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遙かなるバハムート  作者: 山石尾花
第3章:黒蝶の鎮魂歌
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第27話:地下大空洞(中編)

 横穴は狭く、高さも身をかがめなければ通れないほど低かった。足元は凹凸(おうとつ)が激しく、うっかり気を抜くとつまづいて転んでしまいそうだ。

 細く、暗く、湿った道を、ルイズとサクラは黙って歩いた。

 サクラの予想通り、二人の選んだ道は終の間へと続いているようだ。その証拠に、剣を打ち合う音が近づく。ルイズの嗅覚では判別できなかったが、サクラが感じた芳香もより強さを増していた。

 しばらく歩くと、細い通路が急に広がり、一気に視界が開ける場所に出た。でこぼことした足場は、ある一線から滑らかに舗装された床になっていて、床と同じく荒削りだった壁も美しい壁画で一面彩られていた。


「道、正しかったみたい」

「ああ、らしいな。見ろよ、多分あの向こうが終の間だ」


 二人の見据える先、十数メートルのところに、アーチ状の入り口。ぼんやりと薄ら明るいその向こうから、戦いの気配がした。

 サクラの歩幅が自然と広がる。足早になり、小走りになり……駆ける速度が上がっていく。

 ハルカはあの向こうにいる。確実にいる。私には分かる……! サクラの意識はアーチの向こうにあった。

 ――故に、ルイズの声が聞こえるまで、それには気づかなかったのだ。


「危ねえっ!」


 突如、左に衝撃を感じる。そして聞こえた斬撃音。

 何かに巻き込まれ、サクラは地面に突っ伏した。


「痛……っ……!」


 倒れた自身の体の上に覆い被さる重み……ルイズだった。サクラの目に赤い液体が映る。

 自分の体は何ともない。それならばこの血が誰のものか、明々白々だった。


「ルイズッ!」


 サクラは身を起こし、ルイズの肩を掴む。ごろり、と仰向けになったルイズはサクラの顔を見て苦笑いした。


「俺様としたことが……ヘマしちまった。利き手をやられるなんてな」


 ルイズの右手の甲がざっくり裂けていた。そこからとめどなく血は流れ、皮膚の下の肉が露わになっている。サクラはルイズの手を握り、血を止めようとしたが、サクラの指の隙間から溢れ、二人の服の袖口を赤黒く染めた。

 

「……っ……血が、止まらない……」


 サクラは半泣きになりながら、ルイズの手を離そうとしない。


「いいって、これくらいじゃ死にゃしねえ。それより、来るぞ」


 ルイズの警告を耳にし、サクラは我に帰る。ハルカのことに集中する余り、他への意識が疎かになっていた。が、自分たちがやってきた方角から、ここに近づく者の気配がする……それも二人、だ。かつん、と何者かの靴音が響く。


「まずいな、この手じゃ……竪琴は弾けねえ」


 右手を抑え、ルイズが舌打ちする。

 二人は息を潜め、目を凝らし、相手の姿を捉えようと集中した。

 靴音が、止まった。うっすらと浮かぶ、その見覚えのあるシルエット。

 ――シャイナのパーティーメンバーである大剣使いと槍使いの青年だった。


 *****


「な……んで?」


 サクラもルイズも思わず言葉を失う。なぜこの二人が攻撃を?

 だが、それよりもシャイナの安否が気がかりだった。震える声でサクラが問う。


「あなたたち、一緒にいたシャイナを……」


 黒い長髪を後ろに束ねた槍使いが口を開いた。


「黙らせた」


 その言葉を聞き、サクラの体が小刻みに震える。唇からうまく言葉を紡ぐことができない。


「てめえ、黙らせたって、まさか……」

「しかし、邪魔が入った。あの女の駆除は後だ。効率を優先し、標的を変更する」


 その声色は無機質で、人の感情などは全くない。

 槍使いの背後で、口を真一文字に結んだままの大剣使いが、背中から無骨な大剣を抜き、正面に構えた。紺の髪が逆立つ。


「シャイナの命は、無事。それで、いい」


 サクラはしゃがみこみ、左右のブーツの中に両手を入れた。ブーツから引き抜かれたその手には短刀が握られていた。背中と腰に携えていた弓矢を、自身の足元に置く。それから、サクラは短刀を構え、静かにルイズの前に立った。


「私が前に立って時間を稼ぐ。ルイズは、終の間へ行って。そこでハルカの援護を」

「……って、そんな短刀だけでやり合うってのかよ!」


 サクラはルイズに振り返らず、正面の二人を見据えたまま続けた。


「ハルカが追った犯人、そいつが元凶。大元を断つしかない」


 槍使いが突撃の体勢に入る。人形のような、無感情な瞳がサクラを映す。


「大丈夫、私、弓だけが得意なんじゃない。私……ううん、獣人族が得意なのは狩り、だから」


 ――行く手を阻むものは……狩る!


「サクラ・フェイ、ルイズ・マードゥック。二名の駆除任務を遂行」


 サクラの足が大地を離れる。

 短刀と大剣、そして槍が激突した。


 *****


 左手を傷口にかざし、応急処置(クイックヒール)をかける。


「くそ! ……傷が塞がらねえ……!」


 洞窟内では治癒魔法に必要な光元素が少なすぎた。

 ルイズは竪琴を構え、傷ついた右手で弦を爪弾いた。

 だか、手の甲に負った傷のせいで、指先が痺れ、イメージ通りの音が出ない。曲のテンポはずれ、音も普段より弱々しい。

 眼前ではサクラと槍使いたちが死闘を繰り広げていた。

 頭を狙い振り下ろされた大剣を、サクラは短刀で受け、そのまま軌道をそらす。大剣をさばいたと思うと、次は槍の突撃がサクラの右手側から迫った。

 サクラは体をよじり、その突撃をよける。その勢いのまま、遠心力に任せ短刀で斬りかかる。槍使いを狙った銀の残像は、惜しくも届かない。


 二人――それも大剣使いと槍使い――を前に、サクラは果敢に立ち向かった。しかし、防戦で手一杯なのか、なかなか攻撃に転じることができない。

 ルイズは右手から火炎弾を放ち、二人の動きを封じようとするものの、うまくいかない。

 手一杯のサクラに対し、二人組で余裕のある相手だ。ルイズの魔弾に気づくやいなや、どちらか一方が魔弾を撃ち落とした。

 

 ――このままじゃ埒があかねえ……。


 自身も武器を取り応戦することができればよいのだが、武器を握ることさえできない。利き手の自由を奪われた今、ルイズの戦力は半減してしまったと言っても過言ではなかった。


 ――こんな状態で終の間に突入しても、足手まといになるだけじゃねえか。


 ルイズは独りごちる。それに、自分をかばい、慣れない短刀で戦うサクラを置いていくわけにもいかない。


「しゃあねえか」


 そう、呟く。

 ルイズは胸いっぱいに息を吸い込み、腹の底から吐き出した。

 その吐息に火の粉が混じる。うっすら開いたルイズの口から、薄墨色の煙が立ち上る。


「――変われ」


 唱えた刹那、ルイズの額に竜を象った紋様がぼう、と浮んだ。紋様が鈍く、白く光る。

 紋様の光に呼応するように、ルイズの手に鱗が現れた。その色はルイズの髪と同じ、暗赤色だ。

 鱗は急速に皮膚を浸食する。手から首筋、さらにルイズの顔へと、竜の鱗は広がった。


 全身を鱗で覆われたルイズ――かろうじて人間のルイズの面影は残してはいるものの、その姿は全身暗赤色の竜人だ。


「あまりこの手は使いたくねえんだけどな……」


 竜人化したルイズの口から紡がれる声は、人の姿の時より低い。ルイズは黒変した爪と赤い鱗まみれの手をじっとみつめ、握りしめた。

 右手の傷は癒えていないが、痛みや痺れは感じない。人の姿の方が、痛みの閾値は低いのだ。


「俺様を怒らせた奴が悪ぃんだぜ」


 この爪では竪琴を弾くことはできない。が、ルイズの体には、今、竜の力が宿っている。力も精神も、誰よりも強い。

 ルイズの両足に力が漲る。三人が剣を交える場所へ到達するには、一蹴りで十分だ。


「うおおおおおおお!」


 ルイズは咆哮した。

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