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最終話 春の遠足、そして二泊三日の高等学校理数コース新入生学習合宿へ(2日目)

【ボンジュール、起床時刻だよーん。みんな早く食堂に移動してね】

朝七時、スピーカーから徳島先生からのモーニングコールが流れ始める。

 友梨以外の三人は、この合図ですぐに目を覚ました。

「おっはようナツミン」

「菜都美さん、おはようございます」

 早帆と閧子は元気よく挨拶する。

「おはよう」

 菜都美は眠たそうに挨拶を返した。

「菜都美さん、よく眠れましたか?」

 閧子は爽やかな表情で尋ねてくる。

「いやあ、あんまり。(理由は言えない)友梨ちゃんも起こさなきゃ。おーい、友梨ちゃーん。起きてー」

 菜都美は友梨の頬をペチペチと叩く。

「んうん。まだ眠い」

 友梨はぴくりと反応し、お布団に包まった。

「ユリ、起きて」

 早帆は無理やり毛布を引き離した。

「ああーん」

 友梨は手を天井に向けて伸ばす。

「友梨さん、これ食べるとすっきりするよ」

 そう言い、閧子は友梨のお口にハッカ飴を押し込んだ。

「!!」

 友梨はパチッと目を開いた。閧子の試みは上手くいったようだ。

「おはよう、ときちゃん。ほんとにすっきりしたよ。このキャンディー、すごいね」

 友梨は爽やかな笑顔で言う。

「単純ね」

 菜都美は呆れ返っていた。

 

四人が食堂に着いた時には、先生達はすでに全員揃っていた。

 他のお部屋の子達もみんな揃ったところで、

「それでは皆さん、おあがりなさい」

 保母先生は食事前の合図をする。

クラスメート達の【いたただきます】の号令の共に、箸やお茶碗を動かす音が聞こえ始める。

朝食のメニューはお味噌汁と焼き魚、白米、漬物。そしてもう一品、『鳴門金時』が並べられていた。

「焼きイモ、焼きイモーッ」

 友梨は黄金色に輝くそれを、嬉しそうに齧り付く。

「めっちゃ美味いわー」

「甘くてすごく美味ね。けど、太っちゃいそう」

「さすがはサツマイモの最高品種、鳴門金時ね」

 早帆、菜都美、閧子の三人も満面の笑みを浮かべながら頬張った。


 朝食後、午前八時半から十時まで数学の講義。

十時半、クラスメート達はお部屋の整理整頓を済ませて旅館をあとにした。

しおりのスケジュール表に次の予定として書かれていたのは、乳搾り体験だった。近くの牧場へと歩いて移動する。

白黒斑模様のホルスタイン達が、そこで草を貪りながらのんびり過ごしていた。

クラスメート達は牧場のおじさんから説明を受けた後、乳搾りにチャレンジしていく。

「わたしからやるーっ」

 二班は、友梨が先頭を切った。ホルスタインにそーっ近づき乳頭を指でつまみ、そばに置かれたバケツの中へ搾り出していく。

「すごーい、ほんとに出たよ、お乳。面白ーい」

 上手くいくと、友梨は子どものようにはしゃぎ出す。

 続いて菜都美がチャレンジしてみた。

「こうかな? うわっ、なんか思ったより簡単に出て来た」

 菜都美は少し驚く。

「ナツミン、上手やね。次はトッキーからどうぞ」

「ちょっと、怖いな。私、牛さんのぬいぐるみやキーホルダーはすごく好きなの。でも、本物の牛さんはちょっと……迫力あるし」

 閧子はぼそぼそと打ち明けた。

「閧子ちゃん、二次元美少女キャラは大好きだけど、三次元は無理だっていう徳島先生と同じような感覚ね」

 菜都美は微笑んだ。

「ホルスタインは大人しいから大丈夫やって」

 早帆は説得され、閧子は恐る恐るホルスタインへ近づいた。

「失礼します」

こう一言告げてから、乳頭を指でそっとつまんだ。そしてきゅっと揉んでみる。

「あっ、出た」

閧子がそう呟いた次の瞬間、

「チャッチャラチャッチャ、チャラチャララ♪ ぃよう、おまえさんら。一日振り」

 四人の背後から何者かが現れた。言うまでも無く藤原先生だった。甲冑と腰袋を身につけ、真っ赤なマントを右手に持っていた。

「松尾よ、このピューッて飛び出す白い液体を見て、あれ想像したやろ?」

 こう問いかけながら、閧子のそばににじり寄る。

「なっ、何言ってるんですか、ニセ物理」

 閧子は顔をカァーッと真っ赤にさせる。

「藤原先生、セクハラ発言ですよ」

 菜都美は頬をポッと赤らめ、藤原先生に注意した。

「ハハハッ、河南よ。今まさに想像してるやろ?」

ンモウウウウウ!

「アウチ!」

 ホルスタインは突然鳴き声を上げ、尻尾を使って藤原先生の頬をバチンッと引っ叩いた。

「おのれ、ホルスタイン君よ、このワシに不意打ち仕掛けてくるとは小癪な。『ずるい事は牛でもする』っちゅうことわざの通りやな」

 さらにそのホルスタインは、マントの上に糞をぼとりと落として来た。

「うぬおっ、こいつめ、『鶏口となるも牛後となるなかれ』をビジュアルでしっかりと証明しよったな。退治せねば」

すると藤原先生は、腰袋から矢と細長い筒を取り出した。筒に矢を詰めて口にくわえ、ホルスタイン達に向けて放ったのだ。

「ハッハッハッ。見よ! 『牛部屋の吹き矢』のビジュアル版や。まあ安心しーや。先に吸盤付いてるさかい、ホルスタイン君は無傷や」

 全く悪びれる様子は無く、流れ作業的に矢を次々と取り出し、ホルスタイン達に狙い撃ちしていく。

 そのうち一頭が突然、フーッ、フーッと威嚇の鳴き声を上げた。

「ハッハッハー。こいつめ。乳牛の分際でこのワシに挑もうなんて考えてはるんか? 百年早いぞ。ワシ、ガキの頃はしょっちゅうビゼーの曲口ずさみながら闘牛士の物真似しとったからな。襲い掛かって来たところで華麗に避けたるわー……ほっ、ほんまに襲い掛かって来よったでこいつら。たっ、助けてーっ」

藤原先生は全速力で逃げ出す。けれどもすぐに追いつかれ角でタックルを食らわされた。他の数頭も攻撃に加担する。

「フジミッチー、牛部屋の吹き矢って慣用句、ワタシ初めて聞いた。国語の勉強になるなー」

「あたしもーっ。藤原先生、慣用句に関しては物知りですね」

「ホルちゃん、もっとやっちゃえーっ」

「ニセ物理、いい気味ですね。ホルスタインは比較的大人しい牛種だけど、そんなことしたらさすがに激怒しちゃいますよ」

四人はその様子をほのぼのと眺める。藤原先生は攻撃を受けながらも必死に逃げ惑う。

 クラスメート達全員が、ホルスタインを応援した。

「おまえさんらーっ、ワシ、今大ピンチやねんでーっ」

ンモウウウウウ!

ホルスタイン数頭は、容赦なく彼に攻撃を続ける。

「あのう、そろそろ助けてあげた方が……」

 友梨は少し心配になり、牧場のおじさんに声をかけた。

「ハハハッ、大丈夫さ。毎年のことですから」

 おじさんは微笑みながらおっしゃった。

 

 藤原先生は放っておいて、クラスメート達はこのあと近くの食堂に入り、ランチタイム。この牧場のホルスタインから取れた牛乳で作られたチーズやショートケーキ、アイスクリームなどのバイキングだった。

昼食後は、貸切バスを利用して徳島県鳴門市にある大塚国際美術館へ。芸術鑑賞も、この合宿のプログラムに組まれてあったのだ。

「では、集合時刻の午後四時に遅れないように各自、自由行動してね。遅れたら置いていっちゃうわよ」

 保母先生が代表して、みんなに伝えた。

クラスメート達は、正面入口から館内に入るとすぐに見えるエスカレータを使い、地下三階エントランスへ。

「ワタシ、この美術館は何度か来たことがあるよ。ママの実家の近くだから」

「さほちゃんのお母さんは、絵が好きなの?」

「まあね。ママは中学校の美術の先生だからね」

「へぇ。すごいね。さほちゃんも絵を描くの?」

「もちろん。り○んとかな○よしとかちゃ○に漫画投稿したこともあるよ」

「わたし、それ今でも毎月買って読んでる」

 早帆と友梨は楽しそうにおしゃべりし合う。

「友梨ちゃん、早帆ちゃん、静かに観賞しようね」

「話すなら、もう少し小声で」

 菜都美と閧子はしーっの指サインをし、二人に注意しておいた。

四人は早足で歩きながら、順路通りに館内を巡ってゆく。


「はわわわ……」

「うっわっ、エッチぃ」

「こっ、これは――」

地下二階に展示されていたとある絵画の前で、閧子、菜都美、友梨の三人はポッと頬を赤らめた。

「ここってね、ヌード絵画も多いんよ」

 早帆は嬉しそうに三人に伝える。

「わたし、直視は出来ないよ」

「あたしもよ」

「こっ、この絵、なんか、すごく恥ずかしいポーズとってるよね?」

「みんな『ウルビーノのヴィーナス』に萌えちゃった? ワタシも三次元なんかより二次元キャラの方が萌えられるよ。作者のティツィアーノさんは神絵師や。この左手を添えて恥ずかしい部分を隠しとるとこが一番の萌え要素やね。マネは真似して『オランピア』なんか描いてるけど、ワタシはその絵見て萎えたよ」

「早帆さん、芸術作品をそんな風に鑑賞しちゃダメ! ヌードは芸術なの」

閧子は俯き加減で早帆に注意しておいた。

さらにどんどん歩き進み、地下一階展示室へ。

「ここ、途中でばててくるね」

「わたしも歩き疲れたーっ。ムンクの『叫び』はまだ? 一番見たい絵なのに」

 菜都美と友梨は、備え付けられてあるイスに座り込む。

「何度も訪れないと、その全貌を見ることが出来ないとも云われてるからね。前来た時の記憶によれば、ムンクさんの絵画は同じフロアもう少し進めばあると思うよ」

 早帆の言った通り、まもなく友梨一番のお目当ての絵画が目に飛び込んで来た。     

「ムンク、ムンクーッ」

 友梨は急にはしゃぎ出し、その絵に接近する。

「この絵には不思議な魅力があるよね」

 閧子も強い興味を示していた。

「ユリ、見て、ナツミンの叫び」

 早帆は菜都美のほっぺたを両サイドから押さえつけた。

「さっ、早帆ちゃん、やめてよう」

「アハハハ、なっちゃん、ムンクさんそっくりだーっ」

 友梨は指差してケラケラ笑う。

「ワタシも、この絵は何度見ても飽きないんよ」

「早帆ちゃん、いい加減放して」

「あっ、ごめんナツミン」


四人はこのあと、館内1Fにあるレストランへ向かった。

「おおおおお、これがあの『最後の晩餐』か」

 菜都美は感嘆の声を上げ、カメラ付き携帯に収めた。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた、世界的有名絵画と同じ名前のものが館内レストランのメニューにもあるのだ。菜都美は興味本位で注文してみた。

ライ麦パン、鯛の切り身、羊肉などがお皿に並べられていて、見た目は質素。しかしお値段は高めなので、四人で仲良く分け合って食べた。

ピカソの『ゲルニカ』など、残りの絵画も急ぎ足で鑑賞して館内を出て、このすぐ近くにある大鳴門橋の橋桁に設けられた遊歩道、渦の道を訪れた。

「すごーい、巻いてる巻いてる」

 菜都美は大はしゃぎで、ガラス床越しに広がる渦潮の美を眺める。

「今ちょうどいい時間帯やね」

 早帆は携帯カメラを下に向け、楽しそうに渦潮の写真を収めた。

「わっ、わたし、高い所すごく苦手って言ったでしょ」

 友梨は菜都美の肩につかまり、カタカタ震えていた。

「友梨さん、大丈夫?」

 閧子は心配そうに問いかける。

「わたし、高い所で橋の上は特に嫌なの。小学生の頃に学習発表会の劇で『つりばしわたれ』やった時、トッコちゃん役やらされたんだ。それで本番でみんなが見てる前でね、平均台からズテーンッて落っこちちゃって、腰を思いっ切り打ったの。あの時の痛さと恥ずかしさは今でも忘れられないよ」

 友梨は照れくさそうに打ち明けた。

「あっ、そういやそんなことあったね。まだトラウマ引きずってたのか。友梨ちゃんかわいい」

菜都美はくすっと笑った。

「菜都美さん、笑ったらかわいそうよ」

 閧子は注意する。彼女もこの状況、少し怖かったらしい。

そんな時、後方から四人の耳元にカーンッ、カーンッ、カーンッとけたたましく鳴る金属音が飛び込んで来た。

「あああああああっ、せっ、先生、何やってるんですかーっ。橋が割れちゃうじゃないですかーっ。やめてーっ。海に落っこちちゃうよううううううう」

 友梨は大声で叫ぶ。

「ぃよう、おまえさんら。数時間振り。ワシ、今度はあのことわざを実践しちゃる」

 四人の目の前に現れたのは、藤原先生だった。彼にとっての普段着である直衣に変わっていた。鉄製ハンマーを使って楽しそうに床を叩きまくる。

「藤原先生、やめてやめてーっ」

 友梨は今にも泣き出しそうな表情で懇願する。

「ハッハッハッ。大鳴門橋がこの程度で壊れるわけないがな菖蒲よ。見よ! これが『石橋を叩いて渡る』のビジュアル版や」

「あぁーん、藤原先生のバカァ!」

「「……」」

 菜都美と閧子は呆れ果てた。

「フジミッチー、大鳴門橋は石橋じゃなくて鉄橋なんよ」

早帆はきちんとツッコミを入れてあげた。

「はっ、早く戻ろうよう」

 友梨は三人をせかす。

こうして四人は渦の道を引き返していった。

藤原先生は周りにいた一般観光客の方々に注意され、しぶしぶ叩くのをやめたのであった。


集合時刻、美術館前に留められていた貸切バスは藤原先生を置き去りにして、今夜の宿泊地、祖谷地方に向けて出発する。一般道を少し進んで高速道路へ入った。

「さてと、マンガ読むか」

 早帆はそう言って、リュックの中から雑誌二冊を取り出した。

「あっ、今週号だ。ってあれ? 今日火曜日だよね?」

 菜都美はふと疑問を抱く。

「ワタシも旅館の売店で売ってたの見て、ちょっとびっくりしたよ」

 早帆が取り出したのは、毎週水曜に発売される有名な週刊少年漫画誌だったのだ。

「徳島ではその二誌、基本的に火曜日に発売されるよん。ちなみにジャ○プは土曜っさ」

 徳島先生は口を挟んだ。

「へぇ。そうなんですか。あたし初めて知りました」

「いい場所やね、徳島って」

「遅れて出る雑誌も多いけどねん」

 と、徳島先生は付け加えた。彼は苗字がそうさせるのか、はたまた毎年訪れているからなのか徳島県のことに詳しいのだ。

 

貸切バスは井川池田ICから再び一般道へ降りた。さらに進んでいくと、やがて断崖絶壁の山道に入っていった。

「ときちゃん、ものすごい所だね、ここ。席、代わって」

 窓側に座っていた友梨は顔をこわばらせながら、隣に座る閧子に要求する。

「わっ、私も怖いから、ダメ」

 閧子はやんわり断る。

「あーん、早く着かないかなあ」

 友梨の座席横側の窓を覗くと数百メートル下まである崖。向かい側の窓を覗くと落石注意の看板が所々に見られる石垣が聳え立つ。そんな道を、バスは軽快に走り抜けて行った。


「このすぐ近くに、祖谷のかずら橋があるよん。思い出作りにみんなぜひ渡ってみてねん」

 目的地に辿り着くと、徳島先生はクラスメート達にお勧めした。

 クラスメート達は早速その場所へと向かっていく。

祖谷のかずら橋はシラクチカズラ(サルナシ)などで編まれた幅二メートル、長さ四十五メートル、川面からの高さは十四メートル、国の重要有形民俗文化財にも指定されている、知る人ぞ知る吊り橋だ。かずら橋の向かい側には普通の橋も架けられており、そこからかずら橋の全景を眺めることが出来るようになっている。

「さあ渡ろう!」

 早帆は嬉しそうに三人を誘う。

「ほっ、本当に渡るつもりなの?」

友梨は普通の橋の上から怯えた表情を浮かべながら、かずら橋を指差した。

「もっちろん!」 

 早帆は嬉しそうに答える。

「ここから眺めるにはすごくいいんだけどね、実際に渡るのは……祖谷だけに嫌だよ」

「そんじゃワタシ達三人で渡ってくるから、ユリはここで待っといてな」

「それも嫌だ。迷子に間違えられちゃいそう」

「せやろ? さ、いこ」

「……」

 こうして友梨は、半ば強引に連れて行かれたのであった。

 通行料五百円を支払い、閧子を先頭に橋床のさな木に足を踏み出す。菜都美が一番後ろだ。

「すっ、隙間が広くて落っこちそうだよう。それに、すごく揺れてるううううう」

 友梨は橋の真ん中より少し手前で立ち止まってしまった。その時、閧子はすでに渡り終えていた。

「ユリ、後ろが支えるから、さっさと渡り」

早帆は側面にある手すりをつかみ、ゆらゆら揺らして来た。

「さっ、さほちゃーん、揺らさないでーっ。怖いよう」

 友梨は声を震わせながら懇願する。

「友梨さーん、ゆっくり渡れば大丈夫よ」

 閧子は対岸から少し心配そうに見守っていた。

「友梨ちゃん、あたしが助けてあげる」

「なっちゃん、お願ーい」

 友梨は結局、菜都美におんぶされる形で渡り切ることが出来たのであった。

「なっ、長かったぁ、怖かったぁ。もう二度と渡りたくないよう」

 友梨はまだ声が震えていた。

「ユリ、なかなかの揺れ具合やったやろ?」

 早帆はにんまり微笑む。

「ひどいよ、さほちゃん」

 友梨は早帆のほっぺたを両手でガシッとつかみ、ぎゅーっと強くつねった。

「あいたたた、ごめんなユリ」

「さほちゃん、お詫びにあとでジュース奢ってね」

 友梨はにかっと笑いながら要求する。

「もっ、もちろん」

「やったー」

早帆がそう答えると、友梨はようやく手を放す。早帆のほっぺたには、くっきりと爪の型が付けられていた。

「徳島先生は渡らないんですか?」

 菜都美は、クラスメート達が渡る様子を楽しそうに眺めていた彼に問い詰める。

「もっ、もちろんさー」

「ずるーい。徳島先生も渡ってよ」

 友梨はムスッとした表情で彼に言い寄った。

「トクシマンも怖いんやろ?」

 早帆はにやりと笑みを浮かべて問い詰める。

「そっ、そんなことは……マッ、ママーッ。ヘルプミー」

 窮地に陥った徳島先生は大声で助けを求めた。

「修ちゃん、どうしたのかしら?」

 するとどこからともなく、すぐに節子さんが現れた。

「ママ、この子達がね、ワタクシにかずら橋渡れなんて脅迫してくるんだよーん」

 徳島先生は実の母、節子さんの目を見つめながら四人のいる方を指差しぶつぶつ呟く。

「あらぁ、修ちゃん三次元の女の子からもモテモテね。修ちゃんがかずら橋を渡る勇姿、ママも写真に収めたいじょ」

 節子さんはにこっと微笑みかけた。

「えー、いっ、嫌だよーん」

 徳島先生はびくびく震え出す。

「修ちゃん、頑張れ! 修ちゃんなら絶対出来るわ」

「わっ、分かったよん、ママ。ワタクシ、渡ってみせるよん!」

 節子さんから熱いエールを送られると、徳島先生はふんっと気合を入れて、ロボットのような歩みでかずら橋の入口へ向かっていった。

「徳島先生頑張ってーっ!」「男らしさを見せてーっ」

 向かいにある普通の石橋の上から節子さんや二班のメンバー他、クラスメート達の何人かからも熱いエールが送られる。

「いっ、行くよん」

 徳島先生は右足をゆっくりと、さな木に乗せた。足場がぐらりと揺れる。

「……やっ、やっぱり、ワタクシには無理だよーん」

 徳島先生は顔を真っ青にさせ、もう片方を踏み出す前に右足を引っ込めた。くるりと体の向きを変え、来た道を引き返していく。そして節子さんのもとへ駆け寄った。

「よく頑張ったじょ、修ちゃん」

 節子さんはにこっと微笑み、彼の頭をなでなでしてあげたのであった。

 そのあとクラスメート全員と先生方は、この場所から歩いて十分くらいの所にあるキャンプ場へと移動した。

さっそく夕食の準備を始める。キャンプの定番ともいえる飯盒炊飯、カレー作りだ。

「たくさん用意してますので、皆さん好きなのを選んでね」

 保母先生はスーパーなどで市販されているレトルトカレーを数十種類、かごに乗せて運んで来た。クラスメート達は群がる。

「ナツミンはやっぱ、L○eの30倍?」

「もっちろん!」

「じゃあワタシも」

「ふーん、食べれるのかなあ? 早帆ちゃん」

 菜都美はにやりと笑う。

「今度こそ完食するよ」

 早帆は自信満々に宣言した。

「わたし、カレーの王○様にしよう」

 友梨は少し照れくさそうに言い、その商品の箱を手に取った。

「そういやユリは、辛いの苦手やったね」

「うん。わたし、このカレーが一番のお気に入りなの」

「私もこれ」

 閧子も友梨と同じのを選んだ。

「ワタシも昔大好きやったよ。あっ、たこカレーがあるやん。珍しい。ワタシ、やっぱこれにしよっと」

「あーっ、勝負逃げたなあ、早帆ちゃん」

 菜都美は大笑いした。

 四人は炊事場に移動し、協力してお米を研ぐ。

「皆さん、飯盒に詰め終わったら、僕のところに持って来てね」

 雲丹亀先生は馴れた手つきでかまどに薪をくべ、飯盒を吊るしていった。

 クラスメート達はご飯が炊けるまでの間に、サラダなどの副菜も調理していく。

 それらの材料は、節子さんが全て手配していた。

 友梨達の班(二班)は、りんごサラダとオニオンスープを作ることにした。

「私、りんごさん切るね」

閧子は持参していた、刃先の丸まった子供用包丁を手に持った。左手でりんごを押さえ、右手に包丁を持ってトントン切ってゆく。

「やるね、トッキー」

「すごいな閧子ちゃん」

「ときちゃん、切り方がとってもかわいらしいね」

 三人は賞賛する。

「ありがとう。私、ウサギさん型が一番得意なの」

 閧子は照れ隠しするように作業を進める。

「わたしは、ホウレンソウさん切るよ」

 友梨は普通の包丁を手に取る。

「友梨ちゃん、手を切らないように気をつけろよ」

 菜都美は心配そうな眼差しで洸を見守る。

「大丈夫だよなっちゃん。おウチでいつも使ってるもん」

 友梨は自信たっぷりに答えた。

「ワタシも負けてられん。タマネギ切ったる」

 早帆は、どこから持って来たのか水泳用のゴーグルを身につけて、包丁を両手に持った。

「それえええええええっ!」

 そして勢いよく振り下ろし、まな板目掛けて交互に刃先を激しく叩きつけた。

 タマネギはまるで、生き物のように踊り出す。

「これぞNANTA風。家族旅行でソウル行った時に見てん。包丁は楽器代わりにもなるんよ」

「さほちゃん、宮本武蔵さんみたいな二刀流だね。かっこいい。永○君が一瞬の内にスライスされていってるよ」

 友梨は興奮気味に早帆の包丁捌きを見つめ、パチパチと拍手する。

「確かにすごいけど早帆ちゃん、見てるこっちの方が、目が痛くなって来た」

「早帆さん、危ないからもうやめて。周りに飛び散ったお野菜、ちゃんと掃除してね」

「すまんね、ついつい」

 菜都美と閧子に注意されると、早帆はすぐに普通の切り方へ変えたのであった。

「そろそろ温めるか」

菜都美はお鍋に水を注ぎ、ガスコンロにかける。

 閧子は別のお鍋に油を引き、早帆が切ったタマネギを炒めていく。しんなりしたところで水を加えて固形のスープの素を入れ、塩コショウなどで味付けしていく。最後にパセリをパラリと振りかけて、オニオンスープを完成させた。

友梨はりんごとホウレンソウを混ぜて、マヨネーズをかけお皿に盛り付け、りんごサラダを完成させた。

「沸いて来たわね」

沸騰したことを確認すると、菜都美は四人が選んだレトルトカレーを入れる。さらに五分ほど待ち、火を消した。

「二班も、いい具合に出来ましたよ」

 それからさらに数分して、雲丹亀先生は四人のいるテーブルに飯盒を運んで来た。

蓋を開けてルウをかけ、全てのメニューが完成。

「「「「いただきます」」」」と挨拶してから、四人は食事を始める。

「やっぱL○e30倍は最高。早帆ちゃんも一口どうぞ」

 菜都美は、向かい側に座っている早帆の口元へスプーンを近づけた。

「いらない、いらない」

 早帆はびくっと反応し、口元を手で遮った。

「二班は料理の腕前トップクラスだな」

 そこへ、徳島先生が近寄って来た。

「徳島先生は、カレーは何口派ですか?」

 菜都美は質問してみる。

「当然甘口派だよーん。ワタクシ、レトルトカレーはカレーの○子様かバー○ンドカレーの甘口か、プ○キュアカレーくらいしか食べれないのさ」

 徳島先生は頭を掻きながら、照れくさそうに打ち明ける。

「わたしといっしょだーっ」

「仲間ですね」

 友梨と閧子はにこっと笑った。

「ワタクシが激辛カレーなんか食べたら、衝撃でラ○スに変身しちゃうよん。みんなにも言ってるけどこの辺り、まむしもいるから気をつけてねーん」

 徳島先生は笑顔で四人に伝えた。

「えっ!」

「それはやばいって」

「……」

「まむしさん、咬まれたら痛いよね」

 四人は辺りを警戒する。

「冗談、冗談、まむしに関してはもっと山奥に入らなきゃ大丈夫っさ」

「なあんや。トクシマンも罪なやつやね。そういやまむしっていうと、池袋の某屋内型テーマパークに“まむしアイス”ってのがあったよ。まむしを生きたままミキサーにかけてぐしゃぐしゃに潰してアイスに混ぜ込んでるらしいんよ」

早帆は楽しそうに語る。

「早帆さん、食べてる最中にそんなお話しないでね」

「あたしもなんか急に食欲なくした」

「わたしもー。美味しいから食べるけどね」

三人の表情は少し引きつった。

「すまんね。笑い話になると思ってんけど」

「そのアイス、ワタクシも知ってるよん。買わなかったけどね」

 徳島は笑いながら言う。

食事を終え後片付けも済ませた四人は、協力してテントを組み立てた。簡単に組み立てられるワンタッチ型。中は、五畳ほどの広さがあった。

「私、テントで泊まるの、久し振り」

「あたしもーっ。小五の自然学校の時以来ね」

「今の時期だとまだ蚊が少ないからいいよね」

「テントは最高やーっ!」

 四人は床にごろんと寝転がってみる。

 その直後、

【私立笹ノ丘女子高等学校理数コース新入生の皆様、お風呂が沸きましたよ。今夜は露天風呂、混浴なんじょ】

 外に付けられたスピーカーから、節子さんの放送がかかった。

男性教師陣は、近くの宿舎で待機。

「ぃよう、徳島。女子高生達が入浴しとる時に、携帯ゲームで遊ぶやなんてアホやのう」

藤原先生が徳島先生のいる部屋の中へ押し入っていた。藤原先生は陣羽織を身に纏い、腰に刀と袋を携えて、日本一と書かれた幟まで装備していた。

かの有名な桃太郎の格好そのものだった。

「はぁ? アホはきみだろ? ていうかやっぱりあと付けて来たのか」

 徳島先生は迷惑そうに振舞う。

「おう! ワシ、鳴門から大歩危まで汽車使うて、そっからは歩いて来たんよ。タフですやろ? 徳島よ、今はゲームなんかよりせっかくのチャンスを大切にせにゃあかんで」

 藤原先生は彼の頬っぺたをつんつん突っつく。

「三次元女の裸なんて興味微塵もないよん。あっ、藤原くん。何するんだよん」

 徳島先生は携帯ゲーム機を奪われてしまった。

「徳島よ、理系の人間っちゅうもんはな、常に探究心と超難題に挑む挑戦意欲を持つことが大事やねん。女子高生のお風呂を誰にも見つからんように覗く、これは途轍もなく高いハードルがあるんやけどな、これを乗り越えられた者がノーベル賞を受賞出来るねん。かのアインシュタインやシュレディンガーも通って来た道やっ!」

 藤原先生は早口調で熱く力説する。

「そんなわけないだろ」

 徳島先生は呆れ顔で突っ込んだ。

「いや、大いにあり得る! これからワシがおまえさんに、女湯の覗き方の手本見せてやる。おーい、サル麻呂」

キッキッ。

 藤原先生が叫ぶと、一頭のニホンザルがどこからともなく現れた。藤原先生の下へ駆け寄る。

「こいつは大歩危からここへ来るまでの道中でたまたま見つけましてん。欲を言えばあと犬と雉もお供にしたかったんやけども見つけれんかった。ワシな、こいつにデジカメの使い方を仕込みましてんよ」

「高等霊長類に余計な芸仕込むなんてかわいそうだよん」

「こいつは物覚え速くてよかったわー。サル麻呂よ、こいつの写真撮ったってやー」

キッキー。

 藤原先生の指示を理解したのだろうか、サル麻呂はデジカメを徳島先生に向け、シャッターを押した。

「およ? 本当に撮るとは……」

 徳島はサル麻呂のこなした芸に少し感心する。

キーッ。

サル麻呂はデジカメを藤原先生に返した。

「おう、ばっちりや。よう出来たのうサル麻呂。褒美をやろう」

 藤原先生は腰袋から黍団子、ではなく徳島名物ぶどう饅頭を取り出しサル麻呂に与えた。

キッキーキーッ!

 サル麻呂は美味しそうに頬張る。

「サル麻呂よ、今度は露天風呂におる女生徒共の写真を撮って来てくれ。ご褒美に壱億円譲ってやるさかい」

 そう約束し、藤原先生は再びカメラを渡す。

キッキッキキキーッ!

 サル麻呂は甲高い雄たけびを上げた。そして一目散に露天風呂の方へと向かっていった。

「藤原くん、壱億円ってアレのことだよねん?」

 徳島先生は苦笑しながら問いかける。

「そや! よう勘付いたな徳島よ」

「徳島県に馴染みある人なら勘付くよん」

 徳島県の土産物として名高い、ぶどう饅頭の商品箱にはおまけとして壱億円札が入っている。このお札の真ん中には日乃出幸運券という文字が小さくプリントされ、この字のすぐ下に壱億円と大きく太めの文字、この両側には白黒肖像画と、100000000という数字がプリントされている。もちろん言うまでも無くオモチャのお金だ。

「これがほんまの猿知恵っちゅうもんや。サル麻呂行かせたら、女生徒共はきゃいきゃいはしゃぎまわって自然と目が行きますやろ? ワシはその隙に、無防備になった女生徒共の大中小より取り見取りのおっぱいと桃尻を拝ませてもらおうという寸法や」

 藤原先生はにやりと怪しい笑みを浮かべる。絵に描いたような変態親父だ。

「それ犯罪だよん。お巡りさんに捕まっちゃうよん。懲戒免職されちゃうよん」

 徳島先生は困惑顔で正当なことを述べる。

「徳島よ、三次元はめっちゃええぞ。質感と立体感がちゃいますねん。匂いもあるで。あそこの露天風呂の中にはな、四十人の女生徒、保母さんも入れたら計四十一種類の桃がどんぶらこ、どんぶらこーって」

「なんという岡山的な例え方してるんだよん」

「そんじゃワシ、桃源郷へ行って参りますわ。徳島行かんのやったらワシ一人で堪能してくる!」

 藤原先生は軽快なステップで露天風呂の方へ向かっていった。

「どうなってもワタクシは一切知らないよーん」

 徳島先生は彼の行動に呆れ果てていた。


 露天風呂。クラスメート達は他愛無い会話を弾ませながら、はしゃぎまわっていた。

「あっ、おサルさんだ」

「ほんとだーっ。おいでおいでーっ」

 気付いたクラスメート達は手招く。

キキキッキーッ!

サル麻呂はピョンピョン飛び跳ねながら駆け寄った。

「かっわいい♪」

「握手しよっ」

「この子、デジカメなんか持ってるし、エッチね」

 クラスメート達はサル麻呂に興味津々。

(ホホホ、上手いことやってくれてるようやな。さすがワシの家来)

 藤原先生は露天風呂のすぐそばまで迫っていた。彼の目論見通りだ。

「ねえ、おサルさんがデジカメ持ってここに来るっておかしくない?」

 クラスメートの一人が発した。

「確かにそうやね。これはきっと――みんな、早くタオルで全身覆って」

 早帆はクラスメート達に指示を出す。今、全裸をさらけ出しているクラスメート達もすぐさまバスタオルで全身を覆った。早帆も含めて。

「こらっ、出て来い変態エロなんちゃって平安貴族、藤原。近くに隠れてるんだろ?」「隠れるのは分かってるねんで」「見つけたら洗面器でボコボコに殴ってやる!」

 クラスメート達は厳しい目つきで周囲をきょろきょろ見渡す。

「あーっ、いた! 藤原先生あんな所にいたよーっ。桃太郎さんみたいになってる」

 友梨は露天風呂すぐ横に植えられてある木の上方を指差した。

「あっ、もう見つかってしもうた」

 藤原先生は思わず声を上げる。

「ここはワタシに任せてや」

 早帆は洗い場に置かれてあった小石を手に取り、彼目掛けて投げつけた。

「アウチ。浦上よ、素晴らしい放物線運動やったぞ」

 見事ヒットし、藤原先生は露天風呂にボチャーッンと落下する。

「やっほーフジミッチー。自由落下運動してたね」

 早帆は嬉しそうに彼を見下ろす。

「「「「「「「「キャアアアアアアアアーッ!」」」」」」」」

 悲鳴を上げて風呂場から逃げていったクラスメート達も多かった。閧子もそうだった。

「ぃよう、おまえさんら、まさか即効で勘付かれるとは――さすが理数コース、閨秀揃いやのう」

 藤原先生はほとほと感心していた。

「それくらい誰でも勘付くよ」

「藤原先生の行動なんて全てお見通しです」

 友梨と菜都美はにこっと微笑む。

「そのな、ワシはな、徳島のやつに頼まれて仕方なしに」

 藤原先生はガバッと立ち上がり、さりげなくクラスメート達を眺めつつ弁明する。

「フジミッチー、そんな小学生がつくような嘘が通用すると思ってはるん?」

 早帆はニカッと微笑みかけた。

「徳島先生がそんなことするはずは絶対あり得ませんよ」

 菜都美はきりっとした表情で自信満々に主張する。

「いやいや男っちゅうもんはな、どんな二次元一筋のやつでも三次元女へのエロ本能を持ってはりますねん。徳島のやつはな、確かにマザコンの臆病者、ペラペラの紙か画面上に表示されてる、ただ絵の具でぺたぺた塗っただけの二次元美少女エロイラストで満足してもうとるようやけどな、これはおまえさんらを油断させるためや。今夜はテントに泊まるんやろ? 鍵がないし絶好のコンディションですやんか。あいつはな、おまえさんらが寝てる時に襲ってやろうと密かに企んではりますねんよ。明日の朝にはおまえさんら、きっと何人か妊娠しとるで」

 藤原先生はにこにこ顔で語る。

「徳島先生の悪口言うなんて、許せない」「さいってい!」「さっさとここから消え失せろ! 変態」「同じ阪○ファンとしてめっちゃ恥ずかしいわー」「道頓堀へ散れ! 二十四年は戻ってくるなーっ!」「悪いおじさんにはお仕置き!」

 パコーッン、パコーッン、パコーッン……クラスメート達から洗面器の連打。

「おっ、おまえさんらー。そろそろ勘弁してーな。痛い痛い。オンギャー、オンギャー」

 藤原先生はまるで赤ん坊のような泣き声を出す。棒読みで。

「てめえは子泣き爺か!」

 クラスメートの一人から回し蹴りを一発食らわされた。

子泣き爺とは、徳島県の山間部に伝わる妖怪のことだ。児啼爺とも書く。通りかかった人にしがみ付くと、突如として重くなり押し潰してしまうという言い伝えがある。

「藤原先生、アッチッチの刑にしますね」

 保母先生は微笑みながら告げる。

「ちょっと待ってーな、混浴ですやろ、ここ」

「……」

 保母先生は風呂場の隅の方をぴっと指差す。

 そこには、『盗撮目的のご入浴は、固くお断りします』と書かれた張り紙があった。

「いやあ、ワシ、盗撮やなくて、生物学の研究してますねんよ。人体の構造について」

「はいはい」

保母先生は藤原先生の首根っこをガシッとつかみ、吹き出し口の方へと引きずって行った。そこから出てくる、湯船よりも熱めのお湯を洗面器に注ぎ、藤原先生にバシャーッと浴びせた。

「ぎゃっ、ぎゃあああああああっ」

 摂氏五〇℃を越すお湯が、藤原先生の体に浸透する。

「保母さん、勘弁してーな。ワシ、茹蛸になってまう。火傷に効く温泉やのに火傷してもうたら本末転倒ですやんか」

 藤原先生はうるうるした瞳で、保母先生に懇願した。

「しょうがないわね。それじゃ、照る照る坊主の刑で許してあげる」

「そんなー、保母さん鬼婆やーっ。桃太郎の名に賭けて退治せねば」

「……藤原先生」

 彼のその発言は、保母先生の怒りをますます買わせてしまった。

「ちょっ、ちょっと待ってくんなはれ」

藤原先生は、保母先生の手によってあっという間に木の枝に縄で括られ、吊るされた。

「いい気味やね、藤原」「熊のエサにでもなってろ!」

クラスメート達は楽しそうに彼に視線を送りながら、露天風呂をあとにしていく。

「おーいサル麻呂。ワシの家来ですやろ? 助けてーな」

サル麻呂も、彼のことなど全く気にもかけずクラスメート達に懐いていたのであった。

風呂から上がったクラスメート達は昨日と同じく体操服に着替え、テントへと戻っていく。

(藤原くん、やはり捕まったらしいな)

 徳島先生はにやにやしながら露天風呂に通じる戸を引いた。

「ハハハッ、いい気味だな、藤原くん」

 入るとすぐに目に飛び込んで来た、藤原先生の哀れな姿を眺めてほくそ笑む。

「このう、徳島のマザコン、アニヲタ、ゲーヲタめ」

「ふふん、藤原くんだって、筋金入りのアイドルオタクだろ。A○B48のグッズに相当なお金使ってるそうじゃあないかあ」

「何をー、徳島。おまえさんだってアニソンをオリコン一位にするとか言うて、同じCD五十枚くらい買うとるくせに」

「基本だろ。ワタクシのなんてまだ少ない方だよん。これ以上ワタクシの悪口言ったらママに言いつけてやるもんねー」

 徳島先生と藤原先生は、まるで子ども同士の口喧嘩ような小競り合いを繰り広げる。徳島先生は藤原先生が罵ってくるたび勝ち誇ったように言い返しながら、テキパキと体を洗い流し、露天風呂をあとにした。

「おやおや道一君。今年もまたですね」

彼と入れ替わるように、雲丹亀先生が入って来た。右手に高枝切りバサミを持って。穏やかな表情で藤原先生を仰ぎ見る。

「おう、雲丹亀様や。また保母さんや女生徒共に制裁食らわされてもうた。ワシを助けてくんなはれ」

 藤原先生は手を合わせて、仏壇を拝むように頼み込む。

「はいはい」

 雲丹亀先生はそう告げて、彼を縛っていた縄を例のハサミでチョキンッと刻んだ。それにより自由を得た藤原先生は、初速度ほぼ0で湯船にボチャーッンと落下する。

「すまんのう雲丹亀様」

「いえいえ」

 雲丹亀先生は思いっきりお湯を被せられた。けれども機嫌は良さそうだった。

 そのあとしばらく二人っきりで、プロ野球の話などを語らったらしい。


二班のいるテント。午後十時頃。

「あああああーっ、またババ引いちゃったーっ」

 友梨の嘆き声がこだまする。四人でババ抜きをして遊んでいたのだ。

「もう一回」

 友梨は菜都美の体を揺さぶり駄々をこねる。

「ダメよ、もう五回目じゃない」

 菜都美は笑顔で言う。

「あーん、勝ち逃げは卑怯だって昨日徳島先生言ってたでしょ」

 友梨はぷっくりふくれる。

「友梨ちゃんもまだまだ子どもね」

 菜都美はくすりと笑った。

「むう! なっちゃんに言われたくなーい」

「菜都美さん、もう一度だけやってあげましょう」

 閧子は説得する。

「しょうがないなあ。友梨ちゃん、これで本当に最後よ」

「やったーっ」

友梨は満面の笑みを浮かべ、バンザイしたその瞬間、外でピカピカピカッと稲光が光った。その数秒後に、ゴロゴロという音が轟いた。

雷が鳴り始めたのだ。

「なっ、なっ、なっちゃん」

友梨の表情は急変する。今にも泣き出しそうになった。

「ほーら、わがまま言うからよ」

 菜都美は微笑んだ。

「こっ、怖いよう」

 友梨は寝袋に包まり、ダンゴムシのように丸まった。

同時にポツポツと、テントの布を打つ音が聞こえて来た。

 雨も降り始めたのだ。

「ラジオの天気予報、今夜は晴れって言ってたはずなのにな」

 閧子は出入口を開けて、残念そうに外を眺める。

「藤原先生を照る照る坊主にしたのに逆効果だったわね」

 菜都美は微笑んだ。

 次の瞬間、ズダーン、バリバリバリビッシャーンと耳を劈くような音が聞こえて来た。雷が近づいて来たのだ。

「ひいいいいいいい」

 友梨の恐怖心はさらに増した。

「ナツミン、怖いー」

早帆は菜都美にしがみ付いて来た。

「さっ、早帆ちゃん、わざとでしょ。さっきの音はあたしもびっくりしたけど」

 菜都美は笑う。

「ワッ、ワタシ、雷は大の苦手なんよ」

 早帆の顔は強張り、体はプルプル震えていた。

「そっ、そうなの?」

 菜都美はそんな早帆の仕草に目を疑う。

「わっ、私もです。怖いです」

 閧子も抱きついて来た。

「二人ともずるーい。わたしもーっ」

 それを見て、友梨も便乗した。

 菜都美の右腕に早帆、左腕に閧子、両膝に友梨が抱きついている。菜都美は自由に身動きがとれない状態になっていた。

「ワタシ達三人とも、エッチやね」

「なっ、何言ってるのよ、早帆ちゃん。エロくないし」

「私は意味が分かったよ。ヒントは菜都美さんがN」

「ときちゃんのヒント、わたし、全然分かんないや」

 四人は楽しい会話を弾ませて、気を紛らわそうとしていた。

 大きな雷鳴が轟く度、三人は菜都美の体に強く密着させてくる。

「あっ、あの。痛いからあまりきつくしめないでね」

 菜都美は少し苦しがっていた。

  

 三十分もすると、雨と雷は小康状態になった。

「菜都美さん、ありがとうございました」

「ナツミンの腕、すごく柔らかかったよ」

「なっちゃん、なんか男の子らしく見えたよ」

三人はようやく菜都美の体から離れた。

「べっ、べつにあたし大したことはしてないって。あの、友梨ちゃん。もう一回ババ抜きやってから寝る?」

 菜都美は照れ隠しするように別の話題へ振る。

「ううん。わたし、もう眠いし。なっちゃんに抱きついて満足しちゃった」

 友梨は嬉しそうに言い、寝袋に包まる。

「おやすみなさい」

 閧子も包まった。

菜都美と早帆も今夜は疲れているため夜更かしはせず、早めに就寝した。


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