「第7日」 その2
部屋へと戻ってからもベッドに横になり天井を何気なく見ながらこの数日間の事を考えていた。本当なら仕事の事で頭は一杯の筈だったのに、思い出されるのはユウイチがらみのことばかりだった。カラカウア通り路上での出会い、4人でのドライブ、イベントでのパニック‥…そして昨日のハナウマへのサイクリング、何気に立ち寄ったスーパーのサンドウィッチが、あんなに美味しく感じたのは、ユウイチが一緒だったからだろうな。本当に不思議だけど、自分の中でその存在がどんどん大きくなっているのは確かな事だった。
そんな事を考えながら僕はそのままうとうと眠ってしまったらしい。けたたましく鳴った電話のベル音に驚いてベッドから飛び起きた。ユウイチからの電話だろうと急いで電話口に出ると、日本からの国際電話だった。交換手から引き継いで話を始めると東京本社の上司からの電話だ。
「尾崎か、久し振り。そしてイベントお疲れ様。ハワイの責任者から連絡もらったよ。大成功だったって?。」
「はい。その様です。今回は良い仕事させて頂きありがとうございました。」
「こっちでもその話題で持ちきりだ。ジャーナルから、問い合わせと取材の申込がひっきりなしだぞ。日本に戻ってからも暫くは忙しくなるぞ。覚悟しとけよ!。この成功でパリでのイベントも行けるな。社内ではフランスもお前に任せようって事に話が進んでいるし、社長がお前に逢いたいだとよ。尾崎、凄いことになったな。」
「本当ですか!?。ありがとうございます。でも、皆で力合わせて成功させた発表ですから。」
「何言ってんだよ。ハワイの責任者が言ってたぞ。お前が何処からか知らないが信じられない位の大勢の客を呼んで集めたんだって?どんな手を使ったんだ?ハワイに知り合いでもいたのか?」
「いや、僕は何もしていません。たまたま知り合った人が紹介してくれたんですよ。」
「とにかく詳しい話は日本に帰ってからだな。帰国後の報告を楽しみにしてるよ。所で、少し位はハワイの余暇を楽しんでるのか?」
「とりあえず、今日はプールでのんびりして過ごしてます。」
「そうか。折角なんだから充分楽しんで来いよ。普段真面目すぎて滅多に有給休暇も取らないんだからな、尾崎は。その分しっかり遊んで来いよ。それから、社長からの計らいで、帰りの便はビジネスクラスの座席を用意させたのでゆったりくつろげるぞ。楽しんで帰ってこい。じゃあ、国際電話は高いからそろそろ切るぞ。土産話を楽しみにしてるよ。じゃあな。」
「ありがとうございます。」僕はそう言いながら切れた電話に向かって何度もお辞儀をしていた。
電話を切ってから2-3分したところで部屋の電話が再び鳴り響いた。その電話は、ユウイチからだった。
「サトル、お早う。」
「お早うって、もう昼過ぎてますよ、ユウイチさん。」
「そうだったな。俺が起きたばかりでお早うだな。」理解に苦しむ言葉に僕は少し笑った。
「今から向かいに行くよ。海パンと着替えだけ用意しとけよ。他に必要なものは俺が持っていく。サーフボード、ウェットスーツとかもOKだ。」
「でも、ユウイチさん、僕の体のサイズ、わかりますか?」
「当たり前だよ。昨日、充分にサトルの身体は観たからな。多分ピッタリさ。」
そう言われて僕は何気なく恥ずかしさを覚えた。
「じゃあ、20分位したらホテルの玄関で。」
「あのさ…」僕がそう言いかけた所で電話は切れてしまった。相変わらずせっかちだな。
僕はまさか、あのオープンカーでは来ないよなあと、少しだけ不安が残っていた。それから身仕度を整えてホテルのロビーへと降り、玄関前に進み出て待っていると、20分程で到着した車はボディーの横に社名のロゴの入ったロングタイプのワーゲンのバンだった。運転席からユウイチが降りて来て後部座席は倒されてサーフボードが並んで置いてあるのが窓ガラス越しによく見れた。
「まさか、と思うけど…。女性が一緒じゃあ無いよね?」
「バカかお前は。サーフィンは、男だけで行くもんだと決まってるんだ。」と、ユウイチは、言葉を返した。
「サトル、とにかく乗れよ」ユウイチは、そう言いながら助手席のドアを開けた。僕は、とりあえず車に乗り込んだものの、とうとう僕をバカ呼ばわりしたユウイチに少し憤慨した。大人になってからは勿論の事、子供の頃だって親にさえ言われたことが無い。僕は白い怒りの視線をユウイチに向けて言った。
「ぼくは、バカじゃあないよ。サーフィンなんて初めて行くのにさ、そんな事判るわけ無いよね。」
発進させた車のハンドルを握りながらユウイチは、
「そうだったな。バカは悪かった。ごめん、謝るよ。つい勢いで。仕事で教える時以外は、女をサーフィンに連れていった事は一度もない。浜辺で一人ポツンと待たせたら可哀想だろ。」
「そうなんだ。」僕はそう言いながら、そういえば湘南の辻堂辺りの海岸で、海を見つめて独り座っている女性を幾度か見かけたなあと、思い出していた。あの娘たちはきっと、海から上がってくる彼を待っていたのに違いない。
車は、ワイキキのはずれにあるヨットハーバーへと向かっていた。
「浜から出ても良いけど、波の立つポイントまで遠いからな。ヨットハーバーからは、ショートカットで沖に出れるんだ。」と、ユウイチは言った。
「でもさ、俺本当にやったこと無いんだけれど、大丈夫かな?」
「大丈夫さ。俺が付いているからな。俺が教えれば大抵の奴はその日に乗れるようになるよ。」
僕の不安は其だけじゃ無かった。とりあえず泳げはするが、背の届かない深い海に入ったことはスクーバ以外ではこれまで無かったし、それに…サメに襲われるんじゃないか?ということもある。
「あのね、ユウイチ。この間、ノースショアに行ったとき、地図に〈シャークポイント〉って言う場所有ったよね。サメとかここには居ないの?」
「サトルなあ、あそこは冬になるとそれはそれは高くて速い凄い波が立つんだ。その波は南極で発生してこのハワイまでの長い道のりで成長して高い大波になる。その波がサメが呑み込んでしまうかのように物凄く怖いから〈シャーク〉って名前が付いたんだ。サメが一杯いると言う意味じゃあないよ」
「な~んだ。安心した。」僕はそう返事したが、続けざまにユウイチは、
「でも、ハワイでは年に何人かはサーフィン中に、サメに噛みつかれてるんだ!」と、鋭い眼差しで真顔で言うので、僕は急に怖くなった。
「なんだ、サトル。ビビってるのか?」と、更に聞いてきたので、
「ビビってなんかいないよ。」と返答した。下手すると、バカの上に「チキン野郎」とでも言われかれない。すると、ユウイチは、急に表情を緩めて、
「大丈夫だよ。安心しろ。このワイキキには、人を襲うようなサメは居ないよ。それに、もし万が一サメが出たときは、俺が撃退してやる。
サトルは俺が責任もって助けてやるよ。」と言うので僕は、ホッとして、ユウイチに強烈な頼もしさを抱いた。
車はヨットハーバーの片隅に停まった。車の後のボンネットを開けて、2枚のボードを引きずり出すように降ろした。ボードは想像してい
たより長くて重たかった。
「ロングボードの方が乗りやすいからな!」と、ユウイチは言った。
その後、ウエットスーツを手渡されたが、これは僕の知っているダイビング用のウエットスーツに比べて遥かに薄くて軽く、特に上着は長袖とは言えボディースーツの様に身体に密着する感じだ。
「ユウイチさんのは?」と僕は訊ねた。
「僕はこれで。」と、着ているアロハシャツを脱ぐと、既にその下に薄くボディーにフィットした半袖のスーツを身に付けていた。真近で見るユウイチの上半身は、筋肉の形がそのままスーツを盛り上げてピンと張っていた。やはり凄い。彫刻の様だ。
ヨットハーバーには、数多くのヨットが地上には置かれた状態で、海上には係留された状態で保管されている。その隙間をぬって右の方向にはマジックアイランドと呼ばれているアラモアナパークから突き出た人工のビーチが見えていた。僕たちはそのヨットの脇にマットを敷き、スケグがはずしてあるボードを置いた。
「とりあえず、パドリングの練習な!」と、ユウイチは言い、パドリングの仕方の見本をみせた。背筋を使って上半身を反り上げて水泳のクロールの様に腕を掻く。僕も引き続いて真似してみるが、これが結構辛い。その後は海上での待機のポジションのシミュレート、→これは実際に海に浮かんでバランスを身に付けた方が判りやすいとのことだった。そして波がきたら一生懸命パドリングして、ボードが斜め下に向きながら自然に動き出したら素早くさっと立ち上がり、ボード上に立つというのでその練習を何回か繰り返した。
その後、身体を軽い運動とストレッチでよーくほぐしたあと、ボードにスケグを取り付け、ボードと自分の身体が離れないようにするパワーコードの端を足に取り付けた。ユウイチは泳ぎが達者なのかコードなんかは取り付けていない。間もなく二人は水中へと入って行った。
波の無い所へと進み出て海上に浮かび波待ち待機の練習をする。その後、実際にパドリングして沖へと進みボードの方向を反転させて波を背にして乗る練習を数回繰り返したあと、いよいよ沖へと向かった。
ヨットハーバー沖に、波頭を少し白くした波の立つポイントが、少し見えていた。何人かがサーフィンを既に楽しんでいる。「あそこの先、もう少し沖まで出るんだ。」ユウイチはそう言ってパドリングで沖の方へと移動し始めた。僕も後を追いかけようとするが、ユウイチの進むスピードは、遥かに速くてどんどん引き離されて行く。僕はむきになってパドリングをした。ユウイチが振り返って先で待っていた。やっと追い付くと、まだ僅かな時間だが既に僕の息は上がり始めていた。
「な~んだ。もう息が切れてんのか。意外と体力ねーなあ。」
どこかで聞いたことのあるセリフだ。昨日僕が言ったことを仕返ししているのか?。僕は息が途切れ途切れに言った。
「ユウイチさんは寝てないのに元気ですね。」
「俺はあの後速攻昼過ぎまで寝たからな。充分疲れは取れた。」
その言葉に本当にタフな奴だと思った。僕たちは横に並んだ。
「これから沖へと向かうが、沖に出るときに大きな波がきたら波の上を越えるのではなく波の下を潜るようにして越えて行く。『ドルフィンスルー』って言うんだけどな。でも、ここのポイントはそこまで大きな波は立たないから、普通に波を越えて行く。波に身体を持っていかれないようになるべく波に垂直に向かって沖へ出ろ。」
そう言うとユウイチは波へと向かって行く。波は確かに大きくないけれど、水面はゆったりとしかし大きく力強く上下しうねっている。僕はふらつきながらもやっとの思いで波の立つ場所を横にかわしながら沖へとでた。
うねって上下する水面で、待機のポジションをとろうとするが、安定せずふらついてはそのまま引っくり返る。ボードを脚で挟もうとするが滑って落ちる。何回となくそれを繰り返していた。ユウイチを見て、真似をしようとするが全く安定しない。
「行くぞ!」と、ユウイチは言うと、一本目の波に上手に乗って「ホー!」と叫びながら行ってしまった。僕は次に来た波に乗ろうと懸命にパドリングをするが、すぐに波に追い越されてしまった。そこで少しモタモタしていたら次の波が押し寄せてきて僕は引っくり返されて波に呑まれてしまった。僕は海水を飲んで、その余りの辛さに激しく咳き込んだ。必死の思いで海面に顔を出してボードにしがみついた。
波を一本遣り終えたユウイチは悠々として再び沖へと向かって来ていた。僕が波に引っくり返された様子を見ていたらしく、ユウイチは僕の側に来ると高笑いしながら、
「最初はそんなもんさ。次、頑張れ!」そう言うと僕を沖へと誘った。ユウイチの横で何度も真似をするが、僕だけが波に置いていかれ、その後、引っくり返る。何度も同じ繰り返しだ。波を捕らえる事も出来ず、ボードに立って波に乗るなんて至難の技だ。そうとしか思えない。息が上がる!海水を何度も飲んで、すっかりワイキキの海に翻弄されていた。30分程経ったが一回も波に乗れないでいた。ユウイチが近付いてきて、真横にボードを並べた。
「いいか!こう乗るんだ。俺と一緒にやってみろ!」と言って波が近づくと速いパドリングをしてさっと乗ったが、僕は再び波に置いていかれ乗れないでいた。その姿を見て、ユウイチは
「まだ乗れないのか、百姓!」と大声で叫んだ。僕は畜生!バカにしやがって!。日本ではお百姓さんは一番偉いんだぞう!と、心の中で叫んでいた。そして僕は府と気がついた。これじゃ昨日のサイクリングと全く逆じゃないか。さてはユウイチは昨日の仕返しが出来てざまみろと思ってるに違いない。そうはさせるものか。僕は何としても波に乗って見返ししてやると力が入った。
次の波が来た。僕はがむしゃらにパドリングを始めた。すると、途中からボードは急に軽くなりそのまま僕の横たわった身体が後ろから持ち上げられ前へと加速し始め、そのまま波に持っていかれた。僕は立ち上がれはしなかったが、初めて体感する飛んでいるような感覚を楽しんだ。後ろから追い付いたユウイチが、
「サトル、それで良いんだ。そのまま次は立ってみろ。」とユウイチが声をあげた。僕は、ボードを一旦沖へと引き返して、次の波を待った。少しふらつくボードを押さえながら、波を見て反転させ、さっきと同じようにパドリングをすると、ボードは再び走り出した。今度は中腰のままボードが加速する。慌てて立ち上がったが、その瞬間に僕はボードの横に飛ばされて海へと投げ出された。
「畜生、もう少しなのに。」
悔しい気持ちが普段口にしない言葉を発しさせていた。僕は再び夢中で沖へと引き返した。今度こそ!と乗りごろの波が来ないかと沖の方を注視していた。その時の僕は、少し離れているところからユウイチが見守っている事にも気が付かないでいた。
再び波が来た。海に入った直後とは、比べ物にならない程ボードは安定して僕と一体になっている様に感じていた。僕は力強くパドリングをして再び波を捕らえてそのパワーを感じていた。「今度こそ!」と、スピーディーに中腰から左足を前に立ち上がり、構えのポーズをとった。ボードは、軽やかに波の前面を捕らえてどんどん進んで行く。僕はつい、
「うわぁー!」と叫んでいた。大分長い時間に感じたが、実際は数十秒だったのだろう。確かに波に乗っていた。弱まった波の力に僕はボードから落ちて水中に浮かんでいた。すると、いつの間にか側にいるユウイチが、拍手をしながら
「そうだよ。乗れたじゃないかサトル。」と、声をかけてくれた。
僕は「はい。何か凄く嬉しい。」と応えた。
「どんな感じだった?」
「何か、身体が宙に浮いてホバーリングしているみたいだった。超気持ちいい!」
「そうさ。それがサーフィンなんだ。」
「僕、もう一本行ってきまーす」そう言うと、再び沖を目指す。息は上がって多少の疲れも感じていたが、それより、サーフィンの快感の魅力が大きかった。その後、失敗も有ったが、2本の波に乗ることが出来た。
「サトル、次の波で揚がろうか?疲れてきたろう。」とユウイチが話しかけてきた。僕が気が付かないうちに時間は大分経過したらしい。僕は頷いた。
「次の波が来たらそのまま立たないでヨットハーバーの方まで乗っていけ!」
そうユウイチに言われ、僕はこの日最後の波に乗った。覚えたてのサーフィンとは、地球の重力を少し失った代わりに「波」という地球の自然からの産物のパワーの一欠片を得て前へと進んでいく事んだな。と学んだ。地球の壮大なるシステムを体感し、その真っ只中に自分が居るんだと事を感じていた。そのうち陸地がどんどん近付いてきていた。僕はいっそのこと、ずっとこのまま海の上に居たい不思議な気分でいた。




