王者の後継<1>
初めてその男を見た時、シィドリアは氷のような男だと思った。
だが、横に立つ自分の師匠であり、育ての親でもあるカイリィアは、そんな子供の心情など知らず、満面の笑みを浮かべてシィドリアを押し出す。
「蒼のソルフェース。これが私の後継です。シィドリア、私の師だ」
「そうか」
短い言葉。だが、視線は射抜くようにシィドリアを見つめていた。肩へ置かれたカイリィアの手が震えている。
「お前がそう決めたのなら、俺に何も云うことは無い」
ソルフェースの言葉に、カイリィアの腕から力が抜けたのを感じた。カイリィアなりに緊張をしていたらしい。
「では、私はこれで」
カイリィアがシィドリアを伴い、師の前から立ち去ろうとするのに、ソルフェースの声が掛かった。
「魔術師になるというのは、一種の呪だ。逃れられない。それは心しておけ」
それは確かにシィドリアへの言葉だ。育ててくれたカイリィアへの恩義に報いるためでは無く、その呪を背負う覚悟はあるのかと。
振り返ると、カイリィアの師は真っ直ぐにシィドリアを射抜いていた。
「もしも…。逃れたくなったのなら、俺に云え」
背筋の寒くなるような氷の眼差し。
「蒼のソルフェースッ!」
ぞっとするそれからかばうように、カイリィアがソルフェースの前に立つ。
「もしも、だ」
念を押すように、『もし』を繰り返すソルフェースに、カイリィアがうなずいた。
それが、王宮にある魔術師たちの住む『西の宮』に出向き、カイリィアの師の氷の美貌を目にした初めての邂逅だった。
「藍のシィドリア。ただいま戻りました」
シィドリアの報告に、満足げにうなずいたのは、現在の西の宮長となった魔術師だ。
「無事で何よりだ」
「無理を聞いて下さいましたこと、感謝しております」
カイリィアが亡くなった後、シィドリアは当然のように『藍』の名を継いだ。
水の属性を持つ魔術師は少ない。水の属性を持つものは、何故か王宮に留まることが無かった。
しかも、もう四代の王に仕える『蒼』の愛弟子は殆どが絶え、最後に残ったのカイリィアもこの世を去った。
カイリィアの息子であり、弟子でもあったシィドリアは王宮に残らねばならなかったのだ。
親の無い幼いシィドリアに、周りを見る余裕など無い。生きる為のすべを身に着けるのに懸命だった。カイリィアに拾われ、王宮に来てからは魔術を学ぶことしか知らなかった。
カイリィアが亡くなったとき、初めてシィドリアは『外』を知ることを望んだのだ。
宮長は、そんなシィドリアの願いを叶えてくれた。
蒼のソルフェースも、氷のような眼差しに少しの暖かさを浮かべて、シィドリアを見送った。
そして、今、シィドリアは放浪の旅から戻ってきた。十数年の時を経て。
シィドリアが蒼のソルフェースの居室を訪ねると、何故か居室には結界が張られていた。
シィドリアの知る蒼のソルフェースと云う男は、嫌みったらしい物言いと氷の刃のような眼差しを持つ、傲慢な自信家だ。自室に結界などと云う用心をしそうな男ではない。
しかも、ここは王宮の奥に位置する魔術師たちの為の離宮だ。
自給自足を旨とするため広さはあるが、王宮内にあっても、雅さや豪華さとは無縁の場所。
「あの、何かこちらに御用ですか?」
遠慮がちに掛けられた声に振り向くと、少年のような見映えの魔術師がいた。
あくまで、見かけだけだ。
魔術師はその力がもっとも強くなった時に、時が止まる。この少年はまだ、少年であったときに力の頂点を迎えたのだろう。
紫紺の瞳に薄茶の髪。属性は焔。
「藍のシィドリアだ。長の旅から今戻った。蒼のソルフェースは?」
「暁のヤコニールです。蒼のソルフェースなら、収穫に参加しておられます」
「収穫?」
確かに朝の収穫時間ではあるが、傲岸不遜な水の魔術師がやるような仕事ではない。
いや、蒼のソルフェースのような上級魔術師ならば、黙って座っていたところで誰からも文句など出ない筈だ。
シィドリアの視線に込められた疑問をヤコニールは正確に受け取ったらしい。
「最近では楽しいとおっしゃっておられますよ」
クスクスと声を上げて笑う姿は、可憐な少女のような可愛らしさがある。ヤコニールは呆気に取られたシィドリアを残して、結界の向こうへと消えた。
「リベアさま。湯をお持ちしました」
「ああ。すまん」
結界に護られたそこにいたのは、小柄ながらも鍛えられた身体の中年男だ。たくましい身体のそこここに残る跡をヤコニールはそ知らぬ顔で無視した。
顔を洗い身体を拭いて、地味で簡素ではあるが上質な騎士服を身に着ける。腰に挿した剣は、普段使いの厚刃のものではない。
魔封じの力を持つとされる『焔の剣』。
意識をしているのかどうかは不明だが、リベアは魔術師の宮へと訪れる時には、常にそれを帯刀している。
ドアを開き、扉の外へと踏み出すと、そこに複雑な顔をしたシィドリアがいた。
「あ、なたは?」
見たことの無い顔にまるで不審者のように詰問されて、リベアは一瞬むっとしたが、良く見れば目の前の青年の瞳は、魔術師の証である紫紺のそれだったし、旅装であることも考えると長く留守にしていて帰還したというところだろう。
確かにそれを思えば、自分の方が不審者だ。
「リベア・コントラ。蒼のソルフェースの契約者だ」
「契約者?」
シィドリアはますます首を捻る。さっきから聞いている『蒼のソルフェース』と自分の中にある蒼のソルフェースのイメージが合わない。
まるで違う人間のことを話しているかのようだ。
「シィドリア。戻ってきたのか?」
嫌そうな言葉尻。
背後に感じる気配の主は、まさしくシィドリアの養父の師。相変わらずの嫌味たっぷりな云い様に、言い返してやろうと振り向いたシィドリアは、そのまま固まってしまった。
「どうした? お前?」
そこに立っているのは、秀麗な美貌の多い魔術師の中でも特に秀でた、まるで氷のような眼差しの男の筈だった。
ところが、冷たい眼差しは変わらないが、男の瞳からは刃は消えうせていた。




