君と僕、カチューシャ、Bitter Sweet.
建山秀が妹の異変に気が付いたのは、十二月初めのある日の夕飯の時だった。
小学二年生の妹、澪はおっとりとした性格で、まだ中学二年生の兄を臭いだの汚いだの言ったりしない。むしろ困った時には率先して「お兄ちゃん」を頼ってくれる可愛らしい女の子だ。
なので秀は、妹が明らかに「泣きはらしました」なんて顔をしていたら放ってはおけず、可愛い髪留めで二つ結びにしている小さな頭をぽんぽんした挙句、「みぃ、どうした?」なんて聞いてしまったりする。
「あのね、あのね」
大好きなミートソーススパゲッティが目の前でほかほかと湯気をあげているのに、まったく手を付けようとしない、小学二年生の落ち込んでしまった理由。
「ユウとタイキの日記帳が壊れちゃったの」
またしくしくと泣きだす妹に、母はこれ見よがしに盛大にため息をついてみせる。
「もう、仕方ないでしょ? 雑誌の付録なんてすぐ壊れちゃうに決まってるんだから。いつまでも泣いてないで早く食べなさい」
なんだかんだでスパゲッティはしっかり完食したものの、ここまで落ち込んだ妹は初めて見た、と秀は食後、改めて話を聞こうと妹の部屋を訪れていた。
目尻に涙を浮かべつつ澪が取り出してきたのは、安っぽい石でデコられた鍵付きの日記帳らしきノートだった。表紙にはデフォルメされた少女漫画のキャラクターが描かれており、ローマ字で「DAISUKI」だの「NAISHO!」だの、見ているだけでこっぱずかしい。
「ああ、なるほど。鍵がね」
日記帳の外側は箱状になっており、小さな南京錠が付いている。そのU字型の部品は伸びきって、ピクリとも動かない。
「こういう鍵、ホームセンターに行けば売ってるだろ? 兄ちゃんが買ってきてやるよ」
秀は世界一デキるお兄様スマイルを浮かべてキメたのだが、哀しみに暮れた澪は首をブンブンと振ってそれを拒否した。
「違うの、これは、ユウとタイキの内緒の鍵だから。これじゃないとダメなの」
ユウとタイキってなんじゃい、と当然兄は思う。しかしその疑問は、日記帳を裏返すとすっかり解消された。
固い箱状の日記帳の隅には、小さな字でこう印字されている。
月刊かちゅーしゃ7月号付録 YU☆YOU☆YU 秘密のカギつき日記帳
文字の上には女の子のキャラクターと男の子のキャラクターが照れくさそうな顔で並んでいて、おそらくこれが「ユウとタイキ」なのだろう。
壊れて動かなくなった錠前にはハート型の模様が付いている。その下に「YU&TAIKI」と彫られており、付属の小さな鍵にもピンク色のラインストーンがあしらわれていた。
「大事なのは日記帳本体の方だろ? 鍵は壊れちゃったんだから仕方ないよ。代わりのをつけたらいいいんじゃないか?」
「駄目だよお」
妹曰く。この鍵は今「かちゅーしゃ」で最もアツい連載である「YU☆YOU☆YU」のヒロインであるところの結に、幼馴染でかつ片思いの相手である大樹が、色々あって散々すれ違った挙句初めて、しかも誕生日にプレゼントしてくれた「鍵」であり、日記帳よりもむしろ本体はこちらの方だ、という話らしい。
「兄ちゃんに任せておけ」とつい言ってしまった。
どうしても「頼りになる兄」になりたかった秀は、手に入れられる自信も根拠もないのに、そう言ってしまった。
妹は涙を拭いて、ほんとう? なんていう最も言って欲しかった返事をして、最終的にはにっこり笑った。こうなればもう後戻りはできなくて、次の日から秀の秘密のカギつき日記帳探しが始まった。
まず当たった先は近所にある本屋だ。が、時は既に十二月であり、月刊かちゅーしゃ7月号はどこにもない。女子小学生向けの雑誌をバックナンバーまできっちりと取り揃えているマニアックな本屋も探せば日本のどこかにはあるだろう。もしくは、店主のきまぐれで古い本がいつまでもいつまでもうっかり残っているような店もあるかもしれない。けれど、秀の行動範囲内にあるあらゆる書店はそうではなかった。売れ残った雑誌は返品され、廃棄されるだけ。駅前の行きつけの書店のオッサンにそう説明され、秀は目の前が真っ暗になってしまう。
「でもねえ、出版社でバックナンバーの取り扱いがあるかもしれないよ」
この世の終わりのような顔をした男子中学生を気の毒に思ったのだろう。店主は慌てて秀にこう教え、一筋の光を示した。
帰宅した秀は急いでパソコンの電源を入れ、かちゅーしゃを出版している会社の公式サイトを覗いた。そこに、バックナンバーのご案内は確かにあった。だがしかし。何故なのか、7月号だけは売り切れ。完全な「SOLD OUT」状態でかすかな希望で息を吹き返したはずの秀に止めを刺す。
お兄ちゃん、あれ、手に入ったの?
妹の口は閉じているが、目がそう言っている。ほんのり微笑み、少しだけ訝しんだ顔で兄を見つめている。
今更、やっぱりなかった! あきらメロン! なんて言えない。
可愛い妹だ。小学校からの付き合いである友人の妹は小学一年生なのに口が悪く「勝手に人のモノさわってんじゃねーよクソ兄貴」なんて暴言を平気で吐く。その周囲も、彼氏が欲しいだのなんだの、ピッカピカの一年生のはずなのにとんだおませさん揃いなんだそうな。そんな修羅めいた「女子の国」の住人にならず、まだほんわかふわふわの「おんなのこ」でいてくれる可愛い妹のために、約束した以上、どう考えても頑張りたい。秀は検索用の窓にキーワードを打ち込んで、付録を譲ってくれる親切な誰かがいないか必死で探していく。
オークションサイトに「譲ってくれる人」は存在したが、「YU☆YOU☆YU」は秀の想像以上に人気のある連載だったらしい。もう手に入らない過去の付録は非情なまでに強気な値段で出品されていて、頑張れば払えるけれどもでも、その代り欲しかったアレコレはぜーんぶ諦めなくっちゃね的な値段に、秀は散々葛藤したもののとうとう、ブラウザを閉じてしまった。
次の日、ないとわかっていたのに、秀は再び書店を訪れていた。
だってもしかしたら、もしかしたら。あるかもしれないじゃないか。書店の隅っこにひっそりと、返品の山からポロリと落ちて寂しく誰かを待っていたかちゅーしゃの7月号が……、なんてぶつぶつ呟きながら秀は店に入っていく。
間のぬけた明るいメロディが鳴って来客を告げ、店主は昨日もやってきた男子中学生に笑顔を向ける。
「いらっしゃい。あの雑誌、新しいのが入ってるよ」
店主の指差した先には雑誌の山。昨日は影も形もなかった月刊かちゅーしゃとそのライバル誌の1月号が、仲良く棚の上に並べられている。
もちろんそこに、求めている7月号はない。けれど、その山の前に立っている人物に秀は見覚えがあった。金沢優美、秀と同じ学校、同じ学年、同じクラスの女子生徒、つまり、クラスメイトだ。優美は胸にしっかりと月刊かちゅーしゃ2014年1月号を抱いて、ニヤニヤと笑っている。
建山秀は美少年ではない。ごくごく普通の、顔も頭も平均ど真ん中の少年だ。金沢優美も同じで、顔も成績もスタイルもそこそこの、どういう特徴の人間か説明しづらい普通オブザ普通の少女だった。つまり、秀にとって特別な女の子ではなく、彼女については名前以外ほぼ何も知らないと言っても過言ではない。
「あっ、た、建山君?」
レジに向かおうとした優美と、秀の目が合う。優美は途端に慌て出し、胸に抱きかかえていたかちゅーしゃを後ろに隠した。
「よお」
秀は特に、何も思うことなどなかった。だって興味がないのだから。
「いや、これはね? 別に、大好きとかじゃなくてアレなの。小さい頃からずっと買ってるから! だから惰性で今でもついつい買っちゃうってだけのものなので!」
しかし、優美は唐突に、かつ一方的にこうまくしたてた。何の話か、秀にはよくわからない。よくわからない曖昧な顔のまま頷き、レジの前へ小走りで駆けていく優美を黙ったまま見送って、彼女がダサいカバンから財布をごそごそと取り出している間にチーンと理解した。
月刊かちゅーしゃの主な読者層は、小学生の女の子、それもせいぜい四年生くらいまでだ。表現もソフトであり、いかにも健全な、ちょっとだけ恋に恋したいお年頃予備軍のための夢のあるまんがばかりで中学生が読むような内容ではない。それを、金沢優美は買っている。別にこんな幼稚な雑誌に興味があるとか大好きとかではなく、小さい頃からずっと読み続けているがために、惰性でついつい買い続けてしまっているのだと、彼女は訴えたかったのだ。
「金沢!」
秀の突然のダッシュに、優美はビビる。ビビってお釣りの小銭を八十円分ばら撒いて、あたふたと床の上のコインを追いまわしながら叫ぶ。
「なに? なに? 建山君!」
「お前、七月号の付録、持ってない?」
○
欲しいものを手に入れるためには、相応の努力が必要だ。
学力だってそう。スポーツだって同じ。もう売っていない少女漫画誌のふろくを手に入れるためにも、必要なのだ。
優美は付録を持っていた。しかも未使用の状態で、傷ひとつないピッカピカの完全な美品の「秘密のカギつき日記帳」を所持している、らしかった。
妹のために探していて、もし持っているなら譲ってほしい。正直にそう話した秀に、最初は目を丸くしておどおどとしていた優美だったが、やがて小さく「わかった」と呟いた。書店の前でやった! と叫ぶ秀に、「ただし」と優美は続ける。
その「ただし」ときたら、本当になかった。
妹のためだからと観念したものの、心はブルーの極み。決行はすぐ、明日という無情さだ。
付録の日記帳を譲る条件。それは、「YU☆YOU☆YU」の単行本の二巻に掲載されている、二人の初デートを完全再現してくれというもの。優美が結の役、秀が大樹の役で、漫画の通りのデートをしてくれというのだ。途中で寄るクレープ屋とファーストフードの代金は優美がもつ、という条件に思わず頷いてしまった秀だったが、妹の部屋からこっそり借りた「YU☆YOU☆YU」のコミックを見て、自分の安易さを呪わずにはいられなかった。
そもそも、目と顔ばかりが巨大な少女漫画の絵にも慣れない。そこから出ているキラキラピカピカした安っぽいファンシービームに体を焼かれ、漂う甘ったるい香りに心が錆びて崩れていく。耐えろ秀、頑張れ秀。自分を励ましながら、二人の初恋物語を追っていく。やっと読み終えて、ひとっ風呂浴びる。でも、体の芯がなんだか寒い――。
心の準備が出来ていない。眠れない。変な汗が出る。
じっくりじっくり時が流れて、土曜日の朝。それでも、一応デートだから。いやデートじゃない。こんなのが人生初のデートであるわけがない。そう、仕事だ。これは可愛い妹のための、兄貴の一仕事なのだ。
眠気でふらつきながら顔を洗い、無難なファッションに身を包むと、秀は家を出た。
待ち合わせは駅前近くの公園。そこから電車に乗って、結と大樹がデートしていた場所に近い雰囲気の、ショッピングセンターのあるところまで行くのだ。
約束よりも十五分も早くついて、秀はぼんやりと時計の下のベンチに座る。
「ちょっと! 建山君早すぎるよ!」
後ろからかかった声は、優美のものだ。いつも通りの冴えない顔だが、服装だけはやたらとアグレッシヴ。ショート丈の水色のコートの下は冴えないグレーのホットパンツに腿まで覆うしましまのニーハイソックス、しかもピンクと白という配色。足元は紺色に白い星柄のスニーカーだが、とにかく似合わない。ファッションとしてチグハグ過ぎるし、優美の雰囲気と合っていない。なんでそんな恰好を、と愕然とした秀だったが、すぐに理解した。
これは「結」が着ていたコーディネートだと。
「んもう、ちゃんと読んだの? 大樹は十分遅刻してくるんだよ。わりぃわりぃ、って言いながら来るの」
金沢優美は言った。
妹のために付録が欲しいのはわかった。優しいんだね、建山君って。
わかった、じゃあ譲ってあげる。でも条件があるんだ。これは試練だよ。妹のためにどこまで出来るか、私が試してあげる、と。
「YU☆YOU☆YU」はかちゅーしゃの中で最も人気のある連載。だから、付録にだってプレミアが付く。
それを譲ってほしいんだから、コミックの完全再現をしてもらうね。
考えてみれば、なんのために、と秀は思う。
だがしかし、昨日の夜の澪の微笑みときたら本当にもう天使のようだった。平凡で普通な秀とは違って、澪は可愛いのだ。可愛くて素直なのだ。そして多分これからも、いやらしい意地悪な女の子にはならないはずなんだ。
だから、多少の羞恥プレイくらい、乗り越えなければならない。秀は両手に力を入れて握り、ベンチから去っていく。約束の時間からきっちり十分。「わりぃわりぃ」と言いながら、改めて優美のもとへ走っていった。
「もう、タイキったら遅いよ!」
秀の棒読みっぷりに少し眉をひそめたものの、今日の優美は完全に「結」モードらしい。
プリプリと頬を膨らませる可愛くない顔を、焦点をずらしてぼかしながら、秀は返事の台詞がなんだったか脳内を探す。
「ちゃんと謝っただろ? それより、早く行こうぜ」
正解。
優美はにやーっと笑うと、くるりと回って改札に向かって駆け出した。
ペットショップで子猫を見たり。
ストリートミュージシャンの歌を並んで聴いたり。
クレープを一口かじりあったり。
楽しすぎるデート内容が秀の心をえぐる。
これで相手が好きな子だったら。特に今熱烈に恋している相手はいないのだが、そんな風についつい考えてしまう。
「もータイキったら!」
タイキじゃねえし。
そんな反抗も意味はない。だってこれは仕事だから。夢のようなデートを、好きでもない、そんなに知りもしないごく普通の顔のクラスメイトの女の子と再現するっていう、苦行だから。
「ポテトもーらい!」
本当は金沢のポテトなんかいらない。いらないのに「やったなー」なんてポカポカされたくない。
でも、妹のためだから。可愛い澪の喜ぶ顔が見たいから。オークションで大枚はたくのと、ほんの数時間の我慢とどっちがマシか。時は金なりって言うけれどでもこっちの方がやっぱり断然早いワケだし?
「わー、きれーい!」
イルミネーション見て歩くなんて、素敵なデートじゃないか。
日が暮れてきてLEDが輝き始め、秀のテンションは一気に落ち込んでいく。
白いツリーにピンクのオーナメント。
なんてオシャレなラメのキラめき。
でも隣にいるのは、微妙極まりない、金沢優美(全然優美ではない)。
「ねえタイキ、あのさ」
茶番でしかない「デート」が始まって、既に四時間が経過している。
色々あったけれど、心に残るのは胸の底に溜まっている「イマイチな気分」だけ。
「タイキって、その……」
レイちゃんが好きなの? だ。結は、親友である玲実から大樹に好意を抱いていると告げられて焦っている。私は全然、タイキのことなんかなんとも思っていないよなんて答えつつ、心を深く抉られている。
今日は、二人が仲良く話しているだけでイライラしたりとかなんとかそういういかにも少女漫画的なアクシデントが起きている中での、デートではない「ハプニング要素が集った結果二人で出かけることになっちゃったんだよね」的なおでかけ(単行本二巻に収録「ハジメテのフタリキリ」参照)、その再現なのである。
「なに?」
憮然とした表情の秀に、優美の眉がぴくぴく動く。
大樹が不機嫌な顔になるのは、この後なのだ。「レイちゃんと最近仲いいよねー」と結が言って、なんとなく変なムードになった結果、大樹もムッとするという流れなのに。
「レイちゃんと最近、仲いいよね?」
秀のフライング憮然に、優美の声が揺れる。あんたちゃんとやりなさいよ。そんな怒りが透けて見える言い方に、秀は思わず、黙ってしまう。
二人の間に沈黙が流れ流れて、五分程経っただろうか。
「そんなんじゃねーよ、でしょ」
優美から囁かれ、秀の心はめでたく限界を突破。
「もういいだろ。充分やったよ。終わろうぜこんな……、マンガのまねっこなんて」
この後待っている二人の揉める場面は、再現したくない。嫉妬のせいで素直になれなくて、なんとなくもみ合っているうちに、大樹は結の手首を掴んで怒るのだ。両手首を掴んで、顔と顔を近づけて、余計なこと言うなよ、と凄むのだ。
金沢優美を相手にそんな真似をしたくない。鼻と鼻がくっつきそうなほど近づいて、最後に照れてカアーッと赤くなるなんて無理な話だ。近づくのも無理なんだから。
でも、優美はノリノリだった。秀のテンションの低さを仕方ないわねといった態度で許し、ここまで完全に結になりきってきた。
秀は、そんな優美にドン引いている。
この溝は埋まらない。埋められないし、埋めたくない。
「最後までやってよ。付録、あげないよ?」
ああ、これが「生理的に無理」ってやつか、と秀は思う。
「いいよもう。妹には謝る。ここまでの食事代とかも払うから、もういいだろ? 終わってくれよ」
優美は目をうるうるとさせて、無体なクラスメイトを見つめている。
勘弁してよ、としか言いようがない。
半端に応じた自分が悪いというなら、いくらでも謝る。土下座して許されるなら、いくらでも頭をさげようじゃないか。
だって大事な、みんなが恋人作りに一番躍起になるこの時期に、よく知りもしない微妙な相手と「憧れのマンガデート一言一句まで完全再現」だなんて、ただの地獄じゃないですか。
○
金沢優美を置いて来てしまった。しかも、何も言わないで帰ってきてしまった。
罪悪感で胸がチクチク痛む。妹に無責任な約束をして、果たせなかったのも辛い。
ブルーな土曜日の次は、土砂降りの日曜日。でももっと嫌なのは、金沢優美と嫌でも顔を合わせる、月曜日の教室だ。
でも、たいして賢くもない男子中学生に妙案は浮かばない。
オークションサイトで七月号の付録を見ながら、入札もせずにマウスをかちかちいじるだけ。
無意味な日曜日が終わって、月曜日。学校へ向かう足はやたらと重いけれど、「なんとなく具合が悪いかも」程度で休ませてくれる母はいなかった。大体、月曜を乗り切ったって火曜が来るし、水曜、木曜、更には金曜日だって控えているんだ。だから、行くしかない。
なんと言われるだろう。
もしかしたら、あいつはデートをすっぽかして女を一人で置いて帰る鬼畜な野郎だと女子生徒の間で噂をされているかもしれない。
恥をかかされたと怒る優美に、帰り道つけられるかもしれない。そして薄暗い路地裏で、ナイフをかざして凶行に走るんだ――!
次々湧き出す妄想への対処法を必死になって考えながら、秀は歩く。
誰かが持ってきた週刊少年誌をもらって、腹に潜ませて帰ればいいんだ。
そう決意した校門で、事件は起きた。
「建山君」
見慣れた制服姿の、はっちゃけてない金沢優美に秀は立ち止まる。
やっぱり一昨日のファッションは無理があった。アイドルがグラビアで着るなら許されるであろう元気ガールコーデより、落ち着いた紺色の統一が優美には似合っている。
「一昨日はごめんね、これ、あげる。妹さんに渡して」
出てきたものはナイフではなく、書店のビニール袋だった。中身は固く、四角く、少しばかり重い。
それは「秘密のカギつき日記帳」で、秀はすっかり拍子抜けしてしまっている。
「いいのか? 俺、途中で帰ったのに」
「いいの」
だって無茶苦茶なお願いしちゃったから、と優美は振り返りながら話す。
「あのマンガが好きな人ならともかく、全然知らないのに完全再現しろなんておかしいよね」
「まあな」
正直な答えに、優美の表情が一気に曇る。
あまり整っていない顔をクシャクシャにして睨まれ、不細工ですなあ、なんて秀は思う。
「お前がおかしいって言ったんだろ」
「そうだけど」
女は面倒くさい。しみじみと呟いていた親友の鈴木の気持ちがようやくわかる。
「あのね、実はさ……。本当は好きなんだ、かちゅーしゃ。子供っぽい漫画ばっかりなんだけど、ずっと読んでるし、私には合ってるんだよね、あのくらいが。なんか、あんなの読んで恥ずかしいヤツって言われるんじゃないかって勝手に思い込んじゃって、でも建山君はそんなことみんなに言いふらしたりしないでしょ?」
今、まさにこの状況が、漫画的なシチュエーションだと秀は思った。
秘密の告白。上目遣いの、様子を窺うような女子。
この微妙な雰囲気に流されてはいけない。そう固く誓いながら、適当な返事を探していく。
「言うわけがない」
「だよね。ごめん、本当に。嫌だったのに付き合ってくれてありがとう」
あんまりにもしゅんとする優美がほんの少し気の毒に思えて、秀は小さく笑った。
「いいよ、まあ、ビックリしたけど」
「なにか、お詫びさせて」
「お詫びなんか……」
秀の頭をよぎっていったのは、一昨日のデートで見た風景だ。
優美とは御免こうむりたいものの、例えば隣に美少女がいたら楽しいんじゃないか。そう、金沢とよく話している学年一の美少女の定屋まふゆさんとか。
「じゃあさ、今度、また出かけようよ。普通に、他の連中も誘ってワイワイと」
来年受験だから、いまのうちに。この秀の提案に、優美は目を丸くして喜んだ。
「うん」
こうして、建山秀と金沢優美は「ともだち」になった。
グループデートのメンバーにぜひ前正寺君をと後日申し出があって、秀はニヤリと笑った。前正寺蓮は学年で一、二を争うイケメンであり、秀の友人の中で最も見目麗しい上サッカー部の主将まで務めている。
お互いの思惑が一致し、その他害のなさそうなメンツを集めた楽しいお出かけは翌年の一月に実施された。
結果、バレンタインに蓮とまふゆがめでたくカップルを成立させ、二人はすっかり意気消沈していた。
やっぱり見た目がいいヤツは得なんだな、なんて教室の後ろで、二人はぼそぼそと話している。
「こうしてみんな、くっついていって、それでさ」
優美は上履きをブラブラさせながら、秀を見上げる。
「最後に残った二人で……ってなるのかなあ?」
とても軽い気持ちで、秀は「そうかもね」と答えた。
その返答がいかにうかつだったか。
秀はこの後十三年も経ってから思い知ることになるのだが、それはまた、別なお話。




