第三話 身体測定&健康診断
週明け、月曜日。
友梨、菜都美、早帆が登校して来ると、すでにクラスメート達は冬用体操服(高等学校一年の学年色、青のラインの入った紺地ジャージ上下)へ着替えの準備を進めていた。
三人もすぐに着替え始める。着替え終えたところで八時半のチャイムが鳴った。
「身体測定兼健康診断はこのあと九時から行われます」
朝のホームルームで、保母先生はこう伝える。
そして一時限目英語、つまり保母先生の授業の途中、午前八時五十五分。
【高等部の皆さん、まもなく今年度の身体測定、健康診断を行います。一年一組の生徒さんから、速やかに体育館へ移動して下さい……】
黒板上部の壁に設置されてあるスピーカーから校内放送がかかった。
【……内科検診、心電図のさいはブラジャーを外すよう、ご協力お願いします】
最後にこう告げられ、放送は終わった。クラスメート達は一斉に指示に従う。
(私、まだ付けてないよ)
閧子はややしょんぼりとした。
(えっ、ブラ外すの?)
菜都美は愕然とした。
「では皆さん、出席番号順に廊下に並んでね」
保母先生は微笑みながら指示を出した。ここでブラを外し、靴下も脱ぐ子も多くいた。
「今日のために、アンダーヘアー全部剃って来たよ」
「やるね。数グラムしか変わらないのに」
「本当は素っ裸で測りたいんだけど、風紀委員がうるさいからね」
廊下を移動中、こんなことを口にするクラスメート達も。
(ちょっ、ちょっと、いくら女の子しかいないからってその発言は――)
菜都美は不覚にも耳をそばだててしまった。
この学校の生徒証にはICチップも埋め込まれており、それぞれの計測データは測定器のそばに備え付けられてある専用読み取り器にかざすことで、コンピュータに自動的に記録されるような仕組みになっていた。
まずは身長から計測。閧子は身長を測るさい、大きく背伸びをして目盛が書かれた柱に背中を引っ付けた。
「松尾さん、お気持ちは分かりますけど、小学生みたいなことは止めましょうね」
「はーぃ。ごめんなさーぃ」
計測係の先生に頭をペチッと軽く叩かれ、優しく注意された閧子。しょんぼりしながら足裏を地にぺたりとつける。
「148.1センチね」
(よかった。去年より2ミリ伸びてた)
閧子はこの結果に満足出来たらしい。
体育館では他に体重、座高、聴力、視力を測定した。
このあとは保健室で、内科検診と心電図検査が行われることになっている。
「室内に入ったら上着脱いでね」
保母先生は保健室前の廊下で、嬉しそうに指示した。
室内に入ったクラスメート達はジャージを脱ぎ捨て上半身裸になり、用意されているかごに置いていく。
(中学の時はブラ付けたままだったんだけど……)
菜都美は恐る恐るジャージを脱ぎ、ブラを外して上半身裸になった。
(みんな堂々と見せてるのね)
そして周囲をきょろきょろ見渡す。彼女は手で自分の胸を隠していた。
担当医は若い女性であった。
「あっんっ、んぁ」
聴診器を胸に当てられ、早帆は思わず声を漏らした。
「コレコレ、浦上さん。わざと変な声出さない」
担当女医は微笑みながら優しく注意しておいた。
「だって、冷たくって、すごく気持ちいいんよ……んっ、はぅ」
(……早帆ちゃん、エロイ)
菜都美は思わず床に目をやった。
「河南さん、鼻血出てるよ」
菜都美の前にいる子が話しかけて来た。
「あっ、やっ、やだ。あたしったら。なにマンガみたいな表現、現実にしちゃってるのよ」
菜都美は慌ててポケットからティッシュを取り出し、鼻に詰めた。この状態のまま診察に臨む。
「河南さん、大丈夫?」
担当女医は尋ねる。彼女は今にも吹き出しそうになっていた。
「はい」
菜都美は照れくさそうに答えた。聴診器を当てられると、顔の赤みをさらに増した。
「次は背中に当てるね」
菜都美は足を動かし、回転イスをくるりと回す。後ろに並んでいるクラスメート達に胸を見られないよう、右手で隠した。
「はい、結構よ」
「ありがとうございましたーっ」
診察が終わると菜都美は勢いよく立ち上がった。
「きゃんっ!」
「あっ、ごめんなさい」
そのさい、菜都美の左手が後ろにいた出席番号八番の子の乳房に思いっきり触れてしまった。ぺこりと頭を下げて、同じ部屋に設けらている心電図検査場所へ移動した。
診察台は二つあり、効率よく行われていく。
クラスメート達は仰向けに寝かされ、両手両足と胸部に電極を付けられていた。
「河南さん、どうぞ」
担当医に申され、菜都美は鼻にティッシュを詰めた状態のまま診察台へ上がり仰向けに寝る。
「器具つけるから、お手手離してね」
担当医は、手で胸を覆い隠していた菜都美に注意する。
「でっ、でもう」
「すぐに終わるから」
担当医は応じようとしない菜都美の手首をつかみ、強引に引き離す。
こうして菜都美のおっぱいはあらわになった。
(はっ、早く診察して)
菜都美は屈辱を味わう。
「終わるまでじっとしててね」
担当医は菜都美のトレパンの裾を少し捲り上げ、両手両足と胸部に器具を付けた。
(あっ……んっ。なっ、なんか、養分吸い取られてるみたい)
菜都美はぴくんと反応する。
「はーい、お疲れ様」
数分して、担当医に器具を外された。
「めっちゃ恥ずかしい……」
菜都美は勢いよく起き上がり、自分のジャージとブラジャーを手に取って急いで保健室から出て行った。
「ナツミン、ワタシ、そんなにエロい声出してた?」
すでに診察を済ませた早帆が、歩み寄ってくる。
「いっ、いやあ」
菜都美は手を振りかざした。
「おうナツミン、いい吸盤のあとやね」
早帆は、菜都美の乳首周りをぺたぺた触ってくる。
「ひゃぅっ、ちょっと、早帆ちゃん」
菜都美は顔を唐辛子のように真っ赤にさせて、早帆の手を振り解き、急いでブラジャーを付けた。
「ワタシもしっかり跡付いてるよ、見てみる? ワタシ、ブラ教室に置いてるからまだノーブラなんよ」
早帆は自分のジャージをめくり上げようとした。彼女のおへそが菜都美の目に映る。
「いっ、いいわよ」
菜都美は咄嗟にぷいっと目を廊下の壁にそむけた。
「あーんナツミン。ワタシのヌード姿に興味持ってほしいなあ。高等部の美術の授業ではね、女の子のヌード描く機会もたくさんあるみたいなんよ」
「あたしは書道選択だから関係ないし」
「シャイやね、ナツミン」
早帆は微笑む。
「お待たせーっ」
友梨も診察を終え、保健室から出て来た。
「友梨ちゃん、恥ずかしかったでしょ?」
菜都美はさっそく感想を尋ねる。
「そうでもなかったよ。みんなやってるし」
友梨は事も無げに答えた。
「そう? あたしは身体測定とか健康診断、結果そのものより裸見られることが嫌なのよ。でもこれで、何とか終わったわね」
菜都美はホッと一息つく。
「ナツミン、まだ尿検査が残っとるよ」
早帆はぽつりと告げる。
「それは知ってるけど。あれって、家で朝一番のを採って学校に持ってくるんでしょ?」
「いやいや、今から採尿するんよ」
「えっ!? 学校でやるの?」
「そや」
驚く菜都美の質問に、早帆は嬉しそうに答えた。
「検査方法変わってるね」
友梨も不思議に思ったようだ。
「みんなの前でやるの、すごい羞恥プレイね」
菜都美は悲しそうな表情になった。
「それよりナツミン、そろそろティッシュ取ってもいいんじゃない?」
早帆は、菜都美のお顔を眺めながらくすっと笑う。
「あっ……付けたままなの忘れてた。恥ずかしぃ」
菜都美は鼻からティッシュを抜き取り、保健室前に置かれてあるゴミ箱に捨てた。
保健室から数十メートル進んだ先に、トイレがある。そのすぐ向かい側の教室窓際に、臨時の検尿受付カウンターが設けられていた。
一組のクラスメート達がカウンターに提出していく姿が見受けられた。
カウンター横には、検尿用の紙コップが備え付けられている。
三人とも検尿は和式の方が採りやすいという理由で、和式便器のある個室へ入った。
「えいしょ」
早帆は和式便器を跨ぎ、トレパンとショーツをいっしょに脱ぎ下ろす。そしてしゃがみ込み、音姫を押して、用を足し始める。
途中からコップをかざし、内側に書かれた点線部分まで尿を注いだ。
菜都美と友梨も同じようにする。
「あたし、少し狙い外して手にかかっちゃった。手、洗わなきゃ」
「わたしは検尿用のコップ、便器に落としかけたよ。ちょっとだけこぼしちゃった」
小さなトラブルに見舞われた菜都美と友梨をよそに早帆が一番乗り。扉をそっと開け、足早にトイレの外へ向かう。
「お願いしまーす!」
元気よく挨拶し、カウンターに紙コップをコトンと置いた。
担当女医はコップを手に取ると、教室内に設置されてある検査機へと持っていった。
それから数十秒後、
「浦上さん、異常無しよ」
「よかった」
早帆は笑みを浮かべた。
「おっ、お願いします」
菜都美は緊張気味に、自分の尿が入った紙コップを提出した。
「河南さん、蛋白が検出されたので、再検査ね」
担当女医はにこっと微笑みながら告げた。
「えーっ!? あっ、あたし、どこか悪いんですか?」
菜都美は表情をこわばらせる。
「心配しないで、よくあることだから。明日の朝、一番のを搾って来てね。はいどうぞ」
担当女医から検尿コップとスポイト、そして醤油さしのようなプラスチック容器を手渡された。
「友梨ちゃん、あたし、蛋白出ちゃったよ。再検査だって」
菜都美はため息混じりに友梨に伝えた。
「わたしも心配だなあ」
友梨は恐る恐る、カウンターに紙コップを置く。
「菖蒲さん、異常無しよ」
「わーい」
一分ほどのち、良い結果を知らされ、友梨はバンザーイのポーズをとった。
こうして尿検査を終えた三人は、閧子が来るまで待つ。
つもりだったのだが。
「速やかに教室へ戻りなさい」
保母先生に注意され、渋々従った。
「あっ、あの、これ……」
閧子は顔を火照られながら提出する。
担当女医はすぐに取ってあげ、検査機で調べた。
「松尾さん、異常無しよ」
「ありがとうございました」
閧子はぺこりとお辞儀し、そそくさと教室へ戻っていった。
ちょうど三時限目世界史Bの授業が行われていた。
終了後の休み時間、四人は友梨の席を中心に集まり、結果を話し合う。
「なっちゃん、わたし、158.5センチだったよ」
友梨は嬉しそうに言いふらした。
「また今年も負けた。あたし、158.2だ」
菜都美は悔しそうな表情を浮かべて嘆いた。
「それくらいやったら誤差やね。ワタシは167.6。もう少し伸ばしたい。豊○○生ちゃんくらいは欲しい」
「わたし、そこまではいらないなあ。今の身長のままでいいよ」
「私は、一五〇センチは欲しいです。保母先生より低いし」
閧子はかかとを上げて背伸びしてみる。
「あたしは、せめて早帆ちゃんくらいまでは伸ばしたいな」
菜都美はこう呟き、早帆を見上げた。
「まだ伸びると思うよ」
早帆は優しくフォローする。
「視力はわたし、両目とも1.2だったよ」
「それは勝った。あたしは両目とも1.5だ」
「あーん、悔しいーっ」
友梨はムスッとした。
「二人とも視力いいんやね。羨ましい。ワタシ、ゲームし過ぎて数年前からちょっと近視になってしまったんよ。裸眼視力、右0.8、左0.7」
「私なんか裸眼視力両目とも0.2よ。私は昔から悪くて」
早帆と閧子は、視力に関してはちょっぴりコンプレックスを抱いた。
四時限目終了後、四人は先日打ち合わせた通り学食へと足を進める。
学食では今日から、北海道フェアも始まった。
「思ったよりもたくさん種類があるね。さすが私立校の学食」
「どれにしよう。迷うなあ」
友梨と菜都美は期間限定特別メニュー一覧をじっくり眺める。
「スープカレーもお勧めなんよ。ワタシ、それにする。インスタントでしか食べたこと無いからね」
「じゃ、あたしもそれにしよう」
「そんじゃナツミン、辛さどのグレードにする? いろいろ選べるよ」
「あたし、虚空にするよ」
菜都美は迷わず答えた。
「ほう、一番辛いやつか。ナツミン勇気あるね。辛いもの好き?」
「うん! 大好き。韓国料理とか四川料理とかタイ料理とか、大好物なの」
「すごいね。本当に、虚空にするつもり?」
早帆は念を押して訊く。
「もっちろん!」
菜都美は気合十分な様子だ。
「なっちゃんって昔から激辛料理には目が無いからね。幼稚園の頃、遠足でおやつにカラムーショ持って来てたし。わたし辛いの全くダメ、あまーいかぼちゃプリンとチーズケーキにするよ」
友梨は笑顔で言った。
「あたし、甘い物も大好きよ。甘い物食べてからすぐに辛い物食べると、辛さがより一層強く感じられて最高のエクスタシーを味わえるもん」
菜都美は満面の笑みで嬉しそうに語る。
「スイカと塩に代表される味の相乗効果ね」
閧子は微笑んだ。
「早帆ちゃん、あたしと勝負しない? 虚空食べて、どっちが先に完食するか?」
菜都美は早帆に挑戦状を叩きつけた。
「やめとく。ワタシも辛過ぎるのは無理。一番下の覚醒にする」
早帆は手をぶんぶん振り、拒否のサインをとる。
「そっか。早帆ちゃん背は高いくせに、味覚はお子様なのね」
菜都美はくすっと笑った。
「あっ、ナツミンのさっきの発言ちょっとムカついた。ワタシ、やっぱ虚空や」
早帆は眉を顰める。これにはカチンと来たようだ。
「早帆さん、大丈夫? 私、友梨さんと同じく辛いお料理ダメなので、函館名物いかめしとじゃがバターにするけど」
閧子は少し心配そうにしていた。
注文を受け取った四人は、テーブル席に着く。菜都美と早帆は向かい合って座った。
「ねえみんなーっ、今からスープカレー早食い対決が始まるよーっ」
友梨は大声で叫ぶ。すると達まち大勢の生徒達が二人の周りに集まって来た。
「友梨ちゃん、べつに呼ばなくてもいいのに」
菜都美は少し迷惑がっている。
「ワタシはますます気合入っちゃったよ」
早帆はとても嬉しそうだった。
【いーけ、いーけ、いーけ、いーけ!】
多くの群衆から喝采を受ける二人。
「なっちゃん、頑張れ。それじゃ、よーい、スタート!」
早帆は合図を掛けた。
「いただきまーす」
菜都美が先攻を取った。スプーンでルーとライスをつかみ、お口に運ぶ。
「美味しいーっ」
瞬間、満面の笑みを浮かべた。
「ワタシも余裕で食べるよ!」
こうなってしまったら後戻りは香車の駒のごとくもう出来ない、と感じた早帆は少し躊躇いながらもスプーンでルーの部分だけを掬いとり、すばやく口へと放り込んだ。
「あれ? あんまり辛くないような……」
ところがそれから約二秒後、
「うっ、うひゃあああああああ!」
早帆はガバッと立ち上がってセルフサービスドリンクコーナーに向かって一目散に突っ走り、メロンクリームソーダを取り出しごくごくごくごく飲み干す。彼の口元はバーナーの点火口と化していた。辛さは後になってじわりじわりとやって来たのだ。
「もうギブアップ? あたしの圧勝ね」
アハハハッと大声で笑う菜都美。得意げに勝利のポーズVサインもとった。
「今日は調子悪かっただけや」
意地でも負けを認めようとはしない早帆、悔しさとはまた別の涙を流していた。彼はスープカレーを返却口に置き、友梨と同じメニューを注文し直したのであった。
「なっちゃんすごーい。途中で水も飲まずに全部平らげちゃった。完食おめでとう!」
友梨は、菜都美の成し遂げた偉業? にパチパチ拍手した。
「楽勝だったよ。全然辛くなかったもん。チキンはとっても美味しかったけど、ちょっと期待外れね。調理のおばちゃんは学生相手だからって基準控えめにしてるね、これは」
「ねえ菜都美さん、胃は、大丈夫?」
閧子は少し心配そうに尋ねた。
「平気、平気」
菜都美は爽やかな表情で答えた。
「さすがです」
閧子はほとほと感心する。
「ねえナツミン、明日おしっこの再検査あるんよね? 影響出ても知らないよ」
早帆はにやけ顔で言った。
「あっ…………」
菜都美は口をぱくりと開けた。次の瞬間、後悔の念に駆られる。脳裏に不安もよぎった。
そして翌朝。
「河南さん、おっはよう」
菜都美が登校して来て席に着くなり、保健委員の子がぴょこぴょこ近寄って来た。元気よく挨拶してくる。
「あ、おはよう」
菜都美は挨拶を返す。するとその子は、いきなり質問して来た。
「おしっこ持って来た?」
「もっ、持って来たよ」
菜都美は慌てて答え、顔をカーッと赤くする。
「それじゃ出して」
保健委員の子は躊躇なく手を差し出してくる。
「あのう、あたしが持っていくから」
菜都美は断ろうとした。
「いいからアタシに任せて」
しかし保健委員の子は粘る。
「そっ、それじゃ……はい、これ……」
菜都美は大変気まずそうに、保健委員の子に紙袋を手渡す。
「ありがとう」
その子は躊躇なく受け取った。
「あっ、河南さん。お名前書き忘れてるよ」
「あっ、いっけない」
「気をつけてね。大学受験においては、うっかりミスが命取りよ」
面と向かって注意してくる。
(この子、高校入試終わったばかりなのに、もう大学受験のことをしっかり意識してるのか。さすが進学校の特進クラス)
菜都美はほとほと感心していた。
「容器にも書いてる?」
そう言いながら保健委員の子は袋を開けて、菜都美のお小水が入ってある透明な容器を臆することなく取り出した。
「あっ、やっぱり書いてない」
「やっ、やめて。じっ、自分で書くから」
菜都美は容器に手を伸ばす。しかし保健委員の子は返すことを拒んだ。
「遠慮しないで。アタシが書いてあげる」
保健委員の子は胸ポケットからボールペンを取り出した。容器は左手に持ち、小さな字で《河南菜都美》と書いていく。
(……見ず知らずの子にそんなことしてもらうなんて、羞恥プレイ過ぎる)
菜都美は今まさに、穴があったら入りたい気分となっていた。
「河南さん、確認するけど、朝起きて一番搾りの採った?」
「うっ、うん」
「ちゃんと中間尿を採取した?」
「うん」
「アレはちゃんと定期的に来てる?」
「? あっ、アレね。うっ、うん」
「大きい方の便はちゃんと毎日出てる?」
「……いや、それは」(さっきからなんてこと訊いてくるのよこの子は)
菜都美はお顔を唐辛子のように真っ赤にさせながら答える。保健委員の子が真剣な眼差しで菜都美のお顔を見つめながら次々と質問してくるのだ。
「あのう、河南さん。普通の公立中学から来たんだよね? お体大丈夫? 急激な環境の変化に適応出来てる? 体調悪かったらいつでも相談してね。アタシんち、心療内科医院だから河南さんなら無料で診てもらえるように頼んでみるよ」
「いえ、その……」(このクラスって、親がお医者さんって子もけっこういるのね)
「河南さん、お大事に」
保健委員の子はウィンクし、自分の席へと戻っていく。他の再検査になった子の分(十個近く)も持って、保健室へ提出しに行った。
「なっちゃん、あの子、すごく思いやりのあるいい子だよね」
友梨はにっこり微笑み、菜都美に話しかける。
「たっ、確かにそうなんだけど……でも」
菜都美のお顔は、まだ真っ赤なままだった。
一時限目、高校に入ってから三回目の数学の授業。
「ではでは、今日は抜き打ち小テストを行うよーん。教科書ノートはしまって、机の上は筆記用具だけにしてねーん」
徳島先生は号令のあといきなりそう告げて、プリントの束を配り始めた。
「やったあ!」「待ってました」「超難問かかって来い」
するとクラスメート達から嘆きの声、ではなく大絶賛の声と拍手が上がったのだ。
(さすが進学校だね)
友梨はほとほと感心する。
教卓から見て右二列目に配る際、
「おーい河南さん、今さら悪あがきしたって無駄だよーん。焼け石に水っさ」
「分かってますよう」
徳島先生は優しく菜都美に注意する。彼女は指示されたあとも教科書を眺め続けていた。しぶしぶ片付けた。
廊下側の列最後尾までプリントが行き渡ると、
「それでは始めてねーん」
と、徳島先生は開始の合図をかけた。
制限時間は十分間。その間に五題の問題を解くようになっていた。一問2点の10点満点。
[問い1 次の座標を持つ2点間の距離を求めよ。A(-5,8),B(7,3)]
(えっ、えーと。三平方の定理使うやつだよね。7引く-5タス、3引く8のルートで……ルート7、だよね)
友梨、初っ端からうっかりミス。
(これ、公式に当てはめたらいいだけね。7引く-5の2乗タス、3引く8の2乗、169のルートで、13か)
菜都美は見事正解。
[問い2 x^6 + 1を、因数分解せよ]
(因数分解かあ。って何この形? 6乗って)
(……あたしにはさっぱりだ、パスパス)
二人とも即、次の問いへ移った。
[問い3 360の約数の個数を求めよ]
(1、2、3、4、5、6。7は違うよね……)
三分ほど考えた挙句、菜都美は何とか正答である24個を出すことが出来た。
(あーん、面倒くさーい。降参)
五分ほど考えた挙句、友梨が問い4に着手しようとしたところ、ピピピピピッとタイマーのアラームが鳴り響いた。
「はいそこまでー。後ろから集めてねーん」
ここで制限時限いっぱい。徳島先生から止めるよう合図がかかった。
「もっ、もうタイムアップ? もう少しだけ。一文字だけでも……」
「問い4、冷静になれば、きっと答えが出るはず」
友梨と菜都美は尚もシャーペンを動かし続ける。
「あのう、菖蒲さん、河南さん」
「えっと、えっと、えっと」
「うーん、どう解くんだろう……」
「菖蒲さーん! 河南さーん、時間よ。諦めて!」
「……あっ、ごめんね」
「あたしついに夢中になり過ぎちゃった」
この二人は最後列だ。前にいるクラスメート達は、なかなか集めに来てくれないので困り果てていた。
「今回の試験、ものすごーく簡単だったよねん? 外部生の子に配慮して中学の復習問題も出してあげたし。おそらくは、ほとんどの子が10点満点じゃないかな。まあもしも、6点未満だった子がいるようでしたら、放課後再試験してあげるからねーん。このクラスの子には、まさかそういう子は一人もいないとは思うけどな」
徳島先生は回収されたプリントをパラパラッとめくり、にこにこしながら告げる。
(せっ、先生。わっ、わたし、まさしく再試験ですよーっ)
(あっ、あたし、書いたとこ全部当たってても確実だーっ)
その瞬間、友梨と菜都美は背中から冷や汗がタラリと流れた。
一時限目終了後の休み時間中。
「河南さん、尿の再検査異常無かったって。よかったね」
落ち込んでいた菜都美の席に、保健委員の子が寄って来た。爽やかな表情で伝えてくる。
「あっ、そう。報告ありがとう」
菜都美は沈んだ声でお礼を言った。良い診断結果にも彼女の気分は晴れることはなかった。
「本当に大丈夫?」
保健委員の子は、少し心配そうに菜都美の姿を見届けた。
※
「徳島先生から預かっていた小テスト、返却するわね」
帰りのホームルームで、保母先生は出席番号順に返していった。
(予想通りね。一問目と三問目しか合ってないし、問い四と五解こうとしたけど、Cの両サイドに数字が付いてるやつとか、sin、cos、tanって記号が意味不明だったよ)
10点満点中、菜都美は4点。
(やっぱり、再試験だった。の○太くんのレギュラーな点数とっちゃったよ)
友梨は、0点。よって二人とも仲良く再試験が決定した。
放課後、一組の教室。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「早帆ちゃん、閧子ちゃん。あたし、こんなにおバカで申し訳ない」
友梨と菜都美は最前列の中央、つまり教卓すぐ横の席に隣り合うように座った。
「そんなこと全然気にしなくていいよ。焦らずに落ち着いて考えて解いてね」
「公式覚えていれば簡単に解けるよ、ユリ、ナツミン、頑張りや!」
閧子と早帆は、すぐ側で応援する。
「ハハハッ、きみ達やっぱり予想通りだな」
徳島先生はかなり機嫌が良さそうだった。再試験となったのはこの二人だけだったのだ。
「制限時間、今度は十五分間あげるよん。さらにさらに特別大サービス。教科書、ノート等見ながらやってもいいからねん」
徳島先生はテスト用紙を二人に手渡すと「それでは始めてねーん」とお決まりの合図をかけた。
二人は数Ⅰ、数Aの教科書を手元に置き、懸命にシャープペンシルを走らせる。
「あっ、今度はすごく簡単だ」
「教科書の例題と全く同じ問題が出てる! やったあ! 徳島先生ありがとう」
スムーズに進む、進む。
そして十五分が経過。
「はーい時間切れ」
徳島先生は二人の用紙を回収すると、赤ボールペンを取り出し、その場ですぐに採点を始めた。
「ほい、菖蒲さんは7点だよん」
「バンザーイ!」
友梨は受け取った瞬間、両手を高く上げて満面の笑みを浮かべる。
「おいおい菖蒲さん、決して喜ぶような点数じゃないんだよん。この程度なら満点が当たり前だからねん。河南さんも同じく7点、合格点に達成。きみ達本当に仲良いなあ。次はもっと頑張ってねーん」
「ねえ先生、今度は始めから問題もっと簡単にして下さいよ」
「あたしからもお願いします」
友梨と菜都美は頼んでみた。
「ノーウェイ。これ以上簡単にするなんて無茶だよーん」
しかし徳島先生はあっさりと断わる。
「あーんもう。先生ケチ過ぎ!」
友梨は唇を尖らせて不平を言う。
「ハッハッハッ、それではさらに難しくなる次回の小テストもおったのしみにー」
徳島先生は高笑いしながらそう告げて、教室から立ち去っていった。
(あたし、先生の弱み知ってるのよ)
そんな彼の後姿を、菜都美はにやりと微笑みながら眺めていた。