星降る夜に灯火を (『裁きの庭』)
『正義の塔』を囲うようにして広がる新緑の庭。夜の空によって藍色に翳る草花は、しかし零れる星明かりに昼間とは異なる艶を湿らせている。
「娘っ子が夜更けに何浸ってやがる」
しめやかな風に濡れ髪を乾かし、庭に腰かけるエメリーの背を、彼の声が小突いた。夜空に散らばる星々を仰ぎ見ていたエメリーは、上向けた頭を少し低めて後方を振り返る。
くたびれたシャツ、左膝がほのかに白く煤けた細身のトラウザーズ。タバコの煙たいザラつきがふわりと香る。入浴はまだなのだろう。なんとなく埃っぽさを感じる。
彼は凄みのある目つきをしかめ、肩をすくめてエメリーの隣に腰を降ろした。
「さっき部屋から流れ星が見えたので」
「流れ星ぃ?」
先ほどより一層のしかめ面へとフランソワの強面が歪んだ。鳶色の三白眼が夜空を見上げる。つられてエメリーも再び首を高く反らした。
「毎度ながら吐きそうだ。よくこんなの見てられんな」
「だったら身体を洗いに行ったらいいと思います」
「預かりの後輩をこんなところで置いてけっか」
そういうものだろうか。エメリーは首を傾げ、まあこの人は世話焼きだからと納得する。
「……1回、流れ星が見られるまで」
「ほいほい。分かったよ」
輝きもまばらな無数の粒。確かにずうっと魅入っていると酔いそうだ。みっしり、夜の膜で光を押し合っている。
そんな星々の間を、ごくごくか細い一閃が縫った。一瞬だけある一点が明滅し、儚い帯を引く。
「あ、流れ……」
そしてすぐに消える。
「てしまいました」
「修業が足りねぇな」
むすっとした声音にフランソワの喉がくつくつ笑う。
「願い事あんのか?」
「…………はい」
茶化すようにフランソワの表情が和らいだ。
「気になるねぇ」
エメリーの願いはただひとつ。囚われの兄の罪を晴らすこと。
そのためにエメリーは何もかも投げ捨てて弁護士を目指した。もちろん、自分の弁護で、自分の手で兄を救おうと決めている。
だけど星に願えばそれが早く訪れそうな気がしたのだ。幼い頃、兄にそう教えられたせいかもしれない。親を早くに亡くしたエメリーには、絶対的な正しさを持つ『大人』は兄唯一だったから。
ただそのことを他人に明かすわけにいかない。
「秘密です」
人差し指を口元に持っていく。
「先輩はあるんですか?」
「自分のことは話さないでか」
だからお前は『お嬢』なんだよ。わけの分からない理屈を述べたフランソワが緑の地面に寝そべる。
「ねぇよ。そんなモン。欲しいものはたいてい、金を払えば手に入れられる」
吹く、風が。フランソワの髪を、袖を、シャツの襟を揺らす。当然のことなのに、どこか寂しげで弱々しかった。
「俺が欲しいのは」
フランソワは腕を高々と掲げる。掌を空へと突き出して。
「欲しいのは……」
ぐっ、と掴む。
遥か遠くの流れ星はちっぽけな人間の拳など知らず通り越し、夜の海へ溶け込んだ。
「ほらな。どうやったって俺がやるしかねぇんだよ」
彼の投げやりに吐いた息遣いがエメリーの耳に届いた。青灰の瞳が少しだけ見開かれた。
「――――……」
「今度は上手く祈れよ」
「いいです」
「んあ?」
エメリーは立ち上がった。寝巻きの裾を軽くはたき、くるりと身体の向きを反転する。慌ててフランソワも身を起こした。
「わ、悪りぃ。俺が変なこと言ったせいか」
「違います。でも先輩の言う通りですね」
エメリーはうんうん頷く。フランソワは半ば無視され呆然としている。
「たぶん叶いませんから」
そういえば以前、同じような願い事をしたのだが、まったく効果がなかったのを思い出した。あの時のなんとも言い難い虚しさが蘇った。
理由をつけたところで、自分しかできないことなのだ。自分に自信があるなら、そんなことをしちゃいけなかった。
――――自分が全部をやらなければ。
「私が一番なんです」
エメリーは決して口数が多くない。自分の中で完結して、その結論だけを告げる癖がある。しかしフランソワは汲み取ってくれたようで、口の端をにっと引き上げた。
「当たり前だろ」
さっさと帰るぞ。湯冷めしても知らねぇからな。
エメリーの背を軽く叩いてフランソワは塔の中へ戻る。彼に続きエメリーも歩を進めた。
夜空を翔ける発光の塵。空に浮かぶにすぎない小石の欠片。どれだけの数流れようと、エメリーの目に映ることはない。




