第27話:地下大空洞(中編)
横穴は狭く、高さも身をかがめなければ通れないほど低かった。足元は凹凸が激しく、うっかり気を抜くとつまづいて転んでしまいそうだ。
細く、暗く、湿った道を、ルイズとサクラは黙って歩いた。
サクラの予想通り、二人の選んだ道は終の間へと続いているようだ。その証拠に、剣を打ち合う音が近づく。ルイズの嗅覚では判別できなかったが、サクラが感じた芳香もより強さを増していた。
しばらく歩くと、細い通路が急に広がり、一気に視界が開ける場所に出た。でこぼことした足場は、ある一線から滑らかに舗装された床になっていて、床と同じく荒削りだった壁も美しい壁画で一面彩られていた。
「道、正しかったみたい」
「ああ、らしいな。見ろよ、多分あの向こうが終の間だ」
二人の見据える先、十数メートルのところに、アーチ状の入り口。ぼんやりと薄ら明るいその向こうから、戦いの気配がした。
サクラの歩幅が自然と広がる。足早になり、小走りになり……駆ける速度が上がっていく。
ハルカはあの向こうにいる。確実にいる。私には分かる……! サクラの意識はアーチの向こうにあった。
――故に、ルイズの声が聞こえるまで、それには気づかなかったのだ。
「危ねえっ!」
突如、左に衝撃を感じる。そして聞こえた斬撃音。
何かに巻き込まれ、サクラは地面に突っ伏した。
「痛……っ……!」
倒れた自身の体の上に覆い被さる重み……ルイズだった。サクラの目に赤い液体が映る。
自分の体は何ともない。それならばこの血が誰のものか、明々白々だった。
「ルイズッ!」
サクラは身を起こし、ルイズの肩を掴む。ごろり、と仰向けになったルイズはサクラの顔を見て苦笑いした。
「俺様としたことが……ヘマしちまった。利き手をやられるなんてな」
ルイズの右手の甲がざっくり裂けていた。そこからとめどなく血は流れ、皮膚の下の肉が露わになっている。サクラはルイズの手を握り、血を止めようとしたが、サクラの指の隙間から溢れ、二人の服の袖口を赤黒く染めた。
「……っ……血が、止まらない……」
サクラは半泣きになりながら、ルイズの手を離そうとしない。
「いいって、これくらいじゃ死にゃしねえ。それより、来るぞ」
ルイズの警告を耳にし、サクラは我に帰る。ハルカのことに集中する余り、他への意識が疎かになっていた。が、自分たちがやってきた方角から、ここに近づく者の気配がする……それも二人、だ。かつん、と何者かの靴音が響く。
「まずいな、この手じゃ……竪琴は弾けねえ」
右手を抑え、ルイズが舌打ちする。
二人は息を潜め、目を凝らし、相手の姿を捉えようと集中した。
靴音が、止まった。うっすらと浮かぶ、その見覚えのあるシルエット。
――シャイナのパーティーメンバーである大剣使いと槍使いの青年だった。
*****
「な……んで?」
サクラもルイズも思わず言葉を失う。なぜこの二人が攻撃を?
だが、それよりもシャイナの安否が気がかりだった。震える声でサクラが問う。
「あなたたち、一緒にいたシャイナを……」
黒い長髪を後ろに束ねた槍使いが口を開いた。
「黙らせた」
その言葉を聞き、サクラの体が小刻みに震える。唇からうまく言葉を紡ぐことができない。
「てめえ、黙らせたって、まさか……」
「しかし、邪魔が入った。あの女の駆除は後だ。効率を優先し、標的を変更する」
その声色は無機質で、人の感情などは全くない。
槍使いの背後で、口を真一文字に結んだままの大剣使いが、背中から無骨な大剣を抜き、正面に構えた。紺の髪が逆立つ。
「シャイナの命は、無事。それで、いい」
サクラはしゃがみこみ、左右のブーツの中に両手を入れた。ブーツから引き抜かれたその手には短刀が握られていた。背中と腰に携えていた弓矢を、自身の足元に置く。それから、サクラは短刀を構え、静かにルイズの前に立った。
「私が前に立って時間を稼ぐ。ルイズは、終の間へ行って。そこでハルカの援護を」
「……って、そんな短刀だけでやり合うってのかよ!」
サクラはルイズに振り返らず、正面の二人を見据えたまま続けた。
「ハルカが追った犯人、そいつが元凶。大元を断つしかない」
槍使いが突撃の体勢に入る。人形のような、無感情な瞳がサクラを映す。
「大丈夫、私、弓だけが得意なんじゃない。私……ううん、獣人族が得意なのは狩り、だから」
――行く手を阻むものは……狩る!
「サクラ・フェイ、ルイズ・マードゥック。二名の駆除任務を遂行」
サクラの足が大地を離れる。
短刀と大剣、そして槍が激突した。
*****
左手を傷口にかざし、応急処置をかける。
「くそ! ……傷が塞がらねえ……!」
洞窟内では治癒魔法に必要な光元素が少なすぎた。
ルイズは竪琴を構え、傷ついた右手で弦を爪弾いた。
だか、手の甲に負った傷のせいで、指先が痺れ、イメージ通りの音が出ない。曲のテンポはずれ、音も普段より弱々しい。
眼前ではサクラと槍使いたちが死闘を繰り広げていた。
頭を狙い振り下ろされた大剣を、サクラは短刀で受け、そのまま軌道をそらす。大剣をさばいたと思うと、次は槍の突撃がサクラの右手側から迫った。
サクラは体をよじり、その突撃をよける。その勢いのまま、遠心力に任せ短刀で斬りかかる。槍使いを狙った銀の残像は、惜しくも届かない。
二人――それも大剣使いと槍使い――を前に、サクラは果敢に立ち向かった。しかし、防戦で手一杯なのか、なかなか攻撃に転じることができない。
ルイズは右手から火炎弾を放ち、二人の動きを封じようとするものの、うまくいかない。
手一杯のサクラに対し、二人組で余裕のある相手だ。ルイズの魔弾に気づくやいなや、どちらか一方が魔弾を撃ち落とした。
――このままじゃ埒があかねえ……。
自身も武器を取り応戦することができればよいのだが、武器を握ることさえできない。利き手の自由を奪われた今、ルイズの戦力は半減してしまったと言っても過言ではなかった。
――こんな状態で終の間に突入しても、足手まといになるだけじゃねえか。
ルイズは独りごちる。それに、自分をかばい、慣れない短刀で戦うサクラを置いていくわけにもいかない。
「しゃあねえか」
そう、呟く。
ルイズは胸いっぱいに息を吸い込み、腹の底から吐き出した。
その吐息に火の粉が混じる。うっすら開いたルイズの口から、薄墨色の煙が立ち上る。
「――変われ」
唱えた刹那、ルイズの額に竜を象った紋様がぼう、と浮んだ。紋様が鈍く、白く光る。
紋様の光に呼応するように、ルイズの手に鱗が現れた。その色はルイズの髪と同じ、暗赤色だ。
鱗は急速に皮膚を浸食する。手から首筋、さらにルイズの顔へと、竜の鱗は広がった。
全身を鱗で覆われたルイズ――かろうじて人間のルイズの面影は残してはいるものの、その姿は全身暗赤色の竜人だ。
「あまりこの手は使いたくねえんだけどな……」
竜人化したルイズの口から紡がれる声は、人の姿の時より低い。ルイズは黒変した爪と赤い鱗まみれの手をじっとみつめ、握りしめた。
右手の傷は癒えていないが、痛みや痺れは感じない。人の姿の方が、痛みの閾値は低いのだ。
「俺様を怒らせた奴が悪ぃんだぜ」
この爪では竪琴を弾くことはできない。が、ルイズの体には、今、竜の力が宿っている。力も精神も、誰よりも強い。
ルイズの両足に力が漲る。三人が剣を交える場所へ到達するには、一蹴りで十分だ。
「うおおおおおおお!」
ルイズは咆哮した。




