「第3日」 その1
いよいよ、イベント本番の当日がやって来た。と、同時にユウイチとのドライブの約束の日でもある。早起きをして、両方の準備を整え、いよいよドライブへと出掛ける事になったが、それは、想像していたものとは少し違ったようでした。
朝5時。僕は普段よりかなり早い時間に目が醒めてしまった。どうやら「朝7時」という約束が昨晩から気にかかっていて、ちゃんと目覚ましは6時にセットしておいたものの、その機能が働く前に、自主的に起きてしまったようだ。カーテンを開けると、それでも、もう太陽は水平線を昇り、ワイキキの街並みをオレンジ色に照らしていた。
今朝は、ホテルでのブレックファストは食べられない。まずシャワールームに入り大して濃くもない髭を剃り、全身をよく洗う。当然、使うのはホテルに備え付けの物ではなく、自社製品である。社員は殆どの者がそうしている筈だ。僕も小さなボトルに移し替えて、ボディソープ、シャンプーや、スキンミルク、クリーム等も日本から持ってきていた。シャワーを浴びながら今日着ていく服装の事を考えていた。何でそんな余分な事気にかけなくちゃいけないのか自分でも良く解らなかったがとにかく自分らしい身なりで行こうと決めた。
シャワールームからタオルで全身を良く拭きながら出てきた。洗面の鏡の前でボディミストを肌に吹き付け、顔はスキンミルクで整える。髪にはヘアートニックに軽くムースを付けてラフな感じの髪型にまとめた。服は日本から持ってきていた短パンに定番の薄手の白ポロシャツにした。
部屋の冷蔵庫から、昨夜買った「ハワイアン,サン」のグァバジュースを取り出し、ラナイへと出て陽射しを浴びながらゴクリと飲んだ。このジュースが昨夜からお気に入りである。価格はチープだが、トロピカル気分が味わえさっぱりとしてとても飲みやすい。自分にとってはこれも出逢いであり、ハワイそのものの味だと思える。
「何て気持ちが良い朝なんだ‼」と、自分に向かって叫びたかった。いよいよ重大なイベントの始まる日でもある。打ち合わせもパーフェクトであり、資料やタイムスケジュール等の準備にも抜け目がない筈である。今日、予定外の約束を入れたことで、反って集中力は増したような気もしていた。心の何処かで乗り気がしてない筈だったドライブが、ちょっと楽しみにも思えている自分を不思議にも思えた。ドライブって何処へ連れて行くつもりなんだろう?。確か「ノースショア」って言ってたな。思い返せば仕事の事で頭が一杯で、オプショナルツアーとか、観光地図とか全く見ていなかった。なにも無ければフリーになったプライベイトは、ワイキキ周辺を歩くか、ホテルのプールで過ごす位が関の山だったろうな。ユウイチとの突発的な出会いが、自分の硬い頭の中に風穴を開け、変化をもたらした。きっと自分の行動パターンでは巡り会わない未体験ゾーンを味会わせてくれるかもと、ちょっとした期待と予感も感じていた。
帰宅後、スムースに仕事へと出掛けられるように、ビジネス用の支度も整えてから、昨日言われて用意したサングラスをかけてみて、鏡の前でポーズを決めてみた。如何にもハワイに居そうな感じのやらしい日本人そのものに見え、自分を笑った。
「キザっぽいな。でもま、いっか。」こんな妥協も心境の変化からかな。新婚旅行以来の自分の姿を見ながら、その当時の事を思い出していた。
新婚旅行は、オーストラリアにするかハワイにするかで迷って、結局は、時差の少ないオーストラリアにした。諦めた方のハワイにまさか仕事がらみで来るとは思っていなかった。妻の由美子は「ズルいわ、貴方だけハワイに行くなんて」と、笑いながらも悔しい顔していたなあ。
約束した7時の10分前には、ロビーを抜けてカラカウア通りに面したホテルの玄関前に出ていた。時間は厳守する主義である。歩道の上は照らす陽射しが眩しく結構暑い。半袖シャツから出ている腕に容赦なく紫外線が当たるので、バッグから日焼け止めスプレーを取り出し肌に吹き付けて伸ばした。歩道上の小さなベンチに腰掛けて待つが、7時を過ぎても一向に来ない。「何だよう!人に時間指定して置いて遅刻かよ。」とぼやきながら下を向いて更に数分待った。すると、目の前に車が一台急停止した。
「おい!サトル。お待たせ。」の声に顔を上げて前を見ると、眼前には真っ赤なオープンカーの運転席にユウイチが座り、後部座席には金髪の女性が2人乗っていた。その内の一人が「ハーイサトル、お早う!」と片言の日本語で話しかけてきた。
「サトル、なにのんびりしてるんだ。早く乗れよ」とユウイチが、急かした。僕は余りにもの派手な登場にたじろいで、暫く立ったまま躊躇してると、再び「速く。カモーン‼」と手招きされた。僕は「う、うん」と我に帰って渋々車に乗り込んだ。すると、僕が腰掛ける間もなく車は、タイヤを鳴らしながら急加速し、猛スピードで走り出した。ユウイチは、「ヒューヒュー」と言いながらアクセルを踏み続ける。僕はただ呆気に取られて無言でいると、「何だ?元気ないなあ。」と運転しながら話しかけてきた。
「もっと、普通の車無かったの?。まさかこんな派手なオープンカーで来るとは思っていなかったそれに…」と、風に書き消されないように大声で喋る。
「何言ってるんだよ。ドライブだぜ。ここはハワイ。オープンカーが定番じゃねーか。」
「そうかも…。この車って、ユウイチさんの?」
「違うよ。知り合いに借りて来たんだ。そうそう、紹介するよ。彼女がクリスで、もう一人がアンだ。」
「そして、こいつがサトル。お互いに宜しく!」
僕は、一応、後ろを向いて、走り出した車の上で一人づつ簡単に握手した。クリスは日本語が堪能らしく、運転席の後ろから前へと身を乗り出してユウイチに寄り添い甘えながら言った。
「ユウイチがねドライブに誘ってくれるなんて滅多に無いのよ。だから喜んで友達誘って来ちゃったわよ。私は日本語OKよ!。アンは、あまり喋れないけど宜しくね。」
僕は、「でも、午後から仕事で昼過ぎには帰らなくてはいけないんだ。」と言った。
「それが残念よね。夜まで一緒ならもっと楽しいのに。」
長い金髪のクリスは明るく快活な感じで、確かに日本語はペラペラだった。アンは、黒髪のショートカットで、どちらかというと大人しい感じで、無口だが、笑顔を絶やさずに周りに応えていた。歯並びの綺麗さが一際印象的だった。
車は一旦、カラカウア通りを、カピオラニ公園の方へ進んだ。目立つ所為か、歩道を歩く人々が車の方を振り返って見るので、少し恥ずかしく感じていた。公園の角を左へと曲がり、更に左へと折れて、運河沿いの道を進んで、アラモアナ方面へと進んだ。
「今日は、何処へ行くんですか?」と、聞いてみると、クリスは、
「さぁ?サトルは何処に行きたいの?」と返された。僕は、
「何処って言われても…。」と答えると、ユウイチが、
「とりあえず、ノースショアへ向かおうか。1時間ちょっとで多分到着だ。朝飯未だだから、ハレイワ辺りで食おう。」と、言った。
クリスは、「ノースショアは、世界的にサーフィンで有名だけど、今は、波が立たない季節なのよ。その代わり、この時期はビーチは静かで雰囲気良いわよ、きっと。ワイキキとは全く違って周りにビルなんて無いし、のどかで綺麗で。」と、僕に教えてくれた。
車は、30分もしないうちにダウンタウンの中心部へと入った。
「あれが、パールハーバーだよ。」と、ユウイチが左前方を指差した。
「ここは、日本との悲しい歴史が有るのよね。」クリスがポツンと呟いた。
町を抜け、車は、高速を降りてワヒアロを過ぎると間も無く、一面の畑が見えてきた。
「この辺りは、全部パイナップル畑なんだ。」とユウイチが言った。周りを見渡すと、低木にみえる、アロエの様な樹木が並んでいる。
「へぇ‼僕は、パイナップルって、大きな樹に繁って枝にぶら下がって実がなっているんだと思っていた。」と、僕は驚いた様に言った。
「俺もハワイへ来るまではそう思っていたよ。」と、ユウイチは言いながら車を減速して右に寄せて停止させた。僕たちは車を降りて畑の中へと入りパイナップルを見てみる。僕は、「成る程‼」と更に驚いた。パイナップルは、逆さまに実がなっていた。つまり、自分が、普段上だと思っていた葉が付いている方が「下」だった。僕は、30年近くも生きてきて、こんな事も知らなかったのかと少しショックだった。そういえば、フルーツの事では新婚旅行で行ったオーストラリアで、「キウイフルーツ」が鳥の「キウイ」に質感や外観がそっくりだから名が付いた事や、「グレープフルーツ」が、樹に沢山鈴なりに成るのが、ブドウの房の様にみえる事から名前が付いた事とかを初めて知った時の衝撃を何気に思い出していた。
僕は、畑の中でしゃがんでじっとパイナップルの姿を見ていた。女性二人は道端に座り、ユウイチは、僕に近付いて来て、僕に耳元で囁くように言った。
「サトル。あの、アンて娘どうだ。まんざらじゃねえだろう?。今日、後で持ち帰って遣っても良いぜ!クリスは俺の手付けだけど、あの娘とは未だ俺は遣ってないからさ。安心してな。」
「何言ってんだよ。いいよそんな事は。遠慮しておくよ。」と、僕は、小声で応えた。
「遠慮すんなって。サトル、まさか童貞じゃねえだろう?仕事も良いけどさ、せっかくハワイへ旅して来てんだから、思い出位は、残していけよ。」
「いいよ。僕、そうゆうの苦手なんだ。それに、もう結婚してるし。」
僕がそう言ったとたんにユウイチは大声で叫んだ。
「お前‼、嫁さん居るのか?」
その声は畑の周りに響き渡った。当然、二人の女性にも聴こえてしまっていた。
結婚していた事が知れて、少しギクシャクしたドライブになったが、その後どうなっていくかは、次話のお楽しみということで…。