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海底楽土  作者: 輝血鬼灯
5/10

5.宝探し

 途中嵐も一つばかし越えて、グネーヴァル号はローク海賊団から奪った地図に描かれた島へ辿り着いた。人が住んでいる気配はないが、なかなか大きい島だ。遠目からでも緑がやけに多い。

 砂浜と呼べるほど大層なものはなく、少し歩いてすぐに土の地面に足を着けることができた。間近で見ればますます森は大きく見える。これまで見たことのない植物が多い。

「この辺りはちょうど今まで見て回ったところと気候が変わる辺りだからな。誰か植物に詳しい奴はいねぇか?」

「少しなら」

 そう言って手を挙げたのは、バルドルだった。リーグは彼に森を示しながら尋ねる。

「毒草みてぇな危ないヤツがあったら教えてくれ。それから、食える果物とか見つかったら助かる」

「わかった。じゃあ俺が先頭を歩くよ」

「俺も」

 バルドルとメイリは奪った地図を広げ、先陣をきって歩いていく。その後に副船長のヴィーザルが続いた。船から下りて宝を探しに出たのは大体船員の半分、十人と少しで、残りは何かあったときすぐにでも出航できるよう船の整備をしておくのだ。ヘズはリーグと共に列の一番後方を歩いた。

 しばらくして、リーグはヘズの肩を腕で押さえて止めた。

「行くな!」

 だがその忠告は、ヘズ以外のものには少しばかり遅かったようだ。

「「わぁああああ」」

 間の抜けた悲鳴と共に、目の前を歩いていた船員達が土煙と共に姿を消す。

「みんな!」

「動くなヘズ、お前も落ちるぞ」

 言われて足元を見ると、土煙の引いたその場所に何かある。ぽっかりと地面に開いた穴に、前を歩いていた男達は落ちてしまったようだ。だが先頭を歩いていた三人、バルドル、メイリ、ヴィーザルは無事である。

「あれ、みんな引っかかったのか?」

「何でお前ら引っかかってないんだよ」

「だって、気づいたし」

 このぐらいのトラップは可愛いものだと肩を竦める。

「って、じゃあ何で何も言わないんだよ……」

「ヴィーザルー、お前なあ……」

 前を行く三人は罠に気づいていながら何も言わずに避けて通ったらしい。彼らが顔色一つ変えないノーリアクションだったので、後ろを歩いていた他の船員達は逆に避けきれなかったようだ。

 列の最後方にいて難を逃れたリーグとヘズは、直ちに男達を引き上げる。

「副船長ぉ、どうして何も反応してくれないんですかぁあああ」

 最後に引き上げられたモージが悲しみの表情でヴィーザルに詰め寄る。何人もの下敷きになった彼は、今にも死にそうな顔をしていた。

「いや、俺は嫌な顔をしたんだが」

「そんなの気づきませんよ! もっと、わぁ! とか、げぇ! とかリアクションとってくださいよ!」

「無理を言うな。何故わざわざいちいちそんなことをしなければならない」

「船長ぉおおおおお!」

 つれないヴィーザルの態度に、ついに船員達はリーグに泣きつく。

「ああ、わかったわかった。俺が前を歩けばいいんだろう。ヴィーザル、お前は後ろに回れ。後方の守りは頼んだぞ」

 一列に並んで走る場合、最も強い者が最後尾につく。……最初からそうすればよかったのかもしれない。

「参ったな。植物はわりと安全なものばかりだけど、この森、どうも罠が多そうだ」

 先頭のバルドルが獣道の正面を見遣って頭を抱える。

「それってやっぱり、宝を守るためですか?」

「ああ……普通なら、そうだろうと思うけど」

 そう言いながら、バルドルは屈みこんで落とし穴の具合を見る。ほとんどの船員が引っかかったのだ。穴の底に槍など危険物が設置していなかったのが不幸中の幸いだった。

「まだ、土を掘り返した後が新しい気がするんだが……」

 バルドルは訝りの眼差しでそれを見つめた。

「ってことは、お宝もう誰かに盗られちまったってことっすか?」

「そりゃねぇよ! こんな思いして来たって言うのに」

 と言っても、まだ森に入って十分の一も進んでいない。進んでいないのにこんな目に合っているからこそそういう不満も出てくるわけだが。

「とりあえず、行ってみた方がいいんじゃないか?本当に宝を取り出した後なら、わざわざ御丁寧に罠を仕掛けなおしておくとは思えない」

 ヴィーザルの一言により、一向は再び歩み始めた。宝があるなら儲けもの。なかったら……今度ローク海賊団に会ったときは海に突き落とすなんて生温い、塵も残さず消えてもらおう、と船員達は決意を固める。彼らは燃えていた。

「あ、そこ足引っ掛けるなよ」

「は?」

 だがやはりバルドルの忠告は遅い。何か考え事をしているのか、いつも思い出したように言うのだ。リーグはギリギリ避けるが、何しろ間一髪を体現するようなギリギリ具合なのでやはり後続の者達は避けることができずに、そこはかとなく物悲しい悲鳴を幾度もあげることになる。衣服はぼろぼろでどろどろ。

「なあ、お前ら、船に帰るか?」

「「「大丈夫です」」」

 地図から判断した行程の半ばほどでリーグは部下達に尋ねるが、船員達は根性を見せた。目が血走っているのは気のせいだろうか。

「……大丈夫か、あれ?」

「さぁ?」

 先頭はやはり危ないとのことでヘズのいる後方まで押しやられたメイリが、目つきが危険になった男達を眺めてボソリと聞いてくる。だが、ヘズにも何とも言えない。

 そういえば、海賊らしく敵船から奪った地図を見ながら宝を探すなんて、メーナイド一家にとって初めてのことだ。いつもは測量のついでに宝探しをしている。子どもとは間違っても呼べない年齢の男達がほとんどだが、この探検を実は楽しみにしているのかもしれない。

 二人がそんなことを話している間にも惨劇は続いていた。最初の落とし穴に続いて紐に足を引っ掛けると上から泥が落ちてくる罠や、横の茂みから棘付きのボールが飛び出してくる罠が次々とメーナイド一家を襲う。襲う。

「あ、そこ」

「気をつけろ」

「どわぁ!」

「ふぎゃ!」

「でぇええ!」

 悲鳴の消えては上がり消えては上がりする光景を後方から眺めて、ヘズは先程の考えを訂正する。楽しくなんかない。彼らはもはや意地だけで宝のもとへと向っているのだ。

 それにしても、わざわざ少し遅いと思えるほどのタイミングで船員達に声をかけているバルドルはもしかして確信犯なのではないだろうか。自分では罠に引っかからないのに他の船員が引っかかり表に出てきた罠の構造や材料をわざわざ戻って何か調べている。罠三つにつき一度ぐらいしかバルドルの忠告は役目を達成しない。

 だがその辛い行程もようやく終わり、やがて開けた場所が見えてきた。森の中でその部分だけ何故か木々が生えておらず、広場の中央辺りに大きな石がある。

「待った」

 そこで、バルドルは少し後を歩いていたリーグを止めた。

「どうした?」

「ここに生えているのは毒草だ。触れるとかぶれるぞ」

「どうすればいい?」

「服を着ていれば大丈夫だ。メイリとヘズ君はとりあえずここで待っていた方がいい」

「えー」

「せっかくここまで来たのに……」

 名を呼ばれた二人の少年は最後尾で不平の声をあげるが、仕方ない。今二人がはいているのは丈の短いズボン。それに足元は素足にサンダルだった。

「あと、草を掻き分けて宝を探さなきゃいけないかもしれないから、長袖に手袋までつけている格好が望ましいと思う」

「そうか。ヴィーザル」

 一斉に自分の手を見る船員達を置き去りに、ヘズ達の前にいたヴィーザルをリーグは呼ぶ。バルドルと三人だけで、広場の中央へと足を踏み入れた。正面より少し右よりにある石のもとまで行って、何か作業をしているようだ。顔を見合わせ話す声も聞こえるが、内容まではわからない。しばらくして三人は戻って来た。

「どうしたんすか、親方」

「……おぅ」

 それまで平然としてバルドルまでしかめっ面で、手にしていた紙を差し出す。たまたま目の前にいたモージがそれを受け取った。

「これってさっきの地図……じゃない。なんだ、これ?」

 広場入り口待機組皆して覗き込むが、ただの地図に見える。

「これが、お宝なんですか?」

 疲れたような渋い表情を見せるリーグ達に向けてヘズは尋ねるが、二人とも溜め息をつくだけで答えない。バルドルが口を開いた。

「『我が聖域を侵し、財宝を狙う者達よ』」

 何を言っているかわからない。一同はぴたりと口を噤んで彼の次の言葉を待つ。

「『残念だったな。この場所に宝はない。だがその無謀な勇気に免じて、我が真の隠れ家を教えよう。ここに同封する地図を見よ』……って文章が、その地図の入っていた宝箱の中の手紙に」

「「「何ぃいいいいいいい!!」」」

 ヘズ達は一斉に叫ぶ。

「どう言う事だよそれは!」

「ここに財宝があるんじゃなかったのか!?」

「俺達の苦労をどうしてくれるんだよ!」

 ぎゃあぎゃあと喚く船員達の騒音をやり過ごすために耳を塞いだ手を外して、バルドルは怒り狂う男達を宥めようとする。

「まあまあ皆さん落ち着いてくれよ。真の隠れ家を教えるってことは次の地図に書かれたところには間違いなく財宝があるってことだろ? 今度はそれを探せばいいじゃないか」

「よくねぇよ兄さん、見ろよ俺達がかかりまくったこの数々の罠の残骸を! これだけ苦労して肝心の宝がないなんて嫌がらせとしか思えないぜ」

「それに、そんなお茶目な書置きを残しちまうような海賊なら、次の地図も本物とは限らないじゃないか」

「いや、それは俺に言われても……」

 興奮した牛を宥めるようにどうどうと手で押さえる仕草をする彼にまで怒りの視線を向ける男達に、呆れたように嘆息したリーグが言い聞かせる。

「もうその辺にしとけお前ら。ないもんはしかたねぇ。また探すだけじゃねぇか」

「その前にロークの一味は海の藻屑決定だけどな」

 なかったものはまあ仕方ないかと言うように場がそろそろ収まり始める。その中で一人、副船長のヴィーザルだけが難しい顔をしていた。

「ヴィーザルさん、どうしたんですか?」

「いや、お前達は見ていないからわからないだろうが、先程の手紙の署名が気になってな」

「署名?」

 いつの時代にも海賊と呼ばれる者たちはいる。その時代によって様相や背景は様々だが、陸に居場所を持てなくて海に出てくる男達の存在は尽きることがない。

「ああ、その署名なんだが……シドレクスと言う男を知っているか?」

「シドレクス?」

「あの大海賊!」

 その名前に反応したのはヘズではなくメイリの方だったヴィーザルは頷き、興味を示したメイリの方に視線を向けなおし、続ける。

「そう。二百年ほど前に名を上げた大海賊シドレクス・フランシアだ。あのふざけた文章の最後の、その署名があった」

「偽者じゃないのか? 確かにこの辺りはフランシアの活動地域だったようだし、ロークの船でもそんな話は出ていたが、この宝の地図がシドレクス・フランシアのものだなんて聞いたこともない」

「奴らも知らなかったのかもしれない。まあ、活動地域であれば偽者の一人や二人現れるほど有名でもおかしくはないから、今のところどちらとも言えないが……とりあえず、あの石は墓石だ」

「え、まさか『我が聖域』って……」

「墓だったのか?」

「ああ」

 事も無げに頷かれ、ヘズはメイリと顔を見合わせた。宝探しに来て、うっかり墓荒らし。

「ど、どうしよう。俺達みんな、呪われちゃうかもしれない!」

「はぁ? 何を言っているんだお前?」

 本気で青ざめたヘズに、涼しい顔をしたメイリは冷ややかな視線を向ける。

「だって大海賊の墓かもしれないんだろ? 墓荒らしは死者の眠りを妨げる罪深い行為なんだぞ! ヴィーザルさんどうしてそんな平気そうな顔してるんですか? どうするんだよ、幽霊出てきたら!」

「どうしても何も、宝の箱かと思って空けたらしゃれこうべがお出まししたんだから不可抗力だろうが」

 開けちまったものは仕方がない、と平然とする副船長。呆れた顔をしたメイリが問いかけてくる。

「ヘズ……まさかお前、呪いなんて本気で信じてるのか?」

「当たり前だろ! メイリは信じていないのか!」

「ああ、そんなの信じるものか。呪いも幽霊も波の下の国でさえも、この世には存在しない」

「どうして!」

「別に信じる理由がないから。それに、本当にそんなものあったって怖くも何ともないからだ」

「……どうして?」

 意味深な言葉に、ヘズは先程と同じ、けれど深みも意味合いも全く違う言葉を口にした。メイリは何を考えてそう言うのだろう。

「考えても見ろ。お前の言うその罪深い行為を、したのは誰だ? そしてそれは何のためだ?」

 箱を開けたのは自分達メイナード一家で、それは地図に示された財宝を探し出すため。

「欲を持つ生身の人間の方が、死人なんかよりよっぽど怖い」

 どこか悟りきった口調で、メイリはそう言い放った。


 ◆◆◆◆◆


 夢を見る。蒼くて暗い夢を。……悲しい夢を。

 長い髪を垂らしてその人は俺の首に手をかける。その瞳を確かに見ているのに、誰だかわからない。夢そのものは目を覚ましても忘れることができないのに、その人の顔を覚えていない。

 いつも哀しみや苦しみで胸がいっぱいになり、そうしてそこで目が覚める。自らが事切れる瞬間を一度もその夢の中では体験しない。あるいはそれを感じたときこそ、この命が終わる時なのか。その時は海底楽土へと赴けるだろうか。

 メイリは、そんなものなどないと言った。

 どんな伝説も言い伝えもただの迷信だと。そして本当に怖いのは人間の心だと。だがヘズは信じている。

 海底楽土はある。この金に輝く右目こそがその証拠だ。

 海の女神の贈り物。これはそうであってほしい。そうでなければ……。

 そうしてまた暗い蒼闇の中で、首を締められそうになる。冷たい指先が喉を滑る。

 そこで、夢から、覚めた。


 ◆◆◆◆◆


 風が少し冷たく強くなって、昼間でも甲板で時間を潰す者達の姿は少ない。海の色も暗く沈んで濃紺や群青と言われる色に近くなり、空は薄灰色のヴェールをかけたように雲が広がって覆っている。

 つい先程、どこから来たのか白い海鳥の群れが船のすぐ横を通り過ぎて行った。その羽が一枚二枚と甲板に残されたのを風が新たに攫っていく。

「今日はあんまり天気がよくないね」

「そりゃあ、晴れの日ばかりじゃなく雨の日も嵐の日もあるさ」

 リーグが舳先で釣り糸を垂らすのを横目に見ながら、ヘズは何とも無しに視線を正面の海へと投げる。

「俺は晴れの日が好きだよ」

「そりゃあ大体の人間はそうだろう。でも嵐が好きだって奴もいる。海を渡る人間には少ないがな」

「みんなただでさえ落ち込んでるのに」

「偶然拾った漂流者が持ってた宝の地図で一発当てようなんて思っちゃあいけねぇってことだな」

 先日の島で宝を見つけられなかったことは、船員達にとって少なからずショックな出来事だったようだ。グネーヴァル号の財政事情が切羽詰っているというのもあるが、「財宝探しは男のロマン」と力説して悔しがっているエーギル達を見ていると、ヘズは逆に落ち着いてきた。

 あれだけ仕掛けられていた罠に引っ掛かっていないので、苦労したという感覚が他の船員よりも少ないからかもしれない。モージや他の船員達は、船に帰りつくなり居残り組みの船員達に八つ当たりの飛び蹴りを食らわせていた。そして宝がなかったと知った居残り組みから逆に蹴り返されていた。

「でも、まだ二枚目の地図があるし」

 気を取り直そうとそう言うヘズに、しかしリーグは渋い顔をする。

「そうだが……なあ、ヘズ。あっちはあんまり期待しねぇ方がいいぞ」

「どうして?」

「あれは、海底洞窟の地図だ」

「海底洞窟?」

 聞きなれない、だが、どこか好奇心をそそる言葉だ。文字通り海の洞窟と言う事だろうが、その地図とはどういうことだろう。

「ああ、俺達だけじゃどうも見方がよくわからなかったんで、地図の読める何人かに改めて見せてみたんだ。そうしたらな、あれはどうやら海の中の地図みてぇだ」

「それって、海図とどう違うの?」

「どうって……そもそも地図と海図は違うだろう? 地図は道や場所を示すもの、海図は海の様子を示すものだ」

「ってことは、二枚目の地図は、海の中に道があるの?」

「ああ、洞窟の中の宝までの道筋がな。けど、あんまり期待しないほうがいいぜ。いくら測量のために潜りなれてるからって、この広い海の中で洞窟を見つけるなんて、簡単なことじゃねぇんだ」

「へぇ……」

 ヘズが興味を示したのを見て口元を綻ばせたリーグは、さらにとっておきの情報だと言うように、耳打ちした。

「海底洞窟はな、一説には海底楽土の一つだっていう話があるぞ」

 リーグはもちろん、ヘズが海底楽土を探していることを知っている。この十二年、彼が父親代わりにヘズを育ててきたのだ。最初に海底楽土の話をヘズに教えたのもリーグだった。お前の瞳は海の女神の贈り物だ、と。

「本当?」

「ああ。女神様のお宅ってわけだ」

「財宝がたくさんあって、女神は海賊かなんかの子孫でその番人。それが海の女神と海底楽土の正体じゃねぇかって話が」

「海の女神は生きてる人間だって?」

「ああ、そういうこと。海底楽土の存在まで否定するわけじゃねぇが、そんな幻のように不確かな波の下の国なんて存在しねえってさ。がっかりしたか?」

「ううん。そっか……そういう考えもあるんですね……」

 もともと、海底楽土は船乗りに伝わる言い伝えだ。それが、海運が発達し海賊と言うものがはびこる世になってようやく陸の上にも広まってきた。それまでは航海をする者の信仰の一つに過ぎなかったものが、様々な憶測、推論を唱えられ探られるようになった。

 けれどまだ、その真実を見たものはいない。

「俺は波の下の国はあると思うぜ。特に、お前の右目の力や、そう言ったものを見てるとな」

「これは……」

 ヘズは眼帯の下の右目をそっと押さえる。

「右目が何だって?」

 背後から声をかけられた。いつかの見張り台の時のように、驚いたヘズは座っていた枠から落ちそうになる。それを、メイリの時よりずっと力強い腕が支えた。

「バルドルさん……」

「何でお前さんご丁寧に気配を消して近付いてくるんだよ」

 緩く結わいた金の髪を振って、バルドルが微笑む。ヘズを抱えあげて船の縁から引き離す。

「癖なんだよ。ちょっと人様に言えないようなこともやってきたもんで」

「そう言えば、メイリも前にそうだった。いつの間にか見張り台に上ってきてたんだ」

 身軽な子どもだから昇ってくる時に音があまりたたず気配を見逃したのかと思ったが、彼も気配を消す達人だということだろうか。兄のバルドルに比べれば全然凄くないように言っているが、島の罠もやすやすと避けていたしメイリも十分侮れない人物だと思う。

 その侮れない人物筆頭の青年は、胡坐をかいてヘズの隣に腰を下ろした。

「全く、坊ちゃん面しておっかない兄ちゃんだぜ」

「船長」

「ん?」

 坊ちゃん面という言葉が気に障ったのかと頭をかきながら眉を上げたリーグに、バルドルは笑いながら指摘する。

「竿、ひいてるよ」

「何! うぉ! 気づかなかった!」

 リーグの持つ釣り竿から垂れる糸についた赤い浮きが水面に沈んで波紋が立っている。リーグは慌てて釣りの世界に戻った。

 残された二人にはすることもなく、バルドルの視線は自然とヘズに向けられる。

「調子はどうだい?」

「ぼちぼちですね―……って毎日顔合わせてるじゃないですか」

「ちょっと言ってみたかっただけだよ。ところで、さっき船長と何を話していたんだい?」

「え?」

「海底の楽園がどうとか言ってただろう。あと、右目がどうとか。海底洞窟ってのは、この前の地図の話だろうけど」

「バルドルさん、……いつから聞いてたんですか?」

「ついさっきから」

 その間ずっと立ち聞きしていたということか。

「バルドルさん、人が悪いって言われませんか」

「言われるね。得体の知れないとかさ。で、何の話だったの?」

「……海底楽土って、あると思いますか?」

 彼の弟であるメイリはないと言っていた。だが彼も同じ考えとは限らない。いや、一番初めの時、あの朝焼けの甲板でバルドルは言っていた。

『待っていたからだよ。死んで、海底楽土に辿り着くのを。あの時はそれでもいいかと思っていた。どうせ俺達に、地上での行き場所なんてないんだから』

 だが、今回はふっと霞むような笑みでかわされる。

「さあねぇ? 俺にはわからないな。ただ、あったら行ってみたいとは思うね」

「死の国ですよ」

「安息の地なんだろ?」

「棲んでいるのは海の女神ですよ」

「神秘の美女。いいねぇ、そそられるねぇ」

 ……真面目に話していいのかどうかわからなくなってきた。

 ヘズの中で、バルドルはやはり得体の知れない人物だ。だが、最初の時のような恐ろしさは何だったのか、今ではよくわからなくなってきた。

 ただ、いまだに時々ドキリとさせられることもある。

 ふと動く気配がしたかと思うと、右のこめかみを滑るように、青年の指が髪に触れた。咄嗟に眼帯を押さえるが、その指は紺の布地を素通りして髪から離れる。

「ゴミがついてたよ」

 そう言ってヘズの髪から取り除いたらしい、どこでついたのかよくわからない小さな木屑を海へと飛ばす。木屑は一定の強さで吹き続けている風に紛れてすでに跡形もない。

「……ありがとうございます」

 ヘズは眼帯から手を離した。これを取られるかと思ってしまったことは、果たして自分の早とちりだったのだろうか。

 そう考えやはりこの青年は得体が知れないと、背筋に冷たい汗を滑らせたところで、マストの上方、見張り台から声が響いた。

「船だぁ!海賊船がこっちに来るぞ――!」

 正面に視線を戻すと、どこかで見たような黒い旗の船がこちらに近付いて来ていた。


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