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海底楽土  作者: 輝血鬼灯
4/10

4.襲撃

 果たして、その予想は当たっていた。

「よぉ、バルドルにメイリ。何だか思いがけないところで会うじゃないか」

「そうだなぁ。奇遇すぎて大概イヤになるな。ロークさん、元船長のよしみで、この船見逃してくれない?」

「馬鹿言うんじゃねぇよ。あのメイナード一家を討ち取れる機会なんてそうそうねぇぜ」

 自信満々の敵船船長に対して、愛剣の手入れを終えたばかりのヴィーザルがぼそりと呟く。

「討ち取られる、の間違いだろう」

 蚊の鳴く、とは言わないが、ヴィーザルの低い声は聞き取りにくい。それを地獄耳のローク海賊団船長はしっかり聞いていたようだ。射殺すような眼差しをヴィーザルに向ける。

「そっちにも結構生きのいいのがいるようじゃねぇか。メイナードってのはどいつだ?」

「俺だよ。ロークさん。悪いね、茶の一つも出さないで」

「かまわねぇぜ。もっといい物をもらって行くからよ」

「盗むほど金ねーけど」

 モージが呆れたように呟く。彼は緊張感の欠片もなく頭の後ろで腕を組んでやり取りを眺めていた。下っぱの気楽さで船長であるリーグに全て任せるつもりのようだ。もちろん戦いになれば参加するだろうが。

 どうやらロークはメイナード一家と聞いただけで金持ちと決め付けて夢を見ているらしい。実際にはグネーヴァル号の蔵には買い込んだ食糧と上陸時の探検用装備だけで、金目のものはない。まったくと言っていいほどない。今ある食料を食べつくしたら、明日から食うにも困る身の上だ。

「しかしバルドル。お前がこの船にいるとは本当に意外だったぜ。どうだ? 今からでも戻って来ないか? お前だけで」

 ロークはバルドルに弟を置いていけと言っているのだ。ヘズの傍らで、メイリが唇を噛む。

「手癖の悪いそのガキを置いて、この船の連中皆殺しにしてくるなら、お前の再乗船を許可してやるよ」

 にやりと下卑た笑みを見せ、ロークがバルドルに手を差し出す。軽く口の端を吊り上げたバルドルが俯き加減にしていた面を上げる。

ふと、隣に立っていたメイリがヘズを見た。ヴィーザルがカチリと微かな音を立てて、剣を鞘口から浮かすのを聞きながら、ヘズはその視線の意味を飲み込む。バルドルが口を開く、緊張の一瞬。

「イヤです」

 割と軽い口調で答えは出された。

 ロークが目を瞠る間に、バルドルとヴィーザルがロークの方へ、ヘズとメイリは向こうとグネーヴァル号を繋ぐ橋の方へと駆け出す。それをフォローするように、エーギルも剣を抜いてついてきた。

 二人がかりで板切れを渡しただけの橋を外そうと奮闘する少年達を、ローク海賊団が防ごうとする。向こうから橋を渡って来ようとするのに焦りながら、船体に引っ掛ける爪を外そうと、板を持ち上げる。

「このガキ共、何しやがる――うわぁあ!」

 モージや他の船員も手伝って橋を外し、渡ってこようとする敵の援軍を防いだ。ローク海賊団はメイナード一家の二倍以上の規模だろう。総力戦などごめんだ。

 ヴィーザルとバルドルはほとんど一撃ですでにこちらへと渡っていた者、ローク船長を始めとする敵を切り倒していた。

 ロークの首に剣を突きつけながら、バルドルは初めて見せる顔で冷ややかに男を見下す。

「許可? 何の? そもそも人の弟に手を出そうとしたのはそちらだろう? あんた達の船倉から頂いた地図は、ほんの慰謝料代わりだよ」

「バルドル、てめぇら、やっぱり例の地図を」

「疑うならメイリじゃなく俺を疑うんだったな、ローク」

「この野ろ……うぉおおおお!!」

 足払いをかけられて転んだロークの怒声が、途中から情けない悲鳴に変わる。バルドルはただ転ばせたのではなく、バランスを崩したその体を海へ突き落としたのだ。

「こっちも終わったぞー」

 リーグが同じ様に打ち倒した敵を海に放り投げながら言う。全てを波間に叩き込んでから、埃でも払うようにパンパンと手を打った。

 ヴィーザルはバルドルと握手を交わしている。強い者同士の親近感だろうか。

「お、お頭ぁ!」

 ロークまでもが海にぶち込まれた敵海賊達は、溺れる者の救助に慌てふためく。

「それ、今のうちだ!」

 相手が救助に気をとられている隙に、リーグは舵を取りに走る。いったん方角を無視してとにかく風を掴み、船を走らせる。海風をいっぱいにはらんだ帆はぴんと張り、紺の波間をグネーヴァル号は滑る。

「あばよ! 間抜けな海賊共」

 ローク海賊団の罵声を尻目に、メイナード一家は颯爽と退散した。


 ◆◆◆◆◆


 黄ばんだ用紙には幾つもの書き込みがある。劣化して薄くなったインク、表面が擦り切れて読めない文字、端の方は破れてぎざぎざになっているし、得体の知れない染みが幾つもできている。その汁の正体はちょっと知りたくない。赤いものなんか特に。

「これが、ロークの船倉から盗んだって言う地図か?」

「ああ」

 バルドルが裏切らなかったこと、メイナード一家が彼とメイリを助けるために動いたことで、新入りの兄弟はようやくメイナード一家と馴染み、グネーヴァル号の一員らしくなってきた。そこでバルドルは、ローク海賊団を抜ける際に持ち出して来たという宝の地図を今、皆の前で広げている。

「……おい、ちょっと待て。これ、この島ってもしかして俺達が向かっている方向にあるんじゃないのか」

「そうだ。だから俺達とローク達はあの場所にいたんだ。宝の島を探すために」

 地図に書き込まれた海の様子とこの辺り一帯の海図を見比べていた船員の一人が、そのことに気づく。

「本来の進行方向からはそれたが、結果オーライってことか」

「やったっすね船長!」

 宝と聞いて俄然やる気を出したメイナード一家に、バルドルが渋い表情を向けた。

「探しに行く気か?」

「それ以外に何がある。お前さん達は何のためにこれを盗んだんだ?」

 船員を代表して尋ねたリーグに、バルドルは事も無げに答える。

「イヤガラセ」

「そんな理由かい!」

「だってお笑いだろ? 近くの港まで一月以上かかる場所に宝探しに来たのに肝心の地図をなくすなんて」

「地図をなくしたら目的地に着くまでにすぐ気づくんじゃないか?」

「一応それらしい嘘の地図を作って操舵室に置いておいたんだけどね。バレちまったみたいだ。やっぱり紙質か?」

 地図をそれらしく書けるだけでもバルドルの才能には驚くばかりだが、それでもやはり用紙の汚れまでは再現できなかったらしい。

「まあ、とりあえずここに向かうに越したことはないだろうな。地図を盗まれたとなれば、どうせ奴らは俺達を追ってくるだろう。何の収穫も無しに仇だけ作るなんてごめんだぜ。できればこの宝島の検証、それに次は奴らを返り討ちにしてお宝も奪っちまおう」

「おいおい、この島が実在するのかすら怪しいんだよ。何せ海賊が持ってた地図なんだからさ」

 不適に笑うリーグの言葉に、一同はやる気を出す。バルドルは宝島という言葉を信じていないのか半ば苦笑気味にその様子を見ているが、その中で何故かメイリだけが沈んだような、思いつめた表情をしている。

「……メイリ?」

 ほとんど囁くようにして、ヘズは隣に立つ彼の名を呼ぶ。先日の一件から、二人の対決はとりあえずお預けとなり、今はそこそこ良好な関係を築いている。

 だが今のメイリはヘズの呼びかけにも応えず、黙ったままそっと部屋を出た。ヘズは慌ててその後を追った。

「メイリ」

 何度か呼びかけて、ようやく彼は振り返る。その顔を見てヘズは度肝を抜かれた。

「メ、メイリ、くん?」

 メイリは涙ぐんでいた。緑の瞳が濡れてキラキラと宝石のように輝いている。ヘズはそんなありきたりな表現しかできない、言葉を知らぬ自分の無知を今初めて後悔した。

「ど、どうしたんだよ!?」

「……バルドルが船を追い出されたのは俺のせいだ」

 それは以前にも聞いた話だ。そして先日ロークと戦ったときにも少し、バルドルが口にしていた。

「前の船……あのローク海賊団にいる時に、俺は船員の一人に乱暴されそうになったんだ」

「乱暴……?」

 その意味に思い当たり、ヘズはサーッと青ざめる。それは泣く。俺でも泣く絶対。確かに、メイリは自分と同じ男とは思えないほど可愛らしい顔立ちをしているとは思うけれど。

「それをバルドルが助けてくれた。けれどその時にはずみで相手をバルドルが殺してしまって……しかもそいつ、ロークのお気に入りだったんだよ」

 船長の権力を傘にきて無体を働こうという輩なんて殺されて当然だとヘズは思う。船乗りにとって船は砦でもあるが、牢獄のようなものでもある。逃げ場がなく知らぬ者もいない狭い空間で船員同士の揉め事を起こすなんて自殺行為としか言いようがない。嵐が来た時や時化の時など、船員同士の信頼がなくてどうやって切り抜けるのか。

「バルドルは悪くない……追い出されたのは俺のせいだ。本当はバルドルは凄く強くて、頭良くて……でも俺は、あの人に対していつも助けられるばかりで何一つしてやることができない……」

 だが、メイナード一家は打ち合わせたように息をそろえて、彼らと共に戦うことを決めた。メイリのことだって厄介者扱いしない。

 それを見て思うのだ。

 ああ、どうして自分はここにいるんだろう……。

「バルドルに必要なのはお前達みたいな奴らなんだよ。あ……俺じゃない。俺は、何にもあの人の役に立てない……」

 ヘズはメイリの言いたいことがわかった。

「……悔しいんだな」

 悔しい。自分に力がないことが。

「……羨ましいんだな」

「……っ、そうだよ! 俺はお前らに嫉妬してるんだよ!」

 メイリがヘズに掴みかかってくる。ヘズの服の胸元に皺がよるほどきつく掴むメイリの拳は、骨が浮いて白くなっている。なのに、その力は驚くほど弱々しく感じられた。

 そういえば、肩も腕も、メイリはヘズよりずっと細い。身長はそう変わらないのに、彼は自分より華奢だ。いったいどんな暮らしをしてきたら、こんなに細くなるのかと思う。

「メイリ……」

「お前なんか見ただけでムカつく」

 ……マジで?

 いくら初日に壮大な口喧嘩を繰り広げたからって、そこまで言うほど嫌われていたとは。ヘズはちょっぴり傷ついた。

「どうして金髪なんだ」

「え?」

「どうしてお前は男で、金髪で、蒼い目なんだ。バルドルと同じ……俺はバルドルの側でしか生きられないのに……」

 メイリの髪は黒、瞳は緑。兄であるはずのバルドルは似ていない。それはずっと彼のコンプレックスだったのだろう。傍で見ているだけでも、バルドルの要領の良さに比べて彼の生き方は不器用だ。兄を尊敬すればするほど、自分との差異の大きさに苦しくなる。

 けれど悔しいのは自分の弱さで、羨ましいのは他人の持つものの価値を知っているからだ。金髪碧眼はともかく、ヘズもメイリと同じ歳の子どもだ。もどかしい思いはいつだって抱いていた。

 悔しい。大切な人達に何の恩も返せない自分の無力さが。ヘズは捨て子だ。リーグに海で拾われた。物心ついて自らの出自の不審を知りそれでも育ててくれたメーナイド一家への恩を知り、けれどヘズは何もできない子どもの日々が続いた。海の女神の贈り物である金色の瞳の不思議な力に気づいたのは、ほんの四年ほど前のことだ。

 それからは、今の通り、見張りの担当が増えた。金の目で見るものをリーグ達に伝え、航海を安全に進めるために、気を配った。

 でも、それがなければ自分はただの子どもだと知っている。ヴィーザルのような剣の腕があるわけでも、エーギルのように料理ができるわけでもない。むしろ右と左で瞳の色が違う異相は、旅の途中に寄る街々で忌み嫌われ遠ざけられた。それが揉め事の種となってしまったこともある。

 その度に庇ってくれる一家の者に感謝と、罪悪感が募る。どうして。どうして。その言葉は執拗なほどにこの胸に救い食い荒らす。

「俺だって、悔しい」

 言葉が勝手に口から零れる。

「俺だって、お前みたいな綺麗な緑の両目が羨ましい。こんな目が欲しかったわけじゃない。それよりも、もっと自分の力で得たような強さが欲しかった」

「お前……」

 メイリが顔を上げた。涙に濡れて頬が光っている。大きな瞳を更に瞠って、眼帯の奥のヘズの目を見ようとでもするようにその顔を凝視した。

「お前は、その右の瞳に……」

 何を隠している。その言葉は結局口に出されることなく彼の喉の奥に封じられた。

「何をやっているんだお前ら」

 人の気配を感じたときには遅かった。いつの間に話が終わったのか、ヴィーザルが廊下で立ち尽くす二人の姿を見て眉をひそめる。

「新入りを泣かすな、ヘズ」

「違! そんなんじゃないよ!」

 その言葉に二人はようやく我に帰った。メイリはずっとヘズの服の胸元を掴みっぱなしだったのだ。角度的には、メイリがヘズに抱きついているように見えないでもない。

「……まあ、仲良くするのはいいことだが、度を過ぎないようにな」

「違ぁ――――う!!」

 やれやれと言った表情で含みのある忠告を残していくヴィーザルの背に、ヘズは力の限り叫んだ。


 ◆◆◆◆◆


 深く蒼い海の底に、その楽園はあると言う。

 果て無い水、果て無い紺碧、果て無い闇の中、魚達も棲まない深海の底に、あらゆる望みが叶う常若の都はある。

 陸を追われ、居場所を失い、海で死んだ者達の最後の砦。安息の地。

 俺はいつか、そこを見つけたい。この金の瞳をくれた女神にあって見たい。

 貴女は、どうして……。

 金の瞳は魔法の瞳。海底楽土の女神と同じその色は月光にも似て、人の身では決して見ることのできない遥か彼方を、少し先の未来を見せる。

 だが本当の自分は何も見えてなんかいない。ただ闇だけがこの胸の底に住まう。親を知らず、自分がこの世に生きる意味を知らず、自分ひとりの力では何も手に入れることのできない無力な子どもである自分の欠落は深い。いつまでたってもこの胸が自信で埋まることがない。この体が強さで満ちることはない。

 ああ、貴女はどうして……。

 海の贈り物は海でしか役に立たず、陸の上では気味悪がられるだけ。冷たい視線にさらされ、石を投げつけられるだけ。そうして俺はこの地上のどこにも居場所を持てない。海の上でしか生きられない。白波踊る海原を自由に泳ぎまわる魚達の方がよっぽど自由だ。

 だからこそいつの日か必ず、この海の底の楽園で自由に生きてみたい。

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