた「ルイズ・マードゥック」の自我が、手を動かす。戦うサクラの襟元に手をかけ、思い切り体を引いた。

 細く、軽い少女の体は容易く吹き飛ぶ。背後で少女が地面に倒れる音がした。


 その後の記憶は定かではない。

 眠気まなこで大事な授業を受けている……そのような感じだった。

 大切な場面であるのに、どこか自分とは関係ないことが行われている気がする。ルイズは傍観者だった。

 それでも、体は動く。ルイズの意思とは関係なく、体は獲物を狙う。

 無造作に伸ばされた鱗まみれの手が、大剣使いの頭を掴んだ。

 

 *****


 突如、地面を揺るがす咆哮が聞こえた。

 サクラは首根っこを掴まれ、後方に引きずり倒される。地面についた手の平がずる、と擦り剥けた。


 ――敵の攻撃を読みきれなかった……?


 そう判断したサクラは瞬時に身を起こし、短刀を握る。さらなる攻撃に備え、顔をあげた。

 だが、いつまで経っても、それは訪れなかった。それどころか……自分は戦いの輪の中にすらいなかったのだ。

 目の前では学園の制服を纏った赤い竜人が、大剣使いの後頭部を鷲掴みにしていた。


 ――もしかして、私を輪の外に逃がしたのは、この赤い竜人?


 サクラはしばし考え込み、まじまじと竜人を見つめた。その横顔には見覚えがあった。

 顔は鱗で覆われ、人のそれとは言えないが、微かに見知った人の面影を残していた。


「あなた……ルイズ?」


 ぽつり、とサクラが名を呼ぶ。

 名を呼ばれた竜人はサクラの方に振り返り、爬虫類を思わせる細長い黒目をさらに細めた。まるで、そうだ、と言っているように。


「邪魔をする者は、排除する!」


 槍使いが、槍の穂先をルイズに向けた。槍使いの表情はその心情を推しはかることができないほど――無表情だ。味方が窮地に陥っているというのに、だ。


「危ない!」


 サクラはルイズに向け思わず叫ぶも、間に合わない。

 助走をつけ、槍使いがルイズの脇腹を一突した。どす、と嫌な音がする。


「……それで、刺したつもりか?」


 しかし、ルイズはその攻撃を物ともせず、底冷えのする声で呟く。槍使いの顔を見下すように一瞥すると、槍の柄をがし、と掴み、一息で槍を引き抜いた。

 深く刺さったかに見えたが、槍は皮膚を突き抜けていなかったらしい。穂先に赤い鱗が付着している……おそらく、固い鱗が槍を通さなかったのだろう。

 ルイズは空いている左手でぐん、と槍を引き寄せた。槍使いが前のめりにつんのめる。


「本当に相手の息の根をとめるってのはな……こうするんだ」


 刹那、ルイズの右足が地から離れる。

 鈍い衝撃音、そしてくぐもった槍使いの呻き……ルイズの足は、槍使いの腹にめり込んでいた。一瞬遅れて、槍使いは仰向けで地面に踏み倒される。


「かはっ……!」


 胃液が逆流し、槍使いの口から泡沫が飛ぶ。傷ひとつない床にひびが入り、その体は地面に沈んだ。

 槍使いは痙攣しながら、目を剥く。そして、がくり、と糸の切れた操り人形のように動かなくなった。


「あぁ、そういえばお前もいたんだな」


 ルイズはすっかり忘れていたと言わんばかりに、右手を見やる。そこには後頭部を掴まれ、その身を必死に捩る大剣使いの姿があった。

 大剣使いは両手でルイズの手を引き離そうとするが、強靭なその手はびくともしない。身の丈ほどの大剣を振るう屈強な男であったが、竜人と化したルイズの前では非力な赤子同然だった。


「ふん……味気ない」


 ルイズは全体重を右手にのせた。

 大剣使いの頭は真っ直ぐ地面に接近し、顔面から突っ込む。ぐしゃり、と顔が潰れる音がする。

 槍使いと同じく、地面が凹むほどの力で、大剣使いの顔は地面に押し当てられていた。

 ルイズは右手をぐり、と左右に捻り、獲物の頭を押さえ込んだ。しかし、獲物はなかなか事切れない。地面から頭を起こそうと、腕に力を入れる。


「お前、まだやるのか」


 舌打ちしながら、再びルイズは大剣使いの髪を掴み、体を起こす。大剣使いの顔は血で汚れ、鼻の骨は折れて曲がっていた。


「気絶しておいた方が楽だったのに……なぁ?」


 そう言うと、ルイズは左手で血みどろの顔を鷲掴む。さらに大剣使いの体を宙に持ち上げ、壁に勢いよく打ち付けた。


「燃える気分、味わってみるか?」


 ルイズは唇を薄く開いた。

 その奥、ちらちらと炎が舞い踊る。初めはやわらかな橙色だった炎は、次第に青みを帯び、ついにはけがれのない白炎へと変わっていった。

 燃え盛る炎が、ルイズの口から漏れ出る。ふぅ、と息をつく度、白い火の粉が小さく爆ぜる。洞窟内の温度が、徐々に上がっていった。


 サクラは自分の体を抱き締め、震えた。

 ルイズの表情が、言葉が、動作が……確かにルイズであるはずなのに、ルイズじゃない。

 ルイズはどこへ行ったのだろう? あれは、誰なのだろう?

 

「じゃあな、燃え滓ぐらいなら拾ってやるよ」


 意識を手放しかけた大剣使いに、ルイズは顔を寄せる。残忍な、捕食者の顔だ。


 ――あれはルイズじゃない。あんなのは、私たちの知ってるルイズじゃない……!


「やめて……」


 ルイズから発せられた白炎が、大剣使いの周りを囲む。

 じり、と大剣使いの髪が焼け、焦げるにおいがする。

 

 ――こんなルイズは、見たくない!


「やめてえええええっ!!!」


 サクラは叫んだ。あらん限りの声で叫んだ。

 今まで生きてきた中で、こんなにも大声を出したことがあっただろうか?


 どうか届いて欲しい。この声が、ルイズの元に――。


 サクラの叫び声が洞窟内で反響する。

 その声は、ルイズの鼓膜を震わせ、脳幹を刺激した。


「俺、は……」


 ルイズの動きが止まった。


 周囲の温度が急激に下がる。燃えるための糧を失った炎は、大剣使いに伸ばしていた手を縮めた。

 ルイズの手から力が抜け、大剣使いが落下する。気絶した大剣使いの体が地面に転がった。


「俺……」


 立ち尽くすルイズの元へ、サクラは駆け寄った。竜の姿のままのルイズに、サクラは問いかける。


「ルイズ、だよね?」

「あぁ……」


 こういう時、何と言えばいいんだろう? 束の間、サクラは思案する。

 うまい言葉が見つからない。だけど――。

 サクラはルイズを見上げた。


「ルイズ、おかえり。助けてくれて、ありがとう」

 

 ルイズに向かって、微笑む。

 サクラはほんの少しだけ、誰かに笑いかけるのが上手くなったような気がした。


 *****


 アーチ状の入り口から、サクラは顔を覗かせた。柵もない、ただ開いただけの入り口だ。サクラは慎重に下を見下ろす。どうやらここは終の間の天井近くにある、通風孔のようだった。


「ルイズ、見て! ハルカだ!」


 サクラは眼下で戦いを繰り広げるハルカたちから目を逸らさず、背後にいるルイズのブレザーの裾を引っ張った。


「ここ、通風孔だ。風が流れてる」


 サクラはひくひく、と耳を動かし、風の流れを読み取った。

 一方のルイズは、というと……すっかり拗ねていた。竜の姿のまま、サクラに背を向け、胡座をかいて不貞腐れていた。


「俺様が……こんな……」


 この俺様が暴走という失態をおかしてしまうなんて。

 幸い、あの二人の命に別状はなかった。が、相当傷を負っている。魔法を使ったとしても、回復にはかなりの時間がかかるだろう。

 サクラが止めてくれなければ、彼らの命を奪っていたかもしれない。そう思うと、さらに苛立ちが募った。


 竜人化は竜騎族特有のステータスのようなものだ。

 竜は人をその背に乗せることはない。だが、半人半竜の竜騎族だけは例外だった。竜に騎乗する一族――竜騎族と呼ばれるようになった所以だ。

 その反面、竜人化は危険も伴った。人の体に竜としての性質を宿すため、未熟な竜騎族が行えば、暴走することがあるのだ。暴走すれば、人としての自我を失い、破壊衝動に駆られる。先ほどのルイズがそうだった。


「まだ未熟だってのかよ……」


 もうすぐ学園も卒業だ。もう一人前だと思っていたのに。次から次へとため息が止まらない。

 見兼ねたサクラが、ルイズの方へ振り返った。


「ルイズ、さっきの二人は無事だった。とりあえず、それでいいじゃない。今はハルカたちを助ける方が優先」


 ハルカたち、じゃなくてハルカ、の間違いじゃねえの。

 ルイズは思わず言いかけた言葉を、すんでのところで飲み込んだ。

 

「分かってるっての」


 再び終の間に視線を戻したサクラの隣から、ルイズも顔を覗かせた。


「ありゃ……蜘蛛か? やけにデカい蜘蛛だな」

「ねぇ、ルイズ。あの蜘蛛、変」


 蜘蛛を凝視しながら、サクラが言った。

 目をこすり、再度蜘蛛を見るが、ルイズにはサクラの言う違和感が感じられなかった。変だと言われても、そもそもあの蜘蛛自体が変なのだ。上半身は裸体の女人、下半身は黄と黒の縞模様をした脚が八本。目は人のそれではなく、蜘蛛の八つ目だ。それ以外に気になるところはなかった。


「蜘蛛の、首筋。髪に隠れて見えにくいけど、何か、いる」

「なんだよ、何かって?」

 

 ルイズは目を凝らす。

 女性の体をした蜘蛛の上半身……その白い首筋。確かにそこに何かがいた。


「なんだあれ。なめくじ……いや、蛭だ」


 赤黒い蛭が、蜘蛛の首筋で蠢いていた。髪がなびいた一瞬しか見ることは叶わなかったが、人の拳大はあるだろうか。


「ねぇ、あれ……」


 サクラが口を開きかけた時、蜘蛛の断末魔の悲鳴が聞こえた。

 カナンが蜘蛛の脚を斬り、自身の根で蜘蛛の胸を貫いたのだ。


「……終わったな。あいつらだけでやれたじゃねえか」


 ルイズがはは、と笑い、ハルカたちを指差す。サクラも胸を撫で下ろし、安堵の息をついた。

 サクラは変だと心配していたが、杞憂に終わったんだ。その証拠に、蜘蛛は動かなくなったじゃねえか。

 これで終わりだな。ルイズはそう思った。


 ――だが、致命傷を負いながらなお、蜘蛛は再び動き出したのだ。

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