彼女と彼の共同戦線・下 (裁きの庭)
いろんなものを盛り込んじゃった結果。長くなりました……。
「階段のヤツか」
後輩が悪戦苦闘しているらしい問題を、ぼそりとつぶやく。
問題文は階段の登り方の組み合わせだった。
7段の階段を普通に、あるいは1段飛ばしで上る時の組み合わせはいくらか。これが題意らしい。
「『一歩進んで二歩下がる』公式か。俺ん時もこういう感じのが出たよなぁ」
「一歩………?」
「0、1、1、2、3、5、8、13、21……って続く数字だ。前の数字を2つ足し合わせる数列な」
「はあ」
相槌を打つエメリー。とりあえず、の様子が色濃い彼女のため、フランソワは問題に沿って説明してやった。
「階段が1段しかない時は1通りの上り方しかないだろ? 2段だと1段ずつ、1段飛ばしの2通りだ。3段なら初めから1段飛ばし、2段目から飛ばして上る、1段ずつ上る、の3通り…………」
「じゃあ4段目は、」
「4通り、じゃねぇからな。数えてみろ」
ゼロから飛ばすやり方が1通り、1段から飛ばすのが1通り、そして2段目から1段飛ばすやり方、最初から1段飛ばして上る1通り、1ずつ上る1通り………。
「5通りですか?」
声を上げるや否や、ぽんぽん頭を撫でられた。
「ご名答。ほれ、よく見ろよ。どれも前の数字を2つ足した数になってんだろ?」
「あ、本当だ」
たとえば、0に始まり1を置くと、次の数は「0+1」で1となる。次はたった今出た1と前の1を足し合わせて2。続いて1と2で3。2とこの3が足されて5……。なるほど。進んで下がって足されている。
「面白いですね」
「だろ?」
彼女と共にして2年。ようやく先輩らしいところを示せて誇らしい。純粋に興味を持つエメリーに対して嬉しい気持ちが芽生えた。
「数え方がわかったら答えを出さなきゃな。7段の階段だと何通りある?」
「5段からだと………3と5で8、8と5で13、13と8で21通りですね」
「簡単だな」
ガシガシ撫でてやったら、鬱陶しげに跳ね除けられた。ちょっと傷ついた。
「図があるんだ。分からなかったらこれ使って数えてもいい」
「ぐちゃぐちゃになります」
「汚してなんぼだろ。どうせ自分のじゃないんだし。別に手を動かすほどのものじゃ……」
フランソワは言葉を切った。不思議そうに見上げる後輩を凝視し、自問する。
おかしい。
同じ問題はなかったとしても、似たような設問は出されていたはずだ。一発合格かつ上位の成績を叩き出した彼女なら、簡単に答えを導けるはず。
なのに、解き方を知らない?
彼はあまり喜ばしくない後輩の真実を知ってしまった。
「お前、算術苦手だったりする?」
「ある程度はできるんです」
答えになってない。
こういう奴はたいてい、ごまかすものだ。
「…………司法試験を上位で突破したんじゃないのかよ」
「総合評価なので」
「…………救われたな」
「でも計算部門は足切りの2割増しで通りました」
「物は言いようだな」
しかし独学でそこまで取れたのなら、まあまあ上等な範囲だということにしてやる。逆に言うと算術以外はすべて満点に近い高得点だったのだ。14歳でこれなのだから、称賛に値する。
「…………なんかいいな。こういうの」
気を取り直して先の図形を見、ひとりごちる。
「昔を思い出すよ。司法試験前の必死こいてた時期」
「先輩が?」
「俺、これでも最後の年は3番手の成績だったんだよ。でもそれが合格に反映されるわけじゃねぇし。あの頃は辛かったなー」
まったく辛そうでない口調だ。そりゃそうだ。しんどいながらも、楽しい数ヶ月だったのだから。
「こうやって仲の良い奴らと集まって、教えたり教えられたりしてた。そうするとさ、楽しいんだよ。勉強は嫌いなのに」
「だから話がうまいんですね」
「それは元からの才能な」
そもそも口がうまくなければ弁護士の名が廃る。
「その人たちも、一緒の弁護士に?」
フランソワは顎に手を当て、思い出の顔ぶれたちを見回す。彼らの前にはそれぞれ独立した道が伸びていて、みんながフランソワに手を振っていた。
「…………まちまちだな。1人は田舎の弁護士会に回って、もう1人は自営業の実家の経理かなんかの手伝いを継いで。あと1人は直前で降りた」
唐突に『彼女』との、最後の日に交わした言葉が蘇る。
『フランはなんでもできるから。あたしと違うから。フランが一緒にいたら、すごく自分が馬鹿に見える』
呪詛のように。音を揺らがせて。栗色の強気そうな瞳が濡れている様は、とてもみじめだった。
「勿体無かったな。よく出来た女だったのに。刑務官を目指してて、他にも選択はあったのに犯罪に走ったガキどもの傍に立ちたいって言ってたんだ。…………あいつなら充分なれると思ってたんだ」
犯罪心理学の講義。人々が犯罪に陥るわけ。犯罪者の中には生活の苦しみから罪を犯した者、『真っ当な生き方』そのものを知らず、手を黒く染めることで食い繋いできた少年たち。そんな一面に衝撃を受けた彼女は、彼らに寄り添いたいと言った。その心を少しでも分かち合いたいと熱弁していた。
だから突然、司法試験を諦めると宣言された時は、頭の中が真っ白になった。
「それなのに、やめたんですか?」
「そいつにはそいつなりの気持ちがあったんだろーな」
『刑務官、やめようって思うの。司法試験って難しいでしょ? あたしがなれるかなって』
勿体無かったが、彼女にも事情があるのだと踏み込まなかった。「頑張れよ」とか「お前なら大丈夫」とか。無責任な言葉をかけたくはなかったから。
『お前が納得してんなら、それでいいんじゃねーの?』
それが間違いだと明らかになった頃には、遅すぎた。
「悪いことしたんだよ。俺、気づいてやれなかったんだ。あいつのこと、それなりに大事にしてたのに」
彼なりに彼女のことを尊重したつもりだった。……しょせん『つもり』にすぎなかった。
『フランがいると、自分が嫌になってくるの』
フランソワと会うたび、自分の能力の限界を感じさせられ、だんだん広がっていく実力の差に耐えきれなくなったと吐露した彼女。夢を諦めたのは、彼と足並みをそろえられなかったから。到着地は彼じゃないはずなのに。いつしか彼女は自分の夢でなく、フランソワを目標にしていたのだ。
『――――ごめん。別れて』
身勝手な奴、とは思わなかった。あの時ああしていれば、と自分を責めることも。もしかしたら薄々予感していたのかもしれない。こんな終わりを。
「先輩。その女の人って、本当は先輩の……」
察しのいいエメリーは辿り着いたらしい。気遣わしげにフランソワを仰ぐ。
ためらうエメリーに対し、首を横に振った。遠い昔の話だ。引きずるほどフランソワは青くない。
「辛気臭い話はやめようぜ。お嬢。次、解こうぜ。今の出題内容、知りてぇし」
「………………私」
「うん?」
先を促すフランソワを、小さな呟きがとどめる。
「先輩が法廷弁護士を選んで、そのために努力してくれて、良かったと思います。それで私、たくさん勉強できましたから」
あまり――――というか先輩をまったく尊敬する態度を見せない彼女の、初めての本音だった。無言でフランソワは目を細め、窓を見やる。
外は冷気で覆われ、窓が白く曇っていた。眺めの悪いガラス越し、粉雪が吹雪いている。
「……………お前とも、もうそろそろなんだなあ」
あと少し。冬を経た春を迎えれば、彼女は自分の許を離れていく。そして誰かを教え導く立場に立つのだろう。フランソワが何年もそうしてきたように。
「たまには遊びにこいよ」
「先輩が全面禁煙に成功したら考えます」
「考えるだけかよ!」
生意気! とはいうものの、フランソワの顔は笑っている。
「どうせ先輩から会いに来るに決まってるんです」
「俺が暇人みたいな言い方だな」
「じゃあ仕事してください」
「この問題を教えてくれって言ったのは誰だっけか?」
「階段が分かったのでもういいです」
「後輩に構うのも先輩の仕事なんだよ」
のらりくらりと言い募れば、呆れたらしい後輩。はあ、と肩を落とし、本格的に残りの問題に集中し始めた。
取り残されたフランソワは鬼気迫る華奢な背中を眺め、苦笑を深める。
彼女の言う通り、耐え切れなくてフランソワの方から構い倒しに行くに違いない。だが、我慢してしばらく関わりを持たないでいれば、さすがの後輩も気になるだろう。そんな時、どういう反応をするか調べてみたい。
エメリーの推測に抗おうとこの時フランソワは一大決心をしたのだが、彼女が独立して早々、厄介な事件を押しつけられそうになってすがりつくのである。
<了>