第二話 教科授業開始、ユニーク教師ご登場
翌日金曜日。
「では皆さん、あとで確認して下さいね」
朝のホームルームで、保母先生はメンバー表が書かれた紙を黒板横の壁に留めた。
三人はいっしょに確認しにいく。
「もう一人のメンバーは、松尾閧子さんっていう子か」
「どんな子だったっけ?」
友梨と菜都美は貼られた表を確認しながらしゃべり合う。全十班のうち、友梨達の班は第二班となっていた。
「おう、トッキーじゃん。やった、すごく嬉しい」
早帆はにっこり微笑んだ。
「知ってる子なの? さほちゃん」
「うん。トッキーは小学時代からの知り合いなんよ。あの子と同じクラスになれたの、中一の時以来や。中学の定期テストでは、常に学年トップに輝いてた子なんよ」
「ときちゃんも内部生なんだ。学年トップだなんて、頼りになってくれそうだね」
友梨はその子に対する信頼感が芽生えた。
「あっ、あのう……おはようございます。私が松尾閧子です」
三人の背後から、か細い声がした。三人は振り向く。
その子は一五〇センチにも満たないであろう小柄さ、ごく普通の形のまん丸なメガネをかけて、濡れ羽色の髪の毛を左右両サイド肩より少し下くらいまでの三つ編みにしていた。とても真面目そう、加えて大人しそうな感じの子だった。
「あなたがそうなんだ。見るからにすごく頭良さそうだね。まさに優等生って感じだよ。ときちゃん、ちっちゃくてかわいい。どうぞよろしく」
友梨は握手を求め、手を差し出した。
「友梨さん。こちらこそよろしくお願いします」
閧子は満面の笑みを浮かべ、快く応じる。
「河南菜都美さん、何卒よろしくお願いします」
続けて菜都美にも挨拶した。
「あっ、こっ、こちらこそ。(この子、ほんとにめっちゃかわいい)」
閧子にお顔を見つめられ、菜都美の心拍数は急上昇した。
「やあ、トッキー。仲良くしよな」
早帆は閧子に向かってウィンクした。
「はい。早帆さん。久々の同じクラスだね」
閧子はにこっと笑い、早帆とも快く握手した。
「トッキー、高校では絶対ワタシが万年二位の汚名を返上して学年一位取るからね」
「私も負けないよ」
早帆と閧子は凛々しい目つきで見詰め合う。
(さほちゃんって、学年二位の子だったんだ。見た目あまり勉強出来なさそうなのに)
(この学校でトップ争いって……あたしや友梨ちゃんと次元が違い過ぎる)
二人はこの事実に衝撃を受けた。
八時四〇分、一時限目開始を告げるチャイムが鳴る。高校に入学してから初めての教科授業は英語であった。朝のホームルームに引き続き、担任の保母先生が受け持つ。
「皆さん、当然予習はやって来てますよね。早速Lesson1から始めていくわよ。テキスト5ページの1行目から5行目までを、今日はエイプリルナインスワンピリオドだから、出席番号十四番のミズ菖蒲。プリーズスタンドアップ。リード、アンド、トランスレイトジャパニーズ」
「はっ、はいーっ!」
友梨はびくーっと反応し、大きな声で返事をした。てっきり出席番号九番の子が当てられると思っていたのだ。イスを勢いよく後ろに引いてガバッと席を立ち、英文に目を通す。
「えっ、えっと。あれ? この単語、どういう意味でしたっけ?」
数秒間の沈黙ののち。
「……菖蒲さん、予習はやって来たのかな?」
保母先生はにこっと微笑みかけた。
「ごめんなさーい、忘れました」
友梨はぺこんと頭を下げ、席に着いた。
「あらまあ、次からは気をつけてね。それじゃあ、そのお隣の席、七番の河南さんはどうかな?」
「やってるわけないじゃないですか。春の新番組チェックに忙しかったし」
菜都美は笑いながらきっぱりと言い張った。
「あらあら」
保母先生は苦笑いを浮かべ、菜都美の席へと少しずつ歩み寄る。
「そういえば保母先生、高校の英語の教科書って、巻末に単語の意味が載ってないんですねえ」
菜都美は笑いながら呟く。
「ひょっとして今気付いたの? 英和と和英の辞書は必須アイテムだから、いつも持ってくるようにアテンションプリーズ」
「あいたっ」
保母先生はにこっと笑って菜都美の頭をテキストの角でコツンッと叩き、教卓へ戻っていった。これが彼女の素敵なお仕置きの仕方だ。
(いったぁーっ、今度からは、気をつけなきゃ)
菜都美にはちゃんと効果があったらしい。
この学校では四五分授業制となっているため、一時限目は九時二十五分まで。
「河南さん、菖蒲さん、ちょっとこっちへいらっしゃい」
授業終了後、友梨と菜都美は保母先生に呼ばれた。
「なあに? 先生」
「何でしょうか?」
友梨と菜都美は恐る恐る尋ねる。
「英語は高校になると急に難しくなるからね、この学校は進度もすごく速いし、怠けてると本当に手に負えなくなっちゃうわよ」
保母先生は困った表情を浮かべ、心配そうに助言した。
「分かりましたー」
「あたしも肝に銘じておきます」
友梨と菜都美はちょっぴり反省する。
二時限目開始を告げるチャイムが鳴ると、すぐに教科担任がやって来た。
「それじゃ、始めるよーん。みんな早く席についてねーん」
一組では、今日は数学の授業が組まれてある。
「えー、ワタクシの名前は徳島修と申します。内部生の子はご存知だと思いますが、ワタクシの趣味はコンピュータゲームとアニメ観賞です。ワタクシがコンピュータゲームに本格的にのめり込んだきっかけは小学生の頃にですね、ファ○コンというものが発売されまして……」
数学科担当徳島先生は、四〇代前半くらいの男性であった。坊ちゃん刈りで、牛乳瓶の底みたいなメガネをかけていた。彼の自己紹介は、その後三〇分近く続いた。
「……おっと、ついつい話し過ぎちまった。いい加減始めていかなくては――理数コースでは進度、特に速いから覚悟しといてねーん。合格したからといって浮かれ回って、春休み勉強サボってた子はこれから地獄を見ることになるよーん。それじゃ、数Ⅱの教科書開いてねーん」
「「えっ!?」」
徳島先生からそう告げられた直後、友梨と菜都美は同じように反応した。
「どうしたんだーい? 菖蒲さんに河南さん」
徳島先生は目を見開いて問いかける。
「あのう、徳島先生。数Ⅰの、授業は?」
「あたし、まだ習ってないんだけど……」
友梨と菜都美は恐る恐る話しかけてみた。
「自分で勉強しといてねーん。内部生の子には中学で既に教えちゃったよーん。数Aもねん♪」
一瞬間を置いたあと、徳島先生はにこっと笑い、さらっと言い張った。
「そっ、そんな……」
「嘘ですよね? 四月一日はとっくに過ぎてますよ」
友梨と菜都美は目が点になる。二人の机の上には、数学Ⅰの教科書がしっかりと置かれていた。
「今頃慌てふためくなよーん。新入生の手引きに書いあっただろ? 読まなかったのかい? 高校からこの学校に入ってくる子は、そのことは当然承知していると思ったんだけどねん。まあでも数ⅠAくらい、一週間もあればマスター出来るよん」
徳島先生は淡々とこう述べて、お構い無しに数学Ⅱの授業を進めていく。
「式と証明の最初の方だけど、きみ達当然予習はしてるよねん? 問題当てるよん。教科書に載ってる練習問題程度だと、このクラスの子にとってはあまりに簡単すぎて失礼だろうと思いますので、ワタクシオリジナルの問題にしましょう」
そう告げると彼は白チョークを手に取り、黒板に問題文を書いた。
「それではこいつを……えー今日は四月九日の二時限目だから、九掛ける二、マイナス四で出席番号十四番の、菖蒲さんかあ。やってみってねん」
「えーっ」
またもいきなり当てられてしまった友梨は、ため息を漏らす。重い足取りで黒板の前へと進んだ。
出題されたのは、
2x+y:2y+z:2z+x=5:-4:8のとき、次の比を求めよ。x^2+y^2+z^2:(x+y)(y+z)
という問題。
(えっと……なっ、何これ? どうすればいいんだろ? うーん……)
友梨は白チョークを手に持ったまま、トーテムポールのごとく固まってしまっていた。
「ふふーん。出来ないのかあ」
徳島先生はその様子を眺めて、嬉しそうににこにこ笑っていた。
(友梨ちゃん、かわいそう。なによあの先生。さっきの発言は教師としてひどいよね。あたしがなんとかしてあげたいけど、あたしもあれは全く分かんない)
菜都美は自分が代わりに解いてあげようかと思ったが、なすすべなし。固唾を呑んで見守るしかなかった。
その時――。
「あのう、先生。私が解きます」
と、クラスメートの一人が挙手をした。
(えっ、この声は、ときちゃん!?)
友梨はくるりと振り向く。まさしくその通りであった。
「えー、きみがやってもつまんないよ。すーぐ解いちゃうんだもんな」
徳島先生は閧子に向かって何やらネチネチ文句を言い始めた。
「徳島先生、この比例式の問題はやや難易度が高いので、解けなくても無理はないと思います」
閧子は徳島先生に向かってズバッと言い放った。
「わっ、分かったよん。じゃあ、きみがやってあげてねーん」
徳島先生はしょんぼりした声で指示した。
「はい」
閧子は明るい声で返事し、スッと立ち上がって黒板の前へ向かう。
「友梨さん、あとは私に任せてね」
そして友梨に爽やかな笑顔で話しかけた。
「ありがとう、ときちゃん。助かったよ」
友梨はお礼を言って、自分の席へ戻っていく。
(友梨ちゃん、良かったね。閧子ちゃんって見た目通り、ほんとに良い子ね)
菜都美も安堵した。
「先生、出来ました。答えは、29:-1です」
友梨が席に着いてから数秒後、閧子が告げる。彼女は、友梨が悪戦苦闘していた問題をわずか二十秒ほどで解いてしまったのだ。
「途中の式も含め文句なしの正解だよん。面白みがないなあ」
徳島先生はとても悔しそうな表情を浮かべていた。続いて彼は菜都美にも似たような問題を当てた。けれどまたしても閧子にあっさりと解かれてしまったのであった。
「ときちゃん、さっきは助けてくれてありがとう」
「あたしの方も助けてくれてありがとね」
友梨と菜都美は授業が終わると、すぐさま閧子の席へ駆け寄った。
「どういたしまして。私、困ってる子を見かけると助けたくなっちゃって」
「とっても良い子だねえ、ときちゃん」
友梨はにこにこしながら閧子の頭をなでなでする。
「いえいえ」
閧子は照れ笑いした。
「やあトッキー。さっきすごくかっこよかったよ」
早帆も寄って来た。
「閧子ちゃん、早帆ちゃん。徳島先生って、暗い部屋に引き篭もってテレビゲームばっかりしてそうな、の○太顔だよね。あんな典型的なのは初めて目にしたよ」
菜都美は笑いながら先生の悪口を言う。
「トクシマンは意図的に出来の悪い子を当てて、難しい問題に困っている様子を楽しむのが好きみたいなんよ」
早帆はにこやかな表情でさらっと伝えた。
「性格はス○夫くんも入ってるわね。あたし、出来が悪いしこれからすごく心配だ。友梨ちゃんもだよね?」
菜都美は顔を横に向け、友梨に問いかけた。
「うん。徳島先生、話し口調はすごく面白いんだけど、当てられるのは嫌だなあ」
友梨は困惑顔で呟く。
「友梨さん、菜都美さん。授業で分からない所があったら私に相談してね」
閧子は頼もしい言葉をかけておいた。
三時限目は物理基礎。またも男性教諭であった。
「ぃよう、おまえさんら。外部生の子はナイスツーミーツー。内部生の子は引き続きよろしく。ワシ、藤原道一と申します。歴史上の人物名とよう似てるのが自慢や」
教室に入ってくるや否や、大きな声で元気よくご挨拶した。
(なっ、何? あの衣装、すごーい)
(いつの時代から来たの?)
友梨と菜都美は、彼の姿を凝視する。
頭に烏帽子を被っていた。
さらに直衣を身に纏い、右手に笏まで装備。
平安貴族の格好そのものだった。
「ワシ、平安時代からやって来ましてん」
藤原先生はそうおっしゃるものの、見た目四十代くらいだった。加えて丸顔。
「おまえさんらに、さらにええもんお見せしたる」
続けてこう言って、烏帽子を取る。
その瞬間、クラスメート達から大きな笑い声が起こった。
なんと彼は、丁髷頭だったのだ。
「髪型は江戸時代風ですね」
友梨はにこにこしながら突っ込む。
「似合いますやろ? ではさっそく授業進めていきますで……最近の物理の教科書っちゅうのは電気から始めとるんやのう、物理の基本は力学からっていうのがワシの信念やねん。電気の単元は後回し」
藤原先生はとても機嫌良さそうに力説しながら、物理基礎の教科書をパラパラと捲る。彼は、今回は物体の運動(平均の速さと瞬間の速さ、等加速度直線運動、速度の合成と分解など)についての説明を行った。
「おまえさんら、第一回目の授業どうやった? 物理っちゅう科目は数式がようさん出て来て難しいわーって感じたやつも中にはおりますやろ? ノープロブレム、じつは物理はめっちゃ簡単ですねん。センター試験理科で一番満点採りやすいぞ。物理っちゅうもんは、字の通り物の理や。物理現象は日常生活あらゆる所に溢れかえってます。数式なんか使わんでも理解は可能やねんで。というわけで次の授業の時、来週水曜一時限目やな。三宮駅前に集合してくれ。ワシが目から鱗の物理授業をお見せいたします!」
最後にこう熱く告げて、授業終了のチャイムが鳴ると同時に教室から走り去った。
休み時間、四人は友梨の席を中心に集まる。
「わたし、あの先生すごく気に入ったよ。道のり=時間×速さを〝道一は十分に禿げだ〟って覚えてやーには笑ったよ」
「インパクトあったわね。古文か日本史教えた方が似合ってるような」
友梨と菜都美はしゃべり合う。
「藤原先生の本当のお生まれは神戸のお隣西宮市で、大の阪神タイガースファンなの」
閧子は二人に教えた。
「確かにこてこての関西人って感じだったね。これからの物理の授業、すごく楽しくなりそうだよ。徳島先生もだけど、この学校ってユニークな先生が多いの?」
友梨はわくわくしながら尋ねる。
「あの二人が特に強烈過ぎただけなんよ。あとはごく普通の先生ばっかりや」
早帆はさらっと告げた。
「なあんだ、もっと面白い先生いっぱいいてほしいな」
友梨は少しがっかりとした。
「ただ単に面白いだけの先生より、授業の分かりやすい先生の方がいいな。あたしは不安よ、あの藤原ってやつ。板書、教科書に載ってることをそのまま書き写してるだけって感じだったし」
菜都美は眉を顰めた。
四時限目までの授業が終わり、お昼休み。
すっかり仲良くなった四人は、友梨の席を中心にイスを寄せ合い、おしゃべりしながらお弁当を口にする。
「そういや来週月曜は、身体測定と健康診断があるのよね」
菜都美はため息交じりに告げた。
「体重測定は憂鬱な気分になるよね。ワタシ、去年より絶対増えとるわ」
早帆も苦い表情で呟く。
「あたし、それはあまり気にならないんだけどね……」
「ところでユリとナツミンは、理数コース来たってことは何かしら興味惹かれたんやろ?」
菜都美が何か言おうとしたのを遮るように、早帆は興味心身に尋ねた。
「そうだね、理数コースを選んだのは、なっちゃんと三年間同じクラスになれるからよ。わたし、なっちゃんと同じクラスになれたの、小四の時が最後だったもん」
友梨は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに話した。
「そういうことかー、納得、納得」
早帆はくすくす笑う。
「あたしも同じ理由、加えて家からも近いから。けど、あたしも友梨ちゃんも数学と理科、ものすごく苦手だし。なんでこんな秀才ばっかり集うこのクラスに入学出来たのか今でも不思議に思うよ」
「普通コースでも無謀だって中三の頃、担任と進路指導の先生に何度も呼び出されて散々言われたよね。合格伝えた時はめちゃくちゃ驚かれたよ」
菜都美と友梨は楽しそうに思い出を語り合う。
「この学校の入試って、内申書の点数は考慮されず当日一発勝負やからね。毎年番狂わせの合格者が数名出るみたいなんよ」
早帆はさらっと伝えた。
「わたしやなっちゃんは絶対そのタイプだね。本来合格出来る様な成績じゃなかったし。わたしもなっちゃんも中学の時の定期テストの成績、学年二百人足らずの中で良くて五十番代だったから。普通の公立校で」
「あたしと友梨ちゃん、ほんとにいつも不思議なくらい互角の争いしてたね。奇跡でも何でもあたし、こんな面白い学校に入れてよかったよ。でも卒業、というか進級出来るかが心配だな」
菜都美の表情はやや暗くなる。
「部活動に打ち込むのもいいですよ。何か入る予定はありますか?」
閧子はミートボールをモグモグ食べながら、二人に質問した。
「わたしは、入る予定は無いなあ」
「あたしは悩んでる。スポーツ苦手だし、入るとしたら文化系。パンフレット見たけどこの学校の部活って、すごい数あるよね。唱歌部とか物理部とか数学部とか阿波踊り部とか、今まで聞いたこともないユニークな部活もいっぱい」
「ねえ、クイズ研究会とかどう? すごく楽しいみたいよ。毎年開かれてる高校生クイズ選手権にこの学校を代表して出場してるんよ。まあ地区予選すら突破出来たことは今まで一度もないみたいやけどね」
早帆は勧めてみるも、
「うーん、それはちょっとね。あたし、頭悪いし」
菜都美は即却下した。
「やっぱダメか。まあワタシも暗記物は苦手やから入らんかったし」
「ときちゃんはその部に入ってるの?」
友梨は尋ねてみる。
「いえ、大会に出場すると皆から注目浴びて恥ずかしいし、それに私や早帆さんはテストの成績が一位二位であって、こうゆう雑学や、大学レベルの知識も駆使しなきゃならないのには対処出来ないよ。私は帰宅部なの」
閧子はきっぱりと言う。
「ワタシもあの子達のようなずば抜けた才能には敵わんわ。ワタシもトッキー同様帰宅部なんよ」
「じゃ、あたしも帰宅部でいいや。部活入ったら勉強にますますついていけなくなっちゃいそうだし」
菜都美の入部意欲は一気に消えた。
「あっ、あのう……わたし、おしっこしたくなっちゃった。ちょっとトイレ行ってくるね」
友梨はそう一言告げて、ガバッと立ち上がった。
「友梨ちゃん、あたしも行くよ」
「ワタシもちょうど行きたくなって来た」
「じゃあ、私も行く」
連鎖反応のように、三人もあとに続いた。
「一組の教室って、トイレまでけっこう遠いよね。ところで学校案内図見て疑問に思ったんだけど、この学校って女子校なのに男の子用のおトイレも同じ数あるんだね」
「それ、あたしも不思議に思った。女子校にある男子トイレって、普通は職員用だけよね」
友梨と菜都美は廊下を歩きながら、訝しげな表情を浮かべる。
「この学校、共学なんよ。中高共にね」
早帆はさらっと言い張った。
「えええっ!!」
「うっそ!」
共学と聞かされ、友梨と菜都美は驚愕する。
「やっぱ驚いてるね。まあ無理は無い。校名に女子って付いてるからね」
早帆は事も無げに話す。
「共学校なのに女子って名前が付いてるのは、普通考えられないでしょ」
「おかしいよね」
菜都美の意見に、友梨も同調する。
「共学化に伴う校名変更がなかったのは、伝統校の名前を易々と変えれるかーって卒業生や在校生からの猛反発があったっていう御もっともな理由があるんよ」
「開学百数十年。共学化されてからは二十数年が経ったけど、男子生徒は未だ誰も入学したことが無いの」
早帆と閧子は詳らかに教えた。
「そりゃ男の子入って来るわけないよ。もし入っても、高校どこって訊かれたら返答に困っちゃうだろうし」
菜都美は大笑いする。
「けど女子って校名に付いたまま男子受け入れるの、今は改名したかつての中京女子大がやってたっしょ。ワタシはとっても面白い試みだと思うけどね」
早帆はこう主張した。
「もう今では、男子トイレも女子トイレと見なして使われてるの。ほら」
閧子は男子トイレの入口を手で指し示した。確かに男子トイレの中から女生徒達が出てくるのが確認出来た。
「お二人も使ってみる? 名ばかり男子トイレ。ワタシはしょっちゅう使ってるよ」
早帆は勧めてくる。
「うーん、どうしようかな。女子トイレと同じように扱われてるんだよね」
「入って、みよっか? 男子トイレ入れる機会なんてまずないし」
「そうだねえ」
友梨と菜都美はそれほど悩むことなく、使うことに決めた。
早帆と閧子は、従来からの女子トイレの方へ足を向ける。
「あれ? こっち使わないの?」
菜都美は呼びかけた。
「うん。二人っきりの方がいいムードになれるやろうし」
「水入らずの所を邪魔するのは悪いです」
早帆と閧子は申し訳なさそうに伝える。
「あたしと友梨ちゃん、恋人同士じゃないって。じゃ、いってきまーす」
「さほちゃん、ときちゃん、またあとでね」
菜都美と友梨は笑顔で手を振り、一旦別れた。
「失礼します」
「おじゃましまーす」
その二人は男子トイレ入口前で一旦立ち止まり、紳士のマークで表されたピクトグラムを一瞥してから足を踏み入れた。
「小便器、なんか新鮮。男の子はこれに向かって立ちションしてるのね」
「わたしも間近で見たのは初めてだよ」
さっそく、壁に引っ付くように並べられた小便器へ近寄る。数秒眺めたのち足の向きを変え、個室へ向かおうとしたところ、小便器からジャーっと水が流れ出した。離れると自動的に反応するタイプだったのだ。
「無駄に高級ね」
「使わないのにね」
菜都美と友梨はその設備に感心する。個室は、全部で四つあった。入口側から見て前から二列目に友梨、三列目に菜都美。二人は隣り合わせになるように個室へ入り、忘れず鍵をかけた。
「あたしんとこ洋式だ。友梨ちゃんとこは?」
「和式だよ」
仕切り越しにおしゃべりし合う。
「和式かあ。こっちはウォシュレット付いてるよ。音姫も付いてるのね、さすが私立校ね。設備もかなり充実してる。中学の時は無かったから、いつも水流しながらしてたよ」
「音聞かれるのは恥ずかしいよね。音姫はこっちにもあるよ。んっしょ」
友梨は和式便器を跨ぎ、スカートの中に手を入れてショーツを膝のあたりまで脱ぎ下ろした。続いてしゃがみ込み、壁に設置されている音姫のスイッチを押す。
すると鳥のさえずり音が流れて来た。
菜都美も同じようにしてショーツを脱ぎ下ろし、便座にちょこんと腰掛けた。そして音姫のスイッチを押した。
「わっ、すごーい」
菜都美は声を出して笑う。
トルコ行進曲が流れて来たのだ。
「ふぅ」
用を足し終えた友梨は、一息つくとトイレットペーパーをカラカラ引いて千切り取り後処理を済ませ、音姫の切ボタンを押した。
「ハァ、すっきりした」
ほぼ同時に菜都美の方も用を足し終え、一息ついた。続けてウォシュレットのスイッチを押す。するとヴーッと起動音がしたのち、ノズルから温水が噴き出て来た。菜都美の局部を直撃する。
「ひゃっ! 勢い良すぎっ」
水量にちょっぴり驚き、菜都美はすぐに停止ボタンを押した。
「あっ、ここ紙無いじゃん。どうしよう、困った。ポケットティッシュ持ってるけど流すと詰まっちゃうし……そうだ! あの、友梨ちゃん、紙余ってたら譲ってくれない?」
「うん、いいよ」
菜都美からの要求に、友梨は快く応じる。ホルダーからトイレットペーパーを取り外し、仕切りの下側十センチほど開いている隙間を利用して、菜都美のいる側へ転がした。
「ロールごとって。ちょっとだけでいいのに」
菜都美は笑いながら伝える。
「あれ? 大きい方したんじゃなかったの? ウォシュレット使ってたよね?」
「学校のトイレでやるわけないって(笑)。さっきはビデのスイッチ押したの。まあでもサンキュー」
菜都美は赤面させながら礼を言い、後処理を済ませた。
「友梨ちゃん、これ返すね」
隙間から手を伸ばし、余った分のトイレットペーパーを差し出す。
「ありがとう」
友梨は中腰姿勢で受け取る。ホルダーに戻し、水を流して個室から外へ出た。
菜都美もほぼ同じタイミングで出て来た。
「いやあ、紙無くてちょっと焦ったよ」
「たまにあるよね、そんなこと」
二人はおしゃべりしながら手洗いを済ませ、男子トイレから廊下へ出た。
「あっ、出て来た」
「ユリ、ナツミン、おかえり。男子トイレへ入った感想は?」
一足先に用を足し終えていた早帆と閧子は、男子トイレ入口横で待っていた。
「やっちゃったって感じ、ちょっと罪悪感に駆られたよ」
菜都美は微笑みながら答える。
「この学校の女子トイレ同様、広くてきれいでとっても快適だったよ。トイレットペーパーの拭き心地もすごく良かったし」
友梨も満面の笑みを浮かべて大満足していた。
お昼休みは一時間。五時限目開始は午後一時十分からだ。金曜日は化学基礎が組まれてある。
「それでは、とりあえず元素記号名の復習から始めましょう」
教科担任は六十代前半のお爺さん先生。亀のようなゆったりのんびりとした口調で授業を進めておられた。面白いことに彼の苗字は雲丹亀と、亀が付いていらっしゃるのだ。
「Moは、何の元素記号か分かるかな? 菖蒲さん。教科書は開かずに答えてね」
「……」
友梨は指名されたことにも気づかず、すやすやと眠っていた。
「おやおや? お休み中」
雲丹亀先生は友梨の席へ、これまた亀のようなゆっくりとした速度で歩み寄り、
「おーい」
と、一声かけた。
「……」
友梨は、まだ目を覚まさず。
困った雲丹亀先生は、ある行動に出た。
「起きて下さいなー」
友梨のうなじを指示棒で軽くチョン、チョンとつついたのだ。
「はっ、はう!」
すると友梨はビクンと反応し、パチッと目を覚ました。
「おはよう菖蒲さん」
「……あっ、寝ちゃってたんだ、わたし。いっけなーい」
垂れたよだれを制服の袖で慌ててふき取る。
「季節もようなって、お昼ご飯食べたばかりで眠たいところやろうけど、今授業中やでえ。ところで、さっきから質問なんやけど、Moは、何の元素記号を表すか答えてね。ちょっと難しいかな?」
雲丹亀先生は優しく問いかける。
「えっと……エムオーエムオーエムオー、モ、モ、モン……モンブランだ! わたし、あのケーキ大好きーっ」
友梨はお目覚め爽やかスマイルで質問に答えた。
その瞬間、他のクラスメート達からドッと笑い声が起きる。
「菖蒲さん、まだ寝惚けてるね」
雲丹亀先生もにっこり微笑んだ。
「あれえ? 違うの? じゃあ……モルディブ共和国かなあ? インドの南にあるよね、そんな国」
友梨がこう答え直すと、クラスメート達からの笑い声はさらに高まった。
「モから始まるのは正しいんやけど……」
雲丹亀先生はやや困り顔。
「分かったこれだ! モホロビチッチ不連続面。中学の時、理科の授業で先生が言ってたこの言葉、今でもすごく印象に残っているよ」
友梨はきりっとした表情で三度目の回答をする。
今度はクラスメート達から、なぜか拍手まで送られた。
「菖蒲さん、確かにモンブランもモルディブ共和国も、モホロビチッチ不連続面もローマ字にするとMoで始まるんやけど、それは全く違うでえ。そもそも元素記号名じゃないよう……まあ、いいや。ではこの問題は……松尾さんに答えてもらおう」
雲丹亀先生は苦笑いしながら閧子を指名した。
「モリブデンです」
閧子は即答する。
「はい正解。お見事。ちなみにモリブデンは、人体の必須元素の一つであることをこのクラスの子ならご存知だよね」
雲丹亀先生はそう告げながら、ゆっくりとした歩みで教卓へと戻っていった。
(よかった。わたし、叱られるかと思ったよ。ときちゃんすごいな)
友梨はホッと一安心する。彼女以外にも何人か、居眠りしている生徒はいた。堂々とマンガやライトノベルを読んでいる子もいた。さらには携帯ゲーム機で遊んでいる子までいた。けれども雲丹亀先生はそんな子達のことは注意もせず、完全放置して授業を進めておられた。
次の六時限目、情報の科学の授業は移動教室。一組のクラスメート達はコンピュータルームへ。四人はおしゃべりしながら廊下を歩く。
「ユリ、あの答えはないやろ」
早帆はくすくす笑いながら友梨に話しかけた。
「だって、全く分からなかったんだもん。モリブデンなんて元素、聞いたことないよ」
友梨は照れ笑いした。
「友梨ちゃん何か言ったの? あたし、いつの間にか寝ちゃってて気付かなかったよ。睡魔に襲われるヒーリング授業だったね。まだ眠ぃ」
そう言って、菜都美は一回あくびをした。
「あの先生、のんびりしてて優しい先生だよね。まさに瀬戸内育ちって感じだよ」
「雲丹亀って苗字もまた素敵ね」
友梨と菜都美は化学の授業が好きになれたようだ。
「趣味は釣りなんやって。淡路島へ毎週のように海釣りに行ってるみたい」
早帆は教える。
「へぇ。見た目通りの趣味持ってるのね」
菜都美はにこっと笑った。
「私も雲丹亀先生の授業、とても気に入ってるの。でも一つ気をつけて。成績はけっこう厳しくつけるみたいだから。授業態度も常にチェックしてるよ」
閧子は二人に警告する。
「やばい。わたしさっき居眠りしたの、減点されちゃったかも」
「あたしも次から気をつけないと」
友梨と菜都美の気は、少し引き締まった。
コンピュータルームには、最新式に近いデスクトップパソコンが50台ほど設置されており、一人一台ずつ利用出来るようになっていた。四人は近くに固まるようにして座る。
「あたし、この授業一番好きになりそう。インターネットやり放題だもん」
「わたしもこの授業すごく楽しみにしてたよ」
菜都美と友梨はパソコンを前に、期待に溢れていた。
授業開始のチャイムが鳴り、入口の自動扉が開かれ、教科担任が入室する。
「え!? またあいつなの?」
菜都美は思わず声に出した。
「その通りっさ河南さん。丸聞こえだよーん」
現れたのは、徳島先生だった。数学Ⅱに加え、この授業も兼任していたのだ。
「やっぱ嫌な授業になるかも。課題いっぱい出されそう」
菜都美はため息交じりに言い、顔をしかめた。
「わたしはあの先生でもべつにいいよ、パソコンで遊べるし。さっそく占いゲームしようっと」
電源ボタンを入れ、生徒それぞれに振り分けられている学生番号とパスワードを入力することで起動するような仕組みになっている。セキュリティ対策も万全なのだ。
「おーい、きみ達。ちゃんと今日の課題済ませてからにしてねーん」
授業開始から十五分ほど経った頃、四人でわいわい騒いでいるところへ、徳島先生が苦笑いを浮かべながら近寄って来た。
「えー。初授業なのにいきなり課題があるんですか?」
菜都美は嫌そうな表情で切り返す。
「当たり前じゃないかあ。遊びじゃないんだよん」
徳島先生はふぅとため息をつく。
「ねえ、徳島先生。パソコンが大好きなんですよね。さほちゃんから聞きました。一日どれくらいやってるんですか?」
友梨は嬉しそうに彼に話しかけた。
「うーん、そうだなあ、平日五時間、休日十時間くらいじゃないかなあ。パソゲーで遊んだり、動画投稿サイトをウォッチしたり、プログラミングしたりして有効に活用してるよん。プログラミングといえばワタクシさ、本当はゲームクリエイターになりたかったんだよねん」
「その方が教師よりもずっとお似合いですね」
菜都美は相槌を打つ。
「そう思うだろう。けどさあ、ワタクシのパパママに大反対されてさ、仕方なく教師になってあげたんだよん。ワタクシ専門学校へ行来たかったのに、あそこはプータローの養成所だからとか言われて四年制大学行かされてさ。ワタクシの家系、代々教師ばかりなんだよねん。ママもパパも教師だし。グランパは校長先生もやってたんだよん。そんでワタクシも半強制的に教師にされちゃったわけさ」
徳島先生は不平を独り言のようにぶつぶつ呟く。
「子どもの頃はテレビゲーム禁止されてたんですね。ちょっとかわいそう。あたしはもとからあまりやらないけど。どっちかっていうとアニメを見る方が好きだなあ」
「テレビゲームで遊ぶこと自体はワタクシ世代のヒーロー、高○名人が提唱しておられた一日一時間どころか何時間でも思う存分、自由にやらせてもらえてたよん。欲しいゲームは何でも買ってもらえたよん。ただね、条件としてゲームを職業なんかにしちゃ絶対にダメだって厳しく言われてただけなのさ」
「先生のご両親の気持ち、あたし分からなくもないな。ゲームクリエイターっていったら、連日徹夜続きで、安月給でこき使われる過酷な労働環境みたいですし。アニメーターよりはマシみたいですけど。中学の時、テレビゲームやアニメ、マンガにも否定的で昔気質な、横山って先生がおっしゃってましたよ」
「そういえばワタクシの小学校時代からの友人、漫画家目指してたよん。『ボクちん将来はジャ○プで連載して、アニメ化したらヒロインを林原め○みさんと三石○乃さんに演じてもらうんだ!』って宣言して、高校卒業後は某予備校みたいな名前の教育施設に進んだんだけど、そこ卒業して以来二十数年経った今でもずっとニート兼ヒッキー続けてるなあ。ママやパパの言ってたことはあながち嘘ではないことがよく分かったよん。大学進学を勧めてくれたことに今では感謝してるさ」
「確かに横山も、そういう系のとこ進んでも、その道で食っていけるのは極々一部の才能に恵まれたやつだけだっておっしゃってました」
菜都美は楽しそうに、徳島先生と会話を弾ませる。
「そういやワタクシ、就活の時はママと揉めたなあ。大反対を押し切って受けたんだよん、ゲーム会社。プログラマーにデザイナー、プランナー、サウンドクリエイター……どの職種も作品選考と筆記までは大方通るんだけど、面接でことごとく落とされ続けて結局はどこからも雇ってもらえなかったっていう悲しい思い出もあるのさ。ワタクシ、あの時惜しくもゲームクリエイターになれなかった悔しさをバネにして、最近はホームページに趣味で自作したゲームを公開するようになったのさ」
徳島先生はどんなもんだいと言わんばかりに自信満々に語る。
「徳島先生すごいですね」
「ゲームが作れるなんて、天才じゃん」
友梨と菜都美はそんな彼を褒めてあげた。
「いやいやあ、それほどでもないよん。とりあえずC言語、C♯、C++、Javaを覚えて、DirectXやOpenGL、XNAなんかの使い方をマスターすれば、誰でも手軽に本格的な3Dゲームを創作出来るのだよん」
「? 聞いたことのない用語だらけでわたし、先生の言ってることがよく分かりません」
「あたしもさっぱり」
「そうだろうな、高等学校レベル以上の数学と物理の知識も必要だし、菖蒲さんと河南さんには難し過ぎて理解は絶対不可能だよん」
徳島先生はにやけ顔で言い張った。
「今の発言さりげなくひどいですよ」
「あたし、独学してやるもん」
友梨と菜都美はぷくぅっと膨れる。
「まあまあ、C言語の基礎はもう少ししたら教えてあげるから楽しみにしててねーん」
「トクシマンの作ったゲームって、どんなんかめっちゃ気になるーっ」
早帆は興味津々な様子で、徳島先生のお顔を見つめた。
「ふふふ、見たいかい? しょうがないなあ。お見せしてあげるよん」
徳島先生はこう告げてURLをキーボートで打ち込み、彼が製作したというホームページを開いた。
「ほほう、『徳島クトナルド』か。なかなかセンスのあるタイトル付けたね」
早帆は感心しながらページ内のリンクボタンをクリックしていく。
「マ○ドのパクリですよね?」
閧子はくすくす笑いながらツッコミを入れた。
「ありゃま、算数パズルとか中心にまともな学習系ゲームばっかじゃん。意外や意外。ワタシがイメージしてたアレ系のとは全然ちゃうね」
「おいおい浦上さん、変なイメージするなよーん」
徳島先生は照れ笑いしながら頭を掻いた。彼はさらに話を続ける。
「ワタクシはねえ、算数嫌いな子供達に、算数というのはとても面白いものなんだよってことをもっと教えてあげたいのさ。苦手な教科を勉強するというのは嫌なことだけど、ゲームという媒体を使えば親しみを持ってくれやすくなるだろ。子供達に算数を、ゲームで遊びながら楽しく学んでもらう。そうなってくれたら、ワタクシとしてもとても嬉しいのさ。ここで嫌いになっちゃった子は、中学高校に入ってますますついていけなくなるだろうからねん」
「あ、分かります。わたしも小学校の頃から算数大嫌いでしたし」
「あたしも数式とかグラフとか図形とか、見るだけで頭痛くなってきますよ」
友梨と菜都美はにこにこ笑いながら打ち明ける。
「じゃあなんで理数コースに来た、というか入れたのか摩訶不思議だな」
徳島先生はくすっと笑う。彼はこのあともしばらく、自身が小学生の頃に遊んだゲームソフトの思い出話を四人に語ってあげた。その時の彼の表情は、おもちゃに夢中になっている幼い子供のように、とても生き生きとしていた。
七時限目は現代社会。笹ノ丘女子高等学校では理数コース普通コース共に、水曜日以外はこの時限まで授業がある。担当は男性。どこの学校にでもいそうな、没個性的な感じの先生であった。
終了は午後三時四十五分。そのあと、帰りのホームルームが行われる。
「皆さん、お待たせしました」
保母先生は、掃除の担当箇所を発表した。
高等学校一年一組が割り当てられているのは教室、廊下、下駄箱、化学実験室、トイレの五箇所。全十班のうち、五つの班が当番に当る。今日と、来週一杯当番となっていたのは奇数班。つまり友梨達の班はこれで自由解散となっていた。
「あの、ユリにナツミン。今から学食にデザート食べに行こう。ワタシが奢るよ」
早帆からのお誘いに、友梨と菜都美は快く乗った。
体育館校舎一階に、学生食堂がある。
「二人にお勧め、笹女学食名物バラエティフルーツパフェや」
早帆は二人に、その名のメニューを注文してあげた。
グラスに詰められたアイスクリームの上に白玉、チョコレート、バナナ、チェリー、いちご、桃、マスカット、メロンなどがトッピングされている。
「これでも三百円なの」
「へぇ。とっても豪華なのに、その辺の喫茶店よりずっとお手頃価格ね」
「美味しそうだーっ。いっただきまーす」
菜都美と友梨はスプーンを手に持ち、満足そうに味わっていく。
「ねえ、今度のお昼も学食で食べない?」
「あたしもそうしたーい」
食べ終えたあと、こう提案してみる。
「そうやね」
「もちろんいいですよ」
早帆と閧子は、快く賛成してくれた。
学生食堂すぐ隣には、購買部が併設されている。書籍や文房具類、お菓子、お弁当、日用品のほか学内オリジナルグッズも販売されており、コンビニエンスストアのような役割を果たしていた。食堂をあとにした四人は、そこへ立ち寄る。
「東大京大の過去問や大学への数学、冊数かなり揃えてるね」
「さすが、進学校ね」
友梨と菜都美は学習参考書の品揃えにほとほと感心していた。
「でもラノベやマンガもけっこう置いてあるわね」
すぐ隣の棚を見て、菜都美は突っ込む。
「売れ行きはマンガ・ラノベの方が遥かにいいみたいよ」
閧子は伝えた。
早帆以外の三人は、書籍コーナーを楽しそうに物色する。
「ねえトッキー、これ、レジで支払って来て」
しばらくのち、早帆が割り込んで来た。
「――っ」
閧子は早帆から手渡されたものを反射的に突き返す。それは、思春期を迎えた女の子が月一回ほどのペースでやって来る、あの現象を補助するアイテムだった。
「トッキーもそろそろ用意しといた方がいいと思うよ」
早帆はくすくす笑う。
「あたし、美少女系のアニメ雑誌やマンガやグッズとかは平気で買えるんだけど、生理用品は絶対無理」
「わたしもなっちゃん気持ちよく分かるよ。いつもお母さんに買って来てもらってる」
「そんなに恥ずかしいかな? ワタシは店員が男でも抵抗なく買えるけど。ところでさ、ナツミンって、そういう系のアニメが好きなん?」
早帆は興味津々に尋ねて来た。
「うん、大好き。特に深夜にやってるやつ」
菜都美はちょっぴり照れくさそうに打ち明ける。
「じつは、ワタシもなんよ。アニラジもよく聴くし、深夜アニメもいっぱい見てる。ア○メイトもよく利用してるよ」
早帆は嬉しそうに言った。
「えっ! 意外ね。早帆ちゃんってなんか渋谷とか原宿歩いていそうな、いまどきの感じの子なのに」
「やっぱアニヲタっぽくは見えないかな?」
早帆は照れ笑いする。
「見えない、見えなーい」
菜都美はくすくす笑いながら言う。
「オタク趣味なのはかまわないけど、身なりだけはちゃんと綺麗にしなさいってママに言われてるねん。ナツミンは、深夜アニメはいつ頃から見始めたん?」
「中一の頃からかな。徹夜でテスト勉強してる時に、テレビ付けたらアニメやってて、なんか惹き込まれちゃって」
「ワタシときっかけそっくりやね。ワタシは小六の時、中学入試の勉強を徹夜でしてた時にね。ブルーレイとかCDは買ってる?」
「滅多に買わないな、欲しいんだけど母さんお小遣いほとんどくれないから」
「ワタシもなんよ。中高生にとっては高過ぎるよね?」
「ほんと、ほんと。もう少し値下げして欲しいよね。早帆ちゃんBLは好き? あたしは苦手なんだけど」
「ワタシも苦手なんよナツミン。男の子が視るような美少女萌え系の方が好き」
菜都美と早帆は、趣味話に実が入る。
「BLって何?」
友梨はきょとんとした表情で口を挟んだ。
「ゆっ、友梨ちゃん、それはね……」
菜都美は返答に戸惑う。
「ブッ、ブレインロジック(Brain Logic)の略なんよ。頭脳論理」
早帆は慌てて答えた。
「よく分からないけど、頭良さそうな子が読む難解な本みたいだね」
と、友梨は解釈する。
「そや、そや」
早帆は焦りの表情を浮かべていた。
「あっ! あそこ、アインシュタインさんの絵が描かれてるTシャツが置いてる。他にもマグカップとか顔を模ったクッキーとかも売られてる」
友梨は突然大声で叫び、前方を指差した。菜都美と早帆は、ほかに興味が移ってくれたことに安心した。四人はその商品のコーナーへ立ち寄る。
「不思議な魅力があるよね、このお方。豆知識だけど、アインシュタインさんが大正十一年に初来日した際、最初に訪れたのが神戸だったの。そこで、この学校でも彼の偉業に敬意を称えて、こうしたグッズを展開するようになったらしいの」
閧子は微笑みながら教えた。
「この学校も見学していったらしいんよ。まあ嘘やろけど。アインシュタイン・フェアはしょっちゅうやってるよ。ワタシもこの天才物理学者のグッズはいくつか持ってる。ステッカーとかねんどろいどとか」
早帆は嬉しそうに話す。
「あれ? そういえばアインさんって、頭に釘がグサッて刺さってなかったっけ?」
「友梨ちゃん、それはフランケンシュタインさんよ」
疑問を浮かべる友梨に、菜都美はツッコミを入れた。
「あっ、そうか。そっちは怖いから大嫌い。アインさんは舌をペロリンって出してるやつ、すごくかわいいよね。ペ○ちゃんみたい。きっとアインさんもお菓子が大好きだったんだろうな」
友梨はそのTシャツを手に取り、うっとり眺める。
「でも夜中に目が光ると怖いかも。どうしようかなあ」
数十秒考えた挙句、そのTシャツを購入することに決めた。意気揚々とレジへ持っていく。
「友梨ちゃんも変わったもん好きね」
菜都美はにこにこ微笑んでいた。
「一五八円です」
「わー、ほんとに安い。値札の通りだ。0を一つ付け忘れてるんじゃないかって思ってたよ。これ、お部屋の壁に飾ろう」
会計を済ませ、友梨はご満悦。購買部ではその他にもレオナルド・ダ・ヴィンチやヴェートーベン、徳川家康や坂本龍馬などなど、歴史上の偉人グッズが多数販売されていて、生徒達にかなり売れているらしい。
(奇妙なグッズにされた当の本人は草葉の陰でどう思ってるのか私、ちょっとだけ気になるな)
閧子はにんまり微笑みながら、商品棚を眺めていた。
こうしているうちに時刻は午後六時を回った。残っている生徒は下校するように促す校内放送が流れ始める。今の時期は、最終下校時刻は午後六時半だ。
「そろそろ帰らなきゃ」
友梨は正門の方へ足を向ける。
「あっ、ちょっと待って。もうすぐ面白いものが見られるから」
閧子はそう呼びかけ、三人を体育館へ繋がる二階渡り廊下へ案内した。
「あそこを見て」
小声でそう告げ、北側を手で指し示す。
「ん? あれは、トクシマンやない?」
早帆は目を見開いた。
「あ、ほんとだ。なんかきょろきょろしてるわね」
「言ったら悪いけど、全然知らない人が見たら不審者に思われちゃうかも」
菜都美と友梨は食い入るように眺める。
四人のいる場所から三十メートルほど離れた裏門の所に、徳島先生が立っておられるのが見えた。
それからほどなくして、そこに自動車が止まった。そして中から、女の人が降りて来た。
「うわっ、すごい高級外車ね、長っ。ひょっとして徳島先生の彼女? いや、違うかな。七〇くらいだし。もしかして、母さんとか?」
「大当たりよ菜都美さん、徳島先生は毎日お母様に送り迎えしてもらってるみたいなの。昨日、忘れ物取りに学校へ戻った時偶然見ちゃった。このことはみんなにはナイショにしといてねって言われたけど。どうしても教えたくって」
閧子はにこにこしながら話した。
「本当?」
菜都美はきょとんとなる。
「あらまあ、トクシマンったら、かわいい一面あるね。ワタシも今まで知らんかった」
早帆はくすくす笑い出した。
「いいなあ、お母さんが毎日迎えに来てくれるなんて」
友梨は羨ましそうに、ママに手を引かれお車に乗せられる徳島先生を眺める。
「そうかな? あたしは絶対嫌だな」
菜都美は笑いながら意見した。
「なんといっても徳島先生は芦屋のお坊ちゃんだからね。あの六麓荘に住んでるってお母様は自慢されてたの」
閧子は嬉しそうに教えた。
「それはすごいね。わたしやなっちゃんと住む世界が違いすぎるよ」
「やっぱそうやったか。名前からしてお坊ちゃんっぽいし」
「ってことは、メイドさんとか執事さんとかいたりして」
かくして友梨、早帆、菜都美の三人も、徳島先生の知られたくない恥ずかしい秘密を知ってしまったのであった。