最終話 春の遠足、そして二泊三日の高等学校理数コース新入生学習合宿へ(1日目)
四月二十六日、月曜日。今日は中高共に、春の遠足の日。
行き先は学年毎で異なる。高等学校一年生が訪れたのは京都だ。JR京都駅コンコースに現地集合となっていた。
「それでは、出発時刻の午後二時に遅れないよう班毎に自由行動ね。遅れたら置いていくわよ」
保母先生は、一組のクラスメート達にマイクを使って伝えた。
二班となっている四人は、さっそく市バスを利用して清水寺へと向かっていく。
「すごーい、京都市内が一望ね」
「絶景やわー」
菜都美と早帆はとても楽しそうに、かの有名な清水の舞台の上から欄干にもたれるようにして街を見下ろす。
「こっ、怖いよう。ねっ、ねえ、みんな、早く次の所行こう」
友梨は後ろ側でカタカタ震えていた。
「まあ待ちってユリったら。こんなにええ眺めやのに。さては、高い所怖いんやろ?」
早帆はくすっと笑う。
「うん。わたし高所恐怖症なんだ」
友梨はあっさり認めた。
「私も友梨さんの気持ちよく分かるなぁ」
閧子は同情心を示した。
「ユリ、こうすればもっとよう見えるよ」
「きゃっ、きゃあああああっ。さっ、さほちゃん、下ろして、下ろしてーっ」
友梨は早帆に背後からつかまれ、ふわりと持ち上げられた。足をバタバタさせて必死に抵抗する。
「ユリ面白ーい」
早帆はさらに高く揚げる。
「いやあ、いやあ、いやぁーん!」
「早帆さん、めっ!」
閧子はリュックの中から京都のガイドブックを取り出し、角っこを使って早帆の背後から頭をコツンッと叩いた。
「いったーっ。トッキー保母ちゃんの技、受け継いでるね。ごめんね友梨」
早帆は謝罪の言葉を述べ、友梨をそっと下ろしてあげた。
「ああ怖かったぁー」
友梨はホッと胸をなでおろす。
「友梨ちゃん、情けないよ」
菜都美は微笑み顔で言った。
「だってえ、怖いものは怖いんだもん」
友梨がそう言い訳したその時、
「ぃよう、おまえさんら」
どこからともなく藤原先生が現れた。
「ワシ、今からあのことわざを実践してやる。やはりことわざっていうんもビジュアルで体験するんが一番脳内にインプットされやすいからな」
彼は例によって直衣を身に纏っていた。そして右手には笏。
「フジミッチー、まさか、あれやりはるんですか?」
早帆は呆れ顔で尋ねる。
「その通りや。ここに来たからにはあれを実践せんでどないすんねん? ワシ、今から『清水の舞台から飛び降りる』をビジュアルでお見せ致します」
「ちょっ、藤原先生。冗談ですよね?」
菜都美は驚く。
「ワシは本気や!」
藤原先生はきりっとした表情でおっしゃった。
「先生、危ないよ」
「いくらニセ物理が破天荒でも、絶対怪我しますよ」
「ワシは無敵や! ほないきますで」
友梨と閧子からの忠告には聞く耳を持たず、藤原先生は助走をつけて、前傾姿勢で柵を飛び越えようとしたその瞬間、
「藤原先生、危険ですので止めましょうね」
誰かに後襟をぎゅっとつかまれた。藤原先生は舞台の上へ引き戻される。
「あっ、保母さん」
藤原先生はくるりと振り向いた。
「藤原先生、毎年、毎年いい加減にして下さいね」
「すまんのう」
保母先生から厳しく注意され、藤原先生はぺこぺこ頭を下げる。彼はしゅーんとなった。
「行動は大胆な割に、案外気が弱いのね」
「藤原先生の方が背はずっと高いのに、なぜかちっちゃく見えるね」
菜都美と友梨は微笑ましく眺めていた。
続いて四人は地主神社へ立ち寄った。ここには恋占いの石が二つ置かれてある。石から石へ目を閉じたまま辿り着くことが出来ると、恋の願いが叶うといわれている。
「あっ、徳島先生だーっ」
友梨は前方を指差す。徳島先生が目を閉じて向かいにある石に向かって歩いていたのだ。
「わっ、成功してるし。すごーい」
菜都美は目を見開いた。
「ねえねえ、徳島先生も好きな人がいるんですか?」
友梨は彼のもとへ駆け寄り、興味心身に尋ねてみた。
「およ、菖蒲さん達ではないかあ。そりゃもちろんさー」
徳島先生はきりっとした表情で答える。
「二次元でですよね?」
菜都美はにやりと笑いながら口を挟む。
「当たり前だろ。三次元女に興味は微塵も無いっさ」
徳島先生は笑顔で自信満々に言い張り、ここから立ち去った。
「先生も、やってみるわ」
彼と入れ替わるように、四人の背後に保母先生が現れた。
「保母ちゃんも好きな人がいてはるんですか?」
早帆は問い詰める。
「それはナイショ」
保母先生は笑顔でさらりと答えて石の横に立った。こぶしをぎゅっと握り締め、気合を入れる。そして目を閉じて、もう一方の石に向かって歩き出した。
「保母先生、一生懸命になってる」
友梨はそんな彼女の姿を見てくすくす笑う。
「保母ちゃんズレ過ぎーっ」
「きゃっ!」
保母先生は前にコテンッとつんのめった。早帆が足を引っ掛けたのだ。
「もう、浦上さん」
保母先生はニカッと微笑む。
「えへっ。倒れ方かわいかったよ」
早帆は舌をぺろりと出した。
「今度先生にイタズラしたら分厚い英和辞典で頭ごっつんするわよ」
保母先生は眉をへの字に曲げて注意する。
「ごめんなさーい♪」
早帆はぺこんと頭を下げて謝った。けれども反省している様子は無いようだ。
四人とも挑戦はせずにここをあとにして、音羽の滝へ。
「ご利益、ご利益」
友梨は三つに分かれて流れ落ちる水のうち、彼女側から見て一番右端のものを柄杓に注いだ。ごくごく飲み干していく。続いて真ん中を流れるお水を注ごうとしたところ、
「友梨ちゃん、欲張って全種類飲むとご利益が消えちゃうよ」
菜都美は友梨の耳元でささやいた。
「そうなの? 危なかったー」
友梨はぴたりと動きを止め、柄杓を元置いてあった所へ戻した。
「それに、飲みすぎるとおなか壊しちゃうし」
菜都美は微笑み顔で言う。
「友梨さん、ここのお水は飲んでも特にご利益は無いそうよ」
閧子はさらっと伝えた。
「えっ!? 健康・学業・縁結びのご利益があるってお母さんから聞いたよ」
「あたしもあると思ってた。違うの?」
「それ、観光用の宣伝文句やって」
目を丸める友梨と菜都美を見て、早帆は笑う。
「そうなんだ……なんか騙された気分。お腹たっぷんたっぷんになっちゃったよ」
友梨はちょっぴり落ち込んだ。
「この三つの流れは仏・法・僧への帰依、若しくは行動・言葉・心の三業の清浄を表していて、滝そのものが信仰の対象となってるの」
「へぇ。閧子ちゃん物知りね」
「ときちゃん博識だーっ」
菜都美と友梨は、閧子から伝えられた豆知識に感心する。
「トッキーは小学校の時のあだ名、博士やったからな」
「なんか恥ずかしくて嫌だったよ、そのあだ名」
閧子は照れくさそうに打ち明ける。
四人はこのあと三年坂(産寧坂)を上り、八坂神社をお参りしたあと、市バスや地下鉄を利用して銀閣寺→金閣寺と巡る。市内のレストランで昼食をとって、集合場所となっているJR京都駅前へ戻った。
集合時刻。
「全員揃ってますね?」
保母先生はバス内で点呼確認をとる。バス内には運転手以外に一組のクラスメート達四十名、保母先生、雲丹亀先生、徳島先生が乗っている。
二班の座席位置は前から二列目、先生達のすぐ後ろ側だった。
「さて、理数コースの皆さんにはこれから楽しい楽しい学習合宿が始まるよん。バスガイドさんも付けてるよん。みんな温かく迎えてねーん」
徳島先生がこう告げると、クラスメート達は拍手と称賛の声を上げた。
「私立笹ノ丘女子高等学校理数コース新入生の皆さん、はじめまして」
新たに乗って来たのは若々しいお姉さんバスガイドさん、ではなく六十過ぎくらいのおばさんだった。
「わたくし、修ちゃんのママ、徳島節子なんじょ」
そのお方がこう自己紹介すると、バス内は一瞬静まり返った。
「阿波弁、かわいい」「徳島先生のお母様かあ」「あんまり似てなーい」
そのあとクラスメート達は、たくさんツッコミを入れる。
「ご覧の通り、ワタクシのママなのだよん」
徳島先生は照れ笑いした。
こうして貸切バスは、今夜の宿泊先へ向けて出発する。
他のクラスの生徒達は、夕方四時頃にJR京都駅で解散となっていた。
「この合宿は、元々修君が企画したんですよ。彼は今から十年ほど前、僕より五つ年上の節子さんと入れ替わりで入って来たんだけど、教師として就任して数週間が過ぎたある日、当時学年主任だった僕に、理数コース新入生を対象に学習合宿を実施したいって提案して来たんよ。この子は教師として素晴らしい心構えを持ってるな、さすが節子さんの子だなって僕はすごく感心したんよ」
バスが出発してしばらく後、雲丹亀先生は突如語り出した。
「徳島先生すごーい」「徳島最高!」「教師の鑑だぁーっ」
するとクラスメート達から徳島先生に向けて賞賛の言葉とたくさんの拍手が送られた。
「修ちゃん、いっぱい褒められてよかったわね」
節子は彼の頭をなでる。
「それほどのことでもないよーん。あれはね、ラ○ひなのTVアニメ見て思い付いたんだよん。あの頃は他にも六○天外モン○レナ○トとかサ○ラ大戦とかやってて、最高の時代だったなあ」
徳島先生は照れ隠しするように頭を掻いた。
「どんな作品なのかあたし全く知らなぁーい」
菜都美は即、突っ込んだ。
「きみ達がまだ幼稚園の頃だからねーん。無理はないっさ」
「修ちゃんはそれらの作品のDVDやトレーディングカードを、一生懸命集めてたんじょ。ホホホ」
(お母様、それ、自慢するようなことじゃないですから)
閧子は心の中で突っ込んだ。
「ワタシ、ラ○ひなだけは知ってるぅ!」
「さすが浦上さん、あれは名作中の名作。同じ作者でバトルばっかりのネ○まよりもずっと面白いよねん。昔の赤○さんはよかったよ。あいつは結婚してから作品がダメになった」
「テレビアニメに影響されたんだよね。そういえば修君、第一回目の合宿のさい、理数コースをみんなが東大に合格出来るひ○た荘みたいな居場所にしたいんだって、とても生き生きとした表情で力説してたような。兎にも角にも事実、それまで理数コースの東大合格者は年に一人出るかどうかという状況だったのが、この合宿を行った学年以降、毎年コンスタントに五名以上は送り出していますから、修君の功績は立派なものですよ」
雲丹亀先生は柔和な笑顔で語る。徳島先生に尊敬の念を示しているようだった。クラスメート達から再度賞賛の言葉と拍手が送られた。
「いっ、今から合宿のしおり配るよん」
徳島先生は頬を少し赤らめ、照れくさそうに告げる。
「では皆様、一部ずつお取り下さいませ」
バスガイドの節子さんは、学習合宿のしおりをクラスメート達に配布していった。表紙を捲って一枚目は目次となっている。
もう一枚捲ると、『君も先輩達に続け! 私立笹ノ丘女子高等学校理数コース卒業生の進路状況』という見出しが目に飛び込んでくる。今春は卒業生三十八名のうち東大六名(学年全体では十二名)、京大四名(同十名)、その他の国立大医学部五名(同九名)の合格者を輩出していた。
さらにもう一枚捲ると、スケジュール表が書かれたページに辿り着く。
宿泊先は一泊目が淡路島。二泊目は徳島県祖谷地方だった。
一泊目の目的地に辿り着きバスから降りたあと、クラスメート達は少し歩いて旅館へと入った。割り当てられた部屋に荷物を置く。クラスメート達の泊まるお部屋はどこも十畳ほどの広さの和室であった。
クラスメート達は休憩する間もなく教科書、ノート、筆記用具を手に持ち旅館内研修ルームへと向かう。ここも和室だった。木目調の長机が縦五列、横四列計二十脚並べられており、一脚当たり二人ずつ座るように配置されている。床が畳になっているため、イスではなく座布団が敷かれていた。友梨と菜都美。早帆と閧子が隣り合うようにして座る。
十七時半から十九時までの九十分間、化学基礎の講義が組まれている。
「正座では足痺れるでえ、みんな足崩して楽な格好にしていいよ。けど、女の子があぐらかくのは僕勧めないな」
講義を始める前に、雲丹亀先生は微笑みながらおっしゃった。
講義中、机にひれ伏して寝てしまう子も何人かいたが、雲丹亀先生はいつもの授業時と同じく放置して講義を進めておられた。
※
「わあーっ、見て。中に羊羹とか、カステラとか、ゼリーとか、ジュースがいっぱいある」
部屋に戻ったあと、友梨はさっそく冷蔵庫を開けてみた。
「これって、別料金取られるんじゃなかったっけ?」
菜都美は突っ込んだ。
「ワタシ、家族旅行で旅館とかホテルに泊まった時、お金かかるから食べちゃダメって言われたよ」
「私もそのままにしておいた方がいいと思う」
四人が悩んでいたその時、
【皆さん、冷蔵庫に入っているものの代金も、合宿費に含まれていますのでご自由にお食べ下さいね】
部屋の壁、天井近くに設置されてあるスピーカーから保母先生による放送がかかった。
「なあんだ、それじゃ食べ放題だね」
友梨は大喜びする。
「でも太るといけないから数控えとこ……あたし、ちょっとトイレ行って来る」
そう言うと菜都美は、早足で室内のトイレに向かった。
扉を開くと、洋式トイレが目の前に現れる。
「あっ、ここウォシュレットも付いてる。設備充実してるわね」
菜都美はそう嬉しそうに呟いて便器に背を向けた。スカートの中に手を入れ、ショーツを膝の辺りまで脱ぎ下ろす。そして便座にちょこんと腰掛けた。
それから約三分後。
「なっちゃん、まだ出てこないね。大きい方してる?」
友梨はいちご味のカステラを頬張りながら、扉の外から問いかけてみた。
「うん、あたし四日振りにお通じが来たの。やっぱいっぱい歩くと効果あるよ。まだ出そう」
菜都美はすぐさま返答した。
その直後、
「皆さん、そろそろお食事場所へ移動しますので」
担任の保母先生が、この部屋の出入口扉を開けて呼びかける。オートロックとなっているが、彼女はここも含め、生徒用全ての部屋の予備キーを持っていたのだ。他の部屋にいたクラスメート達は、廊下に整列し始めていた。
「保母先生、なっちゃんは今、大きい方をう~んって頑張っているので、少し遅れるそうです」
友梨は保母先生の側へ駆け寄り、トイレの扉を手で指し示しながら大きな声で伝えた。
「分かったわ。河南さん、他の先生方にも伝えておきますからごゆっくり」
保母先生は叫びかける。
(ゆっ、友梨ちゃーん。普通にトイレ行ってるって言ってくれればいいのに)
菜都美は歯をぐっと食いしばり、両拳をぎゅっと握り締めつつ赤面していた。
こうして菜都美一人を残し、三人他クラスメート達はクラス毎に整列し、夕食場所となっている大広間へと移動していった。
大広間は純和室となっており、円形テーブルが十五個ほど並べられている。その下に班人数分の座布団が敷かれていた。
クラスメート達は、班毎に指定されている席に着く。
船型の大きなお皿の上に、淡路島近海で今日夕方水揚げされたばかりの、新鮮な鯛やウニの刺身などが並べられていた。
他に副菜、デザートもたくさん。
「わー、すごーい。とっても豪華だーっ」
友梨は並べられている料理の数々に目を奪われる。
「ゆーりーちゃーん」
そんな時、友梨は背後からポンッと肩を叩かれた。
「あっ、なっちゃん、便秘治ってよかったね」
友梨はくるりと振り向き、爽やかな表情で話しかけた。
「もう、友梨ちゃん。声でかーい。みんなにバレちゃうでしょ」
菜都美はニカッと笑い、友梨のこめかみを両手でぐりぐりする。
「いたたたたた、ごっ、ごめん、なっちゃん」
「まあまあナツミン、小学生じゃないんだし、大をしたことがバレたって、バカにする子なんていないよ」
早帆はにこにこしながらなだめる。
「まあそうだろうけど、でも、知られちゃったってことが嫌」
菜都美は頬をほんのり赤らめた。
「菜都美さん。健康のためには重要なことだから」
閧子も説得してくる。
「お腹すっきりして、いっぱい食べられるでしょ」
友梨は笑いながら言う。
「そうなんだけどね」
菜都美は苦笑いを浮かべながら席に着いた。
「皆さーん、静かにしましょうね」
まもなく十九時半になる頃、保母先生から注意が入る。多くのクラスメート達が騒いでいたからだ。
雲丹亀先生から「おあがりなさい」という食前の挨拶があったあと、クラスメート達は食事に手をつける。
「なっちゃん、またあぐらかいてる、パンツも見えてるよ」
友梨は呆れ顔で指摘する。友梨はきちんと正座していた。
「べつにいいでしょ、この方が楽だし」
菜都美は聞く耳持たず。
その直後。
「正座では足痺れるでえ、みんな足崩して楽な格好にしていいよ」
雲丹亀先生がクラスメート達に向け、マイクを使って微笑みながらおっしゃった。
「ほら、雲丹亀先生も公認してるでしょ」
菜都美は得意げに言う。
「けど、女の子があぐらかくのは、僕は勧めないな」
それとほぼ同時に、雲丹亀先生はこう付け加えた。
「ねっ!」
友梨は得意げに菜都美に視線を送る。
「……雲丹亀先生からそう言われると、なんか、やり辛い」
菜都美は結局、体育座りになった。
「すだちゼリー、すごく美味しそう。徳島の特産品だね」
友梨は最初にデザートをスプーンで掬い、お口に運ぼうとしたところ、
「もーらった」
菜都美が横からぱくりと齧り付いて来た。
「うまいっ!」
菜都美はとっても美味しそうに頬張る。
「あああああああーっ! ちょっと、こなつちゃん、何するの!」
友梨は大声を張り上げて、菜都美をキッと睨み付ける。
「えへへ、さっきあたしに恥ずかしい思いさせてくれたお返しーっ」
菜都美はあっかんべーのポーズをとった。
「ひどーい」
友梨は菜都美の両方の頬っぺたをぎゅーっとつねる。
「いったーい」
菜都美は、友梨の髪の毛を引っ張った。
「なっちゃん、いきなり取るなんてひどいよ。そんなに卑しいことしてたら、ぶくぶく太って豚さんになっちゃうよ」
今度は友梨、菜都美に馬乗りになった。
「失礼ね。身体測定の時、友梨ちゃんの方が体重多かったくせに」
「わたしの方が背、高いもん」
「友梨ちゃんだってお菓子大好きなくせに。友梨ちゃんこそ太るよ」
菜都美は対抗しようと、両手で押し返す。
「わたしは太らない体質だもんねーっ!」
友梨は自信満々に言う。
「ああーっ、ムカつくーっ」
菜都美は緑の足をグーで叩いた。
「いたいよ、なっちゃん」
友梨はパーで叩き返す。
両者、叩き合いが始まってしまった。
「ねえ、二人ともケンカはやめて」
閧子は心配そうに見つめる。
「カンガルーのケンカみたい。二人とも互角だね。いやちょっとユリ優勢かな」
早帆は微笑ましく座視する。
「二人とも、後ろ、後ろ」
閧子は注意を促す。
「なっちゃん、返してーっ」
「無茶なこと言わない」
友梨と菜都美は聞く耳持たず。そんな二人の背後に、黒い影がゆっくりと忍び寄る――
「これこれ、女の子が取っ組み合いの喧嘩とは何事ですかっ!」
保母先生だった。二人に呆れ顔で注意する。
「だってだって、先生」
友梨は菜都美の頬っぺたをつねりながら言い訳する。
「元はといえば、友梨ちゃんが悪いんです」
菜都美も友梨の髪の毛を引っ張りながら言い訳する。
二人はまだ、ケンカを止めようとはしなかった。
「すぐに止めなかったら、夜の自由時間返上で特別補習授業をするわよ」
保母先生は呆れた様子で、語尾下げ口調でおっしゃった。
「「ごめんなさーい」」
友梨と菜都美は土下座して反省の態度を示した。
「何事ですかな?」
雲丹亀先生も近寄って来た。いつものようにゆっくりとした歩みで。
「この子達、男の子みたいなケンカしてたのよ」
保母先生はハァッとため息をつく。
「まあまあ、ケンカするほど仲が良いと言いますし」
雲丹亀先生はにこやかな表情で意見した。
「さすが雲丹亀先生、寛大ですね」
菜都美はにこにこ笑う。
「もうケンカしちゃダメよ。早く食事に戻りなさい」
保母先生はそう告げて、元いた場所へ戻っていった。
「さっきはごめんね、友梨ちゃん」
「ううん、わたし、もう気にしてないよ」
友梨と菜都美はすぐに仲直り。その後は仲良く夕食タイムを過ごしたのであった
他のクラスメート達も楽しそうにおしゃべりしながら、その豪華な海鮮料理などに舌鼓を打った。
続いて入浴タイム。クラスメート達は一旦部屋に戻ったあと、お風呂セットを持ち女湯へと向かっていく。
「徳島先生、覗かないで下さいね♪」
菜都美は、女湯入口前の廊下で出会った彼に向かってウィンクした。
「ハッハッハ、三次元女の裸なんか覗くわけないだろ」
徳島先生は高笑いしながら、男湯の暖簾をくぐる。
「あー、なんかムカっときました」
菜都美はぷくっと膨れた。
「さほちゃん、けっこうお胸あるねえ。わたしより大きいよ。Cある?」
女湯脱衣所にて、友梨は羨望の眼差しで早帆の胸元をじっと見つめる。
「そっ、そんなにはないって」
早帆は遠慮がちに答えた。
「謙遜しちゃって。いいなあ、さほちゃん」
友梨は早帆に前から抱きつき、おっぱいを鷲掴みした。
「あんっ! もうユリったら、くすぐったいからやめてー」
「スキンシップ、スキンシップーッ。豚まんみたいだーっ」
容赦なく早帆のおっぱいを揉みまくる。
「おしりもいい形してるね。触らせてーっ」「桃みたい」「欲しいーっ」「齧り付きたーい」
他のクラスメート達も便乗してくる。
「もっ、もう」
前からも後ろからも揉まれ、ほんのり赤面する早帆。嫌がりつつも、とても気持ち良さそうな表情を浮かべていた。
(素っ裸、素っ裸、素っ裸……当たり前だけどみんな健康診断の時より露出度高いよう。アンダーヘアーもばっちり見せてる……あの子、ロリ顔なのにけっこう濃いのね、意外……ってなに眺めてるのよあたし、ダメダメ)
菜都美は他のクラスメート達から視線を逸らそうとしながら、照れくさそうに服を脱いでいく。脱衣所に入った途端、急に大人しくなってしまった。菜都美は下着を外す前からバスタオルをしっかり全身に巻いた。
「友梨さんのお胸もけっこう大きいね」
閧子も同じようにしていた。
脱ぎ終えたクラスメート達は、続々と浴室へ入っていく。
友梨と早帆は堂々と裸体をさらけ出し、バスタオルは手に持っていた。
二班の四人は隣り合うようにして、洗い場シャワー手前の風呂イスに腰掛ける。
「わたし、これがないとシャンプー出来ないの」
友梨は照れくさそうに呟きながら、シャンプーハットを被った。
「ユリ、幼稚園児みたいで萌える! ワタシがシャンプーしてあげるね」
早帆は友梨の後ろ側にひざまずいて座った。
「あっ、ありがとう、さほちゃん」
「ほな、つけるね」
ポンプを押して泡を出し、友梨の髪の毛をゴシゴシこする。
「ユリの髪の毛って、すんごいサラサラやね。触り心地ええ」
「お母さんにもよく言われてるんだ」
友梨はとても嬉しがっている。
「そうなんか」
早帆はくすっと笑う。友梨のことを、自分の妹のように感じていた。シャワーをかけて、そっと洗い流してあげた。
「タオルで隠してる子、あたしと閧子ちゃん含めて十人くらいしかいないね」
菜都美は辺りをきょろきょろ見渡しながら、閧子に話しかける。
「そうね」
閧子も周囲をちらりと見た。
「あたし、家で入る時はスッポンポンなんだけど、ここではちょっとね」
「私も。みんなが見てる前では無理」
「あの、閧子ちゃん。メガメ外したお顔もかわいいね」
「あっ、ありがとう」
菜都美と閧子は小声でおしゃべりしながら、体を洗い流している最中、
「わぁーっい!」
友梨のはしゃぎ声と共に、ザブーンッと飛沫が上がった。湯船に足から勢いよく飛び込んだのだ。そして犬掻きのような泳ぎをし始めた。
「友梨ちゃん、小学生みたぁーい」
「ユリのはしゃぎたい気持ちは良く分かる」
「友梨さん、周りの子に迷惑かけないようにね」
他の三人は静かに湯船に浸かる。
「広くて最高。ワタシ、お風呂大好き。夏は一日三回入ってる」
早帆は足を伸ばしてゆったりくつろぎながら、嬉しそうに語る。
「し○かちゃん並ね。あんまり入りすぎるとお肌ふやけちゃうよ」
菜都美はにっこり微笑む。
「それよりトッキーにナツミン、湯船にタオル入れたらあかんよ」
早帆は閧子のタオルを引っ張った。
「やめてーっ。恥ずかしいよう」
閧子は必死に抵抗する。
「なっちゃんもスッポンポンになろうよ」
友梨も菜都美のタオルを引っ張る。
「いやーん。ダメよ友梨ちゃん」
菜都美も懸命にタオルを守る。
「皆さん、湯加減はいかかですか?」
ちょうどその時、保母先生も浴室に入って来た。タオルは巻いてなく、スッポンポンだった。風呂イスにゆっくりと腰掛け、シャンプーを出して頭をこすり始める。
「保母先生、お胸ちっちゃいですね。わたしのが勝ってる」
「保母ちゃん貧乳やね。けどアンダーヘアーはしっかり大人や」
友梨と早帆は湯船から上がり、保母先生のそばに駆け寄った。にこにこしながら彼女の裸体をまじまじと見つめる。
「もう、失礼よ菖蒲さん、浦上さん」
「あいたっ」
友梨はでこピンを食らわされてしまった。
「いったーい」
早帆は洗面器でカツーンっと叩かれたのであった。
それを見て、他に駆け寄ろうとしていた子達はぴたりと足が止まってしまった。
(あたしと同じくらいか)
菜都美は、湯船の中からこっそり眺めていた。
「今何キロあるかな?」
浴室から出たあと、友梨はスッポンポンのまんま脱衣所に置かれてある体重計にぴょこんと飛び乗った。
「……よかったあ、身体測定の時と全く同じだ」
目盛を見て、満面の笑みを浮かべる。
「ユリ、身体測定のは服の重さが数百グラムあるから、実際は増えてるってことよ」
早帆は友梨の耳元でささやいた。
「あっ、言われてみれば……」
友梨はがっくり肩を落とす。
「皆さん、このあとも講義がありますので、あまり長居しないようにね」
脱衣所ではしゃいだり、ジュースを飲みながらのんびり過ごしたりしていたクラスメート達に、保母先生は優しく注意しておいた。
クラスメート達は、パジャマの代わりに冬用体操服を着用した。
午後八時半から午後十時までの九十分間、研修ルームにて英語の講義が行われる。
「あのう、始めに言っておきます。皆さんがいなくなったあとお風呂場点検したんですけど、とってもかわいらしいウサギさん柄パンツの落とし物がありました。ご丁寧にお名前も書いてありましたよ。お心当たりのある方は、あとで取りに来てね」
保母先生はそのパンツを手に掲げ、にこにこしながら伝えた。
その約一秒後、
「あああああああああああーっ、あたしが今日穿いて来たやつだーっ」
菜都美は大声で叫んだ。その行為によって、クラスのみんなにバレてしまった。当然のようにクラスメート達から大きな笑いが起こる。
菜都美は光のような速さで保母先生の下へダッシュした。
「河南さん、次から気をつけましょうね」
保母先生はくすくす笑いながら手渡す。
「ああ、恥ずかしい。母さんったら、あたしもう子どもじゃないのに余計なことしてくれちゃって」
菜都美は受け取ったパンツを上着の中に隠し、ぶつぶつ呟きながら席へ戻る。すぐにカバンにしまった。
「ナツミン、かわいいの穿いてるね」
早帆は前の席からくすくす笑ってくる。
「なっちゃん、まだそんなの穿いてたんだ」
友梨は隣の席から。
「なに笑ってるのよ、もう」
「いっ達」
「痛いよ、なっちゃん」
菜都美は照れ笑いしながらテキストの角で、二人の頭をコチッ、コチッと叩いておいた。
「では、始めますね」
これにて保母先生は講義を開始する。
九十分間ひたすら長文読解、リスニング、英文法の演習。
「……皆さん、夜遅いけど目を覚まして頑張りましょうね」
保母先生は寝ている子を見つけると席に歩み寄り、テキストの角でコツンッと叩き起こしていく。
ラベンダーやオレンジ、オリーブ、ミントのシャンプーや石鹸の香りが、研修ルームに漂っていた。
講義を終えてお部屋に戻る途中、クラスメート達の半数くらいはゲームコーナーに立ち寄った。
「ねえ、プリクラ撮ろうよ」
早帆は三人を誘い、専用機に案内する。
友梨と菜都美は前に並ばされた。
お金を入れてフレームを選び、四人はポーズをとる。機械音声に従って撮影を済ませた。
「よく撮れてるわね」
取出口から出て来たプリクラをじっと眺める菜都美。他の三人も後ろから覗き込む。
「なっちゃん、わたしの顔に落書きし過ぎだよ」
友梨は唇を尖らせた。
「ごめんね友梨ちゃん。つい書道の腕が唸っちゃって」
「トッキーは表情が硬すぎやね。もう少し笑顔やったらよりかわいいのに」
早帆はくすりと笑いながらアドバイスする。
「だって私、お写真苦手だもん」
閧子は沈んだ声で打ち明ける。
「あたしも生徒証の写真はそんな感じよ。だから閧子ちゃんも気にすることないって」
菜都美は閧子の肩をポンッと叩いて慰めてあげた。
「ありがとう菜都美さん。あの、私、次はあれがやりたいです」
元気を取り戻した閧子は、プリクラ専用機すぐ隣に設置されていた筐体を指差した。
「ときちゃんも、ぬいぐるみが好きなの?」
「うん!」
友梨からの質問に、閧子は嬉しそうに答える。閧子が指差したのはUFOキャッチャーであった。
四人はUFOキャッチャーのそばへ近づく。
「あっ、あのオランウータンさんのぬいぐるみさんとってもかわいい!」
閧子は透明ケースに手の平を張り付けて叫ぶ。
「トッキー、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみの間に少し埋もれてるよ。物理学的視点で考えても難易度は相当高いよ」
「大丈夫!」
早帆のアドバイスに対し、閧子はきりっとした表情で自信満々に答えた。コイン投入口に百円硬貨を入れ、押しボタンに両手を添える。
「ときちゃん、頑張ってね」
友梨はすぐ横で応援する。
「うん、絶対とるよ!」
閧子は慎重にボタンを操作してクレーンを操り、目的のぬいぐるみの真上まで持ってゆくことが出来た。
続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。
「あっ、失敗しちゃった。もう一度」
ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。
「もう一回やります!」
閧子はとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。
「今度こそ絶対とるよ!」
この作業をさらに繰り返す。
「全然取れない……」
回を得るごとに、閧子は徐々に泣き出しそうな表情へ変わっていく。
「あたし、UFOキャッチャーけっこう得意な方だけど、あれはちょっと無理だな」
菜都美は困った表情で呟いた。
「トッキー、ワタシにまかせて。機械にパックンチョされたトッキーのお小遣い計五百円の敵、ワタシが討ったる!」
早帆は閧子に向かってウィンクする。
「あっ、ありがとう。早帆さん」
すると閧子のお顔に、笑みがこぼれた。
「さほちゃん、優しい」
「閧子ちゃんもよく健闘してたよ」
その様子を、友梨と菜都美はほのぼのと眺めていた。
「……まっ、まさか、こんなにあっさりいけるとは思わんかった」
取出口に、ポトリと落ちたオランウータンのぬいぐるみ。
早帆は、一発でいとも簡単に閧子お目当ての景品をゲットしてしまったのだ。
「早帆さん、お見事でした!」
「おめでとう、さほちゃん」
「やりますなあ」
三人は大きく拍手した。
「ワタシ、別に得意でもないのにたまたま取れただけやって。先にトッキーがちょっとだけ取り易いところに動かしてくれたおかげでもあるねんで。はい、トッキー」
早帆は照れくさそうに語る。一番驚いていたのは彼女自身だった。
「ありがとう、早帆さん。オランウーちゃん、こんにちは」
閧子はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。
その時、
「おーい、きみ達。消灯時間が迫ってるよーん」
と、四人は背後から何者かに声をかけられた。
「あっ、徳島先生、ごめんなさい。すぐ部屋に戻ります」
閧子はびくっと反応し、慌ててぺこりと頭を下げた。
「勇者早帆は『トクシマン』に出くわしてしまった。攻撃した。しかし空振った」
早帆は冷静だった。
「早帆ちゃん、先生は暑さに弱そうだから、炎魔法を使うと効果的かも」
菜都美は笑いながらアドバイスする。
「おいおい、きみ達にとってワタクシはRPGのモンスター的存在なのかよーん? ま、それはそれでなんか嬉しいけどな」
徳島先生はにやけ顔でそう呟きながら、早帆のそばへゆっくりと歩み寄った。
「絶対ここに来るなあ、とは思ってたんよワタシ」
「それよりきみ達、いいのっかなん? 明日ワタクシの講義が組まれてあるのに、予習もせずに暢気に遊んでてさ」
「徳島先生、これは遊びではなくて実践的な数学と物理のお勉強なの。プリクラからは光の性質、UFOキャッチャーからは確率論と力学が学べるでしょう?」
閧子は強く主張した。
「確かに間違っちゃあいないがなん、その理屈。まあ、浦上さんと松尾さんには全く問題ないだろうけど、菖蒲さんと河南さんはどうなんだろうかなーん? 普段の小テストの結果を見ると、今後授業にちゃんとついていけるのかワタクシ非常に心配なのだよん。宿題も自分で解かずに答え丸写ししてるようだし」
徳島先生は苦笑いを浮かべた。
「だっ、大丈夫ですよ」
「あたし、明日の講義はいつも以上に真剣に臨みますよ」
友梨と菜都美は慌て気味に答えた。
「そいつは楽しみだなあ。そうだ! いいこと思いついちまった。きみ達、ワタクシとあそこにある音ゲーで勝負してみるかい? もしも、きみ達が勝つようなことがあったならば、来月の中間テストできみ達が取得した点数に、さらに30点分サービスで加点してあげるよーん。ま、ワタクシが負けるなんてことは天地がひっくり返っても絶対ありえないけどな」
徳島先生は、UFOキャッチャーから少し離れた場所に設置されてある筐体をびっと指差す。画面右から流れてくる音符に合わせて太鼓を叩き、スコアを増やしていく業務用音楽ゲームであった。
「オーケイ、オーケイ。ワタシがやったる!」
早帆は即、徳島先生の挑発に乗った。
「ふふふ、ワタクシはね、お子様相手だからって手加減なんて一切しない主義なんだよーん。カードゲーム大会では幼稚園児や小学生を何度も泣かせたことがあるよーん。ワタクシ自慢じゃあないが学生時代、学校にいる時間よりもゲーセンにいたり、家に引き篭ってテレビゲームしたりしている時間の方が遥かに長かったんだよーん。ゲーム歴は三十数年。まだファ○コンはおろかゲーム○オッチすら出ていなかった、ス○ースイン○ーダー時代からのベテランゲーマーであるワタクシの実力をお見せしてあげるよん。ワタクシはきみ達が生きて来た時間の倍以上はゲームに親しんでいるんだぞ! ドラ○エⅢの発売日、学校サボって買いに行って補導されたこともあるんだぞ! 今までに発売されたコンシューマーゲームも数え切れないほどありとあらゆるジャンルを遊んで来たんだぞっ! そんなワタクシに勝てるなんて、まさか本気で思ってないよねーん?」
徳島先生はどうでもいい自慢話を長々と続ける。
「まあ見てなってトクシマン。ワタシも音ゲーには自信あるから」
「ふふーん。ではお手並み拝見しようではないかあ。ハッハッハ」
早帆と徳島先生はじっと睨み合う。二人の間には、目には見えない火花がバチバチ激しく飛び交っていた。
「トクシマンからお先にどうぞ」
「とっても親切だなあ浦上さんは。だが、そんなことしてくれたってワタクシは本気でやるからねん」
徳島先生は百円硬貨を二枚、財布から取り出しコイン投入口に入れた。そして難易度は『むずかしい』を選択。選んだ曲は、今流行のアニソンだった。
「ほいさっ、ほいさっ」
開始直後から徳島先生は、必死にバチで太鼓をドンドコ連打する。
「どうだ! ハァ、ハァ、ハァ……」
曲が流れ終わったあと、徳島先生は全身汗びっしょりとなっていた。
彼の叩き出した点数は、1061400点。
「ワッ、ワタクシの、自己ベスト更新しちゃったよ。フ○ーザ初期状態戦闘力の倍以上だな。ちょっと大人げなかったかなあ」
息を切らしながらやや前屈みの姿勢で画面を見つめ、くくくっと微笑む。
「次はワタシやね。公平な勝負するから、同じ曲同じ難易度にしてあげるね」
「ふふふ、ワタクシの偉大な記録、ぬっけるかなん?」
「そりゃやってみんと分からんよ」
早帆もバチを両手に持った。数秒後、流れて来た音符に合わせて太鼓を叩き始める。
「んぬ!? なっ、なかなか上手いではないかあ浦上さん、だが、その程度でこのワタクシに勝てるなんて思うなよん。経験の差ってのが違うんだよーん」
徳島先生は目をパチリと見開いたあと、再び余裕の表情で嘲笑う。
それから約二分後のこと、
「よっしゃ! ワタシの勝ちーっ。気分爽快!」
早帆はガッツポーズをして快哉を叫んだ。画面には1082900の文字がピカピカ光り輝いていたのだ。
「早帆ちゃん、すごーい。自称ベテランゲーマーの徳島先生をボロ負けにさせてしまうなんて」
「さほちゃんおめでとう!」
「早帆さん、さすがです」
早帆の後ろ側に立って応援していた三人は、パチパチ大きく拍手した。他のクラスメート達も早帆にたくさん拍手を送った。
「まっ、負けただと!? この、ワタクシが――」
徳島先生は口をあんぐり開けた。
「どうよ、トクシマン」
早帆は彼に向かってパチッとウィンクした。
「もっ、もう一度だけ勝負してくれないかなん? いっ、今のはね、ワタクシの浦上さんに対する優しさが無意識の内に心の中に芽生えて不覚にも手加減してしまっただけなんだよん」
徳島先生は焦りの表情を見せながら、やや早口調で早帆に頼み込んでみる。
「嫌やわー。ワタシ達、早く部屋戻って就寝準備せんといかんのに」
早帆はにっこり微笑みながらやんわり断った。
「なっ、何だよもう! 勝ち逃げは卑怯だぞ。いいもん! ママに言いつけてやるもんねっ! ぬおおおおおおお!」
すると徳島先生は突然両手をド○えもんの手の形にして、筐体をバンバンバンバン激しく叩き始めた。その音が周囲にも響き渡る。
「修坊ちゃん、機械が故障致しますので、おやめ下さいませーっ」
案の定、すぐに従業員さんがすっ飛んで来た。
「だってだってだってーっ。というかこれさあ、始めっから一部の機能がぶっ壊れてたんじゃないのかい? 従業員くん。どう考えても不自然なんだよ。このワタクシが女子高生ごときに負けたんだから」
徳島先生はいろいろケチつけて、尚も筐体をバシバシ叩き続ける。
「申し訳ございません修坊ちゃん……」
従業員さんは当然のように困り果てていた。
「徳島先生、そういうのはワ○ワ○パニックでやった方がいいですよ」
「トクシマン、小学生みたいやね」
閧子と早帆はにこにこ微笑む。
「すみませんねえ。毎年のように修ちゃんがご迷惑掛けてしまって」
そんな時、節子さんがひょっこり現れた。従業員さんに向かって深々と頭を下げ謝罪する。
「修ちゃん……」
そして徳島先生のそばへ駆け寄った。
「よちよち、年下の女の子に負けたからって泣いちゃダメなんじょ」
なんと、彼を叱りつけるのではなく頭をなでなでしてなだめたのだ。
「マッ、ママァァァァァーッッッッッッ!」
徳島先生は節子さんの胸にがしっと抱きついた。
四〇代前半くらいの男が、じつの母親に抱擁される姿。
その異様な光景を目にしたクラスメート達の中にはくすくす笑う子、どん引きした子、「徳島先生、かっわいいーっ」「ゲームに負けた時のうちの小四の弟そっくりーっ」などと叫びながらカメラ付き携帯電話に収める子……いろいろであった。
(こんな情けない姿見せちゃったら、送り迎えしてもらってることバレてもなんてことないんじゃないの?)
と、菜都美はちょっと呆れ気味に思う。
「あー、いい湯ですねえ」
時同じくして雲丹亀先生は男場で他の利用客らといっしょにゆったりくつろいでいた。
☆
四人が部屋に戻ると、すでにお布団が敷かれていた。この宿舎のサービスとのこと。
「ワタシ、講義の前に売店で『日本の怪談朗読CD』買ったんよ。今からみんなでいっしょに聴こうぜ」
早帆はそう言い、リュックの中からその商品と、家から持って来ていた小型CDラジカセを取り出した。
「わっ、私、聴きたくないよううううううう」
閧子は耳を塞ぎ、カタカタ震え出す。
「トッキーは相変わらず怖がりやね」
早帆はくすっと笑う。
朗読CDのパッケージには、一つ目小僧やろくろ首、お菊などなど有名な和風妖怪のイラストが多数描かれていた。
「さほちゃん、それはやめてあげてね。友梨ちゃんが“おねしょ”しちゃうかもしれないから。小四の時の野外活動でね、レクリエーションで怪談やったんだけど、それが原因で夜中にトイレ行けなくなって……朝、友梨ちゃんのお布団の上見たら、ジュワーッて」
菜都美はにやにやしながら語る。
「あああああああーっ、なっ、なっちゃん、その恥ずかし過ぎる過去はバラさないでーっ」
友梨は顔を熟したトマトのように真っ赤にさせながら枕を手に取り、菜都美に向けて投げた。見事顔面にヒット。
「友梨ちゃんナイスコントロールだ。ごめんね」
「わたし、今はそういうのちっとも怖くないよ」
友梨はややムスッとしながら言う。
「ほんとかなあ?」
早帆はにやりと笑う。そして、CDラジカセの電源を入れた。
【一、播州皿屋敷】
老婆らしき声が流れる。早帆が再生ボタンを押したのだ。
「きゃっ、きゃあああああっ」
友梨は悲鳴を上げ、すばやく停止ボタンを押した。
「早帆さん、ダメでしょ」
閧子は震えながら注意した。
「ユリもやっぱり怖いんやね。まだタイトルしか読み上げられてないのに」
早帆はくすっと噴き出した。
「わたし、じつはまだ、夜電気消して寝れないんだ。お化けが出そうなんだもん。そっ、それよりも、スケジュール表見ると、なんか学習合宿っていうより、林間学校みたいだね」
友梨は照れくさそうに打ち明けたのちしおりを眺め、話を切り替えようとした。
「トクシマンいわく、自然と触れ合うこともこの合宿の醍醐味やからって」
「そうなんだ。明日の乳搾り体験、すごく楽しみだなーっ」
友梨は次第にわくわく気分になっていく。
「ナツミン、今乳絞りって言葉に反応したやろ? 眉ぴくりと動かしとったし」
早帆はにやっと笑う。
「しっ、してないわよ」
菜都美は慌てて否定した。
「ワタシので、練習してみる?」
早帆はジャージの上着を捲り上げ、ブラを露出させた。
「ちょっ……」
菜都美はとっさに目を覆う。
「紫色だーっ、さほちゃん大人だねえ」
友梨は興味深そうに早帆の身に付けていたブラジャーを見つめる。
「早帆さん、菜都美さんをからかっちゃダメよ。みんな、そろそろ寝ましょう」
そう言い、閧子は毛布を捲りあげた。
「ワタシ、トッキーのお隣で寝たいよう」
早帆は頬を少し赤らめながら伝えた。
「それは絶対嫌、早帆さん寝相悪いもん。中一のスキー合宿の時、何度も蹴って来たでしょ。メガネも割られたし」
閧子は即、拒否する。
「あーん、トッキー。ワタシ、今は治ってるのにーっ」
「ねえ早帆ちゃん、枕投げしよう」
菜都美はそう言い、早帆目掛けて枕を投げつけた。
「やったなナツミン。負けんよう」
早帆は余裕で受け止める。
「あたしだって負けないんだから!」
菜都美が叫んだその直後、ガラッと部屋入口の戸が開く音がした。
「こらこら、あなた達静かにしなさい!」
保母先生が注意しに来たのだ。合宿夜の定番といえよう。彼女はピンク地に紫色の朝顔文様のついた浴衣姿だった。
「あっ、すみません」
菜都美はぺこりと頭を下げる。
「保母ちゃん怒っても全然怖くないしー。それっ!」
「きゃぁっ!」
早帆はにこにこ笑いながら、保母先生の浴衣の裾をめくり上げた。保母先生は思わず悲鳴を漏らす。
「あーっ、保母ちゃん、浴衣やのにパンツ穿いたらあかんやん。あっ、ひょっとして今アレ来てる時とか、こりゃ失礼」
早帆はからかう。
「もう、浦上さんったら」
保母先生は眉をぴくりと動かした。
「あいたっ」
次の瞬間、早帆は頭を押さえ込む。わずかな隙に保母先生は目にも留まらぬ速さで英語のテキストを帯から取り出し、角っこを早帆の脳天に直撃させたのだ。
「保母先生、早帆さんにご指導ありがとうございました。私、もう寝るから。今日はすごく疲れちゃった」
閧子はメガネを枕元に置き、先ほど早帆にゲームコーナーでとってもらった、あのオランウータンのぬいぐるみをしっかり抱きしめて、お布団にもぐり込んだ。
「では皆さん。グッナーイ。夜更かしはしないようにしましょうね」
保母先生は笑顔でそう言って、四人のいるお部屋から出て行った。
「保母ちゃんやるねえ。また叩かれたい」
早帆は苦笑する。彼女の予想外の攻撃に恐れ入ったようだ。しかし嬉しさも半分あった。
それから一分と経たないうちに、閧子からすやすや寝息が聞こえて来た。
「ときちゃん、の○太くん並みの速さだね。寝顔とってもかわいい」
友梨はくすりと微笑む。
「……キス、したい」
早帆は閧子の唇に自分の唇をぐぐっと近づけた。
「うわっ! ダッ、ダメよ早帆ちゃん、こんなせこいやり方でしちゃ」
菜都美は慌てて早帆の額を手で押して、さらにでこピンして阻止した。
「あいたーっ、すまんねナツミン」
早帆は額を両手で押さえる。
「わたしももう寝るよ。二人とも、体に毒だからあまり夜更かししちゃダメだよ」
そう眠たそうに告げて、友梨もお布団に包まった。
二分ほどしてすやすや寝息が聞こえて来た。
「ユリの寝顔も、かわいいね」
早帆は友梨の頬っぺたをツンツンつつき、にんまり微笑む。
「さほちゃん、キスなんかしたら、スリッパでバチーンよ」
菜都美はスリッパを両手に持ち、早帆の背後に立つ。
「分かってるって、ナツミン」
早帆は素直に従った。
この二人はそのあとも保母先生や友梨からの忠告を無視し、家から持って来たマンガやラノベを読んで過ごしていた。
やがてまもなく午前零時、日付が変わろうという頃。
【消灯時間だよーん。みんな夜更かししないようにしてねーん】
部屋の壁、天井近くに設置されているスピーカーから徳島先生による放送がかかる。
「トクシマン、まだ寝るわけないじゃん。夜はこれから始まるんよ」
早帆はそう呟いて、テレビの上に置かれてあった番組表を手に取った。菜都美といっしょに眺める。
「ここもサ○テレビが映るのね。よかった」
「徳島は関西の電波拾えるみたいやね。神戸より映るチャンネル多いし」
「あたし、深夜アニメ普段は録画して見てるの。母さん怒るから。でも今日こそは生で見るよ!」
菜都美はやや興奮気味に叫ぶ。
次の瞬間、部屋の電気が自動的に切れた。部屋は真っ暗になる。
「びっくりしたーっ」
「ついに消灯時間か。まさか、テレビまで消されたってことは――」
早帆はテレビの電源スイッチを入れた。画面に映像が流れ、部屋は一気に明るくなる。
「よかった、テレビは無事や」
「徳島先生、罪な人ね」
二人はホッと一息ついた。
ところが午前零時になった直後、
テレビの電源も自動的に切れてしまった。再び部屋は真っ暗に戻る。
「……トクシマンのやつ、テレビまで落としやがった」
早帆は口をぽかーんと開ける。
「あーん、せっかく生で見られるチャンスだったのにーっ」
「トクシマン、まさに始まろうとしてたところを狙ってくるとは――」
菜都美と早帆は大声で嘆く。
「ねーえ、うるさいよう」
「起きてるんだったら、もう少し静かにしてね」
友梨と閧子は目を覚まし、二人に注意する。
「はーぃ。ごめんなさい友梨ちゃん、閧子ちゃん」
「すまんね、起こしちゃって」
申し訳なさそうに謝った二人は、そのあとは三十分ほど、懐中電灯をつけて先ほどと同じようにマンガやラノベなどを読んで過ごした。
「なんかもうやることないし、眠くなって来たし、いい加減寝よう」
菜都美がお布団に潜り込もうとした矢先、
「そうやね。ねえナツミン。折り入って頼みがあるんよ」
早帆が頬をほんのり赤く染めながら、菜都美の瞳を見つめて来た。
「なあに? 何でも言ってね。いつも勉強で助けてもらってるし」
菜都美はにこっと微笑みかける。
「いっしょのお布団で寝てもいい? ワタシ、抱き枕がないと寝れんのよ。持って行こうと思ったけど大きすぎてカバンに入らんかったからね」
三秒ほどの沈黙ののち、
「……さっ、早帆ちゃんって、寂しがり屋さんなのね。いっ、いいよ。べつに」
菜都美は頬をポッと赤く染めつつ、了承した。
「ありがとうナツミン。大好き」
早帆は礼を言い、菜都美のお布団に潜り込んだ。
「あのう、もう一つだけ……出来れば……」
さらに二呼吸置いて、菜都美の耳元でささやいた。
「!?……なっ、何言ってるのよ、早帆ちゃんは。無理に決まってるでしょ!」
予想外の要求に驚く菜都美。頬の赤みはますます増した。
「お願い! ワタシもなるから。その方が、気持ちいいやろうし」
早帆は艶やかな声色で念を押す。しかし。
「それは絶対ダメーッ!」
菜都美は強く言い放ち、都合よくすぐ側に置かれてあったスリッパで早帆のおでこをパシーンッと思いっきり叩いた。
「あいたたたたた」
早帆は両手で額を押さえる。
「早帆ちゃん、寝込み襲わないでね!」
菜都美はそう強く言い、手巻き寿司を作るかのごとく早帆を転がしお布団から追い出した。
「ごめんねー、ナツミン。冗談なんよ。ひょっとして今、怒ってる?」
「いや、怒ってはないよ。早帆ちゃんがいきなりあんなこと言い出すからつい手が出ちゃって、あたしの方こそ、ごめんね」
「そっか。よかった。そんじゃナツミン、おやすみ」
早帆はとても残念そうな表情を浮かべる。彼女の計画はあっけなく失敗に終わった。それでも自分側の布団に潜り込むと、ほどなくしてすやすや眠りに付いた。
(もう! さほちゃんったら……やってあげようかなって一瞬思っちゃったじゃない。でもな、そんなことしたら朝起きた時、素っ裸で抱き合ってるあたしとさほちゃんの姿が、見られちゃうかもしれないじゃない)
菜都美は悶々として、なかなか眠りつけなかったのであった。




