王者の後継<24>
「何ゆえにここに」
「これより先へ行かせる訳にはいかん」
「どうしても?」
「そうよの。例え力づくでも」
すらりとアデレードが剣を抜き放つ。かと思うと、それを地面へと突き立てた。
シィドリアが構える間も無い。
するりと伸びたツタはシィドリアの全身を絡め取る。
呪言を唱える暇は無かった筈だ。シィドリアが驚愕に満ちた視線をアデレードへ送る。
「呪言は我が剣に刻み込まれておる。行かせる訳にはいかぬのだ。諦めよ。さすれば、出来うる限りのお前の望み叶える為に我が力を貸そう」
静かな、だが決意を秘めた瞳に、シィドリアは訝しげにアデレードを見返した。
身体の自由は利かないが、ツタにシィドリアを害する気配は無い。
「出来うる限り?」
「そうよ。お前が水の後継として、あの子供と並び立てるくらいにはしてやろうよ。養父の汚名も雪げよう」
「一体、どういった訳ですか? 貴女がそういったところで、蒼のソルフェースが許すはずなど無いでしょう」
己の契約者を手に掛けようとした相手を、あの氷のような男は許さない。
「ソルフェースには私が幾重にも詫びよう。リベアにもな」
「何ゆえに、そのような……」
アデレードの謝罪であれば、あの二人は受け入れるだろうか。
「どうしても、というのであれば、王の叔母としての立場を利用もしようよ」
つまり、謝罪を受け入れねば圧力を掛けると云っているのだ。
「頼む。諦めてくれ」
頭を下げたアデレードに、シィドリアはふっと笑った。
「貴女が、そこまでおっしゃるのであれば」
シィドリアの身体に巻きついていたツタが緩む。
よろめいたシィドリアの身体を支えたアデレードの瞳が見開かれた。
シィドリアの手に握られた氷の剣は、アデレードの身体を貫いている。
がくりと膝からアデレードがくず折れた。
「今更ですよ。母上」
「…知って、?」
「ええ。とうに」
倒れたアデレードのすがるような瞳に、薄っすらと微笑んだシィドリアが、扉へ手を掛ける。
「そこまでだ。藍殿」
低い声が響いた。
シィドリアの首筋には、リベアの剣が突きつけられている。
いつでもその命を絶てる位置だ。
「そこから先に行かせる訳にはいかん。碧殿があれほど願われたのだ」
命を賭して、シィドリアの為に。
「どいつも、こいつも」
ぎりっと奥歯を噛み締める音が響く。
「もう、いい加減にしたらどうだ?」
背後から現れたのは、子供の姿のソルフェースだ。
「藍のシィドリア。契約者を害した罪で、連行する」
静かな声で言い放った断罪。おそらくは、西の宮で幽閉されて、生涯が終わるのだろう。人とは異なる長い年月を。
シィドリアが呪言を唱える。
リベアが返そうとした刃を、ソルフェースに止められた。
シィドリアを取り巻くように、水の竜巻が巻き起こる。
飛び退いたリベアとソルフェースに、水のつぶてが降り掛かっていた。
だが、それで二人が倒れることは無い。水のつぶての降り注ぐ中、霞んではいるが立っているのが見える。
力比べだ。どちらかが倒れるまで。
先に膝をついたのは、シィドリアだった。
降り注いでいた水のつぶてが止んだとき、そこに子供の姿は無い。
小柄だが、逞しい身体の男と、その男に寄り添うように立っている銀の長髪をなびかせた男。
「蒼の、ソルフェース?」
「そう。レイならば勝てると思ったか?」
冷たい容貌に、氷の刃を思わせる瞳。
やはり、この男は変ってはいなかった。
「はは、あははは」
哄笑がシィドリアの喉を吐いて出た。狂ったように笑う男の前にソルフェースが立つ。
「お前も呪には耐えられなかった」
ソルフェースの瞳が眇められ、指が伸ばされた。
次の瞬間、シィドリアの胸に剣が生える。
焔の剣のほの紅い剣先が、背中からシィドリアを貫いていた。
目を見開いたシィドリアが、くず折れる。
シィドリアの唇が誰かの名を形作ろうとして、果たせぬままこと切れた。
「リベア」
返り血を浴びたリベアを、ソルフェースは引き寄せる。
この男は何処まで他人の為に血を浴びるのだろう。ソルフェースは考えた。
自分の手など、もう既に血にまみれているのだ。幾度、弟子の命を絶ったのか。もう覚えてもいない。それでもリベアはソルフェースに血を流して欲しくは無いと願うのか。
「お前の所為じゃない」
抱かれたままリベアが呟いた。
「奴は勝手に狂った。血と欲と復讐に凝り固まって」
人を超える力。自在に振るえばこの国など簡単に滅ぶ。我らはそうならぬように振舞わねばならん。アデレードの言葉は魔術師たちの真実だ。
「人を超えた力、か」
そうしてそれはリベアの真実でもある。
リベアは抱きしめてくる男の腕の暖かさにじっと身を任せた。
「熱いのは結構だがの、」
呆れたような声がその場に響き、リベアは身を竦ませる。
「女が倒れとるというのに、助力も無しか」
むくりと身体を起こしたアデレードが長い黒髪をかき上げた。
「もう少し気を利かせろ。せっかくいいところだったのに」
「何がいいところじゃ。子供に背かれた母の気持ちも考えてみよ」
「殺しても死なない身体の癖に」
「それでも傷心ではあるのだぞ。まぁ、育てなかったのだから仕方も無いが」
飛び交う応酬に、リベアが目を丸くしている。
「み、碧、殿?」
「この女は緑のある場所では死ねないのさ。どんな傷も勝手に癒しちまう」
ソルフェースの落ち着き払った態度に、リベアは深く溜息を吐いた。
「だが、まぁ良かった。これ以上の大事にはしたくなかったのでな。リベア」
立ち上がったアデレードの胸元は破れてはいるが、傷は何処にも無い。
「この母の願いを護ってくれたこと。感謝する」
振り向いたアデレードに深く頭を下げられた。
ソルフェースが飛ぶための呪言を唱え始める。
その中で、アデレードの瞳はじっと秘密扉の入り口を見つめていた。きっと何処かの貴族の館に繋がっているのだろうそれを。




