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楽園の誓い  作者: 凡 徹也
11/20

「第7日」その1

 まだ、朝の6時前だというのにはっきりとした目覚めだった。前夜は寝付けていないつもりだったが意識は充分に寝ていたようだ。昨日の日焼けからか、全身には火照り感が残り、大きく開けた窓から吹き込んでいた朝の風も寒くは感じなかった。しかし、日焼けから来る全身のだるさがあり、身体を擦って見ると、痛いという程ではないが、少しヒリヒリとした違和感はある。服を脱ぎ、洗面の鏡で全身を良く確認してみると、紅斑は引いているようで、かろうじて火傷にはなっていなかったので少しほっとした。自分の身体をつくづく観るなんて今まで殆どしなかったが、ユウイチに「締まった身体つき」と言われたことが気にかかってつい意識してしまう。成る程、学生の頃と同じとはいえないが、贅肉や余分な脂肪は付いてはいないし、筋肉もまだしっかりしている。中年太り等ということが自分の身にこの先起きませんようにと願いながらシャワールームに入った。頭からぬるい湯を思い切り浴びながら、昨日見たユウイチの身体つきを思い出していた。やはり半端な体躯じゃなかったな。初めて男の身体を意識したことが頭から離れなかった。

 そういえば、早いものでハワイに来て丁度1週間になる。海へと入ったのはたった一日だけだがもう充分に堪能した気分だった。今日の午前中位はホテルのプールでのんびりしよう。そして、夕方からはユウイチと一緒にサーフィンだなあと、サーフィンという実感を持たない僕はただ、想像してぼんやりと思うしかなかった。

 朝がまだ早いので、今日こそ少し走ろうと思い立つ。昨日の自転車での脚の筋肉痛は、まだ少し残っているし、身体を良くほぐしておいた方が良いのかと判断したのである。

 シューズを履き、ホテルから外へと出てみた。左を向けば、いつものダイヤモンドヘッドが視界に入る。折角だから山頂まで走ってみようとホテル前からワイキキのカラカウア通りを走り出した。ダイヤモンドヘッドは正面に見えている。

 それから間も無く、カピオラニパークへと入る道を渡ろうとしていた所だった。そこで道の反対側を歩いている男に視線が行く。まさか…ユウイチ?と思い見直してみるとやっぱりユウイチだ。

 「ユウイチさん!朝からどうしたんですか?」と僕は声をかけた。

 「ああ、サトルかあ。朝早いな。散歩か?」

 「いや、ダイヤモンドヘッドまでジョギングしようと思って。」

 「朝から元気なやつだな。俺は、昨夜誘われて女の所へ行ったのは良かったけど、参ったよ。今夜は帰さないって放してくれなくてな。お陰で泊まりになっちゃったよ。もうくたくただ。」

 「それって自業自得ってやつじゃないんですか?」と、僕は醒めた視線で斜めに見ながら(つまりは夜這いの朝帰りじゃん)と心の中で呟いた。

 「まあ、いいや。2時半過ぎに電話いれるよ。今日はサーフィンの約束だ。」と言いながらパドリングのポーズを決める。

 「寝てないのに大丈夫なんですか?」と、僕は覗きこむようにユウイチを見た。

 「今から家に帰って少し寝るよ。じゃあな、また後で。」そうユウイチは言うと少しふらつきながらタクシーを捕まえて乗り込んだ。それにしてもタフな男だなと、僕は思った。そして、僕はもう一度ふりかえってダイヤモンドヘッドに向かって走り出した。

 公園を走り抜けるとダイヤモンドヘッドは間近に見え、どんどん大きくなってきた。住宅街を霞め、外周道路から本体へと回り込むように走る。考えてみれば噴火口である。こんな場所に住宅が建ち並ぶ事も不思議だ。海を右手に見ながら少しずつ標高を上げていく。結構息が切れる。それでも20分程で山頂へと到着した。

 太陽は既に上の方まで昇ってしまっていたが、季節が違えばこの時間に日の出も観られるのかも知れないと思った。そんな時間に巡り会えたら、きっと幸せな気分を味わえるのだろう。そんな場所ではあるが、その反面、途中走り過ぎた道端に軍事用のウインチ等も置いてあった。戦時中は、きっと天然の要塞だったのだろうか?。今は平和という時間に包まれていて、この場所には似合わない。眼下にはワイキキの街並みに大海原が拡がり、長閑な空気が流れているだけである。

 下山はゆっくり歩いて見ることにした。古の人々がダイヤと間違えたという方解石が日差しが当たって所々でキラキラと輝いている。これがこの岬の名前の由来だそうだ。僕には名前が判らない花ばなが所々で咲き乱れ風に揺れていた。素直な気持ちで「良いところだなあ」と思うと伴に、神の宿りを感じてもいた。

 麓まで下りてくると道沿いの駐車場に特設のマーケットがあった。美味しそうなフルーツも並ぶが、僕はランニングの途中であり買い物は諦める事にした。僕は再び走りだし、カピオラニパークでランニングのゴールとした。時間にして一時間半位。楽しい時間だった。

 それからはカラカウア通りを歩いて帰る。途中「勝ちゃん」の前を通り、メニューの「ラーメン」という文字を見て、急に故郷のラーメンを思い出した。たった1週間だというのに、懐かしささえ感じる。生まれ育った神奈川県には「サンマーメン」というあんかけの載ったご当地麺があり、子供の頃よく食べたものだ。チープな感じの本格中華料理風のラーメンであるが、餡掛けが熱々なので、猫舌の僕にとっては苦手だったが、味は美味しく親父が、「ふーふー」と息を吹き掛けながら冷ましてくれては少しずつ食べたので、早死にした親父との数少ない思い出にオーバーラップする。お腹はグーグーと鳴ったが、まだ朝の時間帯であり、ラーメンは無いだろうと別の機会をつくって食べに来ることにして、ホテルのモーニングの時間に気をかけ、帰りの足を速めた。

 部屋へと戻ると、急ぎザッとシャワーを浴び身体を拭いた後、海パンを履き、その上から短パンとTシャツを着て急いで一階のラウンジへと降りた。いつもより遅い時間帯の所為か、店内は大分空いていた。僕はお気に入りのスクランブルエッグとソーセージを頼んでからパンなどをワゴンまで取りに行く。今日はクロワッサンとメロンジュースを手に取った。遅い時間ではあるが、今朝は取り立てて急ぐ事も無い。ゆったりと朝食を食べる事にした。

 二杯目のコーヒーを堪能してから席を立った。一旦部屋へと戻り、サンオイルとサングラスに文庫本を持ってプールへと向かった。

 プールは、まだ午前の早い時間とあってか、がら空きであった。受付係りのボーイに導かれ、指定されたテーブル付きのサマーベッドに案内された。

 「ご用の際は、このベルを鳴らして下さい。」と言い残して下がっていった。僕はサマーベッドの脇にTシャツと短パンを脱ぎおいて、とりあえずストレッチを軽く行ってからプールへと飛び込んだ。さらりとした淡水の感触が、ひんやりとして心地よい。

 「泳ぐのも久し振りだなあ」と、独り言を溢してから、ゆったりとしたクロールで15分程泳ぐと、息も切れ始めたので早々にプールから上がった。僕は、濡れた身体をタオルケットで拭きながら、こんな事で午後から波乗りなんて僕は出来るのだろうか?と、少し不安な気持ちが心をかすめた。息が未だ落ち着かない身体をサマーベッドに横たえ、眼を瞑った。

 気持ちの良いうたた寝だった。多分、30分も経ってはいないが、夢の中では数時間程の時を飛び越えた位、肉体も気分もリフレッシュしていた。僕は思い立った様にベルを鳴らしてボーイを呼んだ。

 「ご用ですか?」との問いに、

 「グァバジュースをお願いします。」と、頼んだ。このところ、ハワイアンサンのグァバジュースばかり飲んでいるので、少し中毒気味だ。

 暫くすると、ボーイがトレーにグラスを載せて持ってきた。テーブルに置かれたグラスには、氷だけが入り、その上には青紫の蘭の花が差してあった。ボーイがジュースの瓶の栓を抜き、グラスに半分程注いで、

 「どうぞ」と言い、微笑みながら請求書にサインを求めた。

 僕は「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」といいながらその場を下がっていった。

 僕は置かれたグラスを取り、一口飲んでみる。濃厚でネクターの様で香りも良く、きっと高級なのだろうという味がした。それでも、僕にはあの安いハワイアンサンのチープな薄味の方が、口に合うなとつくづく感じていた。高級な方が、必ずしも美味しいとは限らない。それは、食べ物でもそうだが、化粧品の世界も同じだなとも思う。化粧品には100円ショップの物から1つ数万円もする栄養クリームまであるが、高価なものほど内容や効能が優れている訳では無いことを、自身がよく知っている。内容も優れ、コストパフォーマンスの良い廉価なものの存在を身に染みる程知っているからだ。

 それから少しだけパラソルの日陰で文庫本を開いて読み始めたが、直ぐにそれにも飽きて本を脇に置き、昨日ワイキキのショップで購入した、SPF12のサンスクリーンタイプのオイルを全身に塗った。ココナッツとトロピカルフルーツが混ざった不思議な香りに包まれ、日焼けの心配もなく、心地よい気分でサマーベッドに横になった。それでも、午前中の陽射しでさえ、高い位置になりつつある太陽の光は力強く僕の身体を射す。紫外線を防ぐには、SPF値50といったもっとサンスクリーン度数の高いものがこの先需要が有るのかもしれないとおぼろ気に感じていた。

 それにしてもワイキキがこれだけ紫外線が強いのは、ハワイ諸島が太平洋という大海原のど真中の絶海の孤島であるが故に空気中の塵が極端に少なく空気が澄んでいるからだろう。それでハワイ島の山頂付近には世界中の国々の天文台が集まり巨大な望遠鏡で天体の観測をしているわけで、地球上でも貴重な場所となっている。僕は僅か数日間の滞在に過ぎないが、此島には神が宿っていると感じるようになった。いつか改めて再びこの地に来たときには、ハワイ島にも行き、その山頂迄自転車で登って何かを感じたい。日本の富士山スバルラインで行く五号目や、乗鞍岳のエコーラインを残雪残る畳平まで登った時の様な神々しい空気を感じたい。…僅か数年前の出来事が物凄く遠い過去の様に頭を巡ったと同時に、色々な場面が思い出された。 

 そういえば…僕は今までの人生思いきり生き抜いて来れたのかな?色々な経験は、確かにあった。でも、その一つ一つを思いきり楽しんだり、哀しんだり出来ていなかったような気がする。余りにも控えめで普通で、単調過ぎた人生かなと、ユウイチを観てるとそう思えてくる。ユウイチが過ごしてきた羽目を外した生き方に比べて自分は…と、臥せた瞳の裏側に、漠然とした自分の20代の日々のシーンが、代わる代わる現れては前向きや後ろ向きの感情が複雑に入り乱れた中で消えていった。

 昼の時間に近付くと、プールは結構な人数で充ちていた。欧米人が多いが、中には新婚と思わせる日本人のカップルも数組見られた。仲むつまじくじゃれあうカップルもあれば、静かに二人並んで其々が本を広げて読書に熱中する者もいる。僕は去年新婚旅行で出掛けたオーストラリアでの情景をそれに重ねた。僕たちは他人の目にはどう映っていたのかな?愉しそうに、幸せそうに見えたのだろうか?。思い返せば、僕は妻にあからさまな感情表現をしたことが無かったなあ。妻はもしかしたら、つまらなく感じていたんじゃないのかな?。ユウイチの存在を思う度に、自分の男としての自信を無くしていく。あいつほどの精力も行動力も自分には無いし、真似も出来ないなあ。朝帰りなんてしたことも無いしと、考えてしまった。もし、ユウイチと学生時代とかに知り合っていたら僕の青春期は全く違ったものになっていただろうし、今の人生も変わっていたんだろうなと思っていた。

 今日の昼から現地スタッフ達と打ち上げを兼ねた会食に出る約束だった。昨日は、僕は出なかったがイベント会場の後片付けがあり、食事会は今日になったのだが、当初は「僕は残りの日程は静かにのんびり過ごしたい」と辞退していたのだが、スタッフの一人が、「本当に静かにのんびりなんですかあ?まあ、プライベートの邪魔は野暮になるんでしたくないので、無理にとは言いませんけどね。」と、意味深に変に勘ぐった言い方をするのでつい剥きになって参加すると返事してしまった。でも、まああれだけの女性達が僕を名指しで訪ねてきた訳で、理由は兎も角そう思われても仕方なかったのだが。余り気は乗らないが、彼らに会うのも今日で最後かと思えば名残も少しは感じるのかなと思うようにした。そろそろ外出の支度もしなくては、とプールを上がることにした。

 伝票に、部屋番号とサインを書き入れ、ボーイに渡し、部屋へと戻った。シャワーでオイルを落とし、身支度を整える。「ラフな格好で」との事なので、短パンにアロハシャツで出掛けることにした。

 タクシーで、ダウンタウンにあるレストランに駆けつけると、すでに皆が揃っていて直ぐに食事は始まった。食事は美味しかったが、あまり気分は冴えないなかでの食事である。それでも一つのイベントの成功を伴に目指した皆は戦友みたいなもので、この日が顔を会わせるのも最後かと思えば、哀愁の気持ちも湧いてくる。会社のスタッフ達は「お疲れの様で」と、気遣いなのか、勘繰りなのか、どちらにも取れる言葉をかけてきたので、昨日サイクリングでハナウマへと出掛けてへとへとですと言うと、どうりで日焼けもしてと、皆は驚いた中で納得したようだった。また、明後日の帰国の際の送迎と見送りの申し出があったが、「お気遣い無く」と、丁重に辞退したことも、女性スタッフに「プライベートを侵して邪魔しちゃ悪いですね!」と、余計に勘ぐられてしまった。どうやら僕はここのスタッフ達には、神秘な印象を残してしまいそうだ。

 食事が終わり、「いよいよこれで尾崎さんともお別れですね。」とスタッフの一人から言われると、さすがに涙腺も少し緩んだ。束の間の同士達ありがとう。そしてさよなら。真摯な気持ちで「ありがとう、そしてお世話になりました。」と、お礼を述べて会場を去った。

 帰りは、やはり送迎を辞退し、お土産物を見るという理由付けでマーケットプレイスに立ち寄ったが、本当はお土産などどうでも良く、ただ街をブラブラと歩きたかった。僅か1週間の滞在でも、ずっとホノルルに住んでいる感じがしていた。この先もずっとここに居るという錯覚も…。でも、確実にあと2日で日本へと帰るのである。心残りの感じもある。このままあと1年此処に居たら自分はどうなっていくんだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、マーケットを出てまだ明るい街の賑わいのなかで、ただ一人静寂の世界に浸りながらカラカウアの通りを歩いていた。

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